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斯波武衛家顛末記  作者: 神山
元亀2年(1571年)
38/53

北畠不智斎「変と乱の違いを説明できるかな?」鳥屋尾石見守「事変とか役とかもありますな」北畠中将「話をややこしくしないでください!」


 北畠具豊殿は織田弾正(信長)の御家から婿養子に入られた御方ですな。永禄12年(1569年)の大河内城の合戦の後、織田と北畠の間で結ばれた和議条件によるものです。


 この時、北畠は織田家の優位を認めつつ、あくまで対等な同盟であるという認識しでした。


 一方の織田家としては北畠を従属させたと認識していたのが『三瀬の変』の悲劇につながったといえるでしょうね。


 北畠中将様(具房)の長女である雪姫様はたいそうお美しい御方でしたが、頭の回転の速さと気性の激しさは御爺様にあたられる不智斎様(北畠具教)譲り。そして茶筅丸様は、どちらかといえばのんびりとした御気性とお伺いしていたものですから、北畠の家中一同、果たして上手く行くのか不安視しておりました。


 いやぁ、まさかそれがねぇ……


 馬には乗ってみよ人には添うてみよと言いますが、あの夫婦の関係はまさにそれですな……


- 『勢州軍記』抄録『勢州兵乱記』より -



 俺が馬鹿だということは、俺自身が嫌というほど理解していた。


 兄貴の奇妙丸は、俺とはひとつしか年が変わらない。そのため学問や武の師はほとんど一緒だった。そして彼らは俺の番になると失望や落胆を浮かべるのが常だった。「兄君ならば」「奇妙丸様ならば」という陰口を何度聞かされたかわからない。


 奇妙丸の兄貴に対して、羨望や嫉妬を感じたことが無かったかといえば嘘になる。


 だけど兄貴は母上に似て誰にでも優しく、誰よりも真面目で、何事にも真摯に取り組む性格だった。そんな兄貴は俺の自慢で、だから嫌いになれるわけがなかった。


 俺は努力することが嫌いだった。何かと理由をつけて師の目を盗むよりも、理由をつけてサボることを覚える方が簡単だった。そんな俺を父は烈火の如く怒るし、母は決まって悲しそうな顔をした。それでも俺がいなくても真面目な兄がいる。だからそれでいいと思っていた。家臣達が俺とは『同い年』の腹違いの弟の聡明さを褒めるを聞くのは腹が立ったけれども。


 そんな時、いつも決まって逃げ込むのは爺さんのところだった。


 とはいっても血のつながった爺さんではない。俺が物心ついた頃には弾正忠家は清州に移っていて、桃巌(織田信秀)の爺さんも、母方の生駒蔵人(家宗)も俺が生まれる前に亡くなっていたからだ。


 武衛の爺さんは、俺と初めて会った時から老人だった気がする。それを指摘すると、ひどく落ち込んだ顔をしていたけど。


 周りの人間は、この爺さんが尾張で一番偉い人だと説明していたが、実際には誰も敬意を払っていなかった。俺を馬鹿にする時以上に、「そこにいる」のに「いないもの」として扱っていた。だから出来の悪い織田家の息子である俺が、爺さんの武衛屋敷に出入りしても誰も注意しなかったし、出来なかったんだと思う。


 武衛の爺さんは、いつも俺を笑って受け入れてくれた。俺を探しに来た連中に対しても「そう叱ってやるな」と庇ってくれた。その代わりに、何が美味しいのかわからない苦いお茶を俺に飲ませるのだけは頂けなかったけれども。


 そして俺が逃げ込んだ時は、決まって「馬鹿な息子ほど可愛いものだ」と、よく父上の思い出話をしてくれた。


 武衛の爺さんは、父上が御婆様のお腹にいた時から知っているらしい。乳母の乳首を何度も噛みちぎっった話とか、俺と同じ年頃には誰にどんな悪戯をしていたとか。熱田の色町の女に手を出して与太者に袋叩きになったとか、弾正忠家の若い家臣を引き連れて与太者に仕返ししようとして返り討ちにあったとか。


 家臣が怯える厳格な父上の若い頃の話は面白く、俺は爺さんに聞いた話を、まだ元気だった頃の母上に話してあげた。母上はころころと喜んでくれた。一度、父上にその現場を見つかって、目の玉が飛び出るぐらい殴られたけれど、それでも俺にとっては数少ない楽しい思い出だ。


 母上は、俺が8才の時に亡くなった。


 母上は折に触れて「兄のようになりなさい」と口を酸っぱくして俺に言った。母の聞き飽きた忠告が永遠に聞けなくなった時、初めて感じた感情の名前を、俺は知らなかった。


 そんなことすら、俺は知らなかったんだ。


 それを教えてくれたのも、武衛の爺さんだった。


「頭が悪いことを理由に、不貞腐れてどうする」


 武衛の爺さんは、俺がサボることには怒らなかった。だけど俺がふてくされた様な事を言うと、ひどく機嫌を悪くした。「サボるなら全力でサボれ。真面目に学んでいる奇妙丸殿に失礼だ」と、よくわからない理屈で俺に説教した。


 父上は俺が武衛屋敷に出入りすることを喜ばなかったが、俺はそんなわけのわからない武衛の爺さんが好きだった。母上が亡くなってからは、それ以前にもまして爺さんの屋敷に入り浸るようになった。


 真面目にサボるにはこれが一番だと、爺さんは俺に『働かないで飯を食うコツ』を教えた。


「必要最低限のことだけ真面目に取り組めばいい。あとは部下に任せて寝ておけばいいのだ」

「任せる部下は、どうやって選べばいいんだ?」

「それが最低限の仕事だな」


 今から考えると、武衛の爺さんは俺だけに特別優しかったわけではない。


 三十郎の叔父さんにも奇妙の兄上にも、徳や三七にも、とにかく誰彼となくちょっかいをかけて、自分で作ったコメのむすびを食べさせていた。いつだったか、三七が爺さんに対して「暇なんですか」と嫌味を言ったことがある。すると爺さんは「貴様の父上が優秀だからな」と、逆に三七をからかっていた。


 何故か俺も一緒にむすびを握らされた。簡単だと思っていたら、案外これが難しく、最初は全く爺さんのような綺麗な形にならなかった。


 ムキになって取り組み、2年か3年でようやくそれらしき形に握れるようになった頃、俺に北畠家への養子縁組の話が来た。


 ついこの間まで父上と戦っていた家に養子に行くのは不安だったが、父上は爺さんの息子である津川(義冬)を始め、いろんな人をつけてくれたし、何より爺さん譲りの『なんとかなる』という根拠のない自信を身につけていた俺は、別に怖いとは思わなかった。何より陰口をたたく家臣達とはなれられて、清々する気分のほうが大きかったのだ。


 でも、あんなへちゃむくれの生意気な女は予想してなかった。


 大河内城で初めて会った雪は、名の通りの、綺麗に透き通るような白い肌が印象的な、有り体に言えば俺好みの美人だった。卵型の丸顔に整った目鼻立ち、切れ長の目に小さな口。烏の濡れ羽色とでも言うべき豊かな髪……


 俺がボケっと見とれていると、雪はその小さな口を開いた。


「何?この馬鹿丸出しの男が私の相手なの?」


 雪の口から飛び出したのは思いもがけない罵倒だった。


 でも俺には雪の言葉が嬉しかった。家臣達は俺の悪口を陰で言い合うばかりで、誰も俺の目を見ようとしなかった。だけど彼女ははっきりと俺の目を見てくれた。初めて俺のことを正面から見てくれたのだ。


 だから俺も、武衛の爺さんに教えられたようにやった。


「なんだ。どうしてこちらに背中を向けてるのかと思ったら、こちらが正面か。体に起伏がなさすぎてわからなかったぞ」


 俺が爺さん流の「悪口はその場で本人に向かっていうべし」を実行すると、雪はいきなり握りこぶしで顔面の真ん中を殴ってきやがった。それでも俺は爺さん流の『紳士』な俺は女に手を上げるのをよしとせず、殴られるがままに任せていた。


「信じらんない!こんな品のない男がいるなんて!」

「信じられんな!その胸で女とは!」

「ぶっ殺す!」


「おいおい、どこが名門の姫なんだ」


 俺は薄れゆく意識の中、雪の見事な拳を再び顔面に受け止めた。



 北畠具豊と名前が変わった俺に、新しく義理の父親が出来た。


 雪の父親である北畠中将(具房)は巨漢で、「太り御所」と呼ばれていた。


 良くも悪くも岐阜の親爺(信長)とは対照的な人で、肌の白さは確かに雪と似ていたが、膨れ上がった体は酒樽のようであり、馬に乗るのも難しそうだった。


 義父さんは北畠家の当主だけど、津川に聞くと実権は先代の『北畠の爺さん』や重臣に握られていたそうだ。だから義父さんは、いつも周囲や一族の顔色を伺っていた。


 清州で家臣に悪口を言われまくっていた俺には、北畠家のやつらのことがよく分かった。織田を嫌っていた北畠の爺さんと、そうではない木造のおっさんの喧嘩にオロオロするばかりの義父さんは、家臣団から軽くみられていた。


 俺からすれば、それがわからなかった。俺にとって当主とは織田の父上のように全権を振るうのが当たり前だったから、何故そうしないのかと聞いた。でも北畠の義父さんは困ったように笑うばかりで、何も教えてはくれなかった。


 そんな優しいけど頼りない義父さんの態度が、雪には我慢出来なかったらしい。雪は俺と喧嘩すると、決まって三瀬御所に遊びに出かけた。


 三瀬御所には、先代の北畠不智斎(具教とものり)、俺が北畠の爺さんと呼んでいる偏屈爺が住んでいた。


 北畠の爺さんは鷹のような鋭い目に耳も口も鼻も大きく、眉も太い。北畠の義父さんと親子とは思えないほど体が引き締まっている。下手をすると岐阜の父上よりも武士らしく見えるほどだ。


 俺も挨拶に出かけたことがあるが、あの偏屈爺は露骨に俺を無視し、ろくに口も聞こうとしなかった。


「茶筅殿にも、女の子供か孫が出来ればわかるさ」


 無視されてふてくされる俺を、北畠の義父さんは慰めてくれた。


 感情を爆発させる雪にも、自分を突き上げる親族や家臣にも、三瀬の北畠の爺さんにも、義父さんは曖昧に笑うばかりだった。だけど面白くはなかったと思う。半ば自業自得ではあったけど、同じく織田家の中でどこか軽く見られていた俺には、義父さんの心の中が何となく察することが出来たからだ。


 だから義父さんが武衛の爺さんに誘われて上洛するのは、気分転換にはちょうどいい。少なくとも俺はそう考えていたし、おそらく雪や北畠の爺さんも、そして家中の人間もそう認識していたと思う。


「なんで京に向かった父上が、近江の宇佐山で合戦に参加してるのよ!」

「俺が知るか!」


 いつもの様に雪に怒鳴られながらも、俺はどうせ武衛の爺さんが何かしたんだろうと薄々感づいていた。案の定というべきか、後から聞くとやはりその通りだった。


 南下する朝倉・浅井の連合軍の前に、武衛の爺さんは筒井や摂津守護の伊丹、朝倉の一族や幕臣といった雑多な連合軍を率いて立ち塞がったそうだ。北畠の義父さんはそれに巻き込まれただけらしい。


 巻き込まれたといっても、それに参加したことに変わりはない。義父さんは都を護った功績により、連合軍を代表して参内。主上から御言葉を賜ったそうだ。


 それがどれぐらい凄いことなのか、頭の悪い俺にはよくわからなかった。むしろあの体で輿に乗り戦場に出たという事の方が驚きである。


 この事件を契機に、義父さんの家臣からの評価は一変した。あの雪ですら、自分の父親の体型に対する文句は言いながらも、どこか態度が和らいでいた。三瀬御所に行く回数も減った。あいかわらず俺に対しては厳しかったけれども。


「私自身は何も変わっていないさ。武衛屋形が言っていた通りだよ」


 北畠の義父さんは照れ臭そうに笑うばかりだった。


 俺の目から見ても、義父さんは以前とは雰囲気が違って見えた。以前と同じように笑っても、以前のような影のようなものは消えていた。


 だから義父さんが笑うと、雪や家臣も自然と笑うようになった。


 家中の重臣や親族が義父を突き上げても、以前のように狼狽えなくなった。前は体躯が必要以上に大きかったから、ちょっと動揺するだけで必要以上にきょどきょどしていたように見えた。けれども今は、どっしりとして頼もしく見えるようになった。



「自信がついたのだろうな」


 元亀2年(1571年)の年の瀬も押し迫った頃に、武衛の爺さんは相変わらず唐突にふらりと大河内城にやって来た。木造のおっさんや織田掃部が何かあわてていたが、俺はどうせいつもの気まぐれだとばかり思っていた。


 だから北畠の義父さんや、雪の顔色が優れないことにも気がついていなかった。


「所詮、人の評価ほどあてにならぬものはない。勝てば武士の鏡、負ければ犬畜生以下の存在というのが武士というものだ」


 大河内城の三の丸御殿の部屋で、武衛の爺さんは湯冷ましを啜りながら尤もらしい口調で言った。俺と雪は、爺さんの正面に向かい合うように揃って座った。


 俺に対してはへそ曲がりの雪は、何故か武衛の爺さんには素直に従う。現に今でも、借りてきた猫のように大人しい。普段は黙っていろと言いたくなるほどうるさい雪が静かだと、俺はどうにも気味が悪かった。


「北畠の義父さんは武士だけど、確か公卿でもあるんだろ?」

「武士であろうと公卿であろうと、勝者には無責任な観客から無条件に賞賛が集まるもの。長所は美辞麗句で飾られ、欠点ですら好意的に受け取られる。茶筅の義父さんがまさにそれだな」


 武衛の爺さんの言う通り、岐阜の親爺は勝っている間は北畠家においても賞賛され続けていた。褒められなくても、馬鹿にはされていなかった。だけど若狭征伐の失敗の後は何かとケチがついている。家中の織田家に対する不満は、鈍いとされる俺でも判る位に高まっていた。


「世間では織田三郎(信長)の真価は、果断な決断力と電光石火の軍事行動だと思われている。だが私に言わせれば三郎の真価は、目的のためには如何なる困難な状況においても我慢し、じっと耐え忍ぶ忍耐力にある。織田大和家、美濃一色との戦いがそうであった」

「……今回もそうなるとお考えなのですか?」


 それまで黙っていた雪が突然口を開いたので驚いたが、武衛の爺さんは「君はどう思うんだね?」と質問に疑問で応じた。


 雪は一瞬だけ爺さんを睨んだが、その後は「わかりません」とだけ答えた。


 そのあとも頭の回転の遅い俺を置いてきぼりにして、一方的に2人の間で会話が進む。俺にとってはよくある事のはずなのだが、何故か武衛の爺さんと雪がそれをしているのが妙に気に食わなかった。


「……爺さん、あんた何しに来たんだ?」

「見届けにきたのだよ」


 武衛の爺さんが唐突なのはいつものことだが、今回の訪問はいつも以上だ。爺さん曰く、毛利十郎だけを連れて、情勢不安な南近江と伊賀を横断してやってきたそうだ。いくら鈍い俺でも『何か』ああるだろうとは思った。


 でも『何があったか』までは、まるでわからないのが俺の限界だった。


「卑下する事などない。足らざるを知る、己を知るということは難しいことだ」

「これはそのような男ではありません」


 なんでお前が答えるんだと俺は雪を恨めしく睨んだが、武衛の爺さんは笑って続けた。


「女子にはわからぬかも知れぬが、男とは厄介な生き物でな。己が他者より劣るところを認めるのは困難なのだよ……特に好いた女子の前ではの」


 その時俺の顔がどんな色だったかはわからない。だけど爺さんは俺の横で顔を赤くした雪を見て、満足そうに笑っていた。


 それが北畠具豊として、武衛の爺さんと会った最後になるとは思ってもいなかった。



 三瀬御所は南伊勢の多岐郡に築かれた山城である。


 東西二つの山を出丸とし、その山腹を切り開いて石垣を組んだ典型的な山城といってもよい。背後は大和の中でも北畠の影響力が強い大和宇多郡が広がる。あえてこの地を選んで隠居城を築いた人物の思惑が伺えようというものだ。


 山道を切り開いて石や材木で簡単に足場を申し訳程度に設けただけの階段を、斯波武衛は黒柿の杖をつきながら、必死に登り続けていた。階段の上からはこの城の主である北畠不智斎が、仏頂面で見下ろしていた。


「お、お元気ですな」

「鍛え方が違いますからな」


 不智斎は武衛の手を取って引き上げながら言った。その言葉通り不智斎の肉体は日頃の鍛錬で鍛え上げられており、40代とは思えぬ若々しさを保っていた。


 用意された床机にへなへなと座り込むように腰掛けた武衛は、その横で仁王立ちする北畠不智斎に肩で息をしながら、眼下に広がる光景の感想を伝えた。


「ここから見る多気郡の景色は、中々のものですな」

「あの小僧曰く、金華山から見る濃尾平野には劣るそうだ」

「……あの少年には、悪気はないのです」


 誰しも生まれ故郷の景色というものはある。それを見たこともないほかの景色と面白いはずがないだろう。あまり成長の見られない茶筅少年に、武衛もひきつったような笑みで詫びるしかない。


 2人の眼下には、伊勢多気郡が広がっている。豪雨の跡にぬかるみの道に出来た水溜りのような不ぞろいの田畑が何処までも続いており、その合間には掘っ立て小屋とも屋敷ともつかぬものがいくつか点在していた。確かに御世辞にも岐阜や清洲の賑わいとは比べられない。


「ここからの景色は、雪のお気に入りなのだ」

「まさか隠居城をつくられたのは、それが理由だとは言われないでしょうな」

「それもある。孫は可愛いからな。だがそれだけが理由ではないぞ」


 顔色一つ変えずに孫への愛を熱弁する不智斎に、武衛は笑いを堪えるのに苦労した。


「あの小僧を最初にここに招いた時にな。雪があれをここにつれてきたそうだ。そしたらあの小僧、よりにもよって清洲の城のほうがもっと大きいと抜かしおった」

「決して悪気があったわけでは」

「あってたまるか……いくらなんでも城の玄関で取っ組み合いをされては、緘口令を引くのにも限度がある」


 不智斎は忌々しげに鼻を鳴らした。


「孫とは無条件に可愛いものだ。それが息子となると、どうしてああも憎たらしいのか」

「似ているがゆえに許せぬでしょう。孫ほど年が離れると無責任に可愛いものですが、息子や娘となると御家への責任というものをどうしても認識せざるを得ませんし」

「没落管領家の斯波武衛殿でもそう思われるか」


 北畠不智斎の悪意ある皮肉に、武衛は「むしろ没落したからこそ、御家を存続させる難しさは痛感しております」と苦笑しながら答えた。


「私の嫡男も30を過ぎましたが、未だに正室がおりません」

「……なるほど。織田家は斯波武衛家を安心して切り捨てることが出来るというわけか」


 不智斎の推察はおそらく正しいのだろう。しかし武衛はやんわりとそれを否定した。


「持ちつ持たれつというわけですよ。管領であろうと守護職であろうと貰うものは貰いますが、馴れ合うばかりが連携ではありますまい。南伊勢で骨肉相食む勢力争いばかりにかまけていた北畠様にはお分かりになられぬかも知れませんがな」


 この切り返しに不智斎は一瞬だけ顔をしかめるが、「身内で争うだけの力がないだけだろう」と逆ねじを喰らわせて見せた。


「それは御当家も同じ事では?」


 不智斎から俄かに殺気の混じった視線が投げかけられる。


「……伊勢水軍の一件、貴様以外に誰が承知している」


 腹の探り合いは終わりだと、北畠の先代は本題を切り出した。


「今の段階では私と北畠中将だけでしょう。ですが何れは滝川も察知するでしょうが」

「ならば今、ここで貴様を斬れば問題は解決するな」

「御隠居。自分でも信じていないことを語られるのはおやめなさい」


 不智斎の舌打ちと共に、鯉口を切った刀が収る音があたりに鳴る。


 織田家にとって武田家は、今やはっきりとした仮想敵国である。同盟の前提だった両家の婚約も事実上解消され、織田の同盟国である徳川領土へと武田は侵攻した。東美濃と信濃の国境では諍いのない日はない。


「武田の水軍衆に、伊勢湾の制海権を追われた旧北畠派の伊勢水軍が参加する。その意味がわからぬほど、織田家は愚かではありますまい」

「当然だな。織田家が無能では、それに打ち負かされた我らの立つ瀬がない」


 相も変らぬ皮肉の応酬に、斯波武衛は少しだけ考えるように顎に手をやる。


 「わかりませぬな」


 武衛の見るところ、北畠不智斎の対応はどうにも中途半端であった。具房を廃嫡して親織田派を粛正するのなら手際が悪すぎる。粛正と同時進行で武田家と手を結ぶというのならば、まだ理解出来た。


「中将様(具房)への嫉妬ですか」

「それもあるな」


 不智斎はあっさりと、自らが息子に抱いたほの暗い情念を肯定して見せた。文武両道にして京でも名高い文化人である自らの後継者が、馬にも乗れぬほど肥え太っている。もどかしく苛立たしかったことだろう。


「それに抵抗するのならまだしも、あれは自らを卑下するばかりで何もせなんだ。茶筅の馬鹿とよく似ておる」


 だかその息子が変わった。本人からすれば小さな小さなものであったかもしれないが、それは周囲からすれば大きな変化だった。


「宇佐山で何があったかは知らぬ。興味もない。しかしあれにとっては、それでよかったのだろう」

「昔より男子三日会わざれば刮目して見よと申します」

「呉の呂蒙か。しかし彼は武勇に優れていた。馬にも乗れぬあのぼんくらとは異なる」

「私としては三瀬の御所様(不智斎)に、そのようになっていただきたいのですが」


 不智斎とて一時は伊勢全土を併呑せんとした男である。 床机に腰を下ろしている斯波武衛の視線が本気であることも、計略ではないことも理解した。


 だからこそ不智斎は、その差し伸べられた手を拒否した。


「伊勢水軍衆の小浜民部左衛門(景隆)と、武田水軍の向井の繋ぎをつけたのは、この私だ」


 斯波武衛の目に落胆の色が浮かぶ。だが直ぐに次の段階へと会話を進めた。


鳥屋尾とりやお石見守を使われましたな」

「石見には悪いことをした。しかし誰かがやらねばならぬことであったからな」

「やらねばならぬことですと?」


 武衛の言葉に棘が混じる。


「失礼ながら、貴方のやられたことは単に織田三郎に、織田弾正大弼への負けを認めたくないが故の行動としか思えません。そのために家臣を巻き込まれたとあっては、関心しませんな」


 その気になれば斬られるかもしれない状況にもかかわらず、よくそのようなことが言えるものだ。不智斎は内心で呆れながらも、織田家に対する不満を口にした。


「銭金で雇った兵士で農繁期を狙い済ましたかのように襲いおって。お陰で南伊勢は未だにその影響から抜けきれておらぬ。明日の銭金の問題であり、今日の飯の問題だ。そう簡単に恨みが消えてたまるか」

「その場にいなかったわたしがいうのもおかしな話ですが、あれは合戦でしょう」

「何をしても許される合戦だからこそ、合戦だからこそやってはいけないこともあると申しておるのだ。現に多くの北畠一門、そしてあのぼんくら息子以外の私の息子、そして家臣の多くは織田に負けたとは思っておらぬ。正面か戦えば自分達が勝利していたと信じて疑わない」


 斯波武衛が痛ましげに視線を外した。


「最初から御身を投げ出され、北畠家に織田家に対して敗北したという事実を認識させるつもりだったと?だからあのような中途半端な……」

「っは!勘違いするな」


 武衛の発言を遮ると、不智斎は不適に顔を歪める。


「これだから没落武家は。己が命と、人の命の価値を忘れていると見える。貴様は私を誰だと思っているのだ。正三位の権中納言、前の伊勢の国司、村上源氏中院家の流れを汲む北畠親房卿が末裔、北畠具教であるぞ」


 不智斎は先祖の名前に始まり、己が体内に流れる血と、自らの官位と才を誇って見せた。


「この北畠において、私ほど文武に優れた器量のある人物は居らぬ。つまり私が駄目であれば、誰であろうと駄目だ」


 傲然と胸を張り、誇り高く織田家に対する敗北を認めた不智斎に、武衛は「それで纏まりますか」と尋ねた。


 不智斎は武衛が見せた同情と憂慮を、嘲笑することで応じた。


「足利の庶流の分際で、北畠……いや、この私をあまり虚仮にするなよ。この私が見栄も誇りも投げ捨てて抗った結果だ。私以上にそれを理解している者もおらぬ。これ以上の答えがあると思うのか」

「御子息である中将殿に、すべてを押し付けると。些か酷ではありませんか」

「あれをそそのかして宇佐山にまで連れて行った男が、よく言う」


 それを言われてしまうと、斯波武衛としては何も反論出来ない。


「やはり貴様はろくでもない男だな」

「私としては本意ではありませんが、よく言われます……今の中将殿であれば、何も心配される必要はないかと」


 武衛の発言は不智斎にとっては気に入らないものであったらしい。あからさまに機嫌を損ねた表情で、彼の呼ぶところの「没落管領」を忌々し気に睨んだ。


「これでも私はあれの親だ。何を勘違いしておるのか知らぬが、私は人の息子を誑かした責任を取れと申しておるのだ。尻を叩き、体を絞らせてでも、あの優柔不断なぼんくらの性根を叩き直させろと言えばわかるか?」

「それは親の仕事ではありませんか。それを私に押し付けるとは筋違いというもの」

「はっきり言わぬと理解出来ぬのなら言ってやろう」


 北畠不智斎は、彼の孫娘が愛してやまない景色を見下ろしながら斯波武衛に伝えた。


「あのぼんくらのことを頼むと、そう申しておるのだ」



- フリーネット辞典日本史の項目より抜粋 -


 三瀬の変は、天正2年(1571年)12月21日に伊勢の三瀬御所において、北畠先代当主の北畠具教(不智斎)が武田家との内通を理由に切腹させられた事件である。大河内城では具教の側近であった鳥屋尾満栄を始めとした先代当主の側近や、北畠親成など反織田色の強い北畠一族の一部が切腹、もしくは上意討ちとなった。


 事件の後、北畠具房は家督を婿養子の北畠具豊に譲ると宣言したが、前幕府管領である斯波義統の慰留によりそのまま当主の座に留まることとなり、室町幕府(足利義昭)と織田信長もこれを追認した。


 事件の後、北畠家は親織田色を強め、徳川家と同じ従属大名としての性格を強めた。また北畠家の親武田派が粛清されたことで、織田家と武田家の対立は避けられない情勢となった。


・概要


 駿河を手中に収めた武田家は、新たに旧今川水軍を武田水軍として再編する。しかし今川閥に頼り切ることを嫌った武田は、新たに伊勢水軍に協力を求めた。武田家からの依頼に対して、北畠家前当主の北畠具教はこれを承諾。自らが庇護していた小浜景隆を推薦した。


 具教は水軍を通じて武田家との関係を強化することで、北畠家の独自性を強めようとしていた。一説によれば当主具房を廃嫡することも念頭に、武田信玄の西上作戦への協力を約束していたともされるが、詳細は不明である。


 この三瀬御所(具教の隠居所)と武田家のやり取りをつかんだ織田忠寛は、当主である北畠具房に報告。対応策を協議した。このれに関しては親織田派の木造一族や、織田家の目付けである滝川一益が事前に粛清を知らされておらず、織田家と北畠家の間における調整が行われていたのかは定かではない。


 翌年の元亀3年(1572年)の織田信長の上洛に、北畠具房は叔父である木造具政に2000の兵を率いて上洛させ、織田家の従属大名としての姿勢を鮮明にした。これに三瀬御所は反発を強め、親子間の断絶は決定的なものとなった。


 (中略)事件後、具教の4男徳松丸は兄具房の命により断絶した鳥屋尾を継いだ。徳松丸が早世すると5男の亀松丸がこれを相続した。


・織田家の反応


 事件に関連した斯波義統の行動は織田信長に報告されていなかったという見方が強い。また北畠具豊(信長の次男)も事前に知らされておらず、斯波義統の介入に反発したとされる。事件後、具豊は名前を具信とものぶと改めた。



 北畠具教は当主具房より送られた短刀を手にするや、やおらそれを右脇腹に突き立て「わが息子に従うべし」との言葉を吐くと、そのまま一文字に掻き切った。武士として此れほど見事な死に様があるだろうか。


- 『勢州軍記』抄録『勢州兵乱記』より -



 事件の直後、北畠茶筅丸様が斯波武衛様に殴り掛かられたが、北畠の正室がそれを制止なされた。事件に関する諍いが理由であると噂された。


- 『信長公記』 -


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