事実と真実の交錯
目を覚ますと鏡花は広間のソファに居た。
「あれ、私なにを…」
「あ、起きましたか?」
「乃木さん、私どうして広間にいるんですか?確か高山さんが…そうです、高山さんはどうなったんですか?」
「高山さんは亡くなりましたよ」
「じゃあ、私が見たのは…」
「ええ、高山さんの死体です」
「そんな…それで、私は何故ここに?」
「乃木さんが運んだのよ。あなた、死体を見て倒れちゃったから。でも、まだ五分くらいしか経ってないわ」
「そうだったんですか…乃木さん、ありがとうございます。私、人が刺されたところなんて実際には見たことなくて…」
「いえ、大丈夫ですよ。普通の一般人であれば、死体を見たことないなんて当たり前のことです。初めてのことで気が動転してんでしようね」
すると、秀樹と朝日がやって来た。
「やはり、高山君は死んでいた」
「おいオヤジ、もう警察呼ばないなんて言わないよな?人が死んだんだぞ!状況から見て他殺っぽいし、この中に犯人がいるかもしれないんだ!」
「朝日!なんてことを言うんだ!我々の中に犯人がいるだと!?」
「だってそうだろ?この家には俺たちしかいない」
「朝日様待ってください、もしかしたらそう決めつけるのは早計かもしれません」
「どういうことですか、孝子さん?」
「脅迫状を送りつけて来た者の仕業かもしれないということです。もう既に家の中に隠れているのかも知れません」
「俺は家の中を探してくる。孝子さん、警察に連絡してください」そう言い残して、広間から出て行ってしまった。
「朝日様お待ちください。一人では危険です。旦那様…」
「高山君が殺されたかも知れないんだ。止むを得ん、連絡してくれ。朝日は私が追う」
「かしこまりました」
孝子は警察に電話をした。
「橋爪さん、とんでもないことになってしまいましたね…橋爪さん?」
鏡花は震えていた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です。これは武者震いなんです…」
鏡花は必死に恐怖と闘っていた。
「乃木さん、台所へ行きましょう。警察が来る前に現場を少し見ておきたいです」
「無理しない方が…」
「大丈夫です!」
鏡花の勢いに押され、乃木は一緒に台所へ行った。現場は五分ほど前のままであった。高山の背中には刃を上にした状態で包丁が刺さっていた。高山の死体は料理台の方に足があり、うつ伏せで倒れていた。料理台には血痕が飛び散っており、凄惨な殺人現場だ。
「これは…?橋爪さん、高山さんの手の下に何か落ちています」
「これは、万年筆ですね。S.K.と書いてありますね」
その時、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。
「警察の方が来たようですね。元に戻しておきましょう」
直ぐに呼び鈴がなり、警察が入ってきた。殺人現場は封鎖され、警察による事情聴取が始まった。
「私は平島警部です。これからあなた方のアリバイなどを確認しますので協力してください」
「そう言えば、聡はどうした?」
「そうです。菊池さんがいません。自室にいるかも知れないので私が呼んで来ましょう」孝子が急いで呼びに行く。
直ぐに菊池と孝子が広間に来た。
「聡、こんな時に何してたんだ!」
「申し訳ありません。自室で音楽を聴いていたので気付きませんでした。しかし、何が起きたのでしょう?」
「高山さんという方が亡くなられました」刑事が告げる。
「え、どういうことなんですか?なぜ高山さんが?」菊池は混乱している。
「とにかく、事情聴取を始めたいので菊池さんも席に着いてください。直ぐに死亡推定時刻も出るでしょうから、詳しいことはそのあと聞きます。まずはあなた方のご関係からお聞かせください」
「私はこの家の主人で橘秀樹と言います」
「私は妻の公子です」
「自分は使用人の菊池聡です」
「私も使用人で、本堂孝子といいます」
「俺は息子の橘朝日です」
「すると、そちらのお二人は?」
「あ、私たち朝日さんのお友達の橋爪鏡花と」
「乃木亮太です」
「お二人は何故橘さんのお宅に?」
「そ、それは…」
「俺が招待したんです。な、オヤジ?」朝日が助け舟を入れる。
「そ、そうです。朝日がいつもお世話になっているので招待するよう私が言ったんです」
「そうでしたか」
なんとか、その場を凌いだ。
「警部!死亡推定時刻が判明しました」
「見せてくれ!ふむふむ…」
「なるほど、死亡推定時刻は20時から20時半の間ということだ。その時間のアリバイについてお聞かせ願えますか?まずはご主人の秀樹さん」
「はい。私は自分の書斎で仕事をしていました」
「証人は?」
「いませんが」
「なるほど。公子さんは?」
「私も一人でした。証人はいないです」
「では、息子さんは?」
「俺も一人でしたよ。ただ、レポートを作ってたんでそれを見てもらえれば、俺が作業してたことはわかります」
「残念ながらそれは証拠にはなりませんな。事前に作っておくことも可能ですからね。では、使用人の本堂さんは?」
「私は食事の後片付けをして、この広間で本を読んでいました。21時前に鏡花ちゃんと乃木さんが来ました。だったよね?」
「はい。私たちは死亡推定時刻は部屋で話をしていて、広間に行くと孝子さんが本を読んでいました。確かに21時前でした」
「なるほど。ですが、孝子さんも死亡推定時刻のアリバイは無いということですね?」
「私たちが広間に行った時、本には50ページから60ページくらいのところに栞が挟んでありました。私と乃木さんは食事の後片付けを途中まで手伝っていましたから、孝子さんが本を読み始めたのは20時くらいからだと思います」
「どうなんですか?本堂さん」
「ええ、おおよそそのくらいです。でも、鏡花ちゃんなんでわかったの?」
「昔、本の1ページをどれくらいで読めるか計ったことがあるんです。平均して一分前後でした。ですから、読み始めた本を50ページから60ページまで読むのには、単純計算で五十分から六十分はかかるはずです。それに私は孝子さんが犯人には思えません」
「ほう。それはどうして?」
「こんなに優しい人が犯人だなんて思いたくないからです」
「参考にはさせてもらいますが、事件と感情を混同されては困りますな」
「すみません」
「最後に菊池さん、あなたは騒ぎに気付かずに部屋に居たそうですが本当は騒ぎが起こった時、部屋に居なかったんじゃないですか?」
「自分を疑っているんですか?」
「ええ、今の所アリバイがない人の中でもダントツで怪しいですからね」
「そんな…自分は本当に部屋で音楽を聴いていました」
「でも、証明できる人は居ないんですよね?」
「…………」
「警部!遺体の側にこんな物が」
「これは万年筆だな。S.K.と書かれているようだが、これに心当たりのある人は居ますか?」
「そ、それは!?」菊池が驚いた表情を見せる。
「どうかしました?菊池さん」
「それは私が聡に贈ったものだ」秀樹が代わりに答える。
「聡は小説家を目指しながら、アルバイトで生計を立てていた。その彼を私が雇い、小説家として花が咲くまでここで働いてもらうことにしたんだ。そして、頑張って欲しいという願いを込めて、その万年筆を彼にプレゼントしたんだ」
「ご説明ありがとうございます、ご主人。何故これが現場にあったのかね?」
「わかりません。でも、自分は何もしていません。本当に部屋に居たんです」
「事情は署の方で聞くから来てくれ」
「そんな…」
菊池は平島に連れられ、パトカーで警察署に向かった。
「どうして聡が高山君を殺したりしたんだ」
「そんなの、わかるかよ」朝日は苦虫を噛むような顔で答える。
「皆さん待ってください。菊池さんが犯人と決まったわけではありません。事実は真実とは違います!」
全員の視線が鏡花に集まる。