息子への最初の不安
この物語は創作です。モデルはありません。
多佳子が、自分の息子の可能性を初めて疑ったのは33歳の時だった。
息子は小学校に上がりちょうど7歳になった。
多佳子の父はN研究所と言う、大手電気メーカーの開発の為に設けられた研究所の所員で、そこは大学院どころか、マスター卒しか入社出来ないとのお約束であった。
2つ上の姉は、日本で2つしかない国立女子大の理学部を出ており、東京でやはり、同じくその大手電気メーカーの研究所では無いが、別の機関でバリバリ働いている。小さい頃から多佳子の自慢の父と姉であった。
多佳子本人も大学を出て栄養士の資格を持っている。夫も旧一期校の国立大工学部出身で、家系的に誰に似ても息子が、勉強の出来ない子のはずは無かった。
しかし....
神様はたまに、気まぐれを起こしなさる。しかもその本人にとって決して起こして欲しく無いような内容を。
多佳子の息子は生まれて時から少し身体が弱かった。同じ時期に結婚した友達の子供より少しだけ妊娠が遅れた多佳子は狂ったように不妊治療に通い、先に妊娠した友達に狂ったように嫌味ツラミを言いまくり、その時期、そーじゃ無くとも少ない昔の友達は誰も多佳子に近寄らなかった。
妊娠してから多佳子はこれまた気狂いのように育児本を読み漁り、胎教に良いと言われているもの、全てを実行。
先輩ママとしても尊敬している東京の姉に、全ての育児の悩みを相談して来た。
しかし、キャリアウーマンである姉は1人娘に対して別になんの英才教育も、胎教もやっておらず、多佳子に言わせれば超適当な子育てだった。
『多佳ちゃん、あんまり神経質になる事無いって。子供なんて勝手に育つし、なんでも覚えるわよ、すぐに』
と、姉は呑気だ。たいして手をかけなかったらしいその娘は姉に似たのか、幼稚園でひらがなはもちろろん、簡単な漢字も読んで見せた。
しかし姉は別に感激も自慢もしてなかった。
かたや多佳子の息子はおっとりしており、ひらがなは自分の名前が読めるのがやっとだった。夫に、息子が漢字がまだ読めないと噛み付くと、今から何言ってるの?と、全然無関心だ。
多佳子は焦った。この子はきっと理系なんだ。だから計算は出来るはずだ。週二回、幼児教育で有名な塾に通わせる事にした。しかし他の子と対してかわらず、秀ででる様子もみえなかった。
そして、小学校に入って最初の算数テスト。
息子は100点じゃ無かった。夫はそっか頑張ったな、ヒロユキ!とほめていたが、多佳子は凡ミスの多いその回答用紙を見て貧血を起こしそうになった。
もしかして、この子、いわゆる秀才では無いのかもしれない。誰に似てしまったんだろう?私だろうかもしかして。
息子が思ったより平凡に見えて焦る多佳子。