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美しきモノ  作者: 空廼紡
空の向こう
54/63

所長からみた伯父

 診療所の入り口は閉まっているので、裏口から外に出ることにした。


 その前に帰ることを所長に伝えるため、所長の部屋に行くことにした。ここは、診療所兼所長の自宅になっているらしく、所長の自室があるのだ。


 その自室の前に立ったジュリウスが、ノックする。はい、と中から柔和な老人の声が聞こえた。



「ジュリウス殿ですか?」

「はい。所長、クロニカを送り届けに行ってきます」

「ああ。分かりました。クロニカ様は、そちらにいらっしゃいますか?」

「すぐ横に」

「そうですか……」



 所長が黙り込む。数秒間を置いて、所長が口を開く。



「厚かましいと重々承知ですが、クロニカ様とお会いしたいです。隣にいるクロニカ様に、聞いてもらってもよろしいですか?」



 ジュリウスがちらり、とクロニカを見る。クロニカは頷いた。


 所長とは話に聞いているだけで、実際に会ったことも見かけたこともないのだ。ぜひとも会ってみたい。


 ジュリウスが立っていた場所を空ける。クロニカは扉の前に立ち、失礼します、と声を掛けてから扉を開けた。


 扉の先にいたのは、眼鏡を掛けた、恰幅の良い優しそうな老人だった。所長は眼鏡をくいっと上げて、クロニカに頭を下げた。



「お会い出来て光栄です。ここの所長のカルスと申します。この老人の我が儘に付き合っていただき、ありがとうございます」

「い、いえ。あの、伯父のクリスの主治医をやっていたそうですね」


「おや、ジュリウス殿からお聞きになったのですか?」

「は、はい」



 所長は顔を上げて、一笑する。



「今日は、クリス様のお参りに行ったそうで」

「正確に亡くなった場所ではなかったのですが、はい」


「いいえいいえ、亡くなった場所はクリス様にとって関係ありませんよ。姪が自分を偲びにやってきたのです。クリス様は絶対に喜んでいらっしゃるでしょう」

「そうでしょうか?」


「ええ、ええ。生きていたらクロニカ様のことを、自分の子のように可愛がっていたでしょう。可愛い弟君の娘を、可愛がらないわけがありませんとも。自分に子供が望めないと分かっていた分、なおさらですよ」



 鷹揚に笑いながら、所長が頷く。クロニカの言葉を肯定している、というよりも、自分の言葉を肯定しているように見えた。


 多分、心の底から思っているからこその発言だろうな、とクロニカは思った。



「あの、所長から見て、伯父上はどのような人だったのでしょうか?」

「とても達観した御仁でしたよ。私が医者だったからでしょうな。私にはよく、生死観についてよく語っておいででした」


「生死観についてですか?」

「御自分があまり長く生きていけないと、よく分かっていらしたので」



 所長が目を細める。



「話すと慰められるから、とそういう話を御両親や使用人たちにはしなかったです。確証のないことを言われるのが、嫌だったみたいで」

「嫌だった?」



 気遣われるのが申し訳なかった、とではなく嫌だった。その気持ちを含んだ嫌だったのか。

 所長を愉快そうに笑った。



「クリス様は、けっこう好き嫌いがはっきりしていましたよ。たしかにお優しい方でしたが、強かな人でしてね、けっこう演技が巧かったんですよ」



 クロニカは唖然とした。

 祖母の聞いた話では、演技が巧いという印象はなかった。儚げで、とても優しかったと。



「だから、私にとってクリス様は儚げ、というより強かな人でしたね。あの人の悪口を言った人はいらっしゃいませんでしたが、あったとしても聞き流してケロッとしていたでしょうな」

「えぇ~……」



 所長が語る伯父の姿に、クロニカの中の伯父が徐々に崩れていく。



「ただ、弟君の態度には傷付いていたようで、よく愚痴を零しておいででした。父上も母上も、僕よりもジルドを構えばいいのに、と。そっちのほうが安心できるのに、とも仰っていました」


「安心?」


「御自分が亡くなった後のことを考えての愚痴でした。あの人は、自分が死んだ後のこともよく考えておいででした。ただでさえ両親と弟君の間に溝があるのに、自分が死んだから溝が確執に変わるのではないか、と」



 実際にそうなりましたね、と所長は悲しげに言った。

 確かに、伯父の懸念は残念にも当たってしまった。



「あの、伯父上はどのような生死観をお持ちで?」

「それは二人だけの秘密ですので、詳しくは言えません」



 所長が悪戯っぽく笑う。



「ですが、クリス様は、死を望んでいましたが、それ以上の生を望んでいました。死んだみたいに生きていくよりも、生きて死ぬほうが余程良いと、よく仰っていましたよ」



 生きて死ぬほうが余程良い。それには、クロニカも同感だった。


 もしかして、伯父は病気で死にたくなかったのだろうか。屋敷の中で囲われてベッドの上で息絶えるより、長生きではなくてもいいから屋敷の外を駆け回って空の下で死にたかったのだろうか。


 遠かった伯父が、ぐんっと近い存在になったような気がした。


 クロニカはぺこり、と頭を下げる。



「ありがとうございます。先生の話を聞いたおかげで、伯父が身近に感じられました」

「いえいえ。私も、久しぶりにクリス様のお話が出来て、嬉しかったです」



 所長も頭を下げた。



「お気を付けてお帰りくださいませ。治安が良くても、暗い道は危険ですから。たまに野生動物も出てきますし」

「野生動物?」


「熊は出てきませんが、よく狸が出てきます。まだ夜ではないので、猪と鹿は出てこないでしょう」

「猪が出てくるんですか?」


「ええ。猪は昼行性ですが、臆病なので人里に下りるのは夜だけなんですよ。今は夏ですので一頭だけですが、秋になるとうり坊たちと一緒に親が出てきます」



 さすが郊外、だと思った。王都では野生動物なんて鳥と野良猫しかいない。野犬は見かけたことがない。



「まあ、稀に朝に猪が出てくる時もありますが、それはけっこう間抜けな猪ですね」

「はぁ……」



 間抜けな猪。確かにそうかもしれない。



「では、そろそろ行ってきます」

「ああ、そうですね。ジュリウス殿もお気を付けて」

「はい」



 ジュリウスが一礼して、クロニカも真似るように一礼する。


 所長の自室を離れ、裏口に行く。


 クロニカは緊張していた。帰り道に伝えたいのだが、どう伝えたらいいのだろう。

 直球で言うのは、恥ずかしすぎる。しかし、遠回りは言い方もそれはそれで恥ずかしい。というか、伝えるのが恥ずかしい。でも、言わなくてはいけない。


 そうだ、そういった流れを持っていたほうが言いやすいのではないか。でも、そういった流れって、どう作ればいい。そもそも、流れが分からない。


 ジュリウスみたいに、何気なく、唐突に言うか。これも難易度が高い。本当に、どうすればいい。


 思案に余っていると、裏口まで着いた。ジュリウスが裏口を開くと、そのまま固まってしまった。


 どうしたんだろう、と思案を止めてジュリウスを見やる。ジュリウスは、盛大に溜め息をつきながら、クロニカを見た。



「残念。見送りはここまでだ」

「え?」



 裏口からひょっこりと顔を出して、クロニカはその理由を知った。



「お、お爺様……」



 そこには、祖父ヘンゼルが、杖を前にして、仁王立ちで突っ立っていた。片足が悪く見えないほど、真っ直ぐな姿勢だった。


 祖父は眉間に皺を寄せて、ジュリウスを睨む。父と同じ表情をしているな、と、クロニカはどうでもいいことを考えていた。


 よく見ると、背後に馬車がある。



「貴様……クロニカをこんなに遅くまで帰さないとは、何をした……?」



 どうやら、帰りが遅いから心配して迎えに来てくれたらしい。今でも射殺されそうな雰囲気に、クロニカは慌てて弁明をした。



「ご、ごめん、お爺様! えーと、しょ、所長と話し込んでいたら、こんな時間になっていて」

「所長と……?」



 所長の名前を出すと、祖父の表情がみるみるうちに和らいでいった。クロニカは安堵した。


 嘘は言っていないが、本当のことも言っていない。良心が痛むが、ずっとベッドで寝ていたと正直に話したら、絶対に面倒なことになる。



「そうか! 何もされていないんだな?」

「? はい」



 何もされていない、とはどういうことなのか。ジュリウスがクロニカの嫌がることをしないというのに。



「ほら、ここで突っ立っても仕方ないから、早く馬車に乗って。夫人も心配していると思うし」

「そうだな。おやすみ、ジュリウス」

「おやすみ。ヘンゼル様もおやすみなさい」

「ふんっ」



 祖父はそっぽ向いて、馬車の方へ歩いていく。



「じゃ、今日はありがとうな」

「気を付けて。あとで所長に口裏合わせするよう、頼むから」



 気を付けて、のあとの台詞は、祖父に聞こえないよう小声で囁いてきた。クロニカは頷き、頼む、と応えて、馬車に向かった。


 祖父が来たせいで、伝えられなかったな、と残念のような、ちょっと安心したような複雑な気持ちになる。



(まあ、次の機会に伝えよう)



 クロニカはそう決意するが、次の機会が夏を越えてしまい、卒業式を迎える日までないことを、この時は知る由もなかった。


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