斎藤喜太郎「この気持ち、まさしく愛だ!」織田弾正大弼「…何か悪寒が」
「そもそも武士という在り方そのものが、律令体制と矛盾しているじゃないか。公地公民を原則とする律令体制の下で、土地の私有財産制と世襲相続を基本とする武士が政権を担う。だからといって今の朝廷に直接的な政権運営をするだけの能力があるとは思えないけど、室町の幕府だってそれを喪失して久しい。ならば今の幕府が、政権を担当するだけの正当性とは、一体何だろうね?」
それを聞いた河田備前守(長親)が、主君の膝頭を掴んで「決して口外してくれるな」と諫言したのは、一体いつの事であったか。永禄年間の上洛の前後か、関東管領になる前か。似たような事が何度もあったので詳細な時期は忘れてしまったが、小島弥太郎(貞為)は主君がそのような発言をしたことだけは鮮明に覚えている。若い頃からの付き合いではあるが、とにかくこの主は武家の当主でありながら、まったくそれらしくないのだ。武士という存在そのものに懐疑的であり、不真面目で他者との協調性がなく、意思疎通が不得手。そもそも「義」だのなんだのという自らの考えや政治信条を他者に理解させるつもりがあるのかどうかすら疑わしい。幼少期から寺で育ったが故に、武家社会の常識や感覚に疎く、彼らの求めるものを頭では解釈していても本質的には理解出来ない。
武家の当主として、自らの主君である上杉不識庵ほど欠点の多い人物もいないが、上杉不識庵ほどそれが批判されることが少ない当主も他にはないだろうと弥太郎は考えている。ではそれが許されているのは何故かといえば、たった一つの、それでいて他者の追随を許さない長所が、欠点の全てを覆い隠してしまうからだ。
その長所故に彼は家臣達から『毘沙門天の化身』だの『軍神』だのという、青年が罹患しやすい病が自称させるかのような二つ名を奉られている。もっとも本人は士気高揚のためにやむを得ないと黙認してはいるが、本音では辟易としていた。信仰しているからといって、自分を神の化身と自称するほど不識庵は自惚れてはいない。しかし小島弥太郎という人物は、主君である不識庵が嫌がることを知りながら、その奉られた二つ名で呼ぶことを好んでいた。「その嫌な顔を見たいのですよ。あの軍神様の唯一人間らしい表情ですからな」と嘯くあたり、こちらも鬼小島との異名を持つこの豪傑の心臓の毛深さが伺える。そして、むしろその毛深さを誇るかのように、小島弥太郎は自らの主を面と向かって評して見せた。
「長い付き合いになりますが、貴方ほど戦が巧いにもかかわらず、貴方ほど武士という在り方を軽蔑している人はおりませんな」
「そりゃ褒めてるのかい?それとも貶しているのかい?」
「両方ですな。まぁ、戦が下手なくせに武門の名誉とやらに拘る連中よりは、よほど好感が持てるというものですが。連中からすれば最も武士らしからぬ貴方が誰よりも武士としての美点を兼ね備えているというのが気に入らんのでしょう」
「ま、実際の貴方を知っていれば無理もありませんが」と小島弥太郎は甲冑姿のまま直立不動で、何がおかしいのか豪快に笑ってみせた。越中富山城を包囲する上杉軍本陣に、人払いをして弥太郎を呼び寄せた上杉不識庵はといえば、床几に陣取ったまま頭巾を外して苦笑し、頭を掻くばかりである。そしてそんな奇妙な君臣の関係性を見せつけられた法体姿の有髪の中年男性は、立ったまま口の端だけを歪めたような冷笑を浮かべた。紗に構えたような視線と態度はどこか世捨て人を思わせるが、やる気のない殺気と虚脱感が入り混じったかのような気配は、少なくとも弥太郎には覚えがなかった。
「それで、この坊主は一体何者ですか?有髪ということは本願寺の手の者なのでしょうが、富山城で抵抗している一向一揆の仲間とも思えませんが」
「なぜそう思うんだい?」
「地侍や農民上がりの者にはない物腰や態度は、明らかに武士の家の生まれ。出自で人をどうこう言いたくはありませんが、家柄と教育の質というのは釣り合っていることが多いですからな。しかしそれにしてはどうにも小汚いのも確か。一体どこの馬の骨なのです?」
馬の骨呼ばわりされたにもかかわらず、厭世的な雰囲気を漂わせた僧侶は顔色を変えずに冷笑を浮かべたまま応じた。
「馬の骨呼ばわりとは心外ですな。これでも河合斎藤氏の系譜を継ぐ一族の末裔なのですよ」
「これは失礼。さぞや立派な家系図をお持ちであろうお方は、どこの名馬の血を引く馬の骨なのですかな?」
さすがに僧侶はこれには嫌な顔をしたが、不識庵は「こう言う性格だから、堪えてくれ」と声を掛けた。
「弥太郎。紹介しよう。元は朝倉家三国湊において舟奉行であった堀江中務丞(景忠)殿だ」
「今は名を改め、幸岩斎藤秀と名乗っております」
「どうぞお見知り置きを」と頭を軽く下げる幸岩斎に、弥太郎は「加賀一向一揆の手のものか」と応え、自分の主君を見返した。
「たしか永禄10年(1567年)に、加賀一向一揆に通じて謀反を起こし、能登に亡命した朝倉家臣がいましたな」
「それが私です」
幸岩斎は悪びれるでもなく平然と応じた。堀江氏は鎌倉時代には越前に土着し、三国湊周辺に勢力を持った国人である。興福寺から斯波氏、そして朝倉氏と主人を替えながら三国湊の代官を世襲。本家の没落に伴い庶流が朝倉氏と手を組み、再び三国湊の代官となると、有力国人として一乗谷に屋敷を与えられるほど優遇された。
これほど優遇されていたにもかかわらず、この堀江中務丞とその子は加賀一向一揆に内通。激戦の末、能登へ堀江一族が亡命することで政治決着が図られた。以後の彼は加賀一向一揆に属し、虎視眈々と旧領回復を図ろうとしていたのだが、そこに元亀元年(1570年)の第1次織田包囲網が結成される。不倶戴天の間柄であったはずの朝倉と本願寺は外交革命とでも評すべき同盟を結んだことにより、堀江一族は表向きは立場を失った。弥太郎は呆れた様に尋ねる。
「まったく、どこで拾ってきたのですかな」
「犬猫じゃあるまいし、そういうことを言うものではないよ」
「真面目な話です。どこで拾ってきたのです?」
声を出さずに笑いながら応じた不識庵に、小島弥太郎は再度厳しい表情で問いただそうとする。しかし不識庵は静かに笑みを浮かべるばかりで、それに応えるつもりがないことを態度で示した。まあいい。この人の得体の知れない人脈は今に始まったことではない。
「まったく。貴方の無茶ぶりにはいつも驚かされっぱなしですな」
「まだ何も言ってはいないんだけどね」
「この状況で越前三国湊と一乗谷に土地勘のある出身の朝倉旧臣。こうも都合よく、いやこのような人材が必要な仕事となれば、大方の想像は付きます。斯波武衛翁の救出でしょう。違いますかな」
これに不識庵ではなく、何故か幸岩斎が「お見事」と手を叩いた。これに面白くもなさそうに小島弥太郎が顔を顰める。
「昨日の主人を裏切り、今日の友を明日の敵に売ることでしか生き残れぬ貴公に褒められる筋合いなどない」
「それは貴方と私の人生観の違いですな。信仰だの忠誠だのは私にとって問題ではありません。そもそも加賀の一向一揆が、何故富山城で苦しまなければならないのですか。加賀のためならともかく、越中一向一揆、もしくは石山の本山のために戦ういわれなど私にはありませんよ」
「富山城の連中は自業自得というわけか。ならば貴様とて三国を追われたのも自業自得であろう」
弥太郎が強烈な敵意を込めた皮肉で返すと、幸岩斎は「それこそ見解の相違ですな」と答える。
「いずれ一乗谷は、何らかの理由をつけて三国の権益を取り上げていたことでしょう。中央集権を推し進める一乗谷にとって地元国人である我らは邪魔でしたからな。故にそれに先手をうち、正当なる抵抗をしたまでのこと」
「ものは言いようだな。謀反人が憂国の士を自称するとは」
「弥太郎。そこまでだ」
黙って聞いていた不識庵が短く言い切ると、弥太郎は姿勢を正した。
「不識庵様。我らはどのような命令にも従う覚悟はあります」
「わかっているさ。理由は3つある。1つは幕府に恩を売るため、2に織田家に恩を売るため」
「…それは、その二つは一緒では?」
「今の所はね。17ヶ条の意見書なる怪文書の真偽はともかく、両者が将来的にも対立しないとは限らない。鹿苑院様(足利義満)だって、後見人だった細川を切り捨て、斯波に乗り換えた。どちらが勝つかはともかく、あの老人を救出すれば両方に恩義を売れる。一石二鳥というわけさ。幕府の重鎮であり、織田弾正忠家の名目上の君主だからね。可能性はかなり引くいとはいえ、対立しない場合でも問題はない。むしろ好都合だ」
不識庵は肩をすくめ、再び冷笑を顔に貼り付けて君臣のやり取りを見物していた幸岩斎の顔を見遣った。
「日和見の機会主義者だ。確かに信用できないし、自分と一族の安全のためなら平気で旧主を売る男さ。だけど旧領復帰という目的がある限り、我ら上杉を裏切らないと思うよ」
「…随分と信用してくださるのですな」
あまりにも明け透けな物言いに、幸岩斎も冷笑を苦笑に変えて応じるが、不識庵は笑いもせずに続けた。
「信用と信頼は違う。私が『信頼』しているのは弥太郎さ。彼なら例え君が朝倉に再度寝返ろうとも、問題なく戦えるだろうからね…それに、これは先に述べた3つ目の理由にも関係するんだけど、この上杉にとっても北陸道と日本海側の海上交易路は生命線でもある。それを邪魔し、上杉の看板に泥を塗る連中は何人たりとも許しておくわけには行かない」
「これから冬だ。越後の民を飢えさせるわけにもいかないし」と不識庵はここで言葉を区切ると、床几から立ち上がる。ただそれだけであるのに、幸岩斎は何故か胃の腑が締め付けられるような威圧感に、知らず後ずさりをしていた。どこにでもいそうな風采のうだつの上がらぬ中年。そして軍神の異名を欲しいままにする上杉の当主は、気安げに幸岩斎の肩を叩いた。
「やぁ、三郎君。越中で対陣中と聞いていたが、元気そうで何よりだ」
「…はぁ、武衛様も御健勝で何よりです」
素早く鞍谷公方の口に布巾を突っ込む長尾景虎こと北条三郎に、なぜか救出される側の斯波武衛が言葉をかけた。そのまま猿轡をかませようとする三郎に、斯波武衛が「外してやってくれんか」と止める。
「鞍谷の公方様には世話になったからな。できるだけ無体な真似は避けてほしい」
「失礼ながら、いかに斯波武衛様のお言葉といえどもそれは聞けません。貴人を拘束するのは忍びありませんが、今の状況では」
「そうか。であるならば仕方がないの…すみませんな。しばらく我慢していただきたい」
いきなり自慢の茶室に入り込んでいた筋骨隆々の武者に背後から拘束され、猿轡をかまされた上で、両手を後ろ手で拘束された鞍谷公方は困惑と恐怖と怒りが複雑に入り混じった色を目に宿している。斯波武衛はそれにしゃがんで目を合わせると謝罪の言葉を続けた。
「あぁ、別に私が救助を要請したわけではござらぬ。その点だけは理解して頂きたい…ところで三郎君」
「何でしょう」
片手で、老人とはいえ大の大人一人を拘束する北条三郎。端正な顔立ちとは裏腹に相当鍛えているらしい。実質的に部隊を動かしているであろう小島弥太郎を除けば、おそらく政治的な最高位者といってよいであろう青年に、斯波武衛はそもそもの疑念を尋ねた。
「ここで茶と酒を飲んでの楽隠居も悪くはないが、ここからどうやって脱出するのだ?ここから出ようにも、諏訪館を始め、厳重な警戒の中を抜けなければならない。それに仮にここの警護の目を掻い潜れたとして、関所や番書には警護の兵が詰めている。川にも道にも警護の目が光っている」
「その点は心配御無用に」
北条三郎ではなく小島弥太郎がこれに答えた。その背後ではいつの間にか毛利十郎が手際よく朝倉方の警護の兵を縛り上げて茶室に放り込み、弥太郎の郎党と打ち合わせを始めている。
「いやぁ、真に先祖の血筋に感謝でございますな。御所様」
猿轡をかまされた鞍谷公方は「ふぇ?」と、くぐもった声で続けた。
「身包みを剥がして身を窶すとは、まるで野伏であるな」
「下らないことをいってないでさっさと着替えてください」
「ふふぉ!ふぉええふぉえ!ふぁめふぉふぉら!」
「御所様も諦めて脱がされてください」
何のことはない。鞍谷公方の衣服を脱がせて、斯波武衛がそれを着て成りきるというだけの話である。さすがに鞍谷公方には斯波武衛のを着せたが、警護の兵もすべからく身包みを剥がされ、10月だというのに褌ひとつで茶室に両手両足を縛られたまま転がされていた。
「いざとなれば御所様を斯波武衛様と勘違いしてくれれば、御の字なのですが」
「そうだな。それでいくか」
北条三郎が朝倉家中の武士に変装するために用意していた小袖に腕を通す。小島弥太郎などは態度もあいまって、黙っていればまさに朝倉家の重臣といってもおかしくない雰囲気を醸し出している。そしてこれは想定していなかったが、鞍谷公方と斯波武衛の年齢が近く、人相も似通っていたのは上杉方としては勿怪の幸いであった。弥太郎と三郎はすぐさま「斯波武衛(実際には鞍谷公方)が抵抗したため、近習が取り押さえて護送する」という筋書きを考え、当初の予定に反して鞍谷公方を連れて行くこととした。暗がりの中では多少の差異はわかりにくいのも好都合であった。
「ところで、どうやってこんな衣装を用意したのだ?」
少しだけ豪勢な装いとなった斯波武衛の疑問に、嫌な顔をする北条三郎に代わって小島弥太郎が幸岩斎こと堀江一族の存在を伝えた。つい数年前までは一乗谷に館を構えていた重臣である。館の雰囲気に合わせた衣装をそろえることなど、容易いことであった。
「ふむ、そうか…で、三郎殿はどうしてそんなに不機嫌そうなのだ?」
「…いえ、それば別に何でも」
「顔に書いてあるぞ。私は彼が嫌いですと」
黙って衣装と髷を調える北条三郎に代わり、小島弥太郎が「色々ありましてな」と苦笑する。弥太郎は直接的に見てはいないのだが、なんでも敬愛する義父への態度をめぐり、北条三郎と幸岩斎との間でひと悶着あったらしい。ただでさえ謀反人ということで胡散臭く思われているのに、一向に悪びれもせずそれを公言するあたりが、三郎青年のそれと合わなかったのだろう…というような内容を、手早く後片付けをしながら小島弥太郎は言った。
「ふむ。それは、まぁ仕方がなかろう。世間にはいろんな人間がいるものだ。一概に何が悪いとは言えぬし」
斯波武衛がどうとでも受け取れる所感を呟く。「小島様、準備が終わりました」と弥太郎の郎党が報告すると、鬼小島は「さて」と膝をたたいた。するとやおら鞍谷公方を肩で担ぐように持ち上げる。ふがふがと抗議するような声が聞こえるが、弥太郎はまったく気にした素振りも見せずに宣言した。
「長居は無用、さっさと脱出しましょうか」
「まったく上杉は人使いが荒い」
同じ頃、三国湊における仕掛けがひと段落した幸岩斎藤英は、やれやれと肩を回した。謀反により追放されたとはいえ、かつての堀江一族と関係のあった者を三国湊から根絶することは朝倉といえども出来なかった。そんなことをすれば肝心の港湾機能が停止しかねなかったからだ。
今、幸岩斎が上杉の手勢と共に隠れている屋敷も、かつて舟奉行として自らと関係が深かった材木問屋のものである。一乗谷では作戦が開始された頃かと呟きながら、幸岩斎は舟屋の二階から夜の帳が下りた、かつての領地を見下ろしていた。
「随分と寂れたものだな」
ここは堀江の本貫地である。地図にある地形や、地図にはない裏道や動線、どこの家がどこから借財しているかまで幸岩斎は知り尽くしていた。だからこそ幸岩斎には故郷に漂う、うらぶれた気配に気がつくことが出来た。確かに往来する船の数や立ち並ぶ商家には一見すると変化がないように思える。しかし明らかに活気がない。時間をつぶす人足にしても賭博場に入りこむでもなく、湊の近くで屯しているばかり。
つまり銭が廻っていないのだ。宵越しの銭は持たない気質の港湾労働者ですら、博打に金を回せない状況というのは相当深刻である。
後先考えずに喧嘩を売るからこうなるのだと、幸岩斎は一人ごちた。北近江の浅井、摂津の本願寺、四国三好らと連携した都への物流封鎖。確かに一定の効果はあったのだろう。政権内の混乱は、遠く能登や加賀にまで聞こえてくるほどだ。しかし現政権が3年近くそれに持ちこたえるとは、朝倉家は想定していなかったのも事実であろう。現に今でも15代将軍の政権は継続しており、逆に包囲網を担った勢力は、各個撃破の対象となっている。
浅井は淡海の湖賊から離反され、四国三好は急速に堺における影響力を低下させた。朝倉に至っては浅井を支援することで手一杯。例外なのは全国各地に拠点を持ち、なおかつ瀬戸内海から続く外洋と都の玄関口である摂津東成郡をおさえる石山本願寺ぐらいのものであろう。すでに包囲網の中心勢力は朝倉から本願寺に移り、むしろその支援がなければ朝倉とて浅井の支援すらおぼつかない。そして武田の西進作戦。いくら当初からの旗振り役とはいえ、この状況で朝倉が主導権を握り続けることは難しい。
すでに朝倉は反織田勢力の中枢から外れ、補完勢力のひとつにまで落ちぶれたのだ。その事実は何よりも眼下の光景が雄弁に物語っていた。幸岩斎にとってはそれがいい気味でもあり、また妙な感傷を呼び起こすものでもあった。
『武士というのはね。舐められたら終りなんだよ』
なぜか唐突に不識庵の言葉を幸岩斎は思い出していた。あのような奇妙な御仁だとは、さすがに幸岩斎も想像していなかった。武士でありながら武士という存在を疑問視し、だからこそ誰よりもその本質について理解するよう勉める。そして越後のためには必要と判断すればいかなる手段を選択することも厭わない。
『越前朝倉に、上杉を虚仮にした落とし前をつけさせる必要がある』
そう語った不識庵に、幸岩斎は何も語るべき言葉を持ち合わせていなかった。確かにその通りである。現に朝倉は今や本願寺に舐められている。いくら越前が大国とはいえ、都との経済関係を断ち切って独自にやれるだけの自力はなかった。京という大消費地を安定的な得意先とする生産地としての優位性は、すぐさま播磨や大和などの他の地域に取って代わられた。そして越前国内の商人はどうすることも出来ずに、ただひたすらに借財と不満を募らせている。現にこうして現地の商人の協力が得られたのも、それが大きい。幕府や織田家と対立した上、更に越後上杉と対立してまでやっていけるだけの実力がないことは、三国湊の商人は幸岩斎以上に理解していたため、非常に積極的であった。
『武衛の御老体の救出はついでの駄賃といってもいい。朝倉兵に変装するもよし、正面から切り込むもよし。作戦に必要と判断すれば犯す以外は、火付けだろうと撫で斬りであろうと許す』
不識庵の言葉を思い浮かべながら、幸岩斎は紛れもない本音を口にする。10月だというのに額には粒のような汗がいくつも流れた。
「…恐ろしい人だ」
「ふむ、案外疑われぬものだな」
「お静かに。それよりも、もっとこう…あぁ、やっぱりいいです」
鞍谷公方の格好をした斯波武衛が呟く。明かりとなる提灯を手にした北条三郎が何か言おうとしたが、すぐに無駄であると考えたのか止めた。この時一行は諏訪館の前を通り過ぎ、千畳敷ともあだ名される本丸御殿に続く回廊を歩いていた。武衛の左横には北条三郎、右前にはまだ何か言っている鞍谷公方を担いだ小島弥太郎が付き従い、朝倉家のそれに変装した上杉家臣団が周りを警護している。縛られた人間を肩に担ぐという、明らかに不審な大男がいるにもかかわらず、たまにすれ違う警護の兵はぎょっとするような表情こそ浮かべるものの、あまりにも堂々とした弥太郎の態度と言動により、疑問を覚えるでもなくこれを通していた。
「三郎よ。こういうときはこそこそするのが一番駄目だ。堂々としておれば、案外誰も気にしない」
「弥太郎さん。貴方は逆に堂々としすぎでは」
「何。私ぐらいの色男となると、隠そうとしても隠し切れないからな。むしろこれぐらいでちょうどよいのだ。しかしそれにしても…」
「思った以上に士気が低い」と小島哉太郎は口の中だけで呟いた。一乗谷ですらこれなのだ。ここに来るまで上杉の一行は三国湊から一乗谷川を遡り進入したが、堀江一族の手引きを受けたとはいえ、まさかここまで警備が緩んでいるとは。かつての朝倉なら考えられないことだ。しかしこちらとしては有難い。
「このまま何事もなければよいのだが」
「そうは問屋がおろさぬ」
瞬間、小島弥太郎は鞍谷公方を北条三郎に投げ渡すと、手にしていた鉄棒を目にも留まらぬ速さで前に出し、自らに向けて凄まじい速さで振り下ろされた刀を防いでいた。
「ほう、やるではないか。さすがは鬼小島殿」
「貴殿は私の名を知っているのに、私が貴殿の名を知らぬというのは片手落ちではないかな」
「随分と余裕のあることだ、な!」
鉄棒を力づくで回して相手の若武者の手首を打擲しようとした弥太郎であったが、相手が後ろに退いたために、わずかに相手の頭髪を掠めるだけとなった。共に現れた手勢が、他の上杉兵に切りかかるのを尻目に、若武者は斯波武衛に語りかけた。
「いけませんぞ武衛様。このような男に籠絡されるとは。早く屋敷にお戻りくだされ」
「いやいや、長居をしたのでそろそろお暇しようと思っての」
「そう遠慮なさらず」
「世間話とは随分暇があるな!」
弥太郎が殴りつけるように鉄棒を振り下ろすが、若武者はこれを又も防いだ。これにはさすがの弥太郎も驚いたような表情を浮かべたが、直ぐに不敵な笑みを浮かべた。
「ふん、やるではないか若造」
「御老体こそ年の割には」
「経験豊富といってもらいたいものだな。遠慮するな若造。名乗るがよい。貴様も武士ならば、身の程知らずの名もなき雑兵として死にたくはなかろう…よ!!」
何をどうしたのか斯波武衛の目では追いきれなかったが、6尺ばかりもあった相手との距離を、息をする間もなく詰めて鉄棒で突き刺そうとした弥太郎であったが、若武者は再びこれを避け、またもや鍔迫り合いのような姿勢に持ち込む。すると今度は弥太郎が力づくで押し出すように蹴り出し、間合いを空けた。分が悪いと見たのか槍に獲物を持ち替えた若武者は、二度、三度と持ち手を扱くとそれを突き出した。
「ではお教えしよう。御老体の最後の相手となるのは、この斎藤喜太郎である!」
斎藤喜太郎こと元の美濃国主である一色義興は、彼の祖父である道三翁の異名でもある蝮が獲物に喰らいつかんとするように槍を繰り出した。弥太郎はそれをいなしながら知らず笑みを浮かべている。それを見た北条三郎は、朝倉方の警護の兵を打ち据えながら「又悪い癖が出た」とため息を漏らした。
「なるほど、蝮の孫か。相手を罵倒する言葉だけは放浪生活で達者になったと見える」
「御老体こそ無理をなされるな。家で孫の相手でもなさったらどうなので」
「お生憎だが、家庭よりも戦場に生きがいを見出す性質でな!」
「家庭を守れなかったの間違いでは?!」
流れるように打ち合いを続けるが、弥太郎だけではなく斎藤喜太郎もどこかそれを楽しむ素振りすらあった。しかし実際には第三者の介在を許さない斬り合いが続いており、斯波武衛などはあっけに取られてそれを見るばかりである。
「弥太郎さん!」
「かまうな、先にいけ!」
斎藤に従って現れた警護の兵を切り倒した北条三郎が焦りを隠せない声で叫ぶ。すでに手を回していたものか、この間も遠くから誰何する声と多数の足音がこちらに近づいてきている。斎藤の槍先をかわしながら小島弥太郎は叫んだ。
「これは俺の獲物だ!手出しをするな三郎!」
その言葉に北条三郎は小さく頷くと「行きましょう」と命じる。斯波武衛だけが気遣わしく何度か弥太郎と北条三郎を見比べていたが、小さく「早く来い」とだけ言うと、おぼつかない足取りで走り出した。
「ふむ。どうだね蝮の孫よ。早く来いと言われたのだが」
「三途の河原で待っているという意味かと思いましたよ!ほれ、さっさと送り出してやる!」
「抜かせ小僧!年寄りを敬うというのなら、貴様が先に道案内をしたらどうなのだ!」
弥太郎が槍を振るい、柄が切られるとそれを相手に投げつける。この間に刀を抜き、間合いを詰めるが、斎藤が再び槍を拾って投げ付けるのを叩き落すだけに終わった。当然ながら互いに何か相談してやっているわけでもない。しかし自然と相手の攻撃を受け流し、自分のそれを受け流されるようなやり取りが何度も続いた。
「惜しいな、小僧」
「何がだ、御老体!」
「ここまで私とやれる者は、そうはおらぬ。その成長を私の手で摘み取らねばならぬことが、惜しいと言ったのだよ!」
「何。御老体の伝説を終わらせる栄誉に比べれば、とるに足らぬこと!」
これだから止められぬと斎藤喜太郎は歓喜の笑みを浮かべた。14歳で家督を相続し、20歳で追放されるまでの間、喜太郎は人生とはこれほどまでにつまらないものなのかと半ば絶望していた。小うるさい重臣や、権利ばかり主張してまともに働きもしない国人領主。誰も彼も喜太郎を侮り、そのくせ責任だけは声高に追求して押し付ける。そして義理の叔父である織田三郎はあきもせず延々と戦争を仕掛け続け、ついには自分を稲葉山から追い出した。
それでも自分に付き従ってくれた家臣には悪いが、斎藤喜太郎は喪失感よりも、むしろ開放感を覚えていた。祖父や曽祖父の簒奪した遺産、父が祖父を殺してまで残した遺産をすべて食いつくし、裸一貫にまで落ちぶれた。世間から見れば自分は立派な落伍者であるという自覚はあった。
しかしほとんどのしがらみがなくなり、自らの力量により生きていかざるを得なくなったと自覚した瞬間、初めて斎藤喜太郎は自らの人生を面白いと感じた。誰のためでもなく、純粋に自分のために生きる。稲葉山での贅を凝らした食事より、傭兵として畿内を転戦するなかで食べた塩のむすびがなんと旨かったことか。そして今、越後上杉の伝説の男である鬼小島弥太郎と戦えるまでになった。
「私はね、今、楽しくて仕方がないんですよ!」
「貴様の喜びなど知るかよ!ならば、さっさと斯波武衛を解放せい!」
「渡世の義理があるので、それは出来ませんな!」
結果的に、あの牢獄から開放してくれた織田三郎(信長)には感謝している。だからこそ斎藤喜太郎は、それを乗り越えたかった。祖父も、父も叔母も関係ない。ただの斎藤喜太郎として、織田三郎という男と勝負したくなったのだ。故にこのようなところで死ぬわけにはいかない。
「おや、命のやり取りの最中に他の相手のことを考えるとは、ずいぶんと余裕のあることで!」
「…おっと!いや失敬!」
50の老人の下とは思えない重い斬撃を、間一髪で交わした喜太郎は、間合いを一気に後ろに飛んで離した。再び落ちた槍を手に柄を扱きながら、蝮の孫はなんともそれに似つかわしい執着した、どこか陶酔したかのような表情で叫んだ。
「しかし仕方があるまい!!この世には御老体も含めて魅力的な男が多すぎるからな!」
「貴様の性癖など知ったことではないが、私が魅力的なのはその通りだ!」
何度目かわからないやり取りが交わされる中、何かが爆発したかのような音が響いた。
鞍谷公方「やめろ!乱暴する気だろう!薄い絵草紙みたいに!薄い絵草紙みたいに!!」
北条三郎「気色の悪い物言いをしないで下さい!」
1週間か2週間に一度ぐらいの更新速度を考えています。早くなる可能性も遅くなる可能性もあります。




