あの頃の理由
「ところで、ジュリウス。どういうことだよ」
あの後、渋るヘンゼルを、アリーシェが押し切って、ジュリウスを含んだ四人でお茶をすることになった。始終、ヘンゼルはジュリウスを敵視していたが、アリーシェは友好的だった。
敵視していたが、最後までヘンゼルがジュリウスを追い出さなかったのは、ジュリウスがクロニカでは語れない、クロニカの昔話をしてくれたからだろう。クロニカにとっては、とてつもなく恥ずかしい話だったが、二人が喜ぶし、祖父の険悪な雰囲気も柔らかくなるので、自分を犠牲にするしかなかった。
アリーシェが和やかにジュリウスと話しているのを聞きながら、二つ名聞いたらどういう反応をするのだろうか、と少し心配になったのは、心の中に仕舞っておく。
お茶が終わり、クロニカはジュリウスを見送ることにした。その頃には夕方に差し掛かっていた。
ジュリウスは診療所の仮眠室に泊まるらしいので、そろそろ帰らないと診療所の人に迷惑が掛かるという。
クロニカが見送る、というので、ヘンゼルが反対したが、アリーシェが抑えてくれた。
玄関を出て、門のところまで着く間、クロニカは二人の前で訊けなかったことを訊いた。
「なにが?」
「なにが、じゃねーよ。全力でく、口説くって……返事は、卒業した後でもいいって言っていただろ?」
ジュリウスはたしかに言った。十年掛かっても待つと。それなのに、どうして今なのか、冷静になってきてから、ずっと疑問に思っていた。別に今ではなくてもいいのではないか、と。まるで急いでいるようだ。
「事情が変わったんだよ」
「事情って?」
「長期から短期勝負になったってことだ」
遠回しすぎる言葉に、クロニカは首を傾げた。
「なんかあったのか?」
訊くと、ジュリウスが立ち止まった。顔を覗き込んでみると、眉間に皺を寄せている。不機嫌には見えないが、怒りと不愉快が少しだけ混ざっているような雰囲気だった。
「ジュリウス? その事情って、ジュリウスの事情か? それともオレの事情か?」
ジュリウスが視線を逸らす。
クロニカに言っても問題ないのだろうか。それが気がかりだ。あまりクロニカを追い込むようなことはしたくないが、かといってクロニカに深く関わってくることだ。今、言ったほうがいいのか。
父親が、クロニカの結婚相手を隣国で探している、と。
しかし、本人が女装を推してくるのは見合いさせる気だから、と言っているので、大丈夫だろうか。
「あるんだな?」
確信した物言いで、クロニカの眼光が鋭くなる。
「あるんなら、言ってくれ。心の準備をさせろ」
クロニカにはその事情に心当たりがない。自分が知らない間に出来た事情なら、知る権利がある。
ジュリウスは、嘆息すると、語り出した。
「お前の父親が、お前の結婚相手を本格的に探している。しかも隣国まで話を付けようとしているらしい」
「隣国~?」
クロニカは、げっと顔を顰めた。隣国ということは、下手をすれば二度とこの国に帰れなくなるということではないか。
「だから、話を付ける前に口説きに来たわけだ」
「ああ。長期から短期になったっていうのは、そういう」
確かに話を付けるのなら、遅くても卒業する前だろう。
「父上は、余程オレを遠ざけたいんだな……」
隣国となると、父に会う可能性がぐんと減る。つまり、そういうことで。
「いや、半分僕のせいでもあるから」
「半分?」
「根回し、していたし」
「……」
そういえばそうだった。コイツ、オレのところに結婚話が来ないように、根回しをしていたんだった。
それを思い出し、クロニカは盛大に溜め息を吐いた。
「ああ、うん。それで、隣国」
「まあ、隣国だからさすがに慎重になると思う。国王の許可もいるから、国王のお目に掛かる人物を探すのは難しい」
「そうだな」
お互い公爵という爵位を持つ親の許で生まれてきたが、国王にお目に掛かれたことは一回しかない。
公爵とは、近かれ遠かれ、初代国王の血を引いている者が与える爵位だ。ルーカスも遠縁だが、遠からずとも王族の血を引いているから引き取ったのだ。
従って、ジュリウスとクロニカも王族の血は引いている。血縁からすれば、クロニカのほうが王族の血が濃い。父も王族の血を引き、母は現国王の従姉だ。ジュリウスは曾々祖母が王女で、ジュリウスの曾々祖父に降嫁して、公爵の位を貰った。
王族の血を引いているのだ。隣国といえど、位が低い家に嫁がせることはまず出来ない。だから、嫁げる家が限られる。王が納得できる家を見繕うだけでも、骨が折れること間違いなしだ。
「ところでさ、クロニカ」
「なんだ?」
「あの二人に、公爵の態度について話した?」
「いや」
クロニカは頭を振った。
「なんて説明しているんだ?」
「いや、最近会っていないとしか」
「関係の良し悪しは言っていないんだ」
「ああ。言いにくくて」
「たしかに。それに合わせたほうがいい?」
「頼む」
「分かった」
ジュリウスが頷く。なんだかんだで、クロニカに合わせてくれるのが、彼の優しさであり、クロニカの救いでもあった。男装がバレた時も、クロニカの事情に合わせてくれた。あの頃は、仲が悪かったのに、だ。
「なにが可笑しいんだ?」
「へ? 笑っていた?」
「変な顔で笑っていたぞ」
「失礼なっ! ただ、お前に男装がバレた時のことを、思い出しただけだよ」
「それ、あまり思い出してほしくないんだけど」
ジュリウスが眉間に皺を寄せる。彼の中では、失態の内に入っているようだ。
「いや、直後じゃなくて、翌日のほう。男装、秘密にしたほうがいいかって訊いてきただろ? 仲が悪かったのに、よく合わせてくれたなぁって」
「別にお前のこと、嫌いじゃなかったから」
「そうなのか?」
嫌味ばかり言われていたから、てっきり好かれていないかと思っていた。
「言っとくけど、初めて会った時から、別に嫌いじゃなかったから」
クロニカの言葉の裏側を察したのか、ジュリウスが付け加えた。
「だったら、なんで嫌味を言ったんだよ」
「嫌味じゃない。突っかかっただけだ」
「オレには嫌味に聞こえていましたー」
リボンタイが曲がっている、寝癖がついている。それくらいならまだ良かった。が、その後は本人曰く嫌味じゃない嫌味を投げてきたのだ。それが気に食わなくて、怒っていたものだ。
「それは悪かったな」
悪びれもなく謝られて、クロニカは半眼になる。
「お前なぁ……悪いとは思ってないだろ」
「いや、思っているよ。一応」
「一応かよ」
「あと、今のお前なら分かると思うけど、嫌っていたら存在自体無視するぞ、僕なら。あまりにしつこかったら、制裁を加えるけど」
「ああ、うん。そうだな」
ジュリウスが嫌っている、金魚の糞への態度を思い出し、クロニカは頷くしかなかった。
「そういえば、例の伯父さんのことは訊けたか?」
「うん。肖像画も見せてもらった」
「目、同じ色だった?」
「ああ。なんかお婆様から見ても、父上は伯父上に対して、敵愾心を持っていたらしい」
ジュリウスが来る前の会話を思い出しながら、口にする。祖母の寂しげな眼差しが、脳裏にちらついた。
「それからさ、父上の部屋にこっそり入ったんだけど」
あの部屋のことも思い出して、口にする。
「入っちゃったんだ」
「たまたまだよ。それで、伯父上と父上の肖像画らしきものを見つけたんだけどさ、悲惨と言うしかないほど、破かれていた」
「いた?」
「とくに目の部分なんか、額縁に跡が残るくらい、こう、ガリガリした跡があった。二人とも、顔がなかった」
ジュリウスが半眼になって、若干引く。
「うわ……それはちょっと、狂気を感じるな」
「うーん。お前が言うなって感じだけどな!」
好きな人が死んだら剥製にして眺める発言した人に、狂気云々とか言われたくない。クロニカはそういう気持ちを込めて、言い放った。
「ああ、あと、伯父上、近くの森の崖から落ちて亡くなったって」
「あそこか」
「なんか、その時父上も一緒にいたみたいで、途中ではぐれたって」
「公爵も?」
ジュリウスが目を丸くする。そして、顎に手を添えて、俯くと考え込んだ。少し経って、ジュリウスが再びクロニカに視線を向ける。
「もしかしてさ、その森でなにかあったんじゃないか?」
「え?」
「敵愾心を持っていたとしても、一緒に森に行くくらいには、少しはそのお兄さんのこと好いていたんじゃないか? 憎んでいたら、一緒にいたくないだろうし」
「そう、かも」
昔は仲が良かったと言っていた。その頃の情が、少しでも残っていたのかもしれない。それなら、一緒に森に出掛けたことも納得は出来る。
「まあ、その逆も然りだけど」
「え?」
「いや、ただの独り言」
ジュリウスは頭を振った。
「クロニカ、その森に行く気か?」
「そうだけど」
「明後日にしとけよ。付き合ってやる」
クロニカはきょとんとした。
「いいのか? 仕事は?」
「たまには息抜きしなきゃ。それに、クロニカだけで行ったら遭難しそう」
「ぐぐ」
否定は出来ない。方向感覚に疎いのは、自覚していた。広い学園で何度も迷った記憶が蘇る。迷子になっていたところを助けてもらって、仲良くなったのがリリカなので、悪いことばかりではないが。
「それじゃ、散歩がてら、診療所に行くから」
「僕としては、迎えに行きたいんだけど」
「俺はいいけど、お爺様が阻止しようとすると思うから、こっそり行きたい」
「ああ……そうだな」
ジュリウスは遠くを見ながら、納得した。ジュリウスが迎えに行ったら、ヘンゼルが阻止しようとして波乱が起きそうだ。
「あ、そうそう。突っかかっていた理由だけど」
「お、おう?」
いきなり話を戻されて、クロニカはどもった。忘れていたというのに、一体なんなのか。いつもなら、そのままはぐらかして終わるのに、どういった風の吹き回しか。
「初めて会ったときから、お前の瞳、気に入っていたから」
「は?」
「お前の瞳が見たくて、突っかかっていたんだよ」
ジュリウスがそっぽ向いた。
「言っただろ? 男だろうと女だろうと関係ないって。つまり、そういうことだよ」
絶句した。
ジュリウスは踵を返し、また明後日、と呟いて立ち去った。その背中を見送り、見えなくなってから我に返る。
踵を返した瞬間、ジュリウスの耳が僅かに赤かった気がして、ぶわっと顔が真っ赤になった。
(え、ええぇぇぇ……つまり、え、ええぇぇぇぇ)
それしか言葉が浮かばなかった。
照れと恥ずかしさの中で、少しの嬉しさが込み上げて、さらに赤くなる。
父が憎しみを抱いているこの瞳を、好きと思ってくれている人がいる。それが心強かった。




