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斯波武衛家顛末記  作者: 神山
元亀2年(1571年)
33/53

金蓮院准后「ひえー!お兄様ああ!!」斯波武衛「おい馬鹿やめろ」


 比叡山延暦寺は、伝教大師(最澄)の開いた日本でも有数の長い歴史を持つ「私営」の寺院である。


 官営寺院以外では初めて戒壇(準公務員である僧侶を公式に認定する国家公認の機関)を設置し、私営寺院でありながら座主に皇族を迎えるなど、確固たる政治的地位を築きあげた。


 しかしそこに至るまでの道のりは、決して平坦なものではなかった。


 南都興福寺における藤原氏のような有力者の庇護がなく、延暦寺が開山された比叡山も偶然なのか意図したものなのかは不明だが都の鬼門、淡海(琵琶湖)西岸の交通の要所を抑える場所にあった。


 この地政学的な優位性が、幾多の名僧や迷僧、多くの宗派を生み出した自由な気風と結びつくことで、叡山は政治勢力化した。むしろ独立した政治勢力とならなければ、都を見下ろし、かつその喉元を抑える後ろ盾のない寺など瞬く間に潰されていたに違いない。


 政治勢力となったから潰されたのか、潰されまいと抵抗したことが政治勢力となることを強いられたのか。結論は出ていない。


 この比叡山延暦寺と初めて公然と敵対したのは室町幕府6代将軍の足利義教である。


 元々、将軍になるはずのなかった彼は、兄の死により将軍となった。足利の男子は跡継ぎ以外は後継争いを避けるために出家する政治慣習が確立しており、そして義教は就任前に天台座主(比叡山延暦寺の貫主、つまり住職であり全国の天台宗のトップ)を経験している。内部を知り尽くしていたからこそ、下手な妥協をする事は彼の矜持が許さなかった。


 とはいっても義教のそれはいささか焼き討ちと呼ぶには過大評価であったようだが、叡山の理不尽な要求に屈せず、なおかつ敵対することも辞さないと強硬姿勢を示したことの意義は大きかった。


 「悪将軍」と呼ばれ、すべての人間から畏れられるようになった彼は、不慮の死を遂げる。


 奇人の名を欲しいままにし、9代から12代将軍のもとで「半将軍」とあだ名された管領の細川ほそかわ政元まさともは、この先例を大いに活用した。なにせ現職の将軍や管領の首をすげ替え、これに反発する朝廷を軍事力を背景に恐喝するなど、ある意味において規格外の人物である。権威を守る立場であるべきの最高権力者が率先して既存の政治慣例を打破したため、もはや乱世を押しとどめるだけの政治的なモラルというものが日本からすっかり失われてしまったほどだ。


 そんな男が叡山ごときの権威を恐るはずもなく、正しくすべてを焼き払わんばかりの勢いであったという。


 天狗になろうとしていたとも言われる彼にとって、叡山の現状は台密(天台宗に伝わる密教)の神秘主義的な装いを捨て去ったかのように思えたのかもしれない。


 ただ被害者としての叡山の立場ばかりを書くのも公平性に欠く。確かに叡山が自分の存在について勘違いしていたのも事実なのだ。


 比叡山延暦寺は確かに長い歴史と権威を持つが、私営にすぎない。


 つまり「なくなった」ところで国家の運営には、何も問題はないのだ。


 権威への挑戦者であった過去を忘れ、自らが国家に欠かすことの出来ない存在となったと勘違いしたことが、叡山の悲劇であった。


 そして3人目となろうとしている織田弾正大弼(信長)のもとに、京の村井長門守より一通の書状が届けられた。



「天台座主が辞任しただと?」

「はい。『先の一連の戦乱の責任を取る』として二条城で自主的に謹慎を始められたそうです」


 主君である織田弾正大弼の問いかけに対して、右筆(秘書官)である武井たけい夕庵せきあんが書状を読み上げる。


 第166代座主の覚恕かくじょ法親王ほっしんのうは主上の弟であり、この年50歳。准三宮じゅさんぐうの宣下をうけて金蓮院こんれんいん准后じゅんごうと称した正真正銘の皇族である。


 昨年の就任早々には叡山全体が朝倉と浅井を籠城させて政権に敵対の姿勢を鮮明にしたため、幕府と織田家は当然ながら親王に抗議したのだが、就任したばかりの皇族座主に実権など具わっていなかった。


 その座主の一方的な辞任表明である。武井の報告が終わるのを待ちかねたかのように池田勝三郎(恒興つねおき)が「つまらん時間稼ぎだ」と吐き捨てた。


「我らは先の叡山籠城の際に宣言したはずだ。朝倉・浅井を追い出せば所領を返還し、奴らに味方すれば焼き払うと。都合のいい時だけしゃしゃり出て、いざ攻められた時には関係ないなどと、そんな都合のいい話があるものか」

「名誉職の座主とはいえ、法親王殿下は今回の事態に至った御自身の責任を痛感されているがゆえの行動でしょう」


 説教師のように滔々と話す武井老人の口調は、明らかに叡山攻めに批判的な色彩が強かった。


 意気込む諸将は水を差すような言葉に腹立ちを覚えながらも、主君の信頼厚い右筆の発言ということもあって直接反論することは差し控えていた。正面から反論しようとしているのはいささか感情の起伏が激しいとされる池田勝三郎と、何を考えているのかわからない冷笑を浮かべている明智十兵衛ぐらいのものだ。


 腕組みをして沈黙を保つ主君を尻目に、武井は続ける。


「主上は公私の別に厳しいお方です。そのためこの件に関して、何か直接的に政治的な意向を示されることはないでしょう。ですが何らかの政治的な対応、もしくは配慮は必要ではないかと考えます」

「叡山攻めを延期しろと?!」


 勝三郎が顔を真っ赤に染めて立ち上がり、武井老人に反駁した。


「こうしている間にも朝倉が再び南下してくるやもしれんのですぞ!武井殿は先年の宇佐山を忘れられたのか?!京の背後に、3万もの軍勢を長期間収容可能な、それも向背常ならぬ山城やまじろを放置出来るか!」

「勝三郎の意見は最もである」


 勝三郎は主君の乳母兄弟だが、家中の序列は武井が上である。そのため勝三郎に対して、聞き分けの悪い子供に説くように再反論を重ねた。


「延期するかどうかは別として、法親王殿下の辞任に対して何の対応をしないというのも、御上と諸国への外聞が悪くなる可能性がある」

「それと叡山攻めを延期するのとは、別の問題だろう!」


 言葉とは裏腹に叡山攻めの延期すら匂わせる武井夕庵に、池田勝三郎は叡山の軍事拠点としての危険性を重視してなおも執拗に食い下がる。諸将の反応を見る限り、内心は軍事面での危険性を主張する勝三郎の意見に賛同するものが多いように見受けられた。


「烏丸の一件で朝廷と幕府の対立が深まっていることを忘れてはならない。この状況で織田家が無用な火種をまくのは得策ではない」


 武井老人の主張に理解を示したのは、常識人である重臣の佐久間右衛門尉(信盛)である。織田弾正忠家譜代の老臣は現在の政局に波及する可能性と、それが間接的にもたらす織田家への悪影響の可能性を指摘した。


「喧嘩を売ってきたのは向こうですぞ!」


「……武井や佐久間の懸念にも留意しなければならない」


 それまで黙して彼らのやり取りを聞いていた織田弾正大弼が発言すると、全員が発言を止めて主君の判断を仰いだ。


「我らが今、最も重視するべきなのは時間だ。決断を先送りすることは、三左らが稼いだ貴重な時間を無駄にすることだ」


 この発言により諸将は主君の真意と決意を改めて認識した。


「叡山攻めの延期はない」

「御屋形様、ですが」

「夕庵。貴様の懸念も理解する。遅きに失したとはいえ法親王殿下については何らかの考慮はしよう。辞めると表明した以上、責任を問うわけにも行かんしな。しかし叡山攻めに変更はない」


「それでこの話は終わりだ……準備に戻れ」


 信長が床几から立ち上がると、諸将は一斉に頭を下げて陣幕から退出した。


 武井夕庵以外の全員が退出するのを確認した信長は、再度床几に腰掛けると夕庵に向かって詫びた。


「すまんな。嫌な役目をおしつけて」

「いえいえ。伝統墨守の頭の固い老人として振舞うというのも、なかなか楽しいものですよ」


 過去に2度の先例があるとはいえ、叡山の積み重ねてきた歴史と権威は本物である。いざ軍議の場で悲観論や消極論が飛び出しては士気に関わる。そう判断した信長は、自らの右筆にあえて物分りの悪い老人として振舞うように命じていた。


 軍議は信長と夕庵の思惑通りに展開した。


「それにしても誰が法親王殿下に知恵をつけたのでしょうか」


 夕庵は突如として飛び込んできた法親王辞任について触れる。叡山焼き討ちの延期論の理由として利用はしたが、実際のところ彼個人は法親王についてまったく評価していなかった。

「世間知らずが衣をまとって生きているようなお方ですからな」

「夕庵、貴様も言うではないか」

「事実ですので。確かに殿下は責任感の強いお方ではありますが、このような政治的な小細工を弄する知恵も度胸も有してはいないでしょう。叡山側もそれを見越して、あえてこの時期にお飾りの座主として迎えた節があります」

「代々の座主は儀式を除いては殆ど京に滞在するのが慣例であったそうだからな」


 腕を組んだまま、信長は不愉快な思いを吐き出すかのように鼻を鳴らす。


「これでは座主とは名ばかりの、体の良い人質としか思えぬな」

「権力者への人質だからこそ、尊き筋からの座主を迎えたのでしょう」


 生き残るための政治的な知恵といえば聞こえはいいが、それを台無しにしたのは目先の「宿泊代」に目がくらんだ叡山自身である。自由と無秩序とでは意味合いが異なるというものだ。


「だとするとわかりませぬな。叡山でないとするならば、誰が親王殿下に知恵をつけたのか」

「……大体想像はつくがな」


 首を捻る夕庵に、信長は繭を神経質そうに顰めた。


 この感覚には覚えがある。捉えたかと思えば逃げ、逃げたかと思えば鼻先あたりをちらつく。こちらが許容出来るであろう範囲とその外との境目で、これほどまでに自由気ままに振舞えるのは1人しか思い当たらない。


「……これは貸しと考えるべきか?」

「あぁ、そういうことですか」


 主君の思い当たる人物を察した武井夕庵はぐふふと笑う。そして老人特有のいやらしさと狡猾さに満ちた言い回しで続けた。


「ならば貸しにしておきましょう。貸せるうちに貸し付けておくのも大事なことです」

「精々、高い利子を取り立ててやるか」


 信長はそう呟くと、小姓に運ばせた湯づけを掻き込んだ。



「それにしても上手いことを考えたものですな」


 9月12日早朝。上京の二条城に隣接する武衛屋敷の中庭に面した部屋の中で、前田孫十郎(玄以)は「おほほほっ!」と喫驚な笑い声を上げていた。


 孫十郎との付き合いも半年以上になる村井長門守(貞勝)は特に反応を示さなかったが、侍所執事の斯波義銀は未だに慣れないらしい。そして斯波武衛は、ただひたすら面白そうにこの坊主上がりの男の言動を見ていた。


「織田家は『座主の意向』を無視した叡山攻めの大義名分を得る。朝廷は『腐敗』した叡山との関係性を否定し、殿下は身の潔白を証明出来る。身柄を預かった幕府は両者の立会人として存在感を増す。そして殿下は『身の安全』を確保出来る。まさに一石二鳥ならぬ四鳥ですな」

「法親王殿下の真意がどうであれ、叡山攻めは決定事項……妙な気を起こされなければ良いのだが」

「まさか武士のように腹は切らぬでしょう」

「孫十郎、不敬であるぞ!」


 流石に聞き咎めた若武衛が声を荒らげると「これは失礼」と、孫十郎は丁寧に剃りあげた頭を下げた。


「それにしても流石は武衛様。如何にして殿下を説得されたのか。後学の為に教えていただきたいものです」

「……まぁ、偉くなると色々とあるのだよ。色々とな」


 長門守が水を向けたが、武衛はさらりと交わした。


 烏丸の一件の政治的解決に目処がついた8月の初頭、斯波武衛は京に滞在していた法親王と面会し、この正月に近衛前久から預かっていた書状を渡した。渡す相手が相手だけに、叡山攻めが確実となった時期を選んでいる。


 そして書状に目を通した法親王は顔面蒼白となり、とる物もとらずに二条城へと駆け込んだ。


 この経緯を知るのは親王と近衛太閤、そして手紙を渡した斯波武衛のみ。書状の内容は武衛ですら知らないが、とにかく主上の実弟が政治責任を問われる事態は避けられたのも事実なので、本人はその点だけを前向きに評価するように努めていた。


 とはいえ武衛としてはどことなく気分が重い。


 このままでは近衛太閤に無理やり作らされた政治的借金の利子が膨らむ一方であるが、今のままでは返済する目処も期限も立たない。太閤の政敵である二条関白と足利義昭が朝廷と幕府の中心にある以上、表だって近衛の関与を口にすることが出来なかったからだ。


「政治的な貸し借りよりも、精神的な借りのほうがつらいものだ」

「父上。それはいかなる意味ですか?」

「まぁ、気にするな。叡山以外は誰も損をしておらんのだ。二条関白とは別の政治的な伝を持っておいても損はないからな」


 武衛が考えを振り払うように自分の胸の前で手を振ると、村井長門守が話を継いだ。


「延暦寺が叡山になければ、今日のような事態は避けられたのでしょうか」

「叡山になければ、南都の圧力ですぐにでも潰されていたであろうよ。高野山では戒壇を設置するにしては、いかにも遠いしな」


 都から近く、尚且つ要害の地となれば場所は限られる。


「かといって近すぎるのも困る。山城の平野部にあれば、かつての山科本願寺のごとく焼き討ちの対象にでもなったであろう」

「北嶺、すなわち京の北の盾として叡山があるのではなく、叡山が京全体を南都に対する盾としていたのでしょうな」


 孫十郎があっけらかんと言うと、潔癖な気質の長門守が顔を顰める。こうした性格だからこそ存外細かいところのある織田弾正大弼の信任を得られたのだろうと、共に働く機会の多い斯波義銀は理解していた。


 武衛と孫十郎は、叡山に関する自らの考えを交互に述べ合う。


「官営寺院でなく私営なのだ。頼れるのは己の力しかない。しかし権力と完全に敵対するほどではない」

「そうでなければ戒壇の設置など出来ませんしね。高野山も中央とは距離を置いておりますが、紀伊においては一つの立派な政治勢力となっています」

「そして叡山に拠点を置けば、どうしても経営基盤たる荘園は近江や山城に置かざるを得ない。遠方に会っては近隣の領主が横領しない保証はどこにもないからな」


 近江における公卿や寺社の荘園横領問題は、旧守護六角家だけの専門ではない。


「そのための僧兵だ」

「確かに山門(叡山)側としての理屈はそうなるでしょうが」


 村井長門守が言葉を濁した。否定するわけではないが賛同も出来ない。織田家有数の能吏の顔にはそう書かれてあった。


わたくしの寺でありながら、叡山のそれはきわめて官に近いものだ。組織と自由というものは本質的に相反するものだが、これが両立していた。官僚的な組織が意思決定と調整役を果たすが、対外的な敵以外では縛りが少ない。だからお飾りの座主でもよかったし、そのほうが都合がよかった」


 武衛は誰に言うとでもなしに呟く。


「その組織としての強みが、わたくしに飲み込まれてしまった」


 自由と無秩序は異なる。自らの財産や権益を守ろうとするのは組織としての生存本能ではあるが、組織の維持を優先するあまりに、一線を踏み越えたのが昨年の叡山籠城である。


「都の守り手たるべき北叡が都への物流を遮断し、あまつさえ宸襟を悩ませた。これではな」

「何ゆえ一線を越えたのでしょうか」

「優秀な組織ゆえの利点であり欠点だ。誰が決めたかわからないまま組織としての意思決定がなされたのだろう」


 「馬鹿なっ!」と村井長門守が思わず悪態をつく。上意下達の組織に慣れ切った織田家屈指の能吏は幾度となく叡山の意思決定に関する説明を受けていたが、とうとう幹部による合議制というものが理解出来なかったようだ。


「朝倉左衛門佐(義景)はそれを利用して叡山の指導部を手なずけた。金銭的に苦しいのを見越した上で、莫大な献金とともにな。危険視するものもいたであろうが……」

「空の僧坊を維持するのにも金が必要です。いくら少数の見識ある僧侶が綺麗事を主張したとしても、代替案がなければ意味がありませんな……お、始まりましたか」


 武衛の言葉を継いだ前田孫十郎が、中庭へと視線を向ける。


 叡山方向より黒煙が立ち上っているのが見えた。



 山本山下の僧衆、王城の鎮守たりといえども、行躰、行法、出家の作法にもかかわらず、天下の嘲弄をも恥じず、天道のおそれをも顧みず、淫乱、魚鳥を食し、金銀まいないにふけり、浅井・朝倉をひきい、ほしいままに相働く


- 『信長公記』 -



ちかごろことのはもなき事にて、天下のため笑止なること、筆にもつくしかたき事なり


(最近ではなかったことだ。天下のためだと信長は言うが笑わせる。筆舌に尽くしがたい)


- 『御湯殿上日記おゆどののうえのにっき』 -



 比叡山の異教徒の寺院が尾張の国主によって焼き払われました。彼はまず麓の坂本と堅田の町を焼き払ったのち、ほら貝の音とともに攻め上がりました。1500人ほどの死者が出たようです。この後、彼は近江の敵対した他の寺院も焼き払い、その所領を自らの部下に分け与えました。


- イエズス会の宣教師ルイス・フロイスの報告書 -



 九月十二日、叡山を取詰め、根本中堂、山王二十一社を初め奉り、零仏、零社、僧坊、経巻一宇も残さず、一時に雲霞のごとく焼き払い、灰燼の地と為社哀れなれ


 山下の男女老若、右往、左往に廃忘を致し、取物も取敢へず、悉くかちはだしにして八王子山に逃上り、社内ほ逃籠、諸卒四方より鬨声を上げて攻め上る、僧俗、児童、智者、上人一々に首をきり、信長公の御目に懸け、是は山頭において其隠れなき高僧、貴僧、有智の僧と申し、其他美女、小童其員を知れず召捕り


— 『信長公記』 -



「いやぁ!よい光景ですなあ!」


 村井長門守と斯波義銀が沈黙を保つ中、駆け出して中庭に降りた前田孫十郎は歓声を上げた。


「おお、煙が2本、おお、3本4本!数え切れませんぞ!?これほどの戦を見れる日が来るとは!」

「貴様っ!!」


 そのあまりにも無神経な言動に激高した義銀が鯉口を切ろうとしたが、村井長門守が両手でそれを押しとどめた。その文官らしからぬ握力と気迫に、義銀は我に返った。


 殺伐とした空気が流れる中、斯波武衛は「やれやれ」とでも言いたげな表情で縁側を降りると、はしゃぐ孫十郎のもとへと歩み寄った。


「孫十郎よ」

「おお、武衛様もご覧になりますか!どうです、叡山が燃えてますぞ!」

「貴様の叡山の兵糧攻めが不可能という提言、嘘でもないが真実でもないな?」

「おや。ばれてしまいましたか」


 その言葉に斯波義銀は我が耳を疑った。


 今、この男はなんと言った?


 義銀の理解が追いつかないまま、孫十郎と武衛は叡山から立ち上る黒煙を見ながら会話を続けた。


「いくら叡山とて水がどこからでも沸いてくるわけではありませぬし、人が物資を持って運べる道など限られております。やりようはいくらでもありました」

「では何ゆえそれを進言しなかった?」

「私は無駄なことはしない主義です。確かに叡山の兵糧攻めは可能だったのかもしれません。しかし織田家はそれを選ぶだけの時間的な余裕はなかったでしょう。浅井と朝倉が再度叡山に籠城すれば……いや、織田家としては可能性のある居場所ですら残しておきたくなかった。違いますか?」

「そうだな。確かにその通りだろう」


 武衛はちらりと背後の村井長門守に視線を向けたが、直ぐに孫十郎との対話に戻った。


「そしてそれは貴様の思惑とも合致していたわけだ。叡山滅ぶべしという思惑と」

「……勘のいい人は嫌いですな」


 孫十郎は技とらしい大きな息をついた。


「大和の若草山の山焼きを御覧になったことはありますか?」

「あいにくだか機会に恵まれていない」

「そうですか。あれは良いものですよ。冬の間に枯れた草木が積み重なり、そのままでは新たな芽の障害になります」


「ですから春になる前にいっせいに焼き尽くすのです。それこそ根こそぎね」


 ふぅーと、孫十郎は再び息をついた。


「そして灰の中から新たな芽が出て成長し、新たな草木が生えそろうわけです」

「……つまり坊主の野焼きか。ずいぶんとよく燃えるであろうな」


「ええ、燃えるでしょう……燃えれば、燃えてしまえばいいのです。あのような寺は!!」


 急に感情をむき出しにして声を荒らげた孫十郎の剣幕に、義銀だけではなく村井長門ですら後ずさった。


「何が鎮護国家だ!何が都の守護者だ!叡山の寛容の精神を履き違えた愚か者共が!!酒を飲み、女を抱き、男も抱き、金を積み上げ土倉業(金融業)にまで手を出す。南都の既得権益に挑んだ伝教大師様の崇高なる意思と、先人たちの遺産と業績に胡坐をかく亡者どもが!!」

「無論、人格者たる僧侶もいたのであろう?」

「逆に武衛様にお聞きいたしますが、いたとしてそれがどうしました?僧坊にこもり周囲の痴態に目をそらし、己が知識のみを高めて周囲を見下し、したり面で悟った体をする生臭坊主にしかすぎません!」


 阿修羅のごとき形相で叡山をにらみつけ、前田孫十郎は呪詛の言葉を吐いた。


「死ね!男も女も、老人も子供も、僧兵も名僧もみな死ねばいいのだ!!三千の僧坊も根本中堂も、すべて焼け落ちろ!!!!灰になり、腐った栄光と共に消えてなくなれ!」


 狂気染みた孫十郎の高笑いに、村井長門も義銀も言葉もない。


 それを収まるのを待ってから、斯波武衛は尋ねた。


「満足かね?」


「ええ、満足ですとも!このような気持ちになったのは生まれて初めてですな!!いや、実に気分がいい!!!」


「ならば何故泣いているのだ、孫十郎よ」


「………え?」


 孫十郎は自らの右の掌を眼の下に当てる。


 わずかに感じる塩気交じりの水。


 それに気がついた瞬間、堤防が決壊した川の如くに涙がとめどなくあふれ出した。




 あうううう、ああああ!!!ああああ!!!!!




 頭を抱えて庭にしゃがみ込む孫十郎は、錯乱状態となりながら、もはや人のとも犬の遠吠えともつかぬ絶叫を上げ続けた。




 あああああ!ああわああああ!!!ああああああああひゃあああああ!!!




「……ままにならぬものだな」


「あそこは、あそこはですな!わたしです、叡山は、わたしです!」


 斯波武衛は黙って傍らに立ちながら、意味不明な孫十郎の言葉に耳を傾けた。


「あそこは、私の青春でした!あそこには、あのくそったれなドブには、私の、私の友も、師匠もいました!!意地の悪い僧兵も、気のよい僧兵も、無邪気に遊ぶ孤児も、いろっぺえ遊女も!!あの、あのドブだめのような腐った場所が!私は、叡山で学び、叡山で失望し、叡山で私の道を見つけたのです!!!あそこは、叡山のくそったれた現実こそが私のすべでで、だから……ああああ!!!!」




「焼きたくなかった!焼かせたくなかった!!生かしたかった!!!助けてやりたかった!!!!でも焼かねばならなかった!!!!!」




「……先が見えすぎるというのも困ったものだな」


 斯波武衛は独語した。


 孫十郎には先の叡山籠城の時点で、今日という日が訪れることが見えていたのだろう。そして自分の力ではその運命を変えることが出来ないということも当に気がついていたに違いない。


 彼は去年の9月から今まで、いや叡山に失望して去ったその日から、1人で悩み続けていたのだ。


「私にはどうすることもできなかった!だから私が焼けば!だか、だから私が殺して、殺したんです!!!!」


 義銀はいつの間にかその場から立ち去っていた。村井長門守は慟哭を上げてうずくまる前田孫十郎の背中をじっと見つめている。


「……ままにならぬものだ」


 斯波武衛は前田孫十郎の代わりに、叡山方面を睨み付ける様に見据える。そして煙が見えなくなるまで微動だにしなかった。



 仏法破滅、王法いかがあるべきことか


(鎮護国家の本山たる叡山が滅んだ。3千から4千の死者が出たようだ。これからどうなるのかわからない)


- 『言継卿日記』 -



・独断と偏見による戦国人物列伝(その1)


細川政元(1466-1507)


 細川京兆家当主。応仁の乱の東軍の盟主である細川勝元の嫡男。


 テンプレ的な改革者や既得権益を憎む冷酷無比な織田信長像は、むしろこの細川政元のほうが近いと思う。だけどこの人には信長のような明るさが一切ない。逸話もとにかく何か異様なものだらけ。わけのわからない怪物が屋敷の上にいたとか、家臣が怪物にとりつかれて狂気に陥ったとか。生まれ持った狂気、というよりも「どこまで狂えるか」と、怜悧な頭脳で試していたかのようにも見える。冷静に狂えるって怖いよね。


 むしろこの人が好き勝手やりすぎたおかげで戦国乱世が加速したとする評価があるぐらい。明応の政変(1493)は、下克上のえげつない例。しかし案外政権欲のようなものはなく、この政変も自分のシマである摂津の混乱を嫌った防衛的なものだとか……シマ守るために上役の首すげかえるってそちらのほうが性質悪くね?


 必要なときにだけ管領に就任し、それ以外のときは空席だったり畠山におしつけたり。完全に幕府を道具として利用している。権力の絶頂期に「天狗か魔法使いになりたい」と決意。意味がわからない?うん、私もわからない。当主をさっさと引退したいがために養子を何人も迎えて最後は暗殺。面白い人物だとは思うけど、陰気なインテリであり冷静な狂気の持ち主。大河の主人公には決定的に向かないタイプ。


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