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斯波武衛家顛末記  作者: 神山
元亀3年(1572年)
41/53

三好左京「俺様の強力な水中狂言を見て思いきり笑った後は魚も泳ぐ戦国風呂を味わうが……松永ぁ!なんだこれはぁ!!!」松永道意「い、命を大事に!(私の)」


 時代区分には様々な考え方や解釈の仕方があるが、源平合戦が平安時代であるように、戦国時代とは室町時代の延長線上か、室町時代後期の特徴的な時期と考えたほうが理解しやすい。


 大陸史における戦国時代といえば春秋のそれを指すことが多いが、確かに春秋戦国時代も周王朝は継続していた。日本における15世紀後半からの戦国時代と呼ばれる戦乱の時代においても、室町の幕府は継続していたし、それは今も続いている。


 老少不定ろうしょうふじょう。死は誰にでも平等ではあるが、だからと言って当事者や遺された者が納得出来るかどうかとは、また別の話である。


 理不尽な死というものはいつの時代にもあったが、戦国時代の日本において特段それが少なかったとは思えない。個人の能力や努力ではどうすることも出来ない戦禍や災害を前にして、己が矮小さを知った時、人は如何にして乗り越えようとするのか。伝統宗教以外にも浄土真宗本願寺派や京における法華宗、またこれは偶然であろうが同時代に伝来したキリスト教といった様々な教義に人々は救いを求めた。


 第三者からすれば現世や来世における救いを求めたはずの宗教同士が、現世利益を求めて争うのは滑稽であっただろうが、生き残るためにはやむを得ない面もあった。


 ただ今日を生きること。それがこれほどまでに難しい時代であったのだ。



 元亀3年(1572年)閏1月20日。奈良において大地震が発生した。


 被害は甚大であり、大和を中心に多数の家屋が倒壊。圧死したものは数知れずという有様であったという。その直後から余震が相次ぎ、前後して彗星が数多く目撃されたことから天変地異が噂されたようである。また時を同じくして隣国河内では尾州畠山家において御家騒動が発生。人心は大いに乱れた。


 同年の2月15日。相次ぐ天変地異に対して、大和の辰市たついちにおいて戦没者の供養と被災者救済を兼ねた大念仏が開催されることとなった。


 南都寺院だけではなく京の幕府や周辺国からも人々が訪れたこの日ばかりは「敵味方もなく」入り混じり、それぞれが死者の魂の冥福を祈り、自分たちの明日を願った。



 木を隠すなら森の中、ならば人目を偲ぶなら逆に人目に触れる雑踏の中という理屈が成り立つ。


「……念仏を唱えるだけで戦が起きないのなら、誰も苦労はしない」


 一心不乱に念仏を唱える老若男女の中を縫う様に歩きながら、陽舜房順慶は斯波武衛に語りかけた。


 僧服に身を包んだ筒井の若き当主は、どこからどうみても(実際にそうなのだが)壮年の僧侶にしか見えない。


 一方の武衛は「堺の田中与四郎に見立ててもらった」という赤茶色の角頭巾を被り、同じ色の小袖と袴を着ているが、こちらもどこからどう見ても隠居した大店の主にしか見えない。


 2人の周囲には警護の者が要所に控え、あるいはその前や後に付き従ってはいるのだろうが、「若い学僧と隠居した商家の大旦那」は気にした様子もなく、足の赴くまま気ままに歩いていた。


「薬を飲めば病が治るようにはいかんだろう。だが唱えることで救われるものがいるのも事実だろうて。実際、こうして人が集まれば日雇いの仕事が幾らでも生み出される。それによって今日の命をつなぐことが出来た者もいるだろう」


 斯波武衛は人の良さそうな笑みを浮かべながら周囲を見渡した。


 若い学僧と大旦那という奇妙な取合せでありながら、周囲には身分の貴賎を問わない自分達以上に雑多な人々が溢れていたため、特段注目を集めることはなかった。


「今日が良くても、明日はどうなるか分からぬでしょう。この身だけならともかく、親族や家臣を養わなければならぬ立場では、そのような楽観的な考え方には賛同しかねます」

「まずは今日を生き延びることよ。今日が昨日になり、明日が今日となる。ただそれを繰り返して命を繋ぐ。陽舜房殿にも覚えがあるだろう」


 学僧に身をやつした筒井家の当主はその言葉に苦々しい表情で黙り込んだ。彼がこの手の変装に手馴れているのは、本業ばかりが理由ではない。大和統一を目前に急死した父の跡をうけて2歳で家督を相続したものの、同時期に松永霜台(久秀)の台頭を受けて、爾来ありとあらゆる辛酸を舐め尽くし、ついには本拠地である筒井を追われた。


 陽舜房順慶にとって「まずは今日を生き延びること」とは、嘗ての自分自身のことであった。


「借りを返して頂こうと思いましてね」

「既にお返ししたと思うが」


 斯波武衛がとぼけた表情で応じるが、陽舜房は感情を面に出さなかった。ここは感情を制御するすべを得たことを賞賛するべきかと武衛は一瞬だけ考えたが、雑踏のど真ん中で癇癪を起こされても困るので自重した。


「先の宇佐山籠城によって幕閣の皆様にも織田弾正大弼殿にも、筒井の実力は理解していただけたと思いますが」

「ふむ。売り口上としては些か陳腐ではあるが、商品としては魅力的だな」


 腐しながらも武衛は筒井の実力を評価した。


 一昨年(1570年)の京へと迫った朝倉・浅井勢を押しとどめた近江宇佐山籠城戦。筒井は斯波武衛の口車に乗る形で虎の子である4千の兵を援軍として供出した。戦後の論功行賞によって討伐の対象だった筒井は正式に赦免され、大和における政治的な立場を回復。


 賭けに勝った筒井であったが、しかしそれは中央政治における立場を回復するまでには至らなかった。幕府が松永霜台に与えた「大和切り取り自由」は依然として有効とされたからだ。


 この点では筒井にとっても不満が残る結果となり、そのため筒井陽舜房は延々と不満を書き連ねた怨み状を何十枚も京の武衛屋敷に送りつけている。


 ところが昨年の和田伊賀守(惟政)敗死以降、松永霜台は明らかに日和見的な中立に傾き、摂津においては高槻城包囲に加わった。


 この状況に筒井一党は復権の好機と俄かに色めき立った。


 しかしながら松永は幕府と完全に敵対するまでには至っておらず、筒井も単独で松永と戦うだけの力も依然として回復出来ていない。こうして当主自ら斯波武衛と接触するのも、幕府側の大和政策と、出兵が噂される織田家の意向を見極めるためであった。


「松永親子は幕府方の三好左京(義継)と深い関係にあり、左京は上様の義理の弟。非協力的な中立姿勢の松永をあえて敵対的な関係にしてまで、筒井を優遇する理由にはならぬな」

「何をっ」


 陽舜房は瞬間的に激昂しかけたが、武衛家の近習である毛利十郎が黙して立ち塞がるのを見てぐっと堪えた。


 筒井の若当主が感情を落ち着かせるのを待ち、斯波武衛は本物の大店の主が如き口調で続けた。


「今ならば松永霜台は多聞山城から離れられぬ。三好左京や四国三好との繋ぎは他の人間には任せられぬ。三好筑前(長慶)の右筆であり最側近であったあの老人だからこそ、各勢力の実力というものを正確に見極められるし、曲芸的な全方位中立外交も可能なのだ」

「そんなことは言われずともわかっている」


 、陽舜房は言葉を取り繕うのを止めた。


「我が筒井があの老人にどれだけ煮え湯を飲まされたと思っている。第一……」

「織田三郎(信長)に口利きはしてやるゆえ、上洛してはどうだ?」


 唐突な武衛の誘い掛けに、陽舜房は「ふおぅ」と奇声を漏らした。周囲にいた公家らしき老人がギョッとした表情で振り返ったが、毛利十郎が視線を向けると係わり合いになりたくないと言わんばかりに足早で歩き出す。


「大和において松永霜台が短期間に勢力が拡大出来たのも、畠山尾州家や十市氏との同盟、中央たる幕府の意向と後押しあってのこと。大和国内における人脈だけなら筒井殿に勝るわけもないが、中央における手練手管なら亡き三好筑前の側近だったあの老人に叶うわけもない……普通であればな」


 表向きは幕府に従いながら、反幕府勢力の中核たる四国三好とも通じる二股膏薬な外交政策は、大和多聞山城にいるからこそ可能なのだ。大和だからこそ河内や紀伊とも連絡がとれ、いざとなれば数千の軍勢を動員出来るからこそ、幕府も織田家も無理強い出来ない。


 これが松永霜台が在京していればそうもいかない。身柄を抑えられれば、それまでだ。


 松永は自らの最も得意とする戦場を放棄し、大和において三好左京の外交的な選択肢を増やすことを選んだ。「家臣とするならあの老人のような人間がほしいものだ」と語る武衛の感嘆を、陽舜房は聞き流した。


「大和ばかりが戦場ではない。畳の上の合戦は、何も松永霜台の独占ではないことを見せつけてやればよかろう。織田はあまりにも特権的な座も商人も認めておらぬしな」


 あくまで商家の大旦那風に締めると、筒井陽舜房は「感謝します」と小さく告げてからこの場を離れた。その後ろから別の人間が近づき、共に雑踏の中に消えた。


 密談の相手は斯波武衛ばかりではないということであり、筒井陽舜房はこの事をわざわざ武衛に伝えたりはしなかった。


 最もそれは斯波武衛についても言える事だ。


「斯波武衛様ですな」


 武衛の傍らにはいつの間にか焙烙頭巾をかぶった老人が付き従うように歩いていた。


 杖をついてはいるが、頼っていないのはその足取りを見ればわかる。 小袖に道服どうぶく絡子らくすという典型的な茶人の格好をしてはいるが、誰も額面通り受け取る者はいないだろう。


 衣の上からでもわかる老人の肉体は60代とは思えぬほど筋骨隆々としており、肌も年相応に皺やシミが目立つが、それ以上に艶やかですらあった。これで自分より5歳も年長なのだというのだから、武衛には理解しがたい。


「お久しいですな、霜台殿。それとも道意どうい殿とお呼びしたほうが?」

「お好きなように」


 大和の支配者である松永霜台は、さして関心なさげな口調でそう応じた。



「茶室にでも案内していただけるのかと思いましたが、まさか野点とは」

「まだまだ寒い時期とはいえ、この様な気候の良い日には表で茶を立てるのもよいものですからな」


 松永霜台の講釈に斯波武衛は「そんなものか」と頷くと、霜台がイエズス会の宣教師より贈られたという『絨毯』なるものに胡座をかいて座り込む。途端に「おぉ!!」っと声を漏らし、その感触とすわり心地に驚きの声を上げた。


「これはいい。じゅうたんといったか?ふっくらというか、ふんわりというか……うーん、これは動物の毛を織っているのか?うーむ、この手触り、丁寧に編みこんであるな……」

波斯ぺるしあなる国のものだそうです。天竺よりさらに西にある国だとか」

「……うーむ。文様はよくわからぬが、この手触り癖になるの……うーむ……」


 武衛は両の掌で「の」の字を書くように絨毯の感触を楽しんだ。


 松永道意の野点は、大念仏の会場から少し離れた一本杉の下にあった。周囲の石をどけてならし、湯を沸かす炉の隣に、蓙を引いて絨毯を広げたたしい。


 1尺(約3m)四方の絨毯には紅や黄色を中心に複雑な文様が編みこまれていたが、武衛はそれらには一向に関心を示さず、ただただ手のひらから伝わる感触だけを楽しんで褒め称えた。


「……この絨毯の文様ではなく、手触りを褒められたのは貴方で2人目ですな」


 手際よく茶筅でかき混ぜた黒茶碗を差し出しながら、松永道意は苦笑してみせた。大仏殿を焼き、主家を謀殺したとも噂される稀代の梟雄にも拘らず、なんともいえない親しみやすい印象を周囲に与える。


「1人目は?」

「さて。忘れてしまいました」


 道意の表情に武衛はそれ以上尋ねることはせずに、手渡された茶を服した。


 天竺よりもさらに西にあるという国から海を乗ってやってきた異国情緒溢れる敷物の上で、大陸から伝わった茶を日本風の茶の湯で飲む。これ以上ない贅沢だが、不思議と 気障ったらしい嫌らしさは感じなかった。


「私もこれで意外と付き合いというものがあるので、一通りは茶をたしなんでいるが。どうして同じ茶を立てているのに、こうも味が違うものかのう」

「一座建立であろうと、一期一会であろうと、どちらでもかまわぬのです」


 侘び茶の新境地を開いた武野たけの紹鴎じょうおうが「茶とは一座建立ではなく一期一会であるべき」と主張した際、この考え方は猛批判を浴びたという。素人目にはどちらも同じものに見えるし聞こえるのだが、当時の茶人にとっては両者は似て非なるものであった。


 しかし茶席の主人たる道意の回答は実に簡素なものであった。


「ただ主人として客をもてなす心がけさえあれば。ただそれをどのように表現するかの差でしかありませぬ。武野翁の申すこともわかりますし、それを批判する者の気持ちもわかると申し上げるのが正直なところ。しかしこれを申したところで、どうしてなかなか理解されませぬ」

「どちらにもよい顔をしているように受け取られますからな」

「自分に自信のないものほど、他者の動向が気になるものです」


 松永道意は茶菓子を乗せる皿を取り出しながら言う。その所作には気負いもないが隙もない。こちらを客としてもてなしながらも、作意は感じさせない。


 出生地も両親もよくわからないとされる老人が、どうして今日の地位にまで上り詰めたのか、その理由が武衛にはわかるような気がした。


「空席だった河内半国守護の件なのですが」

「総州家の次郎(尚誠なおまさ)殿を河内半国守護にするとは、思いもしませんでしたな」


 武衛の言葉にかぶせるように道意は呟いた。公式発表前の人事案を知ることなど、この老人にとっては朝飯前なのだろう。『自害』したという畠山紀伊守(秋高)が守護だったのは河内半国と紀伊。大和の松永、北河内守護の三好左京(義継)と国境を接している以上、注目して当然だろう。


「和泉はわが武衛一族(武衛の実弟の統雅むねまさ)が守護を兼ねていますが、名前ばかりのこと。四国三好を前にしては、いささか心もとありません。一刻も早く河内の防衛体制を再構築する必要があります」

「次郎殿とてそれは同じことでしょう。遊佐河内守(長教ながのり)の牽制というには力不足では?」

「貴殿は三好左京に河内一国を任せるべきだと」


 道意は武衛の質問には答えず、返された茶碗を布巾で拭った。意見がないわけではないのだろうが、自分から言い出すつもりはないらしい。


 しかたなく武衛から人事案を投げかけた。


「何なら和泉守護も兼任させる手も考えられるかな?四国三好と同族で喰い合わせれば、幕府としても討伐する手間が省けるし、堺を挟んで延々と合戦の真似事をしててくれるほうが助かる」

「お心にもないことを。上様の義理の弟君をそのような博打で使いつぶせるほど、幕府は人材豊富ですかな」


 この程度の挑発に乗る老人ではない。「これはいかん」と武衛は自分の額をぴしゃりと叩いた。


「細川六郎(昭元あきもと、京兆家当主で四国三好から寝返り、昨年末に上洛して正式に幕府に服属した)あたりが上様を唆しておるのでしょう。京兆家というのは、いつの時代も三好が邪魔なのでしょうな」

「忠誠を尽くしても、いつかは裏切られると?」

「自分の心に正直であれば、裏切りといった世評を気にする必要などありますまい。しかし世評の中で泥を掻き分けなければ生きていけないのも、また真実ではありますが」


 白湯を口に運びながら、道意は始めて自嘲するような表情を浮かべた。


 世評において君側の奸とも忠臣とも逆臣ともそれぞれの立場で評される老人は、そういったものにほとほとうんざりしているのかもしれない。


 最もそういう風に自分を見せたいだけなのかもしれないが。


「織田弾正というのは、あれでなかなかせっかちな男ですな」

「昔からそうだ。あれは頭の回転が速くてな」


 梟雄の信長評に、武衛は乗った。


「しかし馬鹿には意外と寛容なのだよ。努力をせぬ怠け者は大嫌いだが」

「努力も才能のひとつです。それがわからぬのは、やはり育ちがよいからでしょうな」


 あえて皮肉っぽく語る道意に、武衛は手にした茶碗を絨毯の上に置いて切り出すこととした。


 言わずもがなのことではあるし、言わなくてもいいことではあるが、それでは何のために奈良まで出向いたのかわからなくなる。


「貴殿、わかっているのか?三好左京は三好筑前ではないのだぞ」

「ええ、承知しておりますとも」


 松永道意は意図して古傷をえぐるような言い方をした武衛に怒るでもなく歯を見せた。


「あの子は筑前様のような才覚も器量もありません。世渡りの下手な生真面目なのがとりえの、私から見れば経験から何から足りないところだらけの青年です。それを自分で自覚しているだけましでしょうが、ただそれだけともいえます」

「そこまで左京に義理を尽くす必要があるのか?大和の支配者の地位を賭けの材料にまでして」


 大和の支配者で居続けるだけなら、松永道意にはいくらでもやり方があったはずであり。息子に大和を任せて自らは上洛し、自分が最も得意とする畳の上の戦をすればいい。大和の反松永派の粛清に関しても、もっと効果的にやれたかもしれない。松永家の大和支配を確固たるものとすれば、それは大きな政治的な財産となったはずだ。


「その可能性を捨てて、何ゆえ三好左京の別働隊として危険な役回りを好んで引き受けたのだ?」


 幕府と織田家が勝てば三好左京が松永を取り成しする、反幕府勢力が勝ちそうなら松永がその伝を使い三好左京をとりなす。その程度のことは武衛にも想像は出来る。


 しかしその理由がわからない。


「理由ですか……さて、何故でしょうな」


 焙烙頭巾を取った道意は頭をかいた。


 白髪交じりの髪はだいぶ薄くなっており、大小の刀傷がまるで皺のように刻まれている。縁もゆかりもない三好家に飛び込み、主君の最側近にまで上り詰めた老人は語る。


「自分の心のありようというものを、すべて説明できる人間などおらぬでしょう。それこそお釈迦様でもない限りは。確かに私はそれほど忠義の士というわけではありません。しかし三好家はどうなってもいいと考えるほど薄情でもないつもりですし、それ以上にわが身と一族の行く末を優先したい気持ちもあります」


 「しかしね」と松永道意はずいっと上半身ごと顔を武衛に寄せた。


 その表情の底にある真意は、武衛には読み取ることが出来なかった。


「自分の孫ほどの若者が、必死に泳ごうとしているのです。かつて私が辿ってきた道を。それに無関心でいられるほど、薄情にはなりたくないのですよ」

「死に際を飾りたいというわけですか」

「私はいささか殺しすぎました。そのためには手段を選びませんでしたし、これまでの生き方を後悔したことなどありませんし、するつもりもありません。しかし最後ぐらいは、何かを生かすために殺したいのですよ……私の人生をささげた三好家を、その次へと繋げられれば」


 道の、道の精神とでも訳すことが出来るだろうか。松永霜台は人生の最後で自分の道を見つけたのかもしれない。


 そして若い筒井陽舜房は、この老人を乗り越えることでかつての栄華を取り戻さんとしている。


「あの筒井の小僧も私の敵でなければ、どれほど可愛かったことか」

「見ていましたか」

「いくら私でも法要の場で暗殺するほど恥知らずではござらぬ。しかし……2年前のあの時、福住城で武衛殿諸共に火薬で吹き飛ばせばよかったかなとも思いましたな」


 そう笑い飛ばす老人に、武衛は思わず手にした扇子を落とした。


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