公爵と対面
公爵は待合室ではなく、裏口のほうにいるという。裏口の扉を開けると、公爵がこちらに背を向けて佇んでいた。
「公爵」
声を掛けると、こちらに一瞥もせず、公爵が返事をした。
「来たか」
「はい。お久しぶりです」
「ああ」
沈黙が流れる。溜め息をするのを堪え、ジュリウスはさっそく本題に入ることにした。
「それで、私に何の御用ですか?」
公爵は黙り込んでいる。無口なのは結構だが、呼んでおいて会話をしないのはいかがものか。
沈黙が続く。早く終わらせたくて、もう一度問いかけようとしたら、公爵がそれを遮った。
「あれは、どうしている」
一瞬、なんのことか分からなかったが、すぐクロニカの顔が思い浮かんだ。まさか、と思いつつ、ジュリウスは口を開く。
「クロニカ、のことですか?」
無言。肯定と受け取ってもいいのか、と懸念しつつ、答えた。
「ここに来てから、ずっと寝ていますが」
「そうか」
それだけ言って、また黙り込む。
今は無理矢理クロニカを、連れて帰る気はないらしい。時間が時間だからだろうか。それとも気が変わったのか。この公爵のことをよく知らないので、結論付けられない。
気が変わったから、と自分が見繕った見合い話を蔑ろにする人には見えないから、前者だろうか。
「母上から聞いたが」
公爵が再び口を開く。
「君はあれを口説いているようだな」
「……はい」
それがどうしたのだろうか。娘の恋愛事情に首を突っ込むほど、この人がクロニカに情があるわけがない。一体、何の話をしようとしているのか。
警戒心のせいで、返事が堅くなったが、公爵はそれを気にしていないのか気付いていないのか、淡々と訊く。
「あれのどこがいいのだ? 口調も格好も男らしく、頭の出来もそこまで良いとはいえない。それに胸もない」
「おそれながら公爵。私の記憶が正しければ、夫人の胸も慎ましかったはずですが」
「あくまで一般論だ」
あ、夫人の胸が小さかったことを認めた。夫人に対して失礼だが、そこはひとまず置いておく。
「どこっていうより……私が初めて、キレイだと思ったのがクロニカだったから、というか」
美しいと感動したことがない、と言った自分に、これから見つければいんじゃねーの、と軽く言いのけたクロニカ。その言葉の通り、自分は見つけられた。それがクロニカだった。
「でも、最初はクロニカの瞳に惹かれたんですよね」
「瞳に?」
怪訝な声色だった。この人からすれば、クロニカの瞳は思い出したくないものを思い出す引き金だ。分からないのも無理ないかもしれない。
「公爵は、まじまじとクロニカの瞳を見たことはありますか?」
「ないな」
即答だった。
「お兄さんのことを思い出すから、ですか?」
ぴくっと公爵の肩が揺れる。やはり、憶測は当たっていたのか。
「お兄さんの瞳の色も、クロニカと同じ空色らしいですね」
「……それがなんだというのだ」
ジュリウスはほくそ笑んだ。
「クロニカの瞳を見てから、よく空を見上げるようになったのですが、空って季節ごとに違うんですね」
「同じ空だろう」
「同じ空ですが、表情が違うんですよ。クロニカの空色は、夏の青空っていう感じですね」
春の空は、霞みかかっているのに麗らかで。
夏の空は、近くて爛々としていて。
秋の空は、遠くて表情がコロコロと変わって。
冬の空は、物悲しくてひっそりと佇んでいる。
クロニカに出会わなければ、空すら見上げることもなく、そんなことにも気付かなかっただろう。
「公爵。お兄さんの空は、どんな色をしていましたか?」
公爵は黙り込む。真剣に考えているのか、くだらないと心の中で一蹴しているのか。一向にこちらに顔を向けないので、なに考えているか分からない。
「そうか……」
それだけ言って、また黙り込んだ。
ところで、一体どのような用事なのか。真意が読めなくて、顔を顰める。
「つまり、そう易々と他には行かないということか」
「そうですね」
「では、精々頑張りたまえ」
ジュリウスは瞠目した。
それは、もしかして。
「公爵、まさかと思いますが、クロニカの見合いを延期にするつもりで?」
「延期ではない。中止だ」
延期ではなく、中止。せっかく掴んだクロニカ結婚の可能性を、一番望んでいた公爵が自ら無しにするなんて。
「どうして、隣国まで行って繕ってきた見合いを……」
「ほう? 君は、あれを見合いの場に送ったほうがいいと?」
「まさか。ですが、あちらにはもう話を通したのでしょう?」
「元々、あちらはあまり乗り気ではなかった。手紙も出した。きっと、承諾するだろう」
「行動がお早いことで」
軽口を叩いてみせたが、内心警戒心が強くなった。
どういう風の吹き回しだろうか。この人は、クロニカをとっとと家から追い出したいはずだ。それなのに、どうして何年掛かるか分からないというのに、ジュリウスに協力するようなことをするのか。
そこまで考えて、ある疑問が浮かび上がる。
協力するのであれば、クロニカを無理矢理ジュリウスに嫁がせたほうが手っ取り早い。この猶予の宣告と、この人の狙いがあまりにも矛盾しすぎていないか。
「公爵、貴方はクロニカを追い出したいはずでは?」
公爵は黙秘する。
それなら、と質問を変えることにした。
「公爵、どうして結婚話ではなく、見合い話という形を取ったのですか?」
ぴくっと、公爵の肩が動く。
それは、ジュリウスがずっと疑問に思っていたことだった。ルーカスは、結婚話ではなく見合い話だと言っていた。
「とっとと追い出したいのであれば、結婚話ということで無理矢理クロニカを嫁がせたらいいだけのこと。それなのに、何故しなかったのですか?」
結婚話は断る余地はないが、今回はあくまで見合い話である。そんな余地を与える利点がこの人にはないように思える。
また沈黙が流れる。答える気はないのか、はたまた迷っているのか。顔が見えないから、余計に何を考えているのか分からない。
しばらくそうしていると、公爵から言葉を発した。
「ミリアが……」
夫人の名前が出てきて、首を傾げる。
「ミリアが、あの子の結婚相手は、あの子に決めさせてあげて、と願ったからだ」
それが最期の言葉だった、と公爵が付け加える。
腑に落ちた。夫人の遺言通りに事を進めていただけだったのだ。クロニカが自ら相手を見つけるのは、格好と態度からみて有り得ないし本人もその気がないに決まっている、と判断して見合いをさせようとしたのか。
クロニカが可哀想だ、と思いながら、ある意味この人らしいのかもしれない、と同時に思った。
「夫人、らしいですね」
「ああ……ミリアは、いつもクロニカのことばかり気にしていたからな」
ジュリウスは目を見開き、公爵の背中を凝視した。
今、なんて言った? クロニカのことを名前で呼んだなんて。自分の聞き間違いか?
「ではな」
用事は終わったのか、公爵は停めてあった馬車の中に入っていった。その時、公爵の爪が若干黒いことに気付いたが、何故黒いのか予測も立てなれないまま、馬車が出発する。
馬車を見送ってから、ジュリウスは先程の言葉を反芻した。
聞き間違いではない。たしかに、名前を言った。今まで、名前で呼んだことなどない、と聞いたことがある。
一体、どういう心境の変化だ。クロニカは言い争いになって、と言っていたが、それが原因だろうか。
「まあ、いっか」
答えが出るわけでもないので、考えるのは止めた。猶予を与えられただけでも良しとしよう。
そう結論付け、ジュリウスは踵を返して、診療所へと戻った。




