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斯波武衛家顛末記  作者: 神山
永禄13年(1570年) - 元亀元年(1570年)12月
24/53

北畠中将「元亀斯波武衛隊 1570 後編」青地駿河守「…………」三淵大和守「何か喋ってくださいよ」


 自分の義父であった人物は、小さな時も大きかったが、成長してからはより大きく感じられるようになった。


 その広い背中は戦場にあればこれ以上なく頼もしく、そして家にあれば蹴り飛ばしたいほど憎らしかった。


 戦場では常に先陣にあり、何時如何なる状況においても感情を露わにはしなかった。自分の息子が死んだと知らされた時ですらだ。


 幾多の戦歴と戦功、主家に対する絶対の忠誠心。それは義父を生きならがにして伝説とした。


 それを悲しんでいたのは、他でもない義父自身であった。


『このままでは朝倉は駄目になる。私のいない朝倉は想像が出来ない』


 こう嘆く義父が見ていられず、自分もその背に追いつこうとした。義父の跡を継ぐにふさわしい存在になろうと力を尽くした。


 義父の死後も、自分達が朝倉を支える柱石とならん。その責任感だけで走り続けた。


 そして排除された。


 家中における権力闘争に敗れただけであると、当初は認識していた。


 その真の理由は『朝倉宗滴の養子を、宗滴の後継者としては認めない』というものであった。


 そして自分達を人身御供として義父の宿敵たる本願寺と手を結び、一乗谷の御屋形様は天下人として名乗りを上げた。


 朝倉の一族として実に喜ばしいことだ。


 だからこそ許せなかった。


 なぜそこに自分の席がないのか。


 がむしゃらに走り続けてきた今までの人生を否定され、一族を連れて京へと逃げた。


 最早、生まれ故郷の越前の空気を吸うことすら億劫であった。




 亡命先でかつての『主家』と出会った。


 自分よりも早い時期に朝倉本家に「不要」と判断され、越前を追われた斯波武衛家当主。


 その孫だという男は、旧敵であるはずの自分を暖かく出迎えてくれた。


 にぎった飯の暖かさが、これほど有り難く嬉しいものだったとは、今まで考えたこともなかった。


 自分だけではなく、息子や孫にも良くしてくれた恩義は忘れることはないだろう。


 周りが落ち着くと、逃げ出したことへの不甲斐なさと、当主への怒りがこみ上げてきた。


 敵方に通じていたなどの明確な敵対的行為があったのならわかる。


 見殺しにしておいて「朝倉の名前を汚した」とはいかなる意味か。


 犬畜生は必要ないと、塵芥の如く捨てたのは貴様らではないか。


『このままで死ねるか』


 朝倉を支えていたのは自分達、敦賀郡司一族だという自負もあった。そして御屋形様の考え方や朝倉家の戦略もある程度は予想がついたし、実際にその通りに展開した。


 しかし、実際には何も出来なかった。


 例え行動を予想出来たとしても、それに対抗する現実的な策はいつも遅れた。


 足掻けば足掻くほど、もがけばもがくほどに、かつての軍功はすべて朝倉という看板があってのものであったということを思い知らされる日々が続いた。


『随分と面白いことを考えるではないか』


 織田の傀儡たる傀儡の管領であった男は、ただそれだけで自分の馬鹿げた復讐に付き合ってくれた。


「武衛様、私は」

「私はこれ以上、誰かの君主だの家臣だのにはなりとうない。堅苦しい関係なのは織田弾正大弼との間だけで十分よ。しかし茶飲み友達ならよいぞ?」


 そう茶目っ気混じりに笑う顔が、何故か義父のそれと重なった。


 おそらくこれは忠誠ではない。


 友情でもないし、親愛でもない-そこまで考えて、ふと気がついた。


 そうか、私は……



 浅井あざい備前守(長政ながまさ)は、思わず己の目と耳を疑った。


「朝倉左衛門佐殿は、何を考えておられる!」


 明らかな挑発と思われる声合戦に、あの慎重居士の朝倉左衛門佐が簡単に乗ったのも信じられないが、それまで整然と追撃していた朝倉の軍勢が忽ち乱れて、我先にと『手柄首』を目指して走り出したのだ。


 ここからは大野郡司の朝倉景鏡が何とか統制を取り戻そうと声を張り上げているのが見えるが、まるで効果が見られない。


 宛ら越前兵全体が餓鬼の群れと化したかのようだ。


 本来であればこのまま追撃を続け、あわよくばそのまま宇佐山を攻め落とすか無力化するかして、後顧の憂いを絶ったうえで上洛というのが最も望ましい選択肢であろう。


 山中にある城を攻める場合、最も悪手なのが無秩序な攻めだ。頭の中に酷薄なまでの冷静さを保った勇猛果敢と、何も考えずにひたすら突き進む猪突猛進とは似て非なるものである。


 確かに何も考えずにがむしゃらに攻めてうまくいく場合もあるが、それは冷静な指揮官が抜けた穴を埋め、彼のものが突き破った穴をさらに広げるという段取りがあってこそ。そうでなければ1人で城の中で討ち死にするだけである。


 それが、これはどうした事だ?


 宇佐山までは街道を外れる山道となるというのに、そこに朝倉の2万が我先にと突っ込んでいる。朝倉家当主の怒りの大きさが伺えるというものだが、さらに酷いのは呼応して参集した弱小諸侯で、彼らなどはむしろ追撃の邪魔をしているとしか思えない動きをしている。


 これでは秩序も何もあったものではない。


「朝倉の当主も、結局は人の子だったというわけですな」


 海北かいほう善右衛門(綱親つなちか)は感心したような呆れたような口調で言い、手にした軍配を弄んでいる。


「あれだけ軍議の場では取り澄まし、自分だけは事にも動揺しないかの如く振舞っておいでだったのに」

「善右衛門、言葉が過ぎるぞ」

「これは失礼。しかし殿、如何なさいます?このままでは朝倉の混乱に巻き込まれますぞ」


 備前守は聞こえみよがしに舌打ちをした。


 目の前には近江国人の青地駿河守率いる宇佐山から出陣した織田家の軍勢。そしてその先にはのこのこ近江へと出てきた筒井。もう少しで首を取れそうだというのに……


「乱心にまで付き合うつもりはない。善右衛門よ。兵を引かせて朝倉に宇佐山までの道を開けてやれ」

「左様、功名餓鬼が手柄を欲しがるのならくれてやればよいのです」


善右衛門の軽口には答えず、浅井備前は苛立たしげに手綱を引いた。



「これは助かったと喜んでいいのか?」


 筒井家の松蔵権助(秀政)は統制を失った朝倉の追撃をあしらいつつ、陣を下げる浅井備前の軍勢を見やった。どうやら浅井は朝倉に巻き込まれることを嫌ったようだ。


 そして朝倉は声合戦で挑発した『斯波武衛とその一党』をめがけて、狭くなる山道を押し合いながら突き進んでいる。


「援護するわけにもいかぬだろうな……」

「馬鹿をいえ。統制がなってないとはいえ、あの大軍中に飛び込むなど自殺行為だ。どうも朝倉の当主にとっては我慢出来ぬ点をついたようだしの。それにしては言葉が妙にきついような気もしたが……」


 善七郎が首をかしげるが、そのような事は今はどうでもよかった。


 朝倉宗滴の養子という老人の口車に乗り近江までわざわざ出兵してきた筒井の士気は、それほど高いものとは言いがたい。1人でも多く大和へと連れて帰れるのなら、それに越したことは無い。


 松田善七郎が後ろを振り返る。


 斯波武衛の一行はあえて山道の険しいほうへと誘導しているようにも見えるが……


「……おい、あれは本当に斯波武衛だと思うか?」


 唐突な善七郎の問いかけに、権助はとっさに反応出来なかった。


 そういえば自分達は斯波武衛と直接会ったこともなければ、言葉を交わしたこともない。確かに出陣前に言葉を聞いたが、それだけでは判断材料に乏しい。


 では何故、老人が斯波武衛だと判断した?


「……勝てばいいというものではなかろうが!」


 権助は思わず罵っていた。



「……おい、お前ら、ちょっと待て」

「なんだ、手柄首が目の前なんだぞ!!」

「違う、違うぞ。だってあれは……」


 山道を追いかけながら斯波武衛らしき老人まで半町ほどの距離に迫った男は、周りの者の腕をつかみ、進むことを押しとどめた。


 手柄を横取りする気かと殺気立つ周囲であったが、男の態度に疑問がわいた。


「……お前、何を震えているんだ?」

「ば、馬鹿かお前ら、お前らはもう忘れたのか!?あれは!あれは斯波の殿様なんかじゃねえ!」


 大永年間の上洛以来、加賀一向一揆や若狭への出兵を指揮し、一時は朝倉宗滴の後継者とも家中でささやかれた男。家中で大野郡司の政争に負け、京へと一族を連れて逃げ出したはずのあの老人。


 長年『元敦賀郡司』の家に属していたその男は、震える声で叫んだ。


「あれは朝倉孫九郎様、朝倉伊冊様じゃあ!!!」




「はっはっはっはっは!!」




 『老人』は足利二両引きのついた武衛色の直垂を脱ぎ、その下につけた鎧を-三つ盛木瓜が燦然と輝くそれを見せ付けるように胸を張った。


「朝倉左衛門佐殿、かつての家臣の声もお忘れになったとは、天下を前に酔っておられるとみえる」


 口に含んだ布を吐き出し、声色を変えるために喉笛を締め付けていた手拭を取り去ると、それは紛れもなく朝倉伊冊のそれであった。


 朝倉一門に籍を置きながら、よりにもよって宿敵である斯波武衛の格好に身をやつし、本人として振舞っていたのだ。


 あっけにとられる朝倉の将兵を、伊冊はさらに虚仮にした。


「はは!どいつもこいつもよい顔をしておるな!所詮、人は格好を付けたところで、所詮は知恵のついた畜生に過ぎんのだ!功名一つで我を忘れて統制を失う程度の理性で、人の何がわかるというのだ!!」


「のう朝倉左衛門佐殿!!貴方の信じた人間の理性とは結局この程度、それは貴方の今見せている醜態が何よりの証明ではないか!!」


 遠くで怒鳴るかつての主君の声が聞こえた気がした。その正体がかつての一門衆の重鎮として遠慮していた兵も、次第に視線が剣呑なものとなってくる。


 それでもかまわず伊冊は続けた。


「我が義父宗滴は犬畜生たりとも勝てといった!しかし犬畜生になれとはいわなかった!今の貴様らは武士ではない、残飯をあさる野良犬、そして畜生たるにふさわしいわ!!!」




- 殺せ、あの裏切り者を、朝倉名字の恥辱たる、あの死にぞこないを殺せえ!!! -




 ああ、そうか。私は認めてほしかったのかと、伊冊は唐突に気がついた。


 おそらく義景様も朝倉宗滴に認めて欲しかったのだろう。それは私も同じだ。


 認めて欲しかったのだ。宗滴の養子でも朝倉一族でもなく、ただの孫九郎としての自分を誰かに認めて欲しかったのだ。


 天命を知るべき歳をとうに過ぎ去ったというのに、このような子供じみた自分の願望ですらわかっていなかったのだ。


 なんという皮肉か、そしてそれを認めてくれたのは、かつての主家たる武衛家の当主であった。


「おう、殺せ!殺してみるがいい!!犬畜生に、人が殺せるものかよ!!」


 伊冊の剣幕と形相に、切りかかろうとした朝倉の足軽らが怯む。


 それを見た老人は、悪戯が成功した子供のような笑顔を浮かべながら、見得をきってみせた。




「やあやあ、音にも聞け!近くば寄って目にも見よ!!我こそは日下部姓くさかべうじ朝倉氏あさくらしが一族の末裔、かの朝倉宗滴が不肖の養子、朝倉孫九郎なり!!犬畜生に落ちぶれたるわが一族よ、この皺首とれるものならとってみせよ!!」





- 朝倉入道、槍を片手に立ち回る。本卦還りを過ぎたる老人とは思えぬ働きも、名も無き足軽に切られて、首を取られたり。長井別当(斎藤実盛)は死して名を残すも、朝倉入道は何を残したるか。返り忠の犬畜生たる汚名を残すのみ。ただ哀れなり - 『元亀坂本合戦記』 -



- 朝倉入道の死に斯波武衛は酷く不機嫌となり。曰く我が命に背きたる。所詮は朝倉の男か - 『信長公記』 -



「だから朝倉は嫌いなのだ。伊冊の馬鹿が……私の命令を何だと思っているのだ」



 戦死者や逃亡兵も含めて1千近くを減らしたものの、筒井主体の連合軍は無事に織田兵を救出。宇佐山城やその近隣の陣地へと帰還した。


 朝倉は陣の混乱を立て直すのに手間取り、浅井はそれに巻き込まれぬように距離を置いており、少なくとも今の段階で20日中の城攻めは難しい状況だ。


「武衛殿、まずは無事のご帰還、何よりです」

「北畠中将殿、各務兵庫(元正)は?」

「森殿を迎えに西門まで。しかし、その……」


 北畠中将はその巨漢を折り曲げるようにして体を屈める。中将が何か言うよりも前に、斯波武衛はくたびれた顔で息を吐いた。


「……正直なところ、疲れました。慣れぬ事はするものではありませんな」

「織田九郎殿は残念でしたが、宇佐山城代は救うことが出来ました。4千近い兵が籠城するここを無視して京への上洛も難しいでしょう。この功績は武衛殿に」

「それは違う」


 珍しく険しい表情で、武衛は北畠中将の言葉を遮った。


「私は何もしなかった。ただ戦場で馬の背に揺られて逃げただけだ。討伐対象となる危険性を冒しても兵を出してくれた筒井殿、最後まで戦われた織田九郎殿、ほとんど単騎で朝倉を混乱させ、戦闘不能とした朝倉伊冊、そしてなにより死地に向かうことを恐れず付き従ってくれた将兵あってのこと」

「しかし筒井の出兵はそもそも……」

「それは畳の上での話。実際に決断したのは筒井の御当主であり、出兵に伴う政治的な危険性は全てかの若者の双肩にある。無論、その功に報いるために私も全力を尽くしましょう。しかしだからといって、今回のこれで私に何か功績があったとは思わぬ!」


 「そのような事はあってはならぬのだ!」と強い口調で言い切る斯波武衛に、具房はそれ以上は何も言わなかった。


 戦場の空気に触れて気が立っているのだろうが、それ以上に何かどうしようもない老人の機微にかかわるものがあったらしい。また池田筑後の名を出さないのは、その生存を信じているからであろうことは具房にもわかった。


とにかく今日のところはこれでひと段落というところか……











「……今、何か音がしなかったか?」

「音ですか?」


北畠中将がその疑問に答えるよりも前に、毛利十郎が蒼白な顔で駆け込んで来た。


「狙撃にございます。山の中に叡山か六角の手の者がいた模様」

「誰か撃たれたのか?」

「それが……」


毛利十郎はこの男には珍しく言葉を詰まらせた。


「森、森三左衛門殿です」










*


「あれ?」


森三左衛門は首を傾げた。


 なぜ自分は空を見上げているのだ?-あぁ、そうだ。地面に仰向けになっているからだ。


 なぜ自分は仰向けになっているのだ?-あぁ、そうだ。馬から落ちたからだ。


 なぜ自分は落馬したのだ?-あぁ、そうだ。


「撃たれたのか」


 そう言おうとした筈なのだが、口の中から出たのは血の塊だけで。出迎えに来ていた各務兵庫が駆け寄り、それを手で掻き出そうとしていた。肥田が胸に開いた穴をふさごうと必死に手を当てている。


「何を泣く、兵庫」

「殿、喋らないでくだされ、どうか、どうか!」


「医師はまだか!」


 青地駿河が叫んでいた。


 何だあやつ、喋れたのか。


 そんなたわいのないことが妙におかしかった。


 呼吸が苦しい……肺に血が溜まり始めたか。このままではそう長くはないだろう。


 周囲の喧騒とは裏腹に、森三左衛門は自らの死というものを冷静に受け止めて考えるだけの余裕があった。


 不思議な事だと自分でも思う。


 出陣前に決めた心定めがいざとなれば役に立たなくなるのは嫌というほど見てきた。


 それなのに、この穏やかさはどうしたことだ?


「これは、困りました」

「……あまり困っているようには見えんがな」

「おや、武衛の屋形様」


 「援軍に来たというのは本当だったのですね」と言おうとした三左衛門であったが、再び血の塊を吐き出すだけに終わった。


 武衛屋形が今にも泣き出しそうな表情をしているのは、きっと気のせいだろう。


「……どいつもこいつも、大樹に次ぐ名門の斯波武衛家当主であるこの私をなんだと思っているのだ。人の命令を聞かずに、次から次へと死に急ぎおって。三左衛門よ。年下の貴様が年長者たる私に道を譲らぬとは、敬老精神に欠けていると言わざるを得んぞ」

「わたしとて敬うべきは、うやまいますとも」

「それはどういう意味か、じっくり聞かせてもらおうかの!」


 笑おうとして二度、三度と塊を吐き出す。


 鉄の匂いと、その中で喘ぐ自分の呼吸音で、何もわからなくなりそうだ。


「おい三左衛門。貴様、敬老精神を見せたらどうなのだ。順序を守れ。追い抜かされた私は一体、どの面を下げて織田三郎に会えばいいのだ」


「武衛屋形さま。私は今、気分が良いのです」


「女のつわりならともかく、男が嘔吐く姿を見せられる身にもなって見ろ。このくたばり損ないが……せっかくここまで、せっかく城へと帰ってきたというのに……もう少しなのだぞ!何が気分がいいのだ、この大戯けが!!」


「そうやって叱られるのは何十年ぶりだろう」と森三左衛門はまたもや笑った。


 見上げる空はどこまでも高く、そして青い。それは家族のいる美濃の金山にも、義兄のいる岐阜にも、始まりの地たる尾張の清洲にも、友のいる摂津にも繋がっているのだろう。こんな気分で、旅立てるのなら悪くはない。


「三郎様へは武衛様から釈明しておいてくだされ……それと、妻と子供達を何卒……」


「断る。謝りたいのなら、そのでかい体を起こして自分で謝ってこい。自分の家族が守りたかったら、自分で守れ。いつまでも斯波武衛が尻拭い出来るとでも思っているのか。全くどいつも、人の言うことは普段はまったく聞きもせぬくせに肝心なところでは頼りおって、どいつもこいつも……おい、森三左衛門。私の命令が聞けぬのか!!おいこら、起きろ!起きろというのだ!!!」


「……その命令は聞けませぬな。何故ならー



- 我ノ主君ハ三郎信長一人ト言イ、森三左衛門ハ事切レタリ - 『元亀坂本合戦記』 -



 9月21日。当初の予想と異なり、浅井·朝倉両軍はすぐに軍勢を立て直し宇佐山へと迫った。しかし寄せ集めの連合軍でありながら城代の仇討で結束した宇佐山の士気は高く、朝倉と浅井を一歩たりとも城へと踏み込ませなかった。


 本来であれば抑えの兵を置いて山科か醍醐へと進出したい浅井・朝倉であったが、さすがに4千以上もの兵が籠城する城を無視するわけにもいかず、22日にも再度の城攻めを行ったが、これも失敗した。


 そして23日。織田弾正大弼が一足早く京へと帰還する。


 これを受けて朝倉・浅井両軍はすぐさま戦略目標である上洛作戦の放棄を決定した。


 しかしこのまま撤兵すれば宇佐山と織田の追撃を受けることは必死。そこで浅井·朝倉両軍は宇佐山攻略を諦め、比叡山延暦寺に軍を入れることを決めた。


 元亀元年の叡山籠城の始まりである。



青地駿河守「…………」


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