筒井陽舜房「どうして松永霜台ばかり持て囃されて、ライバルたる私が名門の貴公子ポジションであつかわれないのかわからない。当て馬じゃねえんだぞ。あ、漫画化するなら紅顔の美少年ポジションでお願いします」
人間の最古の友ともされる犬は、何故か否定的な意味において使われることが多い。
権力の犬などというものは、その最たる例であろう。群れの主に忠誠をつくすその姿が、自らの思考を放棄したように映るのかもしれない。
「犬が西むきゃ尾は東」のように当たり前のことを言う例えに使ったり、「蜀犬日に吠ゆ」のように、自らの見識の乏しさから当たり前の常識を知らぬゆえに吠えかかる様を笑ったり、「狡兎死して走狗烹らる」のように、犬をあくまで道具として見なしたり。
最も近い存在であるがゆえに、その欠点というものを人間側がよく観察していたからだろうか。
― 武士は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つ事が本にて候 ―
朝倉宗滴の言葉とされる言葉がこれほどまでに人口に膾炙しているのは、戦国時代の武士の本質をついているからだろう。
勝たねば意味がなく、勝つためにはいかなる手段もためらわない。勝つためにはいかなる批判も恐れない。
宗滴が評価されるのは人格者であったからではない。その言葉通りに勝ち続けてきたからだ。勝つためには息子の死すら利用し、勝って勝って勝ち続けて、誰にもたどり着けぬ頂になるまでその名を高めて、そして朝倉宗滴は死んだ。
生きている間に確立した名声は、死して不動のものとなった。もはや「負ける」ことはないからだ。
勝者があれば、敗者がいる。
では負けたものはどうすればいいのか?
手段を問わず全力を尽くし、そしてそれでも敗れ去ったものはどうすればいいのか?
負けた者は再び立ち上がることすら許されないのか?
犬畜生たる汚名を背負い続け、惨めに残った人生を過ごすしかないのか?
「我らは犬にも畜生にもなれぬ。農民であろうと武士であろうと坊主であろうと、我らは所詮は人でしかないのだ。人として生まれ、人として死ぬ。ならば人として生きる外はなかろう?」
朝倉伊冊が『朝倉伊冊覚書』の中で記している斯波義統の言葉である。
伊冊は自らそのあとに言葉を付け加えている。
― 我ら人として生き、そして犬畜生たる武士の生きざまを見せるべし ―
*
「斯波武衛?あの前の管領の……あの斯波武衛か?」
陽舜房順慶は、叔父の福住順弘の言葉が信じられぬといった表情で言葉を繰り返し、団栗眼を見開いた。
憎き松永霜台に筒井城を追われ、福住城に落ち伸びてきてはや2年。「畿内の情勢は複雑怪奇」と順慶が自嘲するように、この数年は有為転変する中央政界に翻弄され続けてきた。
それでも21歳の若き筒井家当主である彼は『首尾一貫』していた。
筒井再興、そして大和の簒奪者たる松永霜台の打倒である。
首尾一貫しすぎていたがゆえに、中央政界の政変に乗り遅れ、今の足利大樹の後見人たる織田弾正大弼と手を組んだ松永に多数派工作で敗れることとなり、そのため長年尽くしてきた家臣も何人か自らのもとを去った。
しかしいまさら筒井再興の旗を降ろせるわけがない。これまで死んでいった家臣や親族のことを思えば尚の事だ。
今でこそ逼塞しているが、実は順慶は十市一族の内紛に付け込む形でひそかに再挙のための兵を集めていた。
昨年の十市新二郎亡き後、十市家では一族の内紛が本格化しており、そこに手を突っ込んだのだ。父の盟友であり、三好三人衆と松永の間を何度も行き来した典型的な大和の国人たる十市氏には同情する点はあるが、筒井再興の好機であるという冷徹な算盤を弾いていた。
そんな直ぐにでも挙兵可能だというこの時期に、わざわざ京から前管領がやってきたというのだ。何か裏があるのではないかと勘ぐる順慶の態度は当主として当然である。
おまけにその随行者の肩書が、さらに意味のわからないものであった。
「伊勢国司の北畠左近衛中将?それは叔父上、ひょっとしてあの織田に負けた……」
「あぁ、その北畠の当主だ」
「あの剣の腕がめっぽう立つという……」
「それは隠居のほうだ。今の当主はあの太り御所。真偽はわからぬが、自称・公卿様はたしかに太っている。それと僧のなりをしている元の越前敦賀郡司だとかいう朝倉伊冊」
「……なんですか、その意味の分らぬ組み合わせは?」
私にわかるわけがないと、福住順弘は苦々しく顔を顰めた。
「そもそも本当に斯波武衛なのですか」
叔父の正気すら疑い始めた順慶に、陽舜房の側近である井戸十郎(覚弘)が「確かです」と応じた。
「私は父と一緒に上洛し、織田弾正大弼を始め主要な幕閣と面会しております。老僧と、北畠中将を名乗る太った男の正体は確かめようもありませぬが、あの初老の男性は確かに斯波武衛です」
「……だとすれば、会わぬわけにもいかぬか」
たとえ幕府から討伐命令を下されようとも、十市攻めを止めるつもりはない。それは筒井再興を諦めるのと同じこと。しかし面会を拒絶して、幕政に一定の影響力があると聞く前管領の機嫌を損ねるほど順慶は短絡的でもなかった。
大和をめぐる松永とのし烈な覇権争いの中で何度も積み重ねてきた敗北の数々は、この青年武将を確かに成長させていた。
*
「大和は 国のまほろば たたなづく 青垣山ごもれる 大和し 美し」
「万葉集ですか」
打てば響くようなその答えに「さすが北畠中将」と、斯波武衛は満足げに頷く。
まほろば(素晴らしく住みやすい場所)の国たる大和。今上にまで続く古代ヤマト王権発祥の地たるこの国は、長い歴史が育んだ文化と風土、そしてそれにふさわしいだけのしがらみに絡み取られてきた。
故郷を目前に亡くなった倭建命が言わんとしていたこととは意味が異なるが、つまり普通の人間にとっては「まほろば」でもなんでもない(乱世の時代にあって住みやすい国などあるのかという疑問はあるが)。
そして筒井の家はまさに大和の国の歴史そのものといってもよい。
律令制の導入以前より様々な形で大陸から日本に伝来していた仏教は、古代における最先端の教育施設であり、研究機関であり、技術者集団であり、また独自の行政機関でもあった。
古代において政治と宗教は一体のものであり、大陸より伝来した仏教が律令制度の実務的なノウハウをもっていたとしても驚くに値しない。教義を教団内で後世に伝えるための人材育成と同様に、高級官僚の育成にも取り組んだ。水を治めたものが天下を治めるという古代王朝の思想もあり、土木工事や医療などの最先端の技術者集団でもあったし、独自に研究してそれらをより進歩させたりもした。その運営費用を独自で賄うための財源たる荘園を経営するための行政機関も保有し、警察権や軍事権も保有した。
つまり古代日本において律令制度の導入と同時に仏教が伝来したのは、偶然ではない。
当然の如く『寺社勢力』が政治団体化した。
当初こそ古代からの伝統的な神道勢力と、新興勢力たる仏教は物部と蘇我の関係に象徴されるように対立したが、蘇我の勝利により正式に導入が決まると、その後は紆余曲折を経て日本のお家芸であるアクロバティックな解釈により「仏も神も一緒だったんだよ!実はあの神話の神様は、あの経典に出てくるこの仏様と一緒だったんだ!」「な、なんだってー!」なるわけのわからない神仏習合の流行もあり、様々な形で一緒に祀られるようになった。
藤原氏の氏神を祀る春日大社と、藤原氏の氏寺(私的な寺)である興福寺が、ほとんど一体として取り扱われたのが良い例であり、神社の中に寺が、寺の中に神社があるという日本独自のありかたは『ある時代』に強制的に排除されるまで続くのだが、それは今は関係がない。
つまり神社と寺が一緒になって政治団体化したのである。
何度も繰り返すが彼らは宗教団体であるのと同時に、官僚を養成する高等教育機関にして、研究機関である大学であり、行政機関だけではなく軍事指揮権や警察権も併せ持ち、国の体制下にありながら体制外でもある(すぐさま反政府勢力になりえる)やっかいな知識階級層であり、一流の技術者集団である。
それはもう強い。どのくらい強いかというと、山城に都を移した理由の一つが巨大化した宗教勢力の影響力から抜け出すためとも言われるぐらいには強かった。
大和の国はその後も特殊な位置づけでありつづけ鎌倉幕府は正式な守護(県知事と県内の軍事勢力指導者)を最後まで設置出来なかった。
その後、誰が守護の代理をしたかというと-興福寺である。
なにせ皇室を除いて最も日本で身分の高い摂関家の氏寺であり氏神も一緒に祀る宗教勢力だ。当然ならが保有する荘園の広さも、他の寺院とは比べ物にならない。ならば彼らに守護を代理させるというのは政治的には一定の合理性が存在した。
たしかに大和の国の中で彼らに正面から喧嘩を売る馬鹿はいないだろう。
「いや、そういうわけにはいかんだろう」
という至極最もなことを指摘したのが室町幕府である。
大和といっても南都と呼ばれる多数の人数の居住に適した盆地や丘陵地帯は、北部に限られ、それも大和全体の3割か2割にも満たない。残りは全て山々山、超えたと思えばまた山、そして隣接する河内や伊勢や紀伊の国境もこれまた山々山……そしてその奥地たる吉野に南朝の本拠地がある。
この状況を放置するわけにもいかず、かといって北から攻めるのは難しい。
歴代の室町将軍は大いに悩み、そして決断した。
「畠山に任せよう」
文字通り貧乏くじを引かされたのが、近隣の紀伊・河内守護にして三管領の一家たる畠山氏である。
直接が無理なら周辺から締め上げればいいという半ば安直で、それでも理にかなった政策でもあった。政権の中枢にあり近隣の守護を歴任した畠山氏は、文句を言いながらも大和の国人の切り崩しを図り、いつしか守護でもないのに大和の国政にも大きな影響力を持つようになった。
「つもりに積もった大和の構造的な矛盾が爆発したのが応仁の乱ですな。畠山の家督争いに目が集まりますが、実際には6代将軍の頃からの大和の国人の争いも絡んできます。興福寺の衆人、つまり寺に仕えた武士がいつしか主たる興福寺を上回るような勢力をもつようになり、主導権を巡って内紛を繰り返していました。そして西軍の畠山総州家には越智、東軍の畠山尾州家についたのが」
「筒井というわけですな」
「実は筒井は大神神社の神主たる大神氏の一族らしいのですよ。神主一族の土豪が興福寺の衆人-つまり侍になり、下剋上をしてのし上がる。まさに筒井こそ大和の歴史そのもの」
「なるほど。理解しました」
長々と続いた斯波武衛の講釈に、伊勢国司たる北畠具房はその肥大した体を扇子でひっきりなしに仰ぎながら応じた。北畠は東軍として活動していたが旧南朝勢力ということもあり、ほとんど所領から出ていない、そのためどうしても政治情勢に疎いところがある。
具房は前管領たる斯波武衛の招致により京を訪問していた。
公卿でありながらほとんど書状での付き合いしかない他家と交流し、自らの足場を固める好機であると考えたから……というのは表向きの理由。本音では隠居した父と叔父の対立に嫌気が差し、招致を幸いに都見物にやって来ただけの話だ。
そのはずだったのに
「何故私まで、こんなところに……」
「旅は道連れ、世は情けというではありませんか」
「武衛殿。なんの答えにもなっておりませぬ」
「……中将様、武衛殿、いらっしゃったようです」
それまで黙していた伊冊が言った通り、頭をそり上げた青年がどかどかと足を踏み鳴らしながら部屋に入り、そして一切の躊躇なく「上座」に座った。
わかりやすい挑発とはわかっていながら、無位無官の青年の人もなげな振る舞いに流石の北畠中将も顔がこわばる。これに朝倉伊冊が「抑えてくだされ」と斯波武衛に呼びかけようとしたが、武衛が口を開くほうが早かった。
「あなたが筒井の陽舜房順慶殿か。斯波の武衛である。実は一つ頼みごとがあってな。ちょっと兵を貸してくれないかね?2か月ぐらいでいいんだが」
ぶっがひゃ!と、鳴き声にも聞こえる奇妙なせき込みをした北畠中将と、単刀直入すぎる斯波武衛の態度に、今度は筒井の若当主が顔を盛大に引き攣らせた。
*
「予想される朝倉左衛門佐(義景)の南下に備えるため、見せかけだけでも兵士が必要。そこで筒井の兵を借りたいと?」
「まぁ。そういうことだの」
あっけらかんと言う斯波武衛に、どう反応してよいのか筒井の諸将も困惑気味だ。ただ順慶だけが無表情で、先ほどからの朝倉伊冊の解説に耳を傾けている。
摂津に展開する幕府軍と織田家の主力は直ぐには動かせる状況になく、南近江も六角が邪魔をする可能性が高い。京まで幕府軍と織田家がもどってくるまでの案山子でよいので兵士を貸してほしい……つまりはこのような話だ。
「虫がよすぎるだろう」
怒気を漂わせながら、本来の福住城主である福住順弘が当主に代わって発言する。
先代当主である筒井順昭-つまり福住の兄は、まさに一代の英雄であった。長年の宿敵たる越智を打倒し、20代にして大和統一まであと一歩のところに来ていた。27歳で病により死去しなければ、間違いなく成し遂げていたであろう。
その後の筒井は-2歳で家督を相続した順慶のこれまでの人生は悲惨の一言に尽きた。
後見人たる叔父の死後、摂津か山城の出身であるという三好家の松永霜台が台頭。それまで筒井を支持していた国人層に離反され筒井城を追放された。その後は筒井を取り戻したり追放されたり離反されたりの繰り返し。安心して眠れた日など一度たりともない。
それを知るがゆえに、叔父たる福住の怒気は本物であった。
「松永とは不倶戴天の間柄であることを知らぬ斯波武衛様ではないでしょう。摂津ではあの松永が幕府軍として戦っていることは知っております」
「ですから十市城に狙いをつけているのですな」
「貴様っ……!」
激昂して立ち上がる福住も、朝倉伊冊の半分ほどの年齢である。順慶などは孫にも等しい。その程度のことで、この老人は動揺しなかった。
「考えればわかることです。大和の主たる松永は軍を率いて不在、かつての盟友で大和国人の有力者たる十市の内紛。決起しない理由などないでしょう。私でもそうしますとも」
「いつから松永が大和の主となった?!」
「足利の大樹さまがお認めになったことです。切り取り次第。つまりあなた方は賊軍というわけだ」
「それがわかっているなら、さっさと帰ったらどうだ!?なんなら首だけにして送り返してもよいのだぞ!!」
「どうぞご随意に。大和より筒井の名前が消えるのをよしとされるのであれば」
「首」という単語に北畠中将が「ちょ、おま」と何かを言いかけたが、斯波武衛に『静粛に』なる文字の書かれた扇子で口を覆われていた。
「叔父上、すこし落ち着かれよ」
「しかしだなっ……!失礼した」
興奮した叔父を視線だけで叱責する若い当主には、確かに筒井の総領たる風格があった。没落したとはいえ今でも言葉だけで数千の兵を集められる男とはこういうものであるかと斯波武衛は感じ入っていた。
「朝倉殿はもうよい。私は斯波武衛殿にお聞きしたい」
このままでは埒が明かぬと感じたのか、筒井の総領は斯波武衛に尋ねることにした。
「仮に兵を貸したとして、わが筒井に何の得がある」
「何もないな。良くて幕府の命令なく兵を動かした反逆者、悪ければ朝倉の大軍に押しつぶされて筒井再興が永遠になくなる」
「んなっ」
軽い調子でとんでもないことをいう斯波武衛に、さすがに順慶もとっさに反応できなかった。朝倉伊冊は後ろで頭を抱え、北畠中将などは顔面蒼白で顔が揺れている。
「それは十市城を獲ったとて同じことよ。松永が幕府の認めた唯一の大和の支配者たる事実は変わらない。今のままでは筒井は永遠に反逆者のまま。朝倉が上洛して政権を転覆でもせぬ限り、筒井に将来はない」
「……よくもそのようなことを、私の前で言えたことだ」
「事実を事実として受け入れなかったからこそ、筒井城を追われたままなのだろう?で、どうするのだ」
「どう、とは?」
顔を真っ赤にして両手を膝の上で握りしめる順慶に、斯波武衛は出来の悪い子供を説教する親のような顔つきで選択肢を示した。
「筒井の将来を朝倉に賭けるか、斯波に賭けるかだよ。朝倉が政権を転覆して筒井を赦免するのを待つか、この私に賭けて今の政権の下での力学が変わるのを待つか」
「……織田弾正大弼ならともかく、傀儡たる貴方にそのような力があるのか?」
「さて、どうだろう?正直、大樹の大和切り取り次第の沙汰は重い。筒井だけを例外というのは難しいやもしれぬ。陽舜房殿は国替なんぞ受け入れぬだろう?」
「当たり前だぁ!!!!」
切れた順慶が脇息を斯波武衛の前の床に投げつけた。
高い音を立てて弾けて壊れるそれを、武衛は特に何の反応も示さず眺める。そして背後で顔色を変えて立ち上がった伊冊を、右手を背後に振るだけで抑えた。
「大和という国の中だけで松永と争うのがそもそもの間違いなのだ。相手が幕府や三好を利用するなら、陽舜房殿も我を利用すればよい」
「……織田への口利きをしてくれると?」
「なるほど、陽舜房殿は今の政権の実力者は織田弾正大弼であると理解されているのか」
「そうだ、少なくとも貴様などではない」
「結構。ならば話は早い」
斯波武衛はそういうや否や立ち上がり、脇息の破片を避けるようにして順慶の前まで歩み寄り、そして再度座った。筒井の諸将が立ち上がろうとするが、順慶が「ひっこんでおれ!」と怒鳴り、それを押しとどめる。
先ほどの自分の醜態の時に見せた武衛のそれと比較されるのが、若い当主には我慢出来なかったらしい。
斯波武衛は遠慮なく順慶の肩をたたき、そして笑った。
「どうせどちらを選んでも分の悪い賭けなのだ。ならば松永の爺さんの鼻を明かせるほうを選ばないか」
「……貴様に賭けてどうなるというのだ?」
「どうにもならん。しかし少なくとも、その方が面白いだろうとは思わんかね?」
前管領たる老人は、なんとも人を食った笑みを浮かべた。
*
目の前に広がる光景に、幕府の留守を預かる三淵大和守(藤英)は、文字通りの悲鳴を上げた。
「な、なな……なんな、なん、な、なんですか、これは!!!!!!」
正体不明の軍勢が大和から京へと上洛しているというので血相を変えて兵を集めようとしていると、なんとその正体は大和の筒井。それも率いているのが前管領たる斯波武衛だというのだ。
「あの老人は仕方がないですな」と同じく留守幕府をあずかる細川典厩家当主の藤賢は諦めたように笑い、そして自らは事態の説明を求める朝廷への対応で手一杯という理由で対応を大和守に押しつけた。
名前の読み方が同じ弟のような如才のなさに「あの野郎ふざけやがって」と激怒したものも束の間、生真面目な気質の大和守は息子の秋豪と共に、騒ぎの張本人たる前管領を捕まえるために洛中・洛外を走り回った。
当の斯波武衛はなんと武衛屋敷にいた。
侍所執事の斯波義銀があきれたような表情を浮かべる中、頭をそった若者に自ら結んだとおもわれる米の結びを食べさせている。
「おお、大和守。こちらが大和の筒井の当主じゃ。兵は京に入れぬように指示してあるので、安心してよいぞ」
「そういう問題ではありませぬ!!!」
はてと首をかしげる斯波武衛に、仏頂面のまま米を食べ続ける筒井順慶。そそくさと逃げ出そうとする侍所執事の襟元をつかんで、三淵は説明を求め……そしてそれを聞き終えると天を仰いだ。
「馬鹿な!」
「馬鹿もなにも、やってしまった事はしょうがなかろう。伊冊が予想していた通り、朝倉左衛門佐が南下しておるようではないか」
「……3万の軍勢と戦うなど聞いておらんぞ」
「言っておらんからな。さすがに予想外であったが……ならば今からでも帰るかね?」
「貴様、絶対に解ってて言ってるだろう!ここまで軍勢を率いて都を騒がせながら、おめおめ帰れば、それこそよい笑いものではないか!!」
その掛け合いを見て、大和守についてきた摂津三守護の1人である池田筑後守(勝正)が、腹を抱えて笑う。もっとも一体何がおかしいのか大和守には理解出来なかったが。
「そんなことより」
大和守は武衛に詰め寄った。
京を預かる人間として「所属不明」な軍事勢力の存在など認められたものではない。確かに対朝倉のためには喉から手が出るほど欲しい4千の兵ではあるが、それよりも秩序が乱れることを大和守は嫌った。秩序をないがしろにしたからこそ、幕政は混乱したのだ。
まして応仁の乱で真っ先に京で暴れまくったのは、目の前で不機嫌そうに米の結びを食べている筒井の先祖である。
「侍所執事の義銀の許可ではいかんのかの?」
「侍所執事はあくまで京の中でのみ!どんなに拡大解釈しても山城一国のみです!」
「大和守よ、そんなケチくせえこというなよ。せっかくの兵隊なんだ。有効活用しようぜ」
「筑後守(勝正)殿はそんなに適当だから、一族や家臣に追い出されたんでしょうが!」
「こいつは面目ねぇ!」
まったく反省の色が伺えない池田筑後守は、ぺろりと舌を出して笑った。
金ヶ崎の退き口で殿たる幕府軍と織田家の連合軍を事実上指揮した猛将は、家中の統制にはまるでその手腕が発揮出来ず、結果として三好三人衆に通じた一族や家臣に追放された。
摂津の責任者たる和田伊賀守は裏切った彼らを再度寝返らそうとしており、政治的な障害になるという理由で筑後守は京に留め置かれていた。筆を握るより槍を握るのが好きという根っからの武人にとっては、耐えがたい環境であった。
「のう、大和守よ。正式な権限のある人物が許可するのなら、よいのだな」
「ええ、結構ですとも、上等だよ!そんな人間が今の京にいるのならね!!」
「おるではないか、目の前に」
そういうと斯波武衛は『あんたが大将!』なる文字の書かれた扇子を広げ、三淵『大和守』藤英を指した。
「……は?」
「何をとぼけた顔をしておる。大和守の官位は自称ではなく朝廷の認めた正式なもの。大和守とはもともとは大和の『国司』が名乗るもの。主上が認められた正式な『大和国司』が大和の勢力の軍勢を率いても、何の問題もなかろう」
「…………は?」
そのやり取りに筑後守は腹を抱えて爆笑していた。
こりゃいい!こんな面白い話、そうそうあるものではない。四角四面な三淵のあっけにとられた顔もいいが、なにより少数で大軍の侵攻に立ちふさがろうという状況がたまらない!
源平合戦や鎌倉末期の動乱でも、こんな「おいしい」状況はなかった!
何より面白い!
「摂津三守護が池田筑後守、その話乗ったぜ!」
「ちょ、貴方!!」
「こうなりゃ自棄だ!松永と殺りあうのも、朝倉と殺りあうのも一緒だ!」
「筒井殿?!」
「あ、北畠中将。貴方も頭数に入ってますからね。輿の利用も息子に許可させますので、ついてきてください」
「ぶ、武衛殿、じょ、冗談でしょ……?」
「まあまあ、弾避けは多い方が助かりますので」
「ちょ、あ、おい!おいこら!!率直に打ち明ければ何もかも許されると思ったら大間違いだぞ!!」
そして朝倉伊冊は目の前の狂騒が目に入らないかのように、黙々と鎧を着けていた。
「なんとも騒がしいことですね、父上」
「鷹瑳……いや、景恒か」
二度目の還俗をした前敦賀郡司たる朝倉中務大輔景恒は、静かな笑みを浮かべていた。
憑き物が落ちたかのようなその顔は、半年前の敗戦以来、一度も目にしたことのない穏やかな表情である。かつての主君と戦うという気負いや苦悩といったものは感じられなかった。
「いまさらだが、良いのか?追放されたとはいえ返り忠の批判は免れまい。汚名を被るのは私だけでよいのだぞ」
「棺桶に半分足を踏み込んだ父上だけに、このような重大なことはまかせられません。我らを犬畜生として使い捨てた御屋形様に、この世には犬畜生だからこそ成し遂げられる事があるのを見せてやりたいのです」
「なにより、こんなに面白い事は早々ありませんからね」と景恒は闊達に笑って見せた。
「好きにしたらいい。すでに家督は譲ったのだ。敦賀郡司の家はもう無いがな」
「ええ、好きにさせていただきます」
なんとなく伊冊が顔をそらすと、斯波武衛と視線が合った。
朝倉宗滴の養子と後継者、どちらがその名を継ぐのにふさわしいのか。それが証明したいがために必死に考えた策は、どうしようもなく穴だらけで、自らの限界というものを思い知らされるばかりであった。何より筒井が拒否すればそれで計画そのものが終わるという、計画とも呼べない悪あがきとしか言いようのない代物。合戦場でなければこれほどまでに自分は役立たずなのかと、この年になってまざまざと思い知らされるお粗末な内容であった。
『面白いではないか』
斯波武衛はその穴だからけの計画を聞き、面白いといった。
『面白いというのは大事なことだ。前向きでなければ人は笑わない。これは復讐という後ろ向きな考えにとりつかれた人間の発想ではない』
『いや、しかし……』
『穴のない計画などない。確かに拙いやもしれぬ。朝倉左衛門佐の策に比べたらの。だが、これは面白い。過去でもなく未来でもなく、今を見ている人間にしか思いつかない考えだ』
そして斯波武衛は笑って見せた。
『やろうではないか。犬畜生と見捨てられた宗滴公の養子と、傀儡にすらならぬと追放された斯波武衛の当主が、朝倉の当主にひと泡吹かせる。実に面白いではないか!』
穴だらけの策は、穴だらけがゆえに「失敗した」者を引きつけたらしい。
筒井の若当主、追放された戦だけが取り柄の守護、四角四面の融通の利かない幕臣、そしてどこにいても役に立たなさそうな伊勢国司。旗指物だけは見ごたえあるだろう。
「さて、戦とまいろうかの」
朝倉伊冊はそう言って笑った。笑うことが出来た。
*
出陣直前、斯波武衛は鎧も着けずに馬にまたがると、珍しく大声を張り上げで将兵の前で宣言した。
「古今東西、これほどまでに奇妙で馬鹿げた軍勢はあるまい!しかし智者には出来ぬことも、馬鹿だからこそ出来ることがある!犬畜生と笑わば笑え。どうせ我らは時代遅れの遺物と、世の時流を読むこともできぬへそ曲がり、そして時代に乗り損ねた馬鹿ぞろいよ!ならば我らはそう言われることに誇りを持とう!犬畜生の生き方しかできぬ人の力を、己に酔いしれた朝倉に思い知らせてやろうぞ!!!」
地鳴りのような肯定の声が返された。
三淵大和守「離せ!頼むから帰してくれぇ!」
北畠中将「あの帰ってもいいですか?あ、駄目ですかそうですか……」




