勇者の末路
白一色の部屋。
いや、白は色ではないから、正確には無色の部屋。
壁も白。天井も白。家具も白。
衣装箪笥も、ドアも、机も、本棚も、そこに並んでいる背表紙さえも。
真っ白のウサギのぬいぐるみが置いてあった。
そいつには本来あるはずの赤い目玉がなかった。
目が痛くなるほどに真っ白な部屋の中、そのウサギは暗黒にとらわれているんだろうか。
全てが染め上げられたかのように、いや、脱色されたように白い部屋。
その部屋の主は、俺の目の前のベッドの上にいた。
しわを付けて寝転がっている彼女も、また真っ白だった。
真っ白な空間の中、彼女は白い肌に、透けるような白髪、白いワンピースにレースが繕われた白い靴下をはきこなしていた。
「やあ、お早い帰宅だね、おかえり、とでも言えばいいのかな?」
「まあなにも言われないのは辛いからね……。ただいま、とでも言おうか」
椅子に座り、ほっと一息ついた。
当然その椅子も白。
声しかしないのが気持ち悪くて、わざと音をたてて座ってみた。
それも白に塗りつぶされて消えた。
「まあ、今回も世界の救済お疲れさま。どうだい?牛乳でも飲むかい?」
白い……。
こだわりなんだろうな、と思った。
「いや、遠慮しておくよ」
「大きくなれないぜ」
「牛乳で身長が伸びるってのは迷信だぞ?」
彼女は肩をすくめた。
「そうやってなんでもかんでも迷信扱いして……。大事なのは信じる心、鰯の頭も信心からって言うじゃあないのさ」
「プラシーボ効果かねえ。まあ今さら身長を伸ばそうとも思わないし、やっぱりいいよ。ちょっと苦手なんだ」
少し考えて、言葉を足した。
「後味がダメなんだ。どろっとした感じが」
「ちぇー、釣れないなあ」
「大物だからね」
大物は自分で大物なんて言わないよな。
ふう、とため息をつく。
幸せが逃げると言うけれど、その程度で逃げる幸せならいらない。
とか言ってみて、はねのけ続けた結果がこのザマなんだろうなあ。
「で、やっとこさ帰ってきた君によくないお知らせと悪いお知らせがある。どっちから聞きたい?」
「聞きたくないんだが」
耳を手で塞ぎ、それを外させようとする彼女との戦闘に数分かけて。
「君に勇者しに行ってほしい世界があるんだ」
「勇者するってまた新たな動詞を作っちゃってまあ……。まあまたなのか」
「まただね」
「もういやだ」
「君に拒否権はないはずだけど?」
じりじりと睨みあうこと十数秒。
はあ、とため息を深々と吹き出す。肺から空気が抜けていく感覚。同時に気力も抜けていく。
「じゃあ悪い知らせってなんだよ」
「いや、今のが悪いい知らせさ。よくない知らせって言うのは、ただ純粋に敵が君より強いってことだけ」
「それはおっかないな……、俺に勝てるかな」
「大丈夫さ、君は十万四千五百六十二個の世界を渡り歩いて、十万四千五百六十一個の敵を倒してくれたじゃあないか!自信を持ちなよ!」
その言葉の裏にあるのは、きっと『俺には勝てなかったけれど』とかいう嫌味なんだろうな。
俺は、勇者だった。
俺の世界で、俺は勇者に選ばれ、世界を代償に神になろうとする彼女と戦った。
そして、負けた。
それ以来、俺という勇者は奴隷になった。
言われるままに力を振るい、世界を救い、壊し、歪め、犯してきた。
もう死んでしまいたいけれど、それも許されていない。
自由はない。
「笑顔でいうなよ」
「笑顔の方がかわいいんだろ?」
「かわいくいてほしいと言った覚えはない」
吐き気がする。
これが茶番だということを思い出してしまったから。
早くどこかへ行ってしまいたい。
「まあいいや、話をもどして、いや戻すもなにももう終わってたんだっけ」
「あとは俺が行くだけでいいよな?」
「うん、まあ、そうだね」
「それじゃあ行ってくる」
「行ってらっしゃい」
ガチャリ、と白いドアノブを捻り、奥から光が溢れてくる。
あまりの眩しさに思わず目をつぶり、再び目を開けると、そこには慣れた見慣れぬ異世界。
始まりの街の風景。
目の前を走る馬車。
空を舞う何か。
「困るんだよなあ、いらないんだよなあ、異世界転生系主人公なんて」
そんな声がどこからか聞こえた。今思えば背後のような気もする。
声は男か女かわからなかったが、やけに疲れたような声だった。その直後だった。
俺の胸から、心臓が抉り出されたのは。
腹から生えているのは誰かの右手。その先には、未だぴくぴくと脈打っている俺の心臓があった。
そして空いた穴からは、血が壊れた蛇口みたいにドボドボと噴き出している。
ああ、まだまだ続くと思っていた、永遠にも近く永かった奴隷のような勇者生活もこれでおしまいか。
めでたしめでたしなんてわけもなく、あっさりと当たり前に絶命するのが俺の運命だったのか。
これじゃあ勇者じゃなくて咬ませ犬じゃないか。
そういやあ、先代勇者は死亡フラグって話をどこかで―――
そんなことを考えながら。
十万五千六百五十二個の世界を渡った、元魔王の息子は、まさにモブのように死んだ」
作者はテンプラが好きです。