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斯波武衛家顛末記  作者: 神山
元亀2年(1571年)
31/53

上杉不識庵「さっさと隠居したいね」斯波武衛「だよな」織田弾正大弼「働け」


 元亀2年(1571年)2月24日。


 近江佐和山城主の磯野丹波守(員昌かずまさ)が織田家の軍事的圧力に耐え切れず降伏した。


 昨年の姉川の戦いにおける浅井の先鋒として織田家を蹂躙した猛将も、戦場で槍を振るう場を奪われれば為すすべがなかった。


 浅井は昨年の4月以来、延々と戦い続けていた。


 幕府の若狭征伐軍を背後から突き、5月には三田村合戦(姉川合戦)において奮戦するも多大なる損害を受けた。


 その被害が回復しないまま、朝倉家と共に淡海(琵琶湖)西岸を南下し、比叡山に9月から12月まで籠城。和睦したかと思えば浅井だけが単独で官位を剥奪される始末である。


 北近江を実効支配するだけの浅井の国力で、4カ国を支配する織田家に対抗出来るはずがなかったのだ。


「これ以上は無理だ。郎党にも百姓にも、雪解けまで耐えろとはとても言えぬ」


 磯野丹波守は疲れきった表情で、丹羽五郎左衛門尉(長秀)に告げて佐和山を去った。


 結果的には戦術的な敗北を、常備兵たる織田家の戦略的な優勢を活かして締め上げたといってもよい。その後、丹波守は浅井新九郎(長政)との関係が悪化したことから織田家に投降することになる。


 こうした浅井家中の動揺を見て、織田弾正大弼は一挙に浅井攻め……には移らなかった。


 昨年の野村合戦(姉川の戦い)において浅井氏の武力は嫌というほど思い知らされた。まして浅井単独ならともかく朝倉や本願寺など仮想的を多方面に抱えた状況では対浅井に専念するわけにはいかなかったからである。


「優先すべきは伊勢と尾張の連携強化」


 目先の課題とその解決に注力するあまり、行き当たりばったりで敵を雪達磨式に絶え間なく増やしていくにもかかわらず、織田弾正大弼は複雑に絡み合った問題を解決することは得意であった(だからこそ得意になったというべきか?)。


 彼の問題解決の優先順位のつけ方は、自らと最も利害関係のある問題、放置しておくと悪影響の大きい問題から片付けていくという至極当たり前の方法であった。


 苦手な料理は後回しにしたがるものだし、歯医者に行くのは痛みに耐えられなくなってからである。当たり前のことではあるが、当たり前だからこそ着実に実行するのが難しいのであり、その点で信長は非凡の人だったのかもしれない。


 信長にとって最も解決するべき嫌な課題。それは尾張と北伊勢の障害となりつつあり、和睦が真っ先に破談となった長島願証寺であった。


 織田家と幕府を取り巻く周辺情勢を個別にみていく。


 越前朝倉は雪解けまで動けず、浅井は弱体化しているため単独では軍事行動が困難である。


 南近江の六角対策には拠点となる長光寺や宇佐山などに有力武将を配置することで、岐阜と京との道を繋いだ。


 叡山は軍事拠点としてはともかく、単独で京を軍事的に脅かす武力はない。仮に出てきたとしても幕府単独でも対処は可能である。


 三好三人衆や本願寺は摂津三守護の和田伊賀守、紀伊・河内半国守護の畠山氏、河内半国守護の三好左京(義継)などが連携して抑えている。


 大和は松永霜台と筒井が緊張関係でありながらも、奇妙な平穏を保っている。


「長島さえ落とせば、伊勢と尾張の交通の障害は除かれ、伊勢湾全体の平穏が保たれる。兵の動員も円滑に行える」


 こうした状況判断の下、自らの息子を養子としながらも不穏な動きを見せる北伊勢の神戸家中を粛清して背後の憂いを断った信長は、尾張と美濃、そして伊勢の兵力を動員する用意をこれみよがしに始めた。明らかに伊勢長島を対象とした軍事行動の用意であったが、この機に一色氏の旧臣なのど敵対的な勢力を長島に集めて「粛清」しようという思惑があったのかもしれない。


 とにかく織田家は5月を目処に出兵の用意を始めた。この間、浅井家が近江の本願寺門徒とともに妨害行動を起こそうとするものの、横山城で浅井家を監視していた木下藤吉郎に蹴散らされるだけに終わった。この頃すでに、浅井は姉川合戦当時の強さを失いつつあった。


 織田家が長島出兵の用意をすすめていた4月。京では将軍足利義昭が朝廷を巻き込んだ大騒動を引き起こしていたのだが、この時斯波武衛は京にはいなかった。


 ではどこにいたかというと……なんと幕府の使者として越後春日山にいた。



 4月とは言え未だあちこちに雪が残る越後春日山城の自室において、木槌を片手に上杉不識庵(謙信)は楽しげにうそぶいた。


「上様も織田弾正大弼も、周りが敵ばかりという状況で、なかなかやるじゃないか」


 木槌で梅干の天神様を自ら取り出すその姿は、少なくとも斯波武衛には控えめに見えてもただの酒好きの中年親爺にしか感じられない。


 そばに控える北条三郎(上杉景虎)が「そのあたりで」と忠告するも馬の耳に何とやら。脇息にだらしなくもたれ掛かりながら酒を仰ぐその姿から、どうしてこの男が軍神や越後の虎という異名で諸国に恐れられる人物と同一であると思えるのか。


 斯波武衛は世評とはまるで違う軍神の姿に、困惑するしかなかった。


 前管領の斯波武衛は、室町幕府の公式な使者として(同時に織田弾正大弼と徳川三河守両名からの上杉不識庵宛ての書状を預かっている)、一門である石橋義忠や幕臣の細川ほそかわ輝経てるつねら30人ほどを率いていた。


 まず一行は義昭政権を支持する丹後守護の一色氏配下の水軍の協力のもと、一応の和議が成立した朝倉の勢力圏たる若狭小浜から、越前(朝倉氏も幕府の公式な使者に対して港への入港を拒否することはなかったが、さすがに斯波武衛の当主を歓待するということはなかった)、加賀(一向一揆も同じく)の港を飛び石伝いに渡り、能登に入る。


 ここで守護畠山氏-というよりもこれを擁立する家臣団から大歓迎を受けたあと、ここからは輪島水軍の協力も得て越中の放生津ほうじょうずへ入った。


 ここからは陸路で、親武田派VS親上杉派&親織田派の政争が続く越中守護代の神保じんぼ氏に歓迎(?)され、旧椎名右衛門大夫(康胤やすたね)領である新川郡を占領するために布陣中だった上杉家の軍勢に合流。そのまま越後春日山へと護衛された。


 冬の景色が残る荒れる日本海を船で北上するという、無謀を通り越して頭がおかしいとしか思えない1ヶ月にも及ぶ危険な航海(陸路ではなく海路を主張したのは斯波武衛である)にも関わらず、幕府からの使者……というよりも代表の斯波武衛だけはケロリとしたものであり、春日山に到着するやいなや、歓迎の宴の席で飯を3杯も食べた。


 無骨を通り越して殺風景な不識庵の部屋には、水瓶の様な大きな酒瓶に柄杓が刺さっている。あちらこちらに反故になった紙が丸めて投げ捨てられており、同席するのは不識庵の養子である北条三郎(上杉景虎)だけだ。


「戦において安全な後方から威勢のいいことは誰にでも言えます。しかし自ら危険を顧みず、先陣を進むことは、誰にでも出来るものではありません。先の坂本における戦いにおいても武衛殿は救援の兵を率い自ら先陣を進まれたとか」

「なに、越後の冬の美味いものが食べれるという上様の言葉に釣られただけです。それと坂本については全ては朝倉伊冊が考えたこと。私が何かしたというわけではありませんし、命をかけたのは将兵であり伊冊ですからな」

「将兵が命をかけたというのなら、武衛殿が命をかけるに値すると考えたからでしょう。謙遜が過ぎますと、将兵に対して逆に失礼というものです」

「……なるほど。おっしゃる通りですな。私の心得違いでありました。御教授頂き忝ない」


 杯に口をつけながらそこだけ真顔で語った不識庵に、武衛は表情を改めて頭を下げた。


 北条三郎は1人思案しつつ、この出自も性格も異なる2人の会話に耳を傾けていた。


「ははは、所詮は坊主の戯言です。それにしても武衛殿は変わっておられますな」

「よく言われますな」

「ま、硬いことはこれぐらいにして、もう一献」


 さすがにこれを見とがめた北条三郎が、義父の袖を引いて静止する。


「義父上、いささかお酒が過ぎますよ」

「いいじゃないか。まだ6杯目」

「十分です」


 そのやり取りに斯波武衛は苦笑しながら「私は酒よりも食べ物のほうが好きでしてね」と、やんわりと固辞した。


「そうそう、太閤殿下(近衛前久)が関東管領殿によろしくとおっしゃってましたよ」


 武衛が近衛前久の名前を出した途端、上杉不識庵はなんともいえない困ったような笑みを浮かべる。春日山城の大広間において多数の武将を引き連れて会見した時に見せたような厳しさはそこには見られなかった。


「あのお方は相変わらずですか」

「以前と比べられるほど長い付き合いではないので、その点はなんとも言い難いですな」

「三国峠の雪を溶かさんばかりの暑苦しさでしょ?」


 小さく笑うと、不識庵は手にした杯を仰いだ。


 部屋にある壷のような大きな甕の中身すべてが酒だというのだから、武衛もあきれを通り越して感心してしまった。これでは笊を通り越して底なしである。


「関白なのに面白い男がいると聞いていましたので。まさか越後どころか関東にまでついてくるとは」

「……あれは関東管領殿が誘われたのでは?」

「社交辞令ですよ。まさかそれを本気にするとは思いませんでしたが」


 まさかの告白に、斯波武衛だけでなく北条三郎も口をあんぐりと開いた。


「関宿に残って北条の動向を監視すると言い出された時はどうしようかと思いましたが、決意が固く説得出来ませんでした。ところがこれがどうして。報告の内容は生半可な将のそれよりも優れていましてね。どうしてこの人は摂関家の当主なんかに生まれたのかと思ったものです」


 口ではさも迷惑だといいながら、不識庵の表情には不快な色は感じられない。6歳年下の手のかかる弟を自慢するような口調にも武衛には聞こえた。


「太閤殿下は理想主義ですからね。同じく理想主義の改革者たらんとする大樹様とは折り合いが悪いでしょうね」

「……こう申し上げると失礼かもしれませんが、私は関東管領殿も殿下と同じ性質だと思い込んでおりました」

「ははは、皆そう言います」


 屈託なく笑う不識庵は、世評に名高い軍神とは思えぬ言を続けた。


「私は戦に勝てれば何でも良いのですよ。部下を無駄死にさせたくはないですしね。それに私は人に馬鹿にされるのはともかく、勝負事で負けるということが大嫌いでして」


 不識庵は何でもないかのように語るが、越後のみならず関東の謙信崇拝者が見れば憤死しかねない内容である。


 しかし本人にとってはさして重要な問題ではないらしい。


「人を神としたところで、人は人でしかありません。仏像を引き連れたところで、木石で出来たそれが鉄砲を防いでくれるわけでもない。ですが私を軍神や、何かの生まれ変わりと崇めて兵が安心して戦えるなら、私は神にでも何にでもなりますよ。元は坊主で勉強は嫌いではないですし」

「神になれぬのに、神であることを望まれるなら神として振舞おうと?」


 こうなると斯波武衛も自らの好奇心が勝る。


「どうにも矛盾しているようにも聞こえますが」

「乱世や武士という存在そのものが矛盾なのです。誰もが主上や大樹様の命令に従えば、乱世はすぐになくなります。しかしお家を存続させるためには、建前の権威にばかり従ってはいられません。ですが、相手の権威を力を持って否定するなら、同じく力によって否定される可能性を皆が忘れているんですよ。私はただ、武田や北条にそれを思い出させたに過ぎません」


 「彼らは理不尽だと私を批判するでしょうがね」と不識庵は語った。


 誰しもが民を豊かにし、自らのお家を拡大したい。それは心理だと彼は言う。大義名分のもと理不尽に他者の領土を奪う。それを否定するつもりはない。しかし奪ったのなら奪われる覚悟も必要だろうとも付け加えることも忘れなかった。


「……毘沙門天の地上における代理人として、不心得者を罰すると?」

「言ったでしょう?人は神にはなれないと」


 軍神は自ら神ではないと宣言した。養子である北条三郎の反応を見る限りでは、おそらく近しいものは彼の本音を知っているのだろう。


「そして人だからこそ、人の理不尽を正せるのですよ。それを家臣が軍神と呼ぼうとも別に興味はありません。元々は坊主になり、気楽に歴史の勉強でもしたかったのですが……ですがなってしまったものはしかたがありません」

「義父上、それでは上杉がその理不尽にさらされた時は」

「三郎。私が合戦場において何も果たさずに負けることがあると思うかい?」


 傲慢極まりない台詞を、ただの事実であるかのように嘯くと、不識庵は再び梅干の種を木槌で叩いた。


 酒の肴とした梅干の残りをよく洗って干したものらしく「案外いけますよ」と勧められたが、基本的には勧められたものはすべて食べることを信条としてる武衛も、さすがにこれは遠慮した。他人が一度口に入れた種の中身を好き好んで食べたくはない。


 これには北条三郎もひたすら恐縮して「すいません」と謝った。


「なんで謝るんだ?おいしいのに…」


 どうやら本気で理解していないらしい。斯波武衛と北条三郎が視線を合わせる中、不識庵は続けた。


「わたしの父(長尾為景)は、それはそれは戦の強い人でしてね。越後守護や関東管領を殺し、越後を力で統一しました。権威なんてものをちり紙の如きものと考えていたような人でした」

「存じております」

「ですがその戦に強いと言われる父が、私には机上の戦では一度も勝てなかったのです。坊主になれと言われたのも、ひょっとしたら私に負けたのが悔しかったのかもしれません。あの人はそういう子供っぽいところのある人でしたから」


 濁り酒を啜りながら、不識庵は自らの父との記憶を思い出すかのように目を細めた。


「その父が急死した後、越後は乱れました。所詮、国人は父の力に服していたに過ぎなかったのです。父がいなくなるとそれで終わり。兄は、私の兄(晴景)は優しい性格で、私よりもよほど政治家として優れていました。ですが彼は守護の家の跡取りではなく、下克上で成り上がった守護代の跡取りでした。それが兄にとっての悲劇であり、私にとっての喜劇でした」

「悲劇はわからなくもありませんが、喜劇ですか?」

「望まぬものを還俗させて家督を押し付ける。そしてその男がめっぽう戦に強い……これを出来の悪い狂言と呼ばずに、何というのです?」


 自らのことをめっぽう戦に強いと評価するのは、うぬぼれではなく単なる客観的事実だからだろう。北条三郎も当然とばかりにうなずいた。


 確かに越後の守護代から関東管領にまで上り詰めた不識庵の輝かしい戦歴を否定することは、普通の人間には出来ない。だからこそ国人に長尾家の跡取りとして望まれ、宿敵であったはずの山内上杉家当主より関東管領職と上杉の名跡を譲り受けたのだ。


「だからこそ私は、権威と秩序の必要性を痛感しました。力による平和は、権力者にその力がなくなれば崩れ去ります。しかし権威により確立した秩序はたとえ乱世になろうとも崩れません。朝廷の存在がいい例ですね」


 不識庵の思い出話は、最初の話題に帰結した。


「だから不識庵殿はあれだけ秩序と大儀にこだわられるわけですな」

「ええ。それに秩序と大義名分のない戦を避ける方便でもあります」


 身も蓋もないことをいう軍神。「欲得の塊でありながら、綺麗ごとが好きなのも人間ですからね。士気が違えば、指揮も楽です」とつまらない冗談を口にすると、不識庵はいったい何杯目なのかわからない杯を仰いだ。


「……所詮、この世はめぐり合わせと出来合わせです。一度は国人どもに嫌気が差して逃げ出しましたが、結局は逃げ切れませんでした。坊主になって歴史の研究にいそしむはずが、歴史を作る側となっている。信玄入道も同じなのかもしれませんね」

「越後は日本海に面し、都へと通じる道が陸路でも海路でもありますからな」


 武衛の言葉に頷くと、不識庵は小鉢に盛った塩を指でつまんで舐めると、同時に床に織田と徳川からの書状を散らかすように広げて見せた。


 またかと言わんばかりに顔をしかめる北条三郎に、将軍の御内書(私的な文書)ではなく、織田と徳川からの公式文書を先に広げたというのはどう考えるべきなのか。酒の肴とするにはいささか無粋とも思えるが、軽視しているのか面白がっているのかは、武衛にも判断がつかなかった。


「その通りです。そして甲斐は周りがすべて山と敵国。国の中にも敵と味方が入り乱れるお国柄です。この塩ですら甲斐においては、敵国に頭を下げれば手に入らない。だからといって侵略行為が正当化されるわけではないですが、同情の余地はありますね。負けてやる義理などありませんが」

「……つまらぬ戯言と聞き流していただいても構いませぬが、そこまで相手のことを理解していながらも争わなければならぬのですな」

「それは違いますね。理解しているからこそ争うのです」


 軍神の現状認識と敵対者に対する解釈は、どこまでも怜悧かつ冷徹なものであった。なるほど、確かに矛盾した人物である。だがその矛盾すらをも飲み込んでしまう器を持った人物なのも間違いない。


「理解しているがゆえに相手が許せないということもあります」

「それほど物事が見通せる関東管領殿であってもですか?」

「人間は自分の常識でしか物事を判断出来ません。武田の理屈も北条の理屈も、理も部もないわけではないことはわかります。だからこそ上杉は今こうして北条と手を組むことができました」


 「こうして優秀な養子を得られたことがそれを証明しています」と不識庵が言うと、北条三郎は照れくさそうに頭を掻いた。


「甲斐のことを笑ってばかりもいられません。越後とて決して豊かな土地でもないですしね。関東で略奪し、人さらいの真似事をしなければ冬を越せませんでした。彼らは彼らで、私のことを綺麗事ばかり言う山賊とでも思っているのでしょう」


 そこで一旦言葉を区切った不識庵は、床に広げた書状から視線を上げた。どうも軍神殿は酒を飲めば飲むほど顔が白くなる性質らしい。酔っているのか、そうでないのか。どうにもよくわからない。


「一緒に一向宗と武田と戦いましょうということしか書いていませんね。織田弾正大弼の書状はこちらが恥ずかしくなるような美辞麗句を並べ立てていますが、対する徳川のものは実務的な内容ばかり。よほど武田の圧力に苦しんでいるのでしょう」


 不識庵はそこでようやく顔を上げた。


「……で、どうして欲しいので?」

「書状に書かれてあるのでは?」

「たしかに書いてはあります。しかし私は今、武衛殿の意見が聞きたいのですよ」


 広げた時とは対照的に丁寧に折りたたみながら、不識庵は尋ねた。


 この年2月。越中東部の椎名氏が一向一揆と組んで親武田派に寝返ったことから、上杉不識庵は自ら軍を率いて越中に侵攻。椎名を追い詰めるも、武田が北上の動きを見せたために越後へと引き上げている。


 そもそも一向一揆と上杉は、不識庵の祖父が越中において一向一揆と組んだ勢力との戦いで戦死するなど、因縁の間柄。武田との関係については今更語るまでもない。しかしそれだけでは組むに値しない。飲兵衛の軍神の目は、確かにそう語っていた。


「私はこの肩書だからこそ使者に選ばれました。関東管領殿に対する使者は、前管領がよいだろうという判断からです」


 武衛は自らが使者に選ばれた理由から話し始めた。


「自ら立たぬものに、立とうとしないものに明日は来ません。人を頼ったところで最終的に決断するのは自分自身。今までのお話を伺ったところ、それについては関東管領殿も同じ意見ではありませんか?」

「今川殿の息子には出来なかった事が、織田と徳川の二人には可能だと?」

「下心は見え見えでしょうが、それでも彼らは本気です。本気でなければ、あの武田入道と直接的に戦場で対峙することを前提とした同盟の持ちかけなど致しません」

「武田包囲網ですか」


 北条三郎の呟きを、不識庵も武衛も咎めなかった。


 先年の駿河侵攻と今川氏追放により、娘婿を追放された先代の北条左京大夫(氏康)は激怒。武田との同盟を打ち切り、長年の宿敵たる上杉と手を組ぶ(越相同盟)。これは娘婿を追放されたことだけが原因ではなく、関東における政局を北条有利とする狙いもあったようである。


 この同盟の一環として上杉の養子となったのが北条左京大夫の8男である北条三郎-上杉景虎だ。


 つまり上杉-北条同盟と、織田-徳川連合により、不穏な動きを見せる武田家を相互から牽制しようという戦略構想である。織田と武田は正面から敵対しているわけではないが、関係が良好でないのも事実。徳川と武田は遠江国境で何度も小競り合いを起こしている。周辺諸国が北条と上杉、織田とくれば、どこが武田家にとって勢力を拡大しやすいかといえば、考えるまでもなかった。


 当然ながらこの絵を描いたのは織田弾正大弼だ。この前後から信長は武田からの同盟廃棄もやむなしという姿勢に転換したようである。


 その織田の名目上の主君である斯波武衛は、自分か感じたものを率直に語った。


「少なくとも織田弾正大弼は本気です。敵対するのは出来るだけ避けたいと考えているのも事実ですが、敵対だけを避けたいのなら入道の足の裏を舐めてご機嫌伺いするほうが早いというもの。なにより関東管領殿が書状を破らずに丁寧にたたんでおられるのが、弾正大弼の本機を感じられた証左ではありませんかな?」

「さて、どうでしょうか。単なる気まぐれかもしれませんよ」


 そう行って笑うと、不識庵は今度は手元で自分だけが見えるように御内書を広げた。


 読み進めるうち、先ほどとは対照的に次第に表情が険しくなる。


「……武衛殿はこの内容を御存知なのか?」

「いえ。もしよろしければ内容をお伺いしても」

「幾ら公的文書ではない御内書とはいえ、常識的に考えても私的な手紙の内容をお伝えするわけにもいかないでしょう。諦めてください」

「そうですか。それは残念ですね」


 少しも残念そうな表情を見せずに武衛は首を傾げた。



「……誰かいるかい?」


 北条三郎が斯波武衛と共に退出した後、上杉不識庵が誰何する。


「こちらに」


 背後の闇が、突如として人の形をつくる。


 不識庵は振り返りもせず、酒の杯を煽りながら命じた。


「武衛一行の警護に付いてほしい。必要とあらば相手の警護責任者と接触しても構わない。上杉と関東管領、そして君達の名誉に掛けて、帰洛まで刀傷ひとつ負わせるな」

「おまかせあれ」


 短く、それでいて妙に気障っぽく答えると、人影は再び闇へと溶けて融けた。


 それを確認した不識庵は将軍直筆の書状を丁寧に折りたたんだ後、両手で小さく破り捨てた。


「努力は認めるが、経験が足りないな」


 そう呟いた軍神の眼差しは、ひどく冷ややかなものであった。



 斯波武衛一行は道中何事もないまま、5月の中頃には京の武衛屋敷へと帰還した。


 そして顔面蒼白となった息子の斯波義銀から、手短に現下の情勢について報告を受けた。


「伊勢長島願証寺を攻めた織田家が大敗。撤退中に追撃を受けて大きな損害。柴田権六が討ち死にしたとの未確認情報あり。禁裏が状況説明を求めている」


「上様の指示により一色式部少輔(藤長)殿率いる幕府の兵が烏丸邸を襲撃。烏丸からすまる光宣みつのぶ殿、行方不明。首をとられたとの噂が流れて洛中洛外が動揺。二条関白が抗議の辞任を申し出たとの未確認情報。叡山に不穏な動きあり」


「……これなら越後に残って、関東管領殿と一緒に酒でも飲んでいれよかったのう」

「いいから働いてください父上!」



ヤン・ケンシン。というかこれが書きたいがためにこの作品を始めたといっても過言ではないかもしれない。


「義?そんなので腹が膨れるわけないじゃないか。でも兵が納得するならいいよ」的なスタンス。ある意味元ネタより強か。


無理があるのはわかってるけど、こういう謙信がいたっていいじゃない。


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