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美しきモノ  作者: 空廼紡
空の向こう
47/63

探検ごっこ

 裏道を通り、庭に入る。庭を見た瞬間、懐かしさと悲しみが混じった感情がこみ上げてきて、胸が痛んだ。


 やはり止めようか、と躊躇したが、迷いを払いのけるように頭を振り、ジルドは庭へと足を踏み入れる。


 後日でもいいではないか、という頭の中の囁きには傾けないよう、強く足取りで進む。この暗号を解くのは今ではないといけない、と何故か強く思ったのだ。


 朧気な記憶を辿りながら、道を歩く。


 驚くほど、変わっていなかった。最後に庭を歩いたのは、兄が亡くなる少し前のことだ。大きく変わっているだろう、と腹を括ってきたのだが、拍子抜けするほど何も変わっていなかった。全てが、あの頃のまま残されている。



「鷹……」



 自信はないが、心当たりがある。本当に何も変わっていないのなら、おそらくあそこのことだ。


 その場所に向かって歩き出す。立ち止まったのは、崩れたように見せかけた煉瓦の壁の前だ。


 煉瓦の壁には、小さなレリーフ彫刻が張られている。そのレリーフを見る。風化していて、あの頃のようにはっきりとした姿ではないが、猛禽類が彫られているのが分かる。自分の記憶が正しければ、これは鷹だったはずだ。この形は、梟ではないはず。


 昔はこの鷹のレリーフが怖かったものだ。鷹を見るのが嫌で、兄を盾にして見まいと必死だった。


 鷹は翼を広げ、真正面からこちらを見据えている。獲物を捕らえようとした瞬間を彫っている。


 その鷹が見据える方向に、足を向ける。しばらく歩くと、看板が見えた。これも田舎風に見せるための演出で立てられたものだ。

 看板には、薄い文字で方向が書かれている。



『真っ直ぐ行くと疑似山。左に行くと小屋。右に行くとアヒル池』



「三つ叉道というのは、これのことか……」



 と、いうことはこの辺に宝か、あるいは次の目的地の手掛かりがある。


 看板を調べてみると、裏側に板が張り付けてあった。板と看板の色が違う。年季として看板の方が古そうで、どうやら後から張られたもののようだ。


 下から手が入りそうだったので、差し込んでみる。指先にカサッと何かか当たったような音がした。指で動かしてみると、それも動いた。それを取るため、指を動かすと、それが地面に落ちた。


 古びた封筒だ。封筒を手に取って、表と裏を確認する。何も書かれていない。


 封筒を切るものがないので、手で丁寧に破ることにした。古いせいか、簡単に破ることは出来たが、細かい繊維も落ちていく。


 中身を取り出してみると、一枚の紙切れが入っていた。



『濡れた翼を渇かす場所、天敵の首の中』



 思考する。


 濡れた翼を渇かす場所……翼といえば鳥だ。アヒル池は、東屋がある池とは違い、アヒルや渡り鳥が泳いでいる池だ。東屋がある池にもたまにアヒルが泳いでいるが、アヒル池ほどでもない。


 そこのことだろうか。しかし、天敵の首の中というのは、どういう意味だろうか。

 怪訝に思ったが、とりあえず向かうことにした。


 アヒル池には、アヒルの親子が何組かいた。マーシアという、この国と隣国を行き来する渡り鳥もちらほらいる。

 ジルドは辺りを見渡した。



「天敵、か」



 鳥の天敵といえば、なんだろうか。大きい鳥は、小さな鳥を遅う。蛇は巣にある卵、もしくは雛を喰らう。だが、蛇は大きい鳥に襲われる。


 そもそも、大きい鳥なのか小さい鳥なのか。そこが問題だ。


 アヒル池の畔をぐるりと回ることにする。人慣れしているアヒルは、こちらを警戒していない。マーシアはこちらを窺っているが、とりあえず逃げようとはしていない。暢気なものだな、と溜め息を吐きながら、歩く。


 ある場所が目に留まり、ジルドは立ち止まった。


 古びた小屋だ。庭師の小屋ではない。人が住むには、あまりにもお粗末だ。どちらかといえば、家畜小屋だ。


 何の家畜だったか、と記憶を手繰る。思い当たったのは、犬だ。


 今は獣医学の進歩もあり、家の中で飼うのが当たり前つつになっているが、昔はそうではなかった。犬は狩りのお供として飼っていたのだが、犬の持っている病気が人に移るのを阻止するため、ああいった小屋に犬を閉じ込めていたのだ。


 曾祖父の趣味が狩りで、猟犬を育てるため小屋を作った。それがあの小屋だ。曾祖父が育てた犬は立派な猟犬になったのだが、曾祖父は犬を可愛がりすぎて、その犬が死んでからは犬を飼おうとしなかったらしい。だから、ジルドが生まれた時には、小屋は存在していたものの、実際に犬が暮らしているのを見たことがなかった。



「あ」



 天敵とは、もしかして、猟犬のことだろうか。


 猟犬の役目はあくまで獲物を探すことであって、獲物を仕留めるのは人間の役目だが、獲物からしてみれば同じことかもしれない。



「首……首輪か……?」



 狩りをするときは首輪を外すが、狩り場に向かうまで首輪をしていたと、庭師のダンが、そんなことを言っていたような気がする。


 ジルドは犬小屋に向かった。

 犬小屋には鍵がないので、簡単に入れた。小屋の中は薄暗かった。足を踏みしめるたびに、ギシギシ、と床が撓る音がする。誇りっぽくて袖で口元を覆い、目を凝らす。


 目当てのものは、すぐに見つかった。入ってすぐの壁に掛けられていた。


 首輪に繋がっている紐はボロボロで、触ったら粉々になりそうなほど朽ちている。革製の首輪も当然、ボロボロで、赤だっただろうそれは色褪せていた。


 その首輪に紙切れが括り付けられている。首輪と比べたら新しく、今までの紙切れと比べると長い。


 首輪がくずれないよう、丁寧に紙切れを外す。ここだと薄暗くて文字が見えないだろうと、外に出てから、紙切れを広げた。



『妖精の遊び場の木漏れ日の下』



「妖精……」



 思案して、歩き出す。向かうのは、花園だ。


 庭師の小屋の前に小さな花園があったはずだ。たしか、玄関先に小さな庭を造っている田舎の家風にしたものだったか。


 花園の前に着く。門らしき柵があり、突き刺す種類の郵便受けが立ってある。

 柵の間を通り抜け、花園に入る。


 目当ての花を探すため、咲いている花一つ一つ見る。あの花は、この時期に咲いていたはずだ。

 目当ての花は奥のほうにあった。ジルドは、その花の前に立ち止まり、ジルドは眉を寄せる。


 低木樹であるそれは、ジルドの身長と同じくらいまでの高さで、黄色と白のグラデーションで彩っている花がちらほらと咲き誇っている。花の形は一見薔薇によく似ているが、花弁の先が四つ叉になっている。


 この花の名は、サラシアン。別名、妖精の遊び場だ。サラシアンの下で妖精が遊んでいたという伝説があり、そこからそんな別名が付いたという。



『きっと、妖精たちにとってサラシアンは、僕たちにとってのモミの木みたいなものだったんだね。大きさ的に』



 兄の声が蘇り、さらに眉間に皺を寄せる。



「木漏れ日……」



 サラシアンの根元を見る。木漏れ日、ということは根元にあるということだろうか。屈んで探してみるが、それらしきものはない。もしかして、風に飛ばされたのか。

 暗号を見る。



「妖精の遊び場の木漏れ日の…………下?」



 木漏れ日の下。木漏れ日の中、ではなく、下。なんで、中ではなく下なのか。誤字なのか、それとも。

 サラシアンの下で揺れている、影を見つめる。



――もしかして



 サラシアンの根元に手を掛けて、撫でてみる。土は柔らかく、これなら手でも掘れそうだ。庭師にスコップを借りるという手もあるが、貴族がスコップを借りて土を掘るなど、子供の頃ならともかく、大人になった今では憚れることだ。



――もっとも、娘はそんなことを気にせず、庭いじりをしているようだが



 両手で土を掘り始める。爪の間に土と小石、腐った葉が挟まる。痛くないものの、なんだか気になる。気にしないように掘り続けてまもなく、硬いものが指先に当たった。


 表面の土を払いのける。現れたのは、木の板だった。その木の板を沿って掘ってみると、その木の板は木の板ではなく、木箱ということが分かった。木箱の周りを掘り、木箱全体を顕わにする。片手では持てず、両手で持てる程の大きさのそれを、持ち上げて横に置く。


 土を元に戻し、木箱を眺める。これが最終目標である宝には違いない。だが、こんなに大きいものではなかった。記憶の中の宝は、もっと小さくて、中にはチョコレートや飴が入っていた。大きさからして、菓子類ではない。菓子類だったとしても、期限がとっくに過ぎているに違いないから食べたくはないが。


 おそるおそる、木箱を開けてみて、瞠目した。


 中にあったのは、ボトルシップのキットだ。ボトルシップは子供の頃、出始めて流行したものだ。当時、船が好きだった自分も欲しかったが、結局両親に欲しいと言えなかった。このキットは、当時一番欲しかったもの。


 さらに驚いたのが、そのキットの上にある紙切れだった。古ぼけた紙切れに書かれていた文字に、釘付けになる。



『ジルドへ

 お誕生日、おめでとう!

 クリスより』



 震える手で、今までの紙切れとその紙切れを見比べる。同じ字だ。


 ああ、そうだった。ダンの文字はもっと角張っていて、こんなに丸くはなかった。兄の字は、こんなのだった。



――そうだった



 すっかり忘れていた。兄が死んだ日の三日後は、自分の誕生日だった。兄が死んでから、そんな余裕がなくて、兄の命日から目を逸らしたくて、頭の隅に追いやったのだ。


 ミリアにもそのことで、気遣わせたことを思い出す。ミリアのことだから、祝いたかっただろうに、随分と我慢させた、と今更ながら申し訳ない気持ちがこみ上がってくる。


 暗号を用意したのも、このキットを用意したのも、兄ということで。兄と一緒にいなくなってから、船にハマったというのに、どこから情報を仕入れてきたのだろうか。これは人気の商品だったから、手に入れるのも苦労したのだろう。いや、苦労したのは使用人のほうかもしれない。暗号も当時のジルドに合わせて考えてくれたに違いない。


 兄は、どのような気持ちで、これらを用意したのだろうか。どうして、用意してくれたのだろうか。一体、何故。



「ジルド様」



 茫然としていると、サラシアンの裏側から声を掛けられた。声からして、ダンの孫だろうか。そちらに視線を向けるが、足下が見えるだけで姿は見えない。

 ダンの孫はジルドの返答も聞かず、言い続ける。



「言い忘れていました。あの紙切れ、クリス様が祖父に託したものらしいです」

「なに……?」

「捜索隊の中に祖父もいたらしくて、クリス様を発見したとき、まだ意識があったクリス様から、ジルド様に渡してくれと、渡されたものだと言っておりました」



 視線を木箱に移す。


 死ぬ直前にあの紙切れを渡した? そんな馬鹿な。あの事故の前に渡されたのならともかく、事故の後に渡されたなんて、信じられない。


 兄は、自分を。



「ジルド様。俺には、あの噂が本当かどうか分かりません。正直、どちらでもいいと思っています」



 あの噂。自分が兄を突き落としたという、あの噂のことに違いない。



「でも、どっちにしろ、クリス様はジルド様を恨んでいないと思います。俺なら、恨んでいる相手に誕生日プレゼントなんて贈りません。どちらでもいいと言ったのは、当の本人が恨んでいないと、俺は思っているからです。祖父も、そう言っていましたし、祖父もあなたのことを信じていました」



 真っ直ぐで力強い言葉だった。



「本当に、そうだろうか」



 弱々しい口調で、呟く。



「本当に、あの人は私の事を、恨んでないだろうか」

「遺言代わりにそれを託したんですから、それが答えじゃないですか? アヒルに餌をやらなきゃいけないので、これで失礼します」



 そう言って、ダンの孫はその場を去って行った。足音が聞こえなくなり、ジルドはぎゅっと目を瞑った。


 目頭が熱い。溢れくるそれを押し止めようと、さらに強く瞑ったが、溢れでた熱いものが頬を伝った。

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