祖母と恋バナ
夕食も終わり、クロニカは部屋に引き籠もって、祖父に薦められた本を読んでいた。
祖父は自分と同じく、勉強が苦手だったらしいが、物語を読むのは好きだったらしく、特に冒険物が好きでそれを薦められた。個人的にはありがたい。難しい物は、リリカかジュリウスがいなければ理解して読むことができないし、恋愛物は難しい本と同じくらい理解出来なくて、読むだけで苦痛だ。そういう点では、クロニカは祖父に似たらしい。
読んでいると、ノックの音が聞こえてきた。
「クロニカ、いるかしら?」
「お婆様? いますよ」
ノックをした主は祖母のようだ。クロニカは本から視線を逸らし、扉を注視する。
「中に入っていいかしら?」
「もちろん!」
返事をすると、困った風な声色が返ってきた。
「悪いのだけど、扉を開けてくれないかしら? 両手が塞がっているの」
「ちょっと待ってください」
立ち上がって、扉に向かう。扉をゆっくり開くと、アリーシェがお盆を持って立っていた。お盆の上には、湯気が上がっている二つのカップが置かれている。
「使用人に持たせたら良かったのに」
「こういうの憧れていたの」
ふふ、とアリーシェが笑う。クロニカは苦笑を漏らしながら、アリーシェを部屋の中に招いた。
「持ちましょうか?」
「いいわ。すぐそこだから」
るんるん、といった感じで歩きながら、アリーシェは机の上にお盆を置いた。クロニカは椅子を引いて、アリーシェを座らせると、向かいの椅子に座った。
「なにを持ってきたんですか?」
「ココアよ。山羊の乳を使っているの」
「え? 山羊?」
クロニカは思わず眉を寄せた。
クロニカは主に牛の乳しか飲んだことがないのだが、一度だけ山羊の乳を飲んだことがある。栄養価が高いらしいのだが、臭いがキツくて飲めたものではなかった。生臭いとも獣臭いとも違う、独特な臭い。あの臭いがなければ飲めたかもしれないが、あの臭いが強烈に記憶に残っているのだ。
クロニカの表情からそれを読み取ったのか、アリーシェが小さく笑う。
「この地域の山羊の乳は、臭いがないから飲みやすいのよ」
「そうなんですか?」
「一口飲んでみたら分かるわ」
促されて、カップを手に取って飲んでみる。ココアになっても乳の違いは分かる。牛とは違う味だが、確かにあの独特の匂いがしない。
「本当だ! とても飲みやすいです」
「でしょう?」
「どうして、こうも違うんでしょうか?」
「多分、山羊の品種と餌が違うんじゃないかしら。餌によっては、乳と肉の味が変わるって、聞いたことがあるわ。品種もそれぞれ肉の性質が違うらしいから、きっと乳も違いがあるんじゃないかしら。本当のことは分からないけれど」
「へぇ……」
クロニカは、もう一口ココアを飲んだ。臭いがないのなら、菓子作りで使っても問題ないかもしれない。
「そういえば、どうしてオレの部屋に?」
「二人で話したいなって思って」
「二人で?」
「女だけの、秘密のお話」
アリーシェの楽しそうな声色に、クロニカは困った顔をした。
「オレ、女らしくないから、楽しい女の話は出来ないと思うんですが」
女にとって楽しい話といえば基本的に、他人の不幸は蜜の味、だ。他人の不幸を他人事として楽しむ感覚が、クロニカは分からない。アリーシェはそうなのか知らないが、どちらにせよクロニカは女同士の会話をしたことがないのだ。
リリカは他人事には興味なく、ただの情報として扱っていたし、他の女友達もクロニカにそんな話をあまり振らなかった。クロニカは男と話したほうが会話が弾むのだ。下ネタは除くが。
「でも、恋バナは出来るでしょ?」
「へ?」
クロニカはきょとんとして、内心苦笑した。女同士ってそっちの方か、と。
「恋バナって……そっちも出来ませんよ。オレ、恋愛経験ないので」
「あら、あるじゃない。現在進行形で」
「?」
「ジュリウス君のことよ」
「んなっ!?」
狼狽えるクロニカに、アリーシェは含み笑いをした。口元を手で隠しているが、目元がにやけている。
「ジュリウス君に求婚されているのでしょう? 出会いとか、クロニカはどう思っているのか、ぜひ聞きたいわ」
アリーシェがとてもうきうきしている。見た目はクールは祖母も、恋バナが好きらしい。
「出会いって……別に運命的な出会いではありませんよ?」
「引っ付けば運命になるのよ」
「はぁ……」
クロニカは困惑しながら、呟く。どうやら、どうしても聞きたいらしい。うきうきしている祖母は、少女のようで、クロニカは溜め息を吐いた。
「……はじめて会ったのは、学園に入ってしばらく経った頃です。図書館で調べ物していた時になんやかんやあって」
「なんやかんや?」
「えーと……目的の本を取ろうとしたら届かなくて、代わりに取ってくれたんですけど」
「あら、素敵」
「いや、その後が駄目だったんです。取ってくれたのは良かったんですが、その後に馬鹿って言われて」
「初対面の子に? 馬鹿?」
「さらに詳しく言うと、すぐ近くに脚立があったのに気付かなかったのか、どうして探そうとしなかったんだ、馬鹿なのか、だったかな」
思い出したら、なんだか腹が立ってきた。今は柔らかくなったが、昔はいけ好かない奴だった。
「まあ、その後はけっこう突っかかってきたんですけど……」
突っかかってきた理由を思い出しそうになり、クロニカは慌てて頭を振る。
「どうしたの?」
「い、いえ、その、虫の羽音がしたものですから、つい」
「羽音?」
アリーシェが首を傾げる。クロニカはごほん、と咳をして言い募った。
「だから! その頃はジュリウスのこと嫌いだったんですよ、オレ」
「でも、今は仲良しよね?」
「母上のお見舞いにジュリウスの母上がいらっしゃって、付き添いでジュリウスも来たんです。ジュリウスの母上、よくお見舞いに来てくださって、そのたびにジュリウスも来るものだから、相手をするうちに慣れてきたというか、まあ嫌いではなくなりまして。なんやかんや友達になって、今に至るというわけで」
決定的に関係を変えた、あの日のことは言わないほうがいいだろう。母が死んだ話でもあるし、父に言われた言葉のこともある。祖母を悲しませそうだから、尚更言えない。
濁した物言いだったが、アリーシェは気にした素振りを見せず、続きを請うた。
「いつ求婚されたの?」
「ついこの間ですよ。二人でお茶会していたら、進路の話になって、就職先として僕の妻にならないかって」
「好きって言われなかったの?」
「まあ、言われたことは言われましたが……」
剥製云々は言わないほうがいいだろうか。とてつもなく言いにくいので、聞かれても困る。
「まあ、今はオレの返事を待っているというか、返事をするまで口説くって宣言されたようなものかな、と」
「クロニカは、ジュリウス君のこと、どう想っているのかしら?」
「好きですけど、どの好きかよく分からないです」
「つまり、答え探し中ってことなのね?」
「はい」
クロニカは頷いた。
「どの好きか分からないってことは、友達の好きではないことは確かなのね?」
「近くて遠いっていう感じですかね?」
他の友人と比べると、そういう気がした。男友達でも女友達と同じようで、とても遠い。ジュリウスの存在は分類されず、そのままジュリウスとして分類している、そんな感じなのだ。
「じゃあ、家族愛的な?」
「友達よりも近いような……ああ、でもやっぱり遠いような」
「ふふ。本当に模索中なのね」
少し笑って、アリーシェはココアを飲んだ。
「そもそもオレ、恋とかしたことがないのでよく分からないんですよ」
「お友達と恋バナはしないの?」
「しても、外国語を話しているみたいに、意味が分からなくて」
「あらあら」
「オレ、早く返事をしたいのに、分からなくて」
俯きながら、辿々しく語る。
ジュリウスを待たせたくない。けど、答えがまだ分かっていない。揺蕩う想いを掴むことが、こんなに難しく感じたことなどなかった。
自分の気持ちが、よく分からない。
「そこまで分かっているんなら、もう少しで分かるんじゃないかしら?」
「いやいや、そこまで分かっていないですって」
「どれも違うってことは、けっこう絞られているってことよ」
絞られている意味が分からなくて、首を傾げる。確かに選択肢は減ったが、だからといって新しい選択肢が出来たわけではないのに。
「案外、もう答えはあるんじゃないかしら?」
「そう、でしょうか」
「私はそう思うわ。気付く切っ掛けがないだけで。焦らず、ゆっくりと見つけてあげなさい。そういうのって、ふとした時に見つかるものだから」
「探しているものが探していない時に。見つかるような感じに言われても……」
「あら、本当にそういうものよ?」
ココアを優雅に飲みながら、アリーシェが朗らかに笑う。なにか確信したような、含みがあるように見えて、クロニカはさらに首を捻らせた。




