表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
斯波武衛家顛末記  作者: 神山
永禄13年(1570年) - 元亀元年(1570年)12月
23/53

北畠中将「元亀斯波武衛隊 1570 前編」各務元正「なおヒロインは出てきません」


 船頭多くして船山に登るという諺がある。


 どこぞの帝国のカリフが命じたというローマ帝国の末裔の首都攻めではあるまいに、実際に船が山道をえっちらおっちらと登るわけはないのだが、言わんとすることは理解出来る。意思決定をするべき立場の人間が何人もいては、まとまるものもまとまらないだろうという話だ。


 この場合、指揮官たる人物の能力は問題とされない。優れた3人の指揮官が指揮権を争う軍より、平凡な指揮官1人に率いられた軍勢の方が、よほど役立つだろうというのは誰にでも想像がつく。むしろ前者の場合は優秀であるがゆえに、内部抗争が悲惨なことになるであろうことも。


 「普通の軍」であれば、身分や立場等により階級と序列が明確化され、これを軍規により縛ることで指揮権争いとなる愚を避けている。


 仮に戦地において階級が一緒の指揮官が合流した場合、中央から明確な指示がない場合においては、大体は先任の指揮権が優先される。役職についてからの経験が長い方が臨時の上官となるわけだ。組織としての経験を積み重ねてきた軍隊は、慣習によりこうした無用の争いを避ける知恵が身についている。


 では「船頭多く」なる船とはどんな軍隊かといえば、命令指揮系統が一本化されていない軍。


 つまりいくつかの個別の命令指揮系統をもつ勢力が集まった「連合軍」である。


 古代中国において強国となった秦に対して、他の六国が如何なる外交戦略を選択するかが問題となった。六国が連携して秦に対抗する案と、秦と各国がそれぞれ手を組もうという案が出た。


 結果はどうなったか?


 様々な経緯を省略するなら、初めて大陸を統一したのは秦である。


 六国はそれぞれが「船頭」であり、さらにそれにふさわしいだけの能力もあったが故に連携出来ず、そして滅ぼされた。


 筒井に出兵を要請するように斯波武衛に提案したのは朝倉伊冊である。


 長年、朝倉家の軍事の中枢にあった老人は「連合軍」の弱さを知り尽くしていた。圧倒的に数に勝る加賀一向一揆が、義父たる朝倉宗滴の少数の軍勢に勝てなかったという理由の一つがこれだ。


 例えば京や南近江の諸豪族に無理やりにでも動員をかけて、2・3千の兵は集めることができるだろう。しかしそんな寄せ集めの軍勢では、小部隊の指揮官はともかくそれをまとめる中間の指揮官がいないがため、朝倉家と浅井という確固たる核をもつ連合軍の相手になるわけがないというのが、朝倉伊冊の見解であった。


 数で劣ることはやむを得ないとしても、組織としての核となる兵が欲しい。それも2百や3百ではない、できれば数千人以上。そうなると畿内における各勢力の戦力が摂津に集中している今、消去法で筒井しかいなくなるわけである。


 たしかに筒井であれば本拠地を追われたとは言え、大和国内にそれなりの基盤をもっている。その気になれば数千の兵は集められるだろう。


 そう、筒井しかいないのだ。今の幕府を認めておらず、事実上の大和守護である松永霜台の政敵である筒井しか。


 まともな神経の持ち主てあればこのような策は考えつかないであろうし、まともな上官であれば却下するに決まっている。


 そしてまともな軍事勢力指導者なら、相手からのこのような虫の良すぎる要求など鼻で笑う。


 それで終わるはずだった。


 「まともではない参謀」の「まともではない作戦案」を「まともではない政治的な最高位者」が許可し「まともではない軍事指導者」がこれを渋々でも受け入れ、「まとも」な政府の武官を引きずり出して「形式的」な軍事指揮官に置く。


「ロクなものではないな」


 「まとも」を自認する三淵大和守はかく嘆いた。しかし動き出したものは止められない。今更投げ出すのは彼の職業意識にも反していた。


 大和守は馬の腹を蹴る。その表情はすでに吹っ切れていた。


「目標は前方、叡山の僧兵!鉄砲衆、馬に乗った偉そうなのを狙えよ……突撃ぃ!!」


 馬鹿になるのも、たまには悪くない。



「作戦の目的は単純かつ明快である。北の坂本まで進出した織田兵と合流。これと共に南西の宇佐山城へと撤退する」


 坂本に到着するより少し前、臨時に開かれた軍議の場で朝倉伊冊がさも何でもないように言うと、斯波武衛以外の全ての出席者の顔が曇った。


「あのな、伊冊の爺様よ。それが出来たら苦労はしねえんだよ」


 名ばかりの摂津三守護である池田筑後守が言い募るが、老将はそれを手で制して説明を続けた。


「筒井殿の4千という核があるとはいえ、所詮は我が方は臨時に編成した連合。さほど複雑な連携は期待出来ぬ」


 「ならば作戦目的を明快にすればよろしい」と、老将はばっさりと割り切って見せた。


「織田の坂本兵を援護して、共に宇佐山へと退く。ただこれだけを将兵に徹底させればよい。これによって自軍と倍する兵力と戦う時間と恐怖は限定的であると認識させ、またいざとなれば宇佐山という逃げる場所があることを周知させる効果もある」

「……色々と言いたいことはあるけどな、とりあえず爺さんの言うことを前提に話すけどよ。宇佐山に入れたとしたら、浅井も朝倉も俺らを無視して京を目指すだけじゃねえのか?」

「その点は考慮している。今が20日。摂津の状況はまだ不透明だが、出立前に確認したところ、水面下の動きではあるが、すでに幕府軍は引き上げの用意に入っている」


 その解答に、池田筑後守は「なるほどな」と頷いた。


「だとすると、どんなに時間が掛かっても4、5日で京まで戻って来れるということか」

「ここに来るまでの途中、浅井や朝倉の監視役の兵を排除することで情報を遮断してきた」


 「たわいもない相手だったぜ」と嘯く筑後守。本隊から先行して敵方と思われる先遣隊を、足軽一人残らず斬り殺した男は「なるほどな」と頷いた。


「幕府軍が京まで戻ってくるまではどんなに時間がかかっても7日ぐらいか。そうすると朝倉の連中だって、京へはおいそれと入れないだろうな」

「都を戦場にする覚悟があるなら、また別だろうがな」


 伊冊の言葉に、筒井の若当主に視線が集まる。


 応仁の乱において真っ先に京で暴れまわったのが、彼の(直接の先祖ではないとは言え)筒井一族である。これに順慶は不機嫌そうに鼻を鳴らすだけで応じた。


 北畠中将は「こんなことだから松永霜台に中央政界への工作出遅れを取ったのだろうなあ」と内心つぶやいたが、賢明にも言葉にはしなかった。


「鞍谷を担ぐか、堺大樹(14代将軍の生家)を担ぐかはしらねえけどよ。都に火を着けちゃあな。今の大樹が結果論とはいえ都では一戦もせずに上洛したのと比べると、明らかに格好がつかねえことは俺にでもわかる。本気になりゃ朝倉は勝てなくはねぇだろうけどよ。それにどうせ今の大樹なら、仮に都落ちするなら主上をふん縛ってでも、連れて行くだろうし」


 「不敬ですぞ」と北畠中将が咎めると、池田筑後は「おう、こりゃ失礼」と肩をすくめた。


 戦場では頼りになるが、確かに発言がこうも不用意では、畿内の複雑怪奇な政局で生き残るのは難しいだろうと誰もが感じた。


 いや、むしろこういう性格にも関わらず、戦働きだけで今まで生き残ってきたのは大したものというべきなのか……などと筒井の当主が考えているとは思いもせず、筑後守は言う。


「それまでなら宇佐山で手足を引っ込めた亀の如く籠っていても、まぁなんとかなるか?でもよ、問題は」

「朝倉が見逃してくれるかどうかですね」


 伊冊の息子にして前敦賀郡司たる朝倉中務大輔(景恒かげつね)が応じた。


 現状の兵力は筒井が4千、敦賀郡司の一族郎党の3百、池田筑後と三淵大和の手勢が2百、北畠中将の上洛に同行した中で戦えるものが50(当主除く)。これにその他の幕臣や合流した小豪族などを合わせても5千弱ほどにしかならない。


 5千対3万。単純に言っても6倍の差がある。


「不意打ちが成功したとしても、坂本から宇佐山まで傷ついた織田軍を援護しながらの撤退となると」


 厳しいと言わざるを得ないと、三淵大和守が腕を組んだ。


 池田筑後自らの視察により、宇佐山から森左衛門率いる軍勢が出たことはすでに確認済みだ。浅井備前が戦上手なのは今更語るまでもないが、朝倉とて当主の左衛門佐自ら率いている。


 幕府軍が京へ戻るまでの限られた作戦時間にも関わらず、16日の合戦では数を頼みに押し切ることなく一旦引き、延暦寺の援軍を待つだけの余裕を見せた。そう簡単に命令指揮系統が乱れるとも思えない。


 その大和守と筑後守の疑問に、戦歴は大和と筑後を足しても、それどころかこの場にいる全員を足しても及ぶところではない朝倉伊冊は、顔を歪めながら笑った。


「なに、餌はある。それもとびきりのがな」


 そう言いながら上座で黙する斯波武衛を杖で差しながら言う老人の鬼気迫る形相に、池田筑後ですら何も反論することが出来なかった。



- 三淵大和を先頭に、大和筒井果敢に攻めかかる。叡山忽ち崩れ(略) - 『細川両家記』 -



「き、貴様ら大和の筒井か?!興福寺の衆人風情が、叡山の……」


 突如として現れた援軍を罵倒する僧兵に、筒井の先陣を切った侍大将が「叡山が怖くて大和に住めるか!」と、その首を刎ね飛ばした。


 たしか平群の嶋左近といったか。中々度胸のある男がいるものだと松蔵権助(秀政)は感服したように頷きながら、自らも倒れた僧兵の腹を槍で突き刺した。


「坊主と坊主が合戦するとは、世も末だの」


 松田善七郎が笑いながら馬を寄せてくる。既にその体は血にまみれていたが、当然ながら善七郎のものではない。


「何を今更。僧侶とて木の股から生まれるわけではあるまい。それに叡山よりも興福寺の方が古いのだぞ」

「なるほど、不出来な後輩を指導するのも先輩の役割か!」

「左近!出過ぎるな!」


 松田善七郎が怒鳴る。当の本人は僧兵4人を相手に大立ち回りをしてい……あ、いま2人倒れたから……いや、3人倒れ……あ、誰もいなくなった。


 嶋左近は雷のような銅鑼声で「承知仕った!」と怒鳴り返すや否や、部下を置き去りにまた走り出す。それに「やれやれ。若い者はこれだからの」と権助は首を振った。


 そう。若い連中はどいつもこいつも戦場では自分だけに鉄砲玉や矢が当たらぬと信じ込んでおり、自分だけが怪我をせずに高名をあげられると勘違いしている。


 だからこそ筒井の当代についていく甲斐があるというものだ。


 良い生活がしたければ木沢や松永といった大和の歴代有力者に鞍替えしておけばよかったのだ。


 しかし彼らに仕えていては、この充実感は味わえなかっただろう。


「よし、叡山の糞坊主を踏み潰し、宇佐山の織田兵を救出するぞ!!」


 助けるのが姫ではなく、むさ苦しい男共というのは絵にはならんなと、権助は内心だけでつぶやいた。



「織田九郎殿!貴方が織田九郎様でございますか?!森三左衛門殿は何処へ!大和筒井が家中の嶋左近!!援護にまいった!!!」

「やかましいわ、このたわけ!場所がバレるだろうが!」


 織田九郎(信治)は、こちらにずかずかと歩み寄ってきた嶋左近の顔面を握りこぶして正面から殴りつけた。森三左衛門は馬上からその光景を苦笑しながら見ていた。


「おふっ、これは失礼。しかしこれなら大丈夫……っ」


 鼻を抑えながら笑おうとして、嶋はそれに失敗した。


 織田九郎の腹からは、槍の柄が生えていた。


 動きの邪魔となる部分を切り取り、腹につき刺さったままここまで戦ってきたらしい。脂汗の滲んだ顔を寄せて「何も言うな」と短く言う織田弾正大弼の弟に、左近は「これこそ武士のあるべき姿」と歓喜にも似た感情に胸を震わせていた。


 その間にも嶋左近の配下が、援軍の正体について端的に説明していく。


「まったく、どんな手段を使えば筒井を引っ張り出せるというのだ?」と織田九郎は呆れたように笑うと、左近の助けを得ながら再度馬にまたがった。


「九郎殿、御身は……」

「三左よ、そんな辛気臭い顔をするんじゃねえよ。どうやら命の捨て場はここじゃねえってことだ。俺もどうせなら畳の上でくたばりたいからな……左近!援護せい!」

「承知!筒井に左近ありといわれたこの私に、万事お任せあれ!!」


 そんな武名聞いたことがないわいと思いながらも、松蔵権助は森三左衛門と顔を合わせて苦笑いを交わした。



- 筒井、北畠、伊丹、敦賀朝倉に斯波武衛と旗指物多数。朝倉左衛門佐(義景)、筒井のみで後は兵なしと喝破。前波に命じ一度兵を引かせて追撃のための陣立ての用意を始める。浅井備前は東より迂回させた浅井対馬らの兵をそのまま、自ら先陣に立ち織田家の残党を追撃 - 『元亀坂本合戦記』 -



 旗指物を並べる錯乱策は失敗したらしい。しかし朝倉と浅井の連合軍は勝利寸前の後詰の到着に混乱したのも確かであったようだ。


 西より坂本へと乱入した筒井主体の連合軍は、西側から坂本にいた織田軍を攻めかかっていた延暦寺の僧兵を蹴散らしたあと、そのまま500近くまで打ち減らされていた宇佐山の兵と合流に成功。


 この知らせは筒井のあとから続いて坂本に乱入した朝倉伊冊にも伝えられた。


「織田九郎、森三左衛門の救出に成功!青地駿河守とその隊は健在、筒井の後退を援護しています」

「よし!あいわかった!そのまま突き進めと伝えぃ!当初の予定通り、東の浅井の別働隊を打ち破り、そのまま宇佐山へとひたすら走るのだ!」

「伊冊殿!殿は真に貴殿の部隊だけで……」

「三淵大和守殿、心配ござらん!」


 馬を寄せてたずねる大和守に、伊冊は杖だけで後方を指した。


「有象無象の連合軍を率いて殿しんがりをした経験者がおりますでな、すこしは期待しても良いかと」



「いいか野郎共!鉄砲衆は俺の合図で撃て!そして俺と一緒に2番隊と3番隊が突撃!太鼓の合図で4番から6番隊のいるところまで一目散に逃げろ!」


「これの繰り返しだ!どうだ簡単だろう」と池田筑後守はかっかと笑って見せた。


 筒井勢から借り受けた兵と池田筑後の与力からなる殿しんがりは、いかにも急ごしらえの感が否めなかった。殿が崩れれば全軍が崩壊の危機に晒される。前には自らの代わりとなって味方の盾となれる筒井がおり、宇佐山という逃げる場所があるとはいえ、自分達だけではなく味方全ての命運を任されたという状況に、誰もが緊張していた。


「なーに!心配はいらん!何を隠そう……隠すつもりもないが、この私こそが金ヶ崎で幕府軍の殿を指揮した池田筑後その人よ!」



 池田筑後守は必要意地上に明るい声で兵士達に語りかけた。


「雑多な寄せ集めの貴様らを率いるのは得意中の得意、まして朝倉は一度逃げ切った相手、初体験より2回目のほうが気が楽なのは、男女のまぐわいと一緒じゃな!」


 追放された池田筑後に付き従った家中は「また言ってるよ」と呆れたような顔をし、筒井から派遣された者は、一瞬あっけにとられた後に爆笑した。


「いいぞいいぞ!笑え笑え!笑ってやれ!嘘でも笑えば丹田が落ち着く、そして腰が据わるというものよ!越前は美女が多いと聞く。兵を相手にすると思うな!女を抱くつもりでいけよ!!」

「大将は女に家から追放されたんだろ!」

「そうだよ!だから次の女を捜してるんだよ!!」


 もう笑うしかないと笑い転げる兵を見て、池田筑後は震える膝を兵に気づかれぬように撫でた。


 笑わねば顔が引きつってしまう。笑わねば泣きそうになる。だから池田筑後守は笑った。


 亡き父から初陣の時に教えられた、自分の恐怖と付き合う方法。


『恐れるだけでは駄目だが、無謀も駄目だ。相手を正しく恐れろ、そして笑え。笑えば腹が落ち着く。落ち着いた頭で恐怖に対処出来る。ならば生き延びれる可能性も高くなる』


 池田筑後は父の言葉を思い出し、「笑いながら」槍を何度か扱いた。


 確かに朝倉は恐ろしい。それは金ヶ崎で思い知らされた。1度成功したからといって、2度目も上手くいく保障はどこにもない。


 しかしやらねばならないのだ。


 京で後ろ指を指され、あれが池田筑後よと京雀に馬鹿にされる恐怖よりも、朝倉を相手にしたそれのほうがよほどましというものだ。


 何より背後には味方がいる。


 ならば逃げ出すわけにはいかないだろう。


「鉄砲衆、よくねらえよ!!まだだ!まだ、まだ……まだまだ……」


「いいぞ!!やっちまえ手前ら!」


 坂本から宇佐山までの距離、約1里(約4キロ)。轟音と共に、連合軍の撤退が始まった。



- 池田筑後、殿を率いて奮戦。2度、3度と朝倉を退ける。浅井備前『古今無双の名将』と称える。4度目に東より転進した浅井と北の朝倉から追撃を受け(略)- 『元亀坂本合戦記』 -



 浅井対馬の軍勢を振り切り、宇佐山から出陣した織田家の軍勢はなんとか連合軍に合流を果たした。この状況となっては作戦も何もない。ただひたすら宇佐山にむけて走るだけだ。


 そして最早、自分にはそれすら出来ないようだ。


「おい、左近。もういい」

「よくは御座いませぬ!宇佐山まであと半里、半里で御座る!後もう少しだけ……」

「死体を持ち帰ったとて手柄になるかよ……おい、左近!俺がもう良いと命じているのだ!俺の命令が聞けんのか!!」

「聞けませぬ!私の主は筒井の殿だけ!織田弾正大弼様の弟様ではございませぬ!」


 馬を駆る嶋左近に必死に追いつこうとしていた織田九郎は、馬の背に持たれるようにしながら笑ってしまった。なんと頑固な男だ。他人の家の当主の弟に、これほどまで感情移入するとは。態度と声はでかいが、性根は意外と素直らしい。


 だからこそ、このようなところで死なすわけにはいかない。


「お、織田様?!何を」


 嶋左近の乗る馬の尻に、織田九郎は力の入らなくなった右腕を何とか動かして槍を投げつけた。


 尻には刺さらず掠っただけであったが、馬にとっては十分であった。


「さっさといけ、この馬鹿左近。こんなくたばり損ないに付き合う必要などないわ」



「織田様!織田九郎様!!」


 暴れる馬にしがみ付いたまま、でかい声で織田九郎の存在を喧伝する左近。


 まったく、どうしようもない馬鹿な男であった。あれでは援護に来たのか殺しにきたのかわかったものではない。


 しかし、嫌いではなかった。


「三左衛門。あの馬鹿を頼むぞ」

「九郎殿、それがしは」

「おい、謝ったら殺すぞ。それ以上、何か言ってみろ。あの世で貴様の嫡男をもう一度殺して、生き返らせてやるからな……駿河!三左を頼む」

「…………」


 青地駿河が頷くのを確認すると、織田九郎はそれ以上は森三左衛門らの方を見ようとせず、馬首を返した。これに織田九郎付きの近習が走って従った。


「たわけが、さっさと逃げよ」

「九郎様が好きにされるというのなら、我らも好きにさせて頂きます」

「槍も満足に持てないのに、格好をつけようと様になってませんぜ!」

「そうだそうだ!」

「……馬鹿共が」


 背後から「御武運を」と叫ぶ森三左衛門の声が聞こえた気がした。



- 織田九郎信治、腹に槍を付きたてたまま奮戦。最後は数人の武者と共に朝倉の大軍に切り込むも、すぐに討ち取られたり - 『元亀坂本合戦記』 -



「織田九郎様、御討ち死に!池田筑後殿、行方知れず!」

「当初の手はずどおり、筒井の松田善七郎が殿を引き継がれました!」

「池田筑後が死ぬわけなかろう?女片手にどうせひょっこり帰ってくるわ」


 殿が壊滅したというとびきりの悲報にもかかわらず、まだこの状況においても直垂姿の斯波武衛がこう断言すると、不思議に兵の動揺も収まりを見せた。


 宇佐山まではあと半里。


 その半里が今は果てしなく遠い。


 坂本に進軍するより前、北畠中将や輜重隊などの文字通り足の遅い3百名ほどを先に宇佐山へと向かわせていたので未だ状況的にはましだが、落伍者も出始めた。


「武衛様、今こそ」


 朝倉伊冊の呼びかけに、先に馬を走らす武衛はぶっきら棒に「何だ」とだけ返した。


「今こそ餌を放つときかと」

「餌、餌か」


 武衛は同じように繰り返すとしばらく馬を走らせ、そして後ろを振り返らずに命じた。


「お膳立てしたのは私とはいえ、策を立てたのは貴様だ。好きにすればいい。ただし、死ぬなよ。適当なところで切り上げよ。これは命令だ」


 伊冊は何も答えずに頭だけを下げた。



「予想外の事態ではあったが、想定の範囲内で収まったようだな」


 朝倉左衛門佐(義景)は、本陣を前に進めながら年寄筆頭の前波まえば左衛門五郎を相手に呟いた。


 たしかに織田の後詰-とくに筒井の参戦は予想外であった。しかし叡山の僧兵は蹴散らされたが、そこが限界であったようだ。


「こちらが数として優勢な状況には変わり御座いません」

「宇佐山に篭らずに出てきてくれて、むしろ助かったともいえる。平地であれば、むしろ数の差がそのまま生かせるからな」

「宇佐山の救出を優先したのでしょう」


 前波左衛門五郎の顔には文字通り侮蔑の表情が張り付いていた。経験に基づく理性と合理性を何より重視する老臣は、それが故に他者の不合理な行動を許容出来ない欠点を抱えている。どちらかといえば義景は前波と似た気質ではあったが、それでも彼ほどではないと考えている。


 経験則は前例のない事態には役には立たないが、たとえ経験が当てにならない状況と遭遇しても、理性とそれに基づく合理的な思考に基づく判断に従えば、何事も解決出来ないことはない。義景はそう信じていたし、実際これまでもそうすることで朝倉家の勢力を拡大し、自らの権威を確立してきた。


 決断が遅いといわれても、最終的には朝倉に利益と名誉をもたらしてきたという自負が、彼の名声を確固たるものとしていた。歴代当主として始めて官位も得て2カ国の太守となり、そして今は天下人に最も近い立ち位置にいる。


「犬畜生ではなく、人として天下をとりたいものだ」


 義景は意図的に朝倉宗滴の言葉を否定して見せた。


 越前朝倉は大国だ。本願寺と共同戦線を組んだ以上、背後の憂いなく兵力を運用出来るだろう。今更、小手先の外交術など必要としていない。


 このまま軍を率いて上洛さえすれば、岐阜へ帰還できなくなった織田は降伏するか、軍が瓦解するしかなくなる。さすれば三好三人衆とて朝倉に従うであろう。


 担ぐのは鞍谷でも堺大樹でもどちらでもよい。その時にもっとも朝倉に利益をもたらす方を担げばよいのだ


「お、御屋形様!御屋形様!」

「なんだ兵庫!また後詰でも来たのか!」


 義景が珍しく自らの将来について考えにふけっていると、鳥居兵庫が再度あわてて駆け込んでくる。その態度を見て前波が怒鳴った。彼は老人らしくこうした無作法には厳しい。


 しかし兵庫はかまわず続けた。


「ぶ、武衛が!斯波武衛が、単騎で!!」


「はあ?」


 義景が何か尋ねるよりも前に、その声が戦場に響いた。



「朝倉左衛門佐殿!朝倉左衛門佐殿!!」

「「朝倉左衛門佐殿!朝倉左衛門佐殿!!」」


殿を引き受ける筒井からすこし東に外れた場所に、斯波の家紋のついた直垂を着けた老人-これが斯波武衛であろう-が、なにやらこちらに向けて怒鳴っていた。


 周りには彼の近習らしき者が、こちらにそれを確実に伝えるためか発言した内容をそのまま繰り返している。


「私は誰だと思う?」

「「誰だ、誰だ、誰だ!」」


「斯波兵衛左督である、斯波兵衛左督である」

「「兵衛左督である、兵衛左督である!」」


「のう、朝倉左衛門佐殿!朝倉左衛門佐殿!!」

「「朝倉左衛門佐殿!朝倉左衛門佐殿!!」」



- 朝倉左衛門佐殿、官位を挑発されて激怒し自ら出陣せんという。前波これを押しとどめるも、斯波武衛を討てと繰り返したり - 『元亀坂本合戦記』 -



 義景はそれまでの余裕をかなぐり捨てていた。


「ふ、ふざ、ふざけおって!い、一体誰の、誰のせいで左衛門督になれなかったと!!!」

「お、御屋形様、落ち着かれませ!所詮は負け犬の遠吠え!このまま兵を進めて討ち取ればよろしいのです」

「黙れ前波!!あの足利義昭を匿いし時、何ゆえ我が左衛門督になれなかったと!!あの斯波がいるから。我はなれなかったのだぞ!?」


 義景は激高していた。その張り出た額を真っ赤にし、青筋を立てて激怒していた。その剣幕に前波だけでなく近習達も黙り込むしかなかった。


 左衛門督ではなく左衛門佐。官位に不満があるわけではない。ただ斯波武衛家歴代の当主が就いてきた左衛門督となり、室町幕府の越前守護とあわせて朝廷からも「斯波の後継者」と認められることで、名実共に越前守護となろうとした。


 それが今や尾張で織田の飼い犬となっている斯波武衛のために、ひとつ下の官位しか得られなかった。


 軍事力も財力も名声も遥かに勝る自分が、過去の遺物にして亡霊たる斯波武衛の存在が故に、越前の後継者たるを認められないという。その不合理が義景にはどうしても許せなかった。それも相手は自分の家柄に胡坐をかき、何の努力もせずに織田の傀儡たるをよしとするような老人だというのだ!


 こんな不合理が、理屈に合わないことが許されて良いはずがない。家臣の手前もあり自らのどす黒い感情を必死になって押し殺してきたが、それがあの挑発で抑えきれなくなった。


 その元凶たる死に損ないが、今、自分の目の前でそれを挑発しているのだ。


 朝倉左衛門佐は太刀を抜き、斯波武衛と名乗る老人に剣先を向けて怒鳴った。


「あの死に損ないの亡霊を殺せ!なんとしてでも殺せ!!斯波の呪縛から解き放たれることで、我ら朝倉は真の意味で独立するのだ!!褒美は望みのものを取らすし、手段も方法も問わぬ!!!だからあれを殺せ!!!殺せ、殺して……殺せえぃ!!!!」


朝倉2万が、怒涛のごとく進軍を開始した。



森三左衛門「だからフラグを立てるなと……」

青地駿河守「…………」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ