診療所
いつもの男装の姿に加え、麦藁帽子を着用して、クロニカは診療所に向かった。
まだ午前だが、日差しが強い。麦藁帽子のおかげで日差しが直接目に当たらないものの、やはり目が眩むくらい強い。
少し余所見をすると、城よりも遙かに大きくて、壮大な入道雲が、燦々と澄み渡る青空を陣取っていた。今にも迫ってきそうな入道雲を横目で見ながら、クロニカは診療所がある街に向かった。
屋敷は街外れにあり、街から少し遠い場所にある。それでも歩けるほどの距離だ。
街は安穏としており、人通りが少ない。ここに来て三日目に祖母と来たので、一応地理はある。祖母に書いてもらった地図を頼りに向かう。
分からなくなったら街の人に訊きながら、クロニカは診療所に着いた。
診療所は開いているらしい。ゆっくりと扉を開き、待合室を見渡す。待合室人はいなくて、安堵しながら入る。受付には、四十代半ばくらいの女性がいた。受付の女性がこちらに気付いて、一笑する。
「こんにちは。診察ですか?」
「いえ、こちらにいるジュリウスに用があって」
「と、いうことは……領主様のお嬢様ですか?」
「そ、そうです」
女性はじっとクロニカを見たあと、にっこりと笑った。
「お話は伺っております。呼んで来ますので、少々お待ち下さい」
そう言って、受付の奥にある扉の向こうへ消えていった。立ったまま待っていると、女性が戻ってきた。
「もう少し待ってほしい、とのことです。そこの長椅子にお掛けになって、お待ちくださいませ」
「あ、はい」
頷いて、長椅子に座る。待つのはいいが、女性からの視線が痛い。突き刺さるほど鋭い視線ではないのだが、生暖かくて、逆に居心地が悪い。
クロニカは女性のほうに視線を向けて、声を掛けた。
「あの……なにか、ついていますか?」
「あ、気分を悪くしましたか?」
「いえ、その……視線が気になったので」
「いやね……ふふふ」
含み笑いをされ、クロニカは怪訝な顔になる。
「ジュリウス様が言っていたお方なんだと思うと、少し」
「え、あいつ、オレについて何か言ってましたか?」
その笑いからして、恥ずかしいことだろうか。その考えが顔に出ていたのか、女性はさらに笑みを深くした。
「ジュリウス様って、顔がよろしいでしょう?」
「まあ、はい。顔は」
性格は良いとは、悲しきかな。断言は出来ない。根は良い奴なのだが、捻くれているというか。
「それで、初日は娘さんたちが群がっていたんですよ。中には公爵家の人だから、玉の輿とかいって迫る娘さんもいて」
「へぇ……」
クロニカは眉を顰めた。
何故だろう、とてつもなく面白くない。
「そんな娘さんたちに、堂々と言ったんですよ。ここの領地の娘に求婚中なんで、他を当たってくださいって」
「はぁ!?」
思わず、声を張り上げる。
「今、貴女は娘さんたちの間でもっぱら噂の的ですよ。どんな人なんだろうって」
この前来たときは、祖母も一緒だったがお忍びで来ていたものだから、誰も自分のことを気にしてはいなかったから、自分の格好について噂は回っていないようだ。
それにしても。
(なに言っちゃっているんだ、あいつ!?)
祖父母ならまだしも、領民にまで話を回すだなんて、なにを考えているんだ。外堀か、外堀を埋める気なのか。
「賭けまで出ている始末で、女のほうは落ちるのに、男はそこは振ってもらいたいという願いを込めて落ちない、に賭けているみたいですよ」
「なんで賭け!? ていうか、暇だなおい!」
「平和なので、刺激がなくて退屈していたんですよ、多分」
「オレの未来が暇潰しの娯楽になっているって……」
がくっと肩を落とす。やはり領民にとっては、領主の娘の結婚なんて他人事か。今まで関わりがなかったツケが、まさかここで発揮するとは。
「なんだよ……願いを込めて落ちないって」
「ジュリウス様は見た目がよろしいので、ほとんどの男共はそれが面白くないんですよ。娘さんたちにキャーキャー言われているから、尚更のことで。そんな男には、ぜひ振られて欲しいという男心、といったところでしょうか」
「ああ、なるほど……」
そういえば、男友達もよく言っていたような気がする。その男友達も見た目が良かったのだが、他にジュリウスのような特別顔が良い人が、同学年にいた。クロニカは興味なかったのだが、ミーハーな女子生徒は黄色い声を上げていて、妬んでいた。それと同じだろうか。
「女の子の場合、あんな顔が良い男に迫られて、落ちないわけがない! という声が多数ありましたよ」
「どうして、そんなに詳しいんですか?」
「ほほほ」
女性は手に口元を当てて、わざとらしく笑声を上げた。誤魔化した。
思わず半眼になっていると、女性が言い募った。
「それにしても、ジュリウス様が仰っていた通りですね」
「え?」
「多少馴れ馴れしくても、お嬢様は気にされないし、とても親しみやすいと」
「はぁ……」
あいつ親しみやすいだなんて、思ってくれていたのか。クロニカは、頬を掻いた。
「あと、淑女らしくなくて、けっこうガサツだと」
「褒めているのか、貶しているのか、どっちかにしろよ、あいつ!!」
領民になに吹き込んでやがる、と心の中で呟きながら憤慨する。
「でも、それも含めて好きだとも言っていましたよ」
「ほんとうに、なに言っているんだよ、あいつ……」
突っ込みきれなくて、項垂れていると扉が開く音がした。
「お待たせ……って、なに項垂れているんだ?」
ジュリウスが出てきた。怪訝そうに首を傾げ、クロニカを見やるジュリウスに、クロニカは恨めしげに見据える。
「お前のせいだよ」
「なるほど、分かった」
悪びれもない様子で、ジュリウスが頷く。クロニカはさらに眼光を鋭くしたが、ジュリウスには効かず、あさっての方向を向いている。本当に分かっているのか、面倒くさいから分かっている振りをしているのか、どちらなのか。
「それじゃ、いってきます」
「いってらっしゃい。夕飯までは戻ってきてくださいね」
お母さんのようなことを言いながら、軽く手を振る女性に会釈して、ジュリウスはクロニカの肩を叩く。
「ほら、ふて腐れていないで行くぞ」
「お前のせいだって言っているだろ」
「はいはい。お詫びに、とことん付き合ってやるから」
「お詫びじゃなくても、とことん付き合ってくれるくせに……」
クロニカは盛大に溜め息をつきながら、おもむろに立ち上がった。
「お二人とも、お気を付けてくださいね」
「はい。では、失礼します」
クロニカは会釈して、出口に向かった。ジュリウスもその後を追う。
二人が出て行くのを見送り、女性は微笑ましげに呟いた。
「仲が良いわね~。まるで長く付き合っている恋人同士みたい」




