自覚
診療所の裏口から入り、そこからジュリウスが使用している仮眠室へと向かった。
仮眠室に通され、念のため所長に言っておく、とジュリウスはクロニカを置いて部屋を出て行った。自分も行ったほうがいいではないか、と思ったのだが、それを言う前に出てしまった。
仕方なく机の傍らにある椅子に座ろうとしたが、椅子の上に五冊ほどの本が積まれていた。
どうして、こうなったのか。机の方を見たら、カルテと大量の紙が置かれていた。カルテのほうはきちんと置かれているが、紙の方は無造作だった。紙には何かが書かれているが、難しそうな単語と時々解読不能な文字もあって、一体何を書いているのか分からない。
(えーと……本を運んだのはいいものの、机の上に置き場所がなかったから、とりあえず椅子の上に置いた、のか?)
思わず溜め息をついた。人の物とか丁寧に扱うくせに、自分の物になると扱いが雑になる癖を直したほうがいいと思うのは、お節介だろうか。さすがに自分の物でも貴重な物とか大事な物は、丁寧に扱っているのだが、いかんせんそれ以外が雑すぎる。
他に本を置ける場所がないので、仕方なくベッドの上に座って、ジュリウスを待つことにした。が、なんだか落ち着かないし、心臓がやけに煩い。
深呼吸して、落ち着かせようとするが、動悸が治まらない。
(どうしたんだよ、オレ……っ!)
ただ、ジュリウスが使っている部屋にいるだけなのに。
彼の自室には入ったことがある。その時は、こんなに動悸がしなかったのに。
(落ち着け、オレ……ここは、ディンの部屋だと思えば……)
男友達であるディンの顔を思い浮かべ、ここが彼の部屋だと言い聞かせる。
落ち着いたところで、クロニカは首を傾げる。
(ん? どうして、ジュリウス相手だと緊張するんだ?)
ディンたちよりも、ジュリウスと一緒にいた時間のほうが長くて、正直ディンたちよりも、気心の知れた相手だ。そんな相手なのに、緊張するのは何故だろう。
(告白されたからか? けど、告白されたからって、こんなに意識するものなのか……?)
では、ディンたちに告白されたら、どうであろうか。想像してみるが、出来なかった。
(冗談で言うのは想像出来るんだけどなぁ……あるいは、友情的に言われるとか)
本気の告白を想像しようとするが、元々想像力が乏しいせいか、こんがらかってきた。
想像するだけで疲れたうえ、今日は色々なことがありすぎた。疲労感が襲い、クロニカはベッドに横たわった。
その瞬間、薬品の臭いが鼻腔を掠めた。
(あ……)
どきっと心臓が高鳴る。
薬品の臭いの中に、石鹸とジャスミンの匂いが混じっている。ジュリウスが夏の間だけ使っている香水の匂いだ。クロニカは香水が苦手だが、ジュリウスが使っているこの香水の匂いは好きだ。
すぅ、と息を吸い込んで、その匂いを肺いっぱいにする。先程まで緊張して高鳴っていた胸が、不思議と落ち着いてきて、胸が満ち足りたような安堵感に包まれる。
ジュリウスのことで緊張していたのに、ジュリウスの匂いで安心している。
どうして、こんなにもジュリウスの匂いが落ち着くのか。他の男友達、いや、女友達でもこんなに落ち着くことはない。
(変なの……母上じゃないのに)
人の匂いで落ち着くことなんて、母以来だ。ジュリウスと母は違うというのに。
自分にとって、母は特別な存在だ。心の支えだった。そんな母とジュリウスが同じだなんて。
(いや……違う……)
落ち着く種類が違うような気がする。例えば母の安心は、殻に包まれているような安心で、ジュリウスの安心は、寄り添うような安心で。
根本的に違うのに、とても似ているような気がする。
(それって、つま、り……)
瞼が重くなっていく。頭がぼんやりとしてきて、眠りへと誘われていくのをなんとなく感じながら、落ちるその瞬間まで、クロニカは考える。
それは、つまり、ジュリウスのことが。
(特別に、好きって、ことなのか、な……)




