摂津掃部頭「摩擦ー摂津衆、摩擦ー摂津衆、摩擦ー摂津衆、はい3回繰り返して」朝倉中務大輔「もう何が何だかわかりませんな」
西ドイツ初代首相は「最後まで座っていれたものが勝者なのだ」と喝破した。政治とは諦めずに最後まで座り続けていられたものが勝者になる。諦めなければ勝利の機会はあるとでも解釈すればいいであろうか。もしくは単に体力勝負かもしれないが。
鎌倉末期から室町の3代将軍足利義満にかけて、二条良基という怪物が朝廷に居座り続けていた。
彼は五摂家の一つ二条家の当主であり、鎌倉末期から建武新政、南北朝に観応の擾乱という複雑怪奇な時代にあって、北朝系4代の天皇に摂政・関白として仕え、69歳で死去する直前まで5度務めた。
鎌倉幕府によって断絶を命じられた名門家当主は、自らが理想とする政治的な正しさを追い求め、そのために自らが権力の地位にあることに執着した。そのために必要とあらば南朝との接触もためらわなかったし、帝やほかの摂関家との対立も辞さなかった。上皇を自殺未遂に追い込んだこともある。
何度となく失脚を経験し命すら危うくなったが、その度に不死鳥のごとく蘇った。
政争と戦乱のために朝廷が機能不全に陥りかけるなか、ただ1人でその重責を担った経験から、最後は「義満の走狗」と批判されながらも幕府と朝廷の協力関係構築に尽力。公武合体政権たる室町幕府のあり方を決定づけた。
彼と足利義満がいなければ、今の朝廷と室町幕府は存在しなかっただろう。
そして今、称賛と悪意をもって二条良基の再来とされる男が京にいる。
良基の子孫である関白の二条晴良。
将軍足利義昭の政治的な盟友であり、政敵たる近衛太閤を自らの手を汚さずに「義昭の手で」追放させ、息子を養子に入れた九条氏と連携を組み朝廷を牛耳る男である。今は断絶した鷹司家を自らの息子に継承させ
る政治工作に熱中しているらしい。
仮にこれが成功すれば、五摂家のうち3家が二条系で占められることになる。
*
「鷹司が欲しければくれてやればいいのだ」
足利義昭は、ひどく突き放した言葉で朝廷における政治的盟友の行動を評した。
「関白は私を利用しているつもりなのだろうし、私も彼を利用していると思っている。しかし彼は良基にはなれぬし、私も鹿苑院(足利義満)様になるつもりはない」
義昭の一種の所信表明のようなものを、畠山播磨守(高政)と斯波武衛は静かに聞き入っているた。
「征夷大将軍とは武家の棟梁なのだ。私はその原点に立ち返りたい」
「……つまり誰が朝議を牛耳ろうと関係がないと?」
「あのようなことをしなければ、近衛でもかまわなかったのだ。しかし二条関白であろうと近衛太閤であろうと、彼らに幕府のことに口を出させるつもりはない」
播磨守が確かめるように尋ねると、義昭は明快に答えた。なるほど理には適ってはいると武衛は感じた。
そもそも幕府とは「武士の武士による武士のため」の政権のための理屈付けにすぎない。帝より大権を委譲された征夷大将軍が国政全般を預かるという建前である。
しかし鎌倉幕府は、北条氏の私物化と関東の田舎政権化したことで崩壊。室町幕府とて、当初の「鎌倉殿」という鎌倉幕府の後継者としての立場から「室町殿」と呼ばれるまでに3代が必要であった。
この公武合体政権の誕生に尽力したのが公卿側では二条良基であり、幕府側では足利義満だ。
「再度、公武を分離させるおつもりですか?」
「出来ぬと思うか?」
「いえ、出来るとか、出来ないとかいう問題では……」
言い淀む畠山播磨守に、義昭はまたも明快な答えを伝えた。
「そうだ。播磨の言うとおり、それが問題ではない。やるかやらぬかが問題なのだ」
長年続いた幕府の根幹を根本から見直し、再び征夷大将軍という武家の棟梁に専念する。将軍義昭は改めて宣言した。
「考えても見ろ。武家同士の戦ならともかく、なにゆえ朝廷内部の権力闘争にわれら武家が付き合わねばならない。保元・平治の乱しかり、源平合戦然り。そうした公家共の犬であることを嫌い、独立した武士の政権を作ることこそが鎌倉であり室町であったはずだ」
義昭の語る幕府の在り方は確かに理想ではある。それは播磨守にも、当然ながら武衛にもわかっていた。
しかし現実ではない理想論だからこそ耳に心地よく、そして惹かれる部分がある。
確かに武士とはそのような存在であったはずだ。公家の犬であることを嫌い、自らを主とすることを選んだ関東武士の気概が、現在の幕府のどこにあるのか。
「鹿苑院様の時代ではやむを得なかったとは言え、『統一』なる美名により原則がなし崩しとなった。公家は幕府に口を出すのが当たり前となり、武家は京にあり堕落した。慈照院(足利義政)の政権を見てみろ、烏丸だの日野だの。育ての親だか妻の実家だか、それが幕府と何の関係があるというのだ。だからあのような大乱にも繋がった」
「……なるほど。ですから織田弾正大弼が在京を避け、政が停滞した状況にかかわらず、上様としては批判的ではなかったのですな」
「大内も三好もそれで駄目になったからな。織田の本意はわからぬが、そのあり方は正しいと考える……その分だけ予も京において自由に振舞えたがな」
そこでひと呼吸おき、義昭は茶を服した。
武家の棟梁たらんと欲するのに、その所作はどこまでも優雅であり、そして公家に似ていた。あえて床の間に三日月宗近という名刀をこれみよがしに立てかけるのも、劣等感の裏返しのようでもある。
そう感じる武衛ですら、今の義昭の独白に感じるものがないわけではない。
将軍は問うているのだ。
「お前たちは何者なのか」と。
「お前たちはこれからどうして生きていくのか」と。
人から与えられた答えは、たやすく力や銭によって変えられるものである。しかし自ら導き出したそれは、たとえ百万の大軍で迫ろうと、天井にまで積み上げられた銭箱で買収しようとしても、変えることは不可能だ。
将軍はそれをわかっている。わかっているからこそあえて答えを求めないし、同意も求めない。
「お前はどうするのだ?」と、問いかけている。
「朝廷は朝廷の中でやればいい。内部の争いがしたければ勝手にすればいい。ただし武家の政権に口は出させぬ。我らも公家の争いに口は出さない」
「……上様のお考えはわかりました」
それまで黙って聞いていた武衛が、初めて口を開いた。
「ですが果たしてそれで幕府が立ち行きますか?……畏れながら申し上げますが、ここ最近の大樹というものは、京から追われることも珍しくありませんでした。上様の就任によりある程度威光が回復されたとは言え、大きく権威が傷ついた状況に変わりはありませぬ。朝廷という古より続く権威と分離し、室町殿の権威だけで武家の棟梁としてやっていけますか?」
遠慮も配慮もない武衛のぶしつけな疑問に、義昭は笑って答えた。
「頼朝公とて、ほとんど独自の軍事力なるものは持ち合わせていなかった。しかし神輿としての役割を果たされたであろう」
「恐れながら上様。上様と頼朝公は違います」
流石に畠山播磨守はぎょっとして目を見開いた。
「私の能力が頼朝公に劣っていることは理解しているつもりだが?」
普段の感情の起伏の激しさが嘘のように、義昭は怒りも見せずに武衛に対して続きを促す。
「……私は上様の素質を問題としているわけではないのです。鎌倉は3代で絶え、あとはお飾りの摂家将軍と皇族将軍が続きました。足利は上様で15代。初めて政権を担われた頼朝公とは違い、征夷大将軍というものに、誰も幻想を抱いておりません。既存の政治のあり方を変えようとすれば、幕府の組織とて上様の敵に回る恐れも御座います。私が懸念しているのは、その点です」
「その敵とは……」
義昭が体ごと武衛のほうに向き合った。
「武衛殿も含まれてると考えてもよいのか?」
「……さて」
武衛は手元の茶碗を持ち上げようとしたが、その手を止めて自分も茶席の主人と向かい合った。
「どう答えるべきでしょうか?それともどのようなお答えをすれば満足していただけるのかとお聞きしたほうがいいのでしょうか?」
それ以上は武衛は何も答えず、義昭の視線を正面から受け止めた。
黒目の大きな目が瞬きもせずに武衛のそれを見据える。
「……恐れながら上様、釜の湯が」
「おぉ、播磨守。気がつかなかったな」
前管領と将軍との無言の問答は、播磨守によって遮られた。
「これでは新五郎(武野宗瓦)に怒られてしまうな」
義昭は視線を外して笑みを浮かべると、炉の鉄箸を取った。炭を退け、熱を弱めるために灰を掻いて炉の中の火力を調整するためである。
「天下もこのように鉄箸ひとつで調整が出来れば楽なのだがな」
「恐れながら上様。茶の湯は人をもてなすことが目的とは言え、究極的には己との対峙であります。政はそうはゆかぬでしょう」
「己の都合だけではどうにもならぬのが、幕府であり将軍か。たしかに武衛の言うことも一理ある」
道理を認めながらも賛同はしない。灰を鉄箸でかき混ぜながら、義昭は続けた。
「播磨守、そして武衛よ。今すぐに答えずとも良い。しかし己に問うておくことだ。一体自分が何者なのか、そしてこれから如何に身を処すかもな」
ことりと、床の間の三日月宗近が小さく動いたような気がした。
*
二条城での会談後、政所執事の摂津掃部頭(晴門)の屋敷を見舞いに訪れた斯波武衛は、そこで思いもかけない人物の顔を見た。
「なんだ中務。来ておったのか」
元敦賀群司の朝倉中務大輔(景恒)が枕元に控えているのに一瞬驚いた様子を見せた武衛であったが、直ぐに自らも反対側の枕元へと座った。
「武衛様、これは態々申し訳ございませぬ」
「あぁ、掃部頭。そのまま、そのままでよい。老人の顔ばかり見飽きたであろうが、しばらく我慢してくれ。それでどうなのだ具合は?」
「よくはありませぬな」
布団に横たわったまま、摂津掃部頭は力なく笑った。
早くから室町幕府に仕えた中原氏の一族で、摂津守の官位を世襲したことから氏族の名を摂津と改めた幕府の譜代。かつて13代将軍の意向を受けて伊勢氏が壟断していた政所に単身で乗り込み、改革に取り組んだ硬骨漢の顔には、明らかに死の気配が漂っていた。
摂津掃部頭は文官としては間違いなく優秀であり、優秀だからこそ政所執事としての自らの限界を直ぐに察する事が出来た。人脈や経験こそ必要な政所執事には、個々の能力は問題ではなかったのだ。
しかし彼は13代将軍と、そしてその弟たる義昭の期待に応えようとした。その父の想いを知っていたからこそ、彼の息子は13代将軍に殉じた。
「私自身に能力がないことなど、とうにわかっておりました」
摂津掃部頭は天井を見上げながら、途切れるような声で語った。
「伊勢に任せたほうが、政がうまくいくこともわかっておりました」
「いまさら死んでいく人間に世辞など言わぬが、掃部頭はよくやっていたと思う」
「結果が出なければ、意味などありませぬ。それにこの朝倉殿がいなければ」
掃部頭が視線を向けると、朝倉中務大輔は黙って頭を下げた。
義昭の意向で政所の寄人(奉行)に就任した朝倉中務大輔は、元敦賀郡司という経歴を十二分に発揮している。人脈や経験という点では摂津掃部頭以上に乏しかったが、彼を補佐する役割を忠実に果たした。伊勢氏との関係修復にも尽力し、何かと議論を呼ぶ将軍人事の中でも「これは当たりだ」と評価が高い。
「わかっていました。わかっていたのです。ですが辞められませんでした……上様の期待に応えたいという思いもありましたし、糸千代丸の無念を晴らしたいという思いもありましたが、ですが」
摂津掃部は咳き込み、体を横にして口に付近を当てた。
唾に混じり、赤黒い血の色が見えた。
「……ですが、私は何かを残したかったのです。摂津の家としての何かを歴史に刻みたかった……摂津晴門として私が生きた証を、何か現世に残したかったのです。夢幻と知りつつも、それに縋った、縋ってしまったのです」
自らの功名心ゆえの居座りだったと摂津掃部頭は独白する。
「13代様に政所執事として指名されたあの日、そして意気揚々と乗り込み、自らの限界を思い知らされたあの日。13代様の最後に間に合わなかったあの日……死に損ねた私には、生き汚さを示すことでしか、自らの存在を証明することが出来ませんでした」
「……後悔しているのか」
「まさか」
摂津掃部頭は小さく首を振った。
「後悔などするわけがありませぬ。後悔するようないい加減な生き方はしてこなかったことだけが、この老骨の唯一の取り柄でしてな。たとえ『もう一度』やり直せる機会が与えられたとしても、私は同じ選択をするでしょう。13代様と上様というご兄弟にお仕えできたことを、私は誇りに思っております。ですが……」
「お仕えしたからこそわかることもあるのですよ」と摂津掃部頭は視線だけを斯波武衛に合わせた。
頬は痩け髪が薄くなっているのに、その眼差しは往年の硬骨漢のものであった。
「上様では天下は治まりますまい」
「掃部!」
「武衛様、あなたとて本当は……いえ、言わなくてもよろしいのです。もうすぐ死にゆく老骨の独り言として、どうか御寛恕の上でお聞きください」
「上様は理想が高すぎるのです。理想を持つこと自体はよいのですが」摂津掃部はそう続けた。
「現実を理想に近づける努力をしておられるのもわかります。しかし上様にはそれを実行に移すだけの力をお持ちではない。そしてその力があるのは織田弾正大弼……建前では武衛様の部下ということになっている、上様とほとんど同じ年代のあの男。これではどうにもなりますまい」
「鹿苑院様(足利義満)とて、独自の戦力なるものはほとんどなかったではないか」
「武衛様、思ってもいないことを口にする時は、もっと慎重に仰るべきですな」
はぐらかすための武衛の韜晦は、死にゆく能吏には通用しなかった。
「もはや往年の時代ではございませぬ。当時の政治は、今も通じるわけがないのです……上様の高い理想が、理想が高ければ高いほど人を惹きつけるでしょう。そして高ければ高いほど、現実との矛盾は埋められなくなります」
「書物において政治を学んだ上様には、それがわからないのです。書物には理想と綺麗事しか書いてありません」という上司の言葉に、朝倉中務大輔も表情を険しくした。
「経典を読むだけで仏になれるのであれば、誰も苦労はせぬか。しかしそれは直接、上様に諫言するべきではないのか?」
「無論お伝えしましたとも。そしてこのことは上様も承知しておられます。知識としてですが」
本質的には理解しておられないと、摂津掃部頭は匂わせた。
「ですが言葉にして伝えられるようなものではありません。刀傷とて斬られなければ、実際にその痛みは分からぬものでしょう……こういうと何ですが、私はその矛盾が露呈する前にいなくなるのです。オサラバするには良い時期ですな」
「後任に押し付けて自分だけ逃げ切るというのか?それはあまりにも狡いではないか」
「摂津の最期の当主となるのです。これぐらいの役得がなければ……」
掃部頭は再度咳き込み、血を吐いた。武衛と朝倉は手拭いでそれをぬぐい、背中を支えて水を飲ませた。
「宗滴公の義孫と、武衛家の当主に水を飲ませていただくとは、冥加です」
減らず口をたたいた摂津掃部頭であったが、朝倉中務大輔に支えられて上半身を起こしたまま、武衛を見据えた。
「恐れながらあと一言だけ、申し上げてもよろしいでしょうか」
「いまさらなんだ?もう何を聞いても驚かぬぞ」
そう軽口をたたき返す武衛に、摂津掃部頭は問いを突きつけた。
「武衛様もいずれ選択しなければならない日が来るでしょう。足利の副将軍であり続けることか、それとも織田弾正大弼の主君であり続けることを選ぶのかを」
武衛の表情が強張る。
それを見た摂津掃部頭は、してやったりとでも言わんばかりの歓喜の表情を浮かべた。
「ひとつだけ助言いたしましょう。どちらを選ぶかを迷われたのなら、好きな方を選べばよろしい。どの道、楽な選択肢などないのです。ならば好きな道を選んで苦労すれば、気のせいでしょうが少しは楽になります」
「……私の好きなほうか」
「えぇ。私も好きで三好や細川ではなく、足利の兄弟に仕えました。苦労もしましたが、今となっては良い思い出です」
「どうせ苦労するなら、楽しく苦労しましょう。それが人生を楽しく過ごすコツですな」
摂津掃部頭は、こうすることが最後の意地とでも言わんばかりに笑って見せた。
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元亀2年(1571)1月25日の記録を最後に、摂津掃部頭晴門の公式記録は途絶える。
隠居したか、それとも死去したか。それ以上の記録は残されていないが、彼を最後に中原氏流の摂津家嫡流は断絶した。
そして同年、「摂津」国で再び騒動が起こるのだが、それはまだ少しだけ先の話であった。




