成果
ジュリウスに連れられるまま、久しぶりに医療研究所に訪れたクロニカは、我に返っていた。元から我に返っていたが、重要なことを思い出して、心の中で身悶えていた。
そう、返事である。
(つ、つい、いつもと同じノリで来ちゃったけど、これって、二回目のチャンスなんじゃ)
一回目は、見合い騒動のあの時だ。祖父が迎えに来たので、駄目になったが、今度こそは、と意気込みたいところだが、いかんせん、そう意気込みたいのに、緊張してなかなか意志が固まらない。
ジュリウスの研究室に着いて、ジュリウスがお茶を淹れてくる間、クロニカは頭を抱えながら、考えていた。
そもそも、返事の内容を考えていない。どう返事をしたらいいのか。
素直に自分も好きだと言うか。それは恥ずかしすぎる。だが、仕方ないから嫁に行ってやるよ、と言うのは上から目線すぎる。
こうなるのなら、リリカに相談すればよかった、と後悔するが時は既に遅し。もう、ぶっつけ本番しかない。
(お、落ち着け……ここで返事しなかったら、リリカたちに言われるから、返事するぞ、絶対に)
よし、意志が固まり始めた。あとは、返事を考えるだけだ。そもそも、そこが問題で、先ほどからぐるぐるとしているわけだが。
(ああ、もう! なんで、ジュリウスはあのとき、さらりと言うことが出来たんだよ!!)
告白された時のことを思い出して、クロニカは半ば八つ当たりをした。
わりと遠回しな言い方だったが、ジュリウスは挙動不審になることなく、さらりと言いのけたのだ。
あの余裕が、今は恨めしい。
「お茶、淹れたよ」
「あ、うん。ありがとう」
ジュリウスから紅茶が入ったカップを受け取り、一口飲む。とりあえず、恨めしい気持ちと緊張はなくなった。
「それでさ、一体何の用だ?」
クロニカはさっそく、本題に入ることにした。
ジュリウスは答えることなく、とある紙の束を取り出して、それをクロニカに渡そうとする。
「これは?」
「僕の論文」
「論文見ても、オレわかんねーぞ」
「内容じゃなくて、題名を見てほしい」
「題名?」
訝しげながら、論文を受け取り、最初の頁に書かれている論文の題名を見る。
『タニア心臓病の改善について』
病気の名前を見て、クロニカは驚愕した。
タニア心臓病。クロニカの記憶に間違いなかったら、母を死に至らしめた病気の名前だ。治療方法がなく、病気に効く薬もなくて、不治の病だといわれているという。
「これって……」
「僕の今までの研究成果だ」
ジュリウスはけろっと言いのけたが、もしかして、という気持ちが湧き上がり、クロニカは手を震わせた。
「発病事例はあるけど、発病した人がいると連絡受けたときには、すでに遅いことが多くて。タニア心臓病で亡くなった人を解剖して、原因と改善の方法は見つけたには見つけたんだけど、それを証明するには、実例を出すしかなくて、ずっと止まっていたんだけど」
クロニカは言葉が出なかった。そんなクロニカを見下ろしながら、ジュリウスは言葉を続ける。
「タニア心臓病に掛かった患者が、自分から臨床実験を申し込んできてくれて、だからずっと、忙しかったんだ」
「まさか……急に帰ったのって」
「その知らせを受けたからだよ」
ずっと会えなかった理由が分かって、クロニカは唇を噛み締める。
「臨床実験をして、治療には至らなかったけど、病の進行を緩やかにすることが出来たんだ。苦しみも半減したとも言っていた。この病気に掛かった人は、余命半年以下とされているけど、その半年の枠を越えることに成功したんだ。これを切っ掛けに、治療方法が見つかるかもしれない」
もう我慢できなくなって、涙が零れ始めた。
嬉しかった。母と同じ病気で苦しむ人の生きる時間が長くなっただけでも、クロニカは十分嬉しかった。
ほんの少しだけ、その改善方法が当時あったら、母は苦しまないですんだだろうか、と思う。クロニカは母の苦しんでいる姿を見たことがない。けれど、影で苦しんでいたに違いないのだ。母には無理させていたと思うから、少しでも苦しむ人が減るのは嬉しい。きっと母も喜んでいるに違いない。
「ジュリウス」
「ん?」
「ありがと、な」
それしか言えなかった。それ以上の言葉が、思い付かなかったのだ。
「別に、礼を言われるほどでもないよ。結局は僕のためだし」
「お前のため?」
「病気って、血の繋がりで発病しやすいものがあるから」
クロニカは目を丸くして、ジュリウスを仰いだ。
ジュリウスは笑んでいて、肝心の理由を言わない。だが、クロニカには伝わった。
母と同じ病気に掛かる可能性を、自分は持っているということで、もしもの時のために研究していた、ということではないか。
つまり、クロニカを生かすことが自分のためだと、ジュリウスは思っているから、お礼を言うほどでもない、ということで。
クロニカは、なんともいえない気持ちになって、思わず吹き出して笑った。
「それでも、ありがとうな。次は、治療法だな!」
ジュリウスが呆れたように溜め息をついて、肩をすくめる。
「あのさ、そう軽く言うけど、治療法を見つけるには、けっこう時間が掛かるけど」
「大丈夫だって! ジュリウスなら出来るって!」
治療方法は見つかっていないと言っていたが、きっとジュリウスが見つけてくれる。クロニカは、そう確信していた。
「たく、お気楽だな」
満更でもないのか、ジュリウスが軽く笑んだ。
「ところで、クロニカ」
「なんだ?」
「結局、進路はどうしたんだ?」




