〈四話〉日本に射す影と光
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輸入ストップと聞いた大多数の国民が最初に心配したのは食糧だった。
幸いにも戦前とは違い現代の日本では全ての国民を養える生産量はある・・・・人間は、という文言が付くが。そう、問題は人間以外が食べる食糧だった。
国家の戦略物資の一つであるトウモロコシだった。トウモロコシは食用ではなく畜産のエサとして輸入している。国内生産のトウモロコシは全て食用等で消費してしまい、事実上トウモロコシは百パーセントを輸入に頼っているのが現実だ。
同様に小麦も八十パーセント以上を輸入に頼っている。そして醤油や味噌の原材料である大豆も前者と同じで殆どを輸入している。一九六〇年代までは大豆は需要と供給が均衡を保っていたが、経済成長期と共に需要が供給を上回ったため大量輸入が始まり、現在の国内生産は二五パーセントにまで落ちている。
日本食文化の代表格ともいえる米は昔から百パーセントに近い生産量を近年まで維持していた。だが七〇年代に入ると大豆やトウモロコシと違い供給が需要を上回ってしまう。その理由は日本人の食文化の変化にある。近年学校給食において牛乳を出す是非を問う声が多くなっているのにも関係がある。戦中・戦後日本は、米軍の空襲により地方と都市部を繋ぐインフラが徹底的に破壊されてしまった。
そのため地方に食料があっても都市部に運ぶ手段がなかったが故に都市部では栄養失調による死者が大勢出た。戦後、米国は大量の食糧支援を行った。そうこの時から学校給食に脱脂粉乳、牛乳が出されることになったのが始まりだ。実はこれは善意からなる(一部を除き)支援ではなく、将来を見越した先行投資だった。当時の学校給食のメニューはパン・肉・牛乳である。
これまで主食は米・魚・野菜だったのが戦後からは、パン・肉・牛乳へと激変した。つまり食文化の「欧米化」である。食文化の欧米化は米国にとって最大の利益になるからこそ、米国は戦後大量に食糧支援を行ったのだ。特に「栄養失調の子供に栄養を」や「牛乳や肉は体が丈夫になる」というのを大義名分に声高々(こえたかだか)に喧伝した。
そのため米が日を追うごとに需要と供給バランスが狂い始め、七〇年代には政府が有り余る米に悩ませ、減反政策を実施した。米の過剰供給を止めるため農家に米を作らせないというものだ。米の代わりに別の穀物や家畜をするように補助金を支給した。これにより米の過剰供給は減っていった・・・・同時に米の自給率も。
この減反政策を初めてすぐに日本は数回米不足に陥り価格が急騰したのは皮肉の何物でもない。その反面で日本政府は日本製品の輸出をするため、その国から米を輸入するという矛盾する行動をしていた。確かに米は腐るほどあったが、全てをカバーできる程の生産量はない。
全国にある田んぼはすぐに田植えが出来るものは少なく、殆どが別の穀物や家畜・埋め立て、と耕作放棄に近いものばかりだ。米からはトウモロコシとは目減りするが油も取れ、挽いて粉にすれば小麦の代わりもなる。もちろん家畜の飼料、エサにも使える。
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