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美しきモノ  作者: 空廼紡
空の向こう
45/63

激突②

 どうやら、エントランスのほうで言い争っているらしく、微かだが声が聞こえる。壁も扉も分厚いので、さすがに内容は分からない。


 クロニカはゆっくりと深呼吸をして、少しだけ扉を開く。怒鳴り声が明瞭になった。怒鳴っているのは、祖父と父だ。


 音を立てないように、ゆっくりと開いて、扉の隙間から様子を窺う。


 こちらに背中を向けているのは、父だ。向き合っているのが祖父で、二人の間に祖母がいた。祖母ははらはらとした面持ちで、二人の顔を交互に見ている。

 険悪な雰囲気だ。それに尽きる。



「あの子を他国に嫁がせるなど、俺は認めんぞ!!」

「貴方に決定権はない!! あれを誰に嫁がせるのか決めるのは、私だ!!」

「自分は恋愛結婚しといて、あの子には政略結婚を押し付けるってか!!」

「政略結婚は、貴族の務め。なに甘いことを!!」



 父が祖父の胸倉を掴む。止めようと、扉を開けようとしたが、祖父の怒声で留まる。



「政略結婚? 政略結婚というわりには、相手と結婚した利益がないように見えるんだが?」

「しばらく領地の運営に携わっていない貴方には、今の領地の事情を知らないでしょう。とやかく言われる筋合いはありません」

「三十年間領地運営をやって、ずっとここで暮らしている俺を舐めるんじゃない!! 領地の事情は、お前より詳しい!!」

「ふんっ! 母上にも領地運営を手伝わせた人が、偉そうにしているんじゃない!!」

「なんだと!!」



 お互い、一歩も引かない。すると、おろおろしていた祖母がカッと瞠目し、声を張り上げた。



「落ち着きなさい!!」



 アリーシェの一喝で、静まり返る。父が手を解いたのを見ると、こほん、と咳き込んで、アリーシェは二人を交互に見た。



「お二人の言い分は正しいわ。ええ。政略結婚は貴族の義務ですもの。でも、ミリアさんとの結婚は、うちに大した利益はなかったけど、不利益もなかったわ。当時も今も、利益を求めるほど困窮していなかったから良いわ」



 僅かだが、今も、を強調していた。



「では、この人と一緒に領地経営していた立場から、言わせてもらいましょう。この人の言うとおり、相手と結婚しても、こちらに利益がないと思うわ。利益がない以上、政略結婚と言えないのは分かるわね?」



 父は何も言わない。それを肯定と受け取ったのか、アリーシェは続けて言った、



「うちの特産品や、相手の特産品。全くもって噛み合っていないわ。相手の特産品はうちにも流通しているし、その特産品が他のと違うわけでもない。ジルド、うちの利益はなに? ちゃんと説明して。ちゃんとした理由があるのなら、この人も納得はするわ」



 アリーシェがジルドを真摯に見据える。だが、父はそんな母を見て、鼻で笑った。



「あれを家から追い出す。それがこちらの利益ですが?」



 祖父母の顔が強張った。自分の息子から、そんな冷淡で残酷な台詞を聞くなど、優しくて、父のことを想っている二人には衝撃が大きいに違いない。


 強張った顔に変化があったのは、ヘンゼルが一番だった。ヘンゼルは、怒りを顕わにし、片手で父の胸倉に掴んだ。



「お前はっ!! クロニカのことをなんだと!!」



 ヘンゼルが怒りのような悲鳴のような声を上げる。父は眉間に皺を寄せて、胸倉を掴んでいる手を振り払う。振り払った勢いが強すぎたのか、その拍子にヘンゼルが尻餅をついて転んでしまった。


 もう、見ているだけでは我慢できなくなった。



「お爺様!」



 扉を開けて、祖父に駆け寄る。祖母が、クロニカ! と、悲鳴を上げたが無視した。出るな、と暗に言われたことは分かったが、それでも放っておけなかった。

 ヘンゼルの許に駆け寄り、屈める。



「お爺様、大丈夫ですか?」

「ああ……すまんなぁ」



 祖父が申し訳なさそうに、顔を歪める。クロニカは首を横に振った。


 庇ってくれた、それがとても嬉しいから謝る必要がないのだと、伝えるため笑顔で返した。


 今は言葉で伝えるよりも、目の前の人をどうにかしないといけない。


 クロニカは、自分たちを見下ろしている父を睨めつけた。


 久しぶりに視線を交わした父は、相変わらず冷淡な目をしていた。クロニカの反抗的な目が気に入らないのか、それともただ存在自体気に入らないのか、クロニカと視線を交わした瞬間、これでもかというくらいに眉間に皺を寄せた。



「帰るぞ」



 そう言って腕を掴んできた父の手を、思いっきり振り払った。父が自分に触れるのは、これで二回目だった。だが、怒りが先立って、それについて気にする余裕などなかった。


 父はいっそう皺を濃くして、クロニカの頬を叩いた。乾いた音が響き渡る。息を呑む音がした。クロニカは心に衝撃を受けなかった。今まで押し止めていた感情が逆流してきて、気にしていられなかった。


 クロニカは、父を睨み返しながら、父の頬を殴る。僅かだが、父の目が見開いたような気がした。


 だが、すぐに凍てついた目で、クロニカを見据えると、クロニカの胸倉を掴んだ。



「自分が何をしたのか、分かっているのか?」

「分かっていますよ。でも、それが何か?」



 クロニカはふんっと鼻を鳴らす。



「親に向かって、なんて口の利き方だ」

「あなたが言いますか?」



 父の眼光が鋭くなる。だが、恐ろしいとは思わなかった。


 昔は、睨まれるだけで竦み上がっていたのに。今はただ、視線が近くなったことに、ほんの少しだけ驚いているだけだった。



「父上も、だいぶお爺様に暴言を吐いていたではありませんか。それに左足が麻痺しているお爺様を転ばせておいて、謝罪を一切しない人に言われたくありません」



 父は何も言わない。だが、眉間の皺がさらに濃くなった。



「謝罪はしないのですか?」



 父が祖父に一瞥するが、すぐにクロニカのほうへ視線を戻した。謝罪はするつもりはないようだ。



「母上もよく言っていたでしょう? 悪いことをしたら、たとえ相手が目下の相手でも謝らないといけない、と。悪いことをしたら目上も目下も関係ない。あなたは、母上の言葉に背くのですか?」

「うるさい!! 御託を並べていないで、帰るぞ!!」



 母が出てきて、僅かに狼狽えたようだが、父は振り払うように声を張り上げた。


 クロニカは口元に弧を描いた。


 これが英雄か。笑わせる。こんなの、ただの弱虫ではないか。

 過去と、親と、自分と、向き合うことを恐れている、ただの大きい子供ではないか。



「なにがおかしい」



 僅かな笑みに気付いたのか、父が訝しげに訊ねてきた。さすがに、大きな子供みたいだ、と言ったら今よりも激高するだろう。クロニカは咄嗟に冷たく言い放った。



「帰るぞ、帰るぞって、まるで親みたいなことを言うな、と」

「親だろう」

「親? あなたのどこが親なんですか?」



 クロニカははっと鼻で笑う。



「名前も呼ばず、子供に会いに来ず、なにやっても褒めず、手を握らず、生まれてこなければよかったと殴る。それが親なんですか?」



 クロニカは祖父母を一瞥する。倒れている祖父を、祖母が支えている。二人は言葉を失い、二人を凝視していた。

 二人から目を逸らし、再び父を睨む。



「親っていうのは、母上と、この二人のことをいうんですよ!」



 クロニカは声を荒らげ、言い放った。



「お爺様もお婆様も、ほぼ真っ先に訊いたことは、ジルドは元気にしているか、ですよ!! 父上が子供だった頃の思い出話も、すらすらと出てくる!!


 それに対して、あなたはどうですか?


 オレの好物も知らない、趣味も苦手な科目も、オレに関することは何も知らない、知ろうとしなかった!! あなたが語れるのは、精々母上との思い出話だけ。それなのに、どうして親だと悪びれもなく言えるのですか!?


 自分の子供だとも思っていないくせに!!」



 父の力が弱まった。その隙を突いて、クロニカは父の腕を振り払う。


 一気に言ったせいか、動悸が激しい。喋っただけなのに、息切れを起こしていた。だんだんと頭が冴えてきて、感情の渦が消えかかっていく。



「オレはクリス伯父上じゃない」



 気が付けば、その言葉が口から漏れていた。父が瞠目する。やはり、自分と伯父を重ねていたのであろうか

 だが、そんなことは関係ない。今は、ただただ言いたい。



「たしかに瞳の色は同じでした。でも、それがなんです? ただ、色が同じなだけで、他は全く似ていないではありませんか」



 何度も周りの人に聞かされた。使用人、じいや、ジュリウスの母、そしてジュリウスに。自分は母親似であると。


 それはクロニカ自身も、そう思う。どこからどう見ても、自分は父似ではない。目元も口元も、母似だ。それなのに、父は瞳の色でしか自分を見ていなかった。


 違うのに。自分と伯父は、血が繋がっていても違う人間なのに。割り切れなかったのだろうか。だとしたら、自分はとてつもなく振り回されていたものだ。



「あなたと伯父上の間に何があったのか、オレは知りません。けど」



 拳をぎゅっと握り締める。クロニカは、父を見据えた。



「どう足掻いたって、オレはあなたの娘だ。ジルドとミリアの間に生まれた、娘なんだ。伯父上と一緒じゃない」



 静寂が流れる。誰もが言葉を失い、唖然としていた。父も唖然として、クロニカを見つめていた。


 父のこのような表情を見たのは、初めてだ。


 クロニカは見つめ返した後、つうっとと視線を逸らして、玄関に向かって歩き出した。

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