伯父のこと
「よし、できた」
うん、と満足げに頷いて、クロニカは出来上がったシフォンケーキを眺める。人参が入っているため橙色に染まっているが、味は美味しいはずだ。
かつて、人参嫌いだったジュリウスの弟、ジェットも、美味しいと太鼓判を押してもらったものだ。その後もほうれん草やとうもろこしを使った菓子を作ったものだ。
ジュリウスはとうもろこしが嫌いなのだが、とうもろこしを使った菓子を出したとき、嫌な顔はしたが、なんだかんだで完食してくれた。
そこまで思い出し、クロニカはむっと眉を寄せる。
手紙を出して十三日経過したが、未だにジュリウスからの返事は来ていない。往復で十日掛かるが、それにしたって遅い。
(別に返事とか欲しいとは思わねーよ。ただ、お土産のこともあるし)
そう、拗ねてなんかいない。ただ、お土産に困るから苛ついているだけだ。
言い訳を、つらつらと並べるが、我に返って頭の隅に追いやる。
これでは、来ないことに傷付いているみたいじゃないか。決してそうではない。
(返事の内容に困っているだけだな、きっと。あいつ、マメなところあるけど、筆無精だし)
うんうん、と頷いて、包丁を手に取る。粗熱はだいたいとった。もう切り分けられる。
シフォンケーキを五等分に切り分け、三つを別々の皿の上に載せる。祖父と祖母、そして自分の分だ。残りの二つは、おかわり用だ。
あとは生クリームを添えて、出来上がりだ。
「お爺様、そろそろ帰ってくるかな」
今日は月に一度の定期検診の日らしく、祖父ヘンゼルは医者のところへ向かった。本来なら、貴族は家で待ち、医者が自ら赴くのが普通らしいが、診療所が近くにあり、リハビリを兼ねて行っているらしい。
「一緒に行けば良かったかなぁ。一緒に歩くのは庭ばっかりだし」
祖母アリーシェとなら、領地を一緒に歩いたことがあるが、祖父とはない。
「あ、飲み物はどうしようか……お婆様に訊きにいこうかな」
エプロンを外し、厨房を出る。祖母は部屋にいるはずだ。
祖母の部屋の前まで移動し、ノックをする。だが、返事がなかった。もう一度、ノックをするが返事がない。
どうしたんだろう、と思い、ハッとする。まさか、倒れているかもしれない。いや、でも、居眠りしているだけかもしれない。
悩みながらも、クロニカはそっと扉を開けた。
アリーシェは起きていた。ベッドに腰を下ろし、両手で持てるほどの大きさの額縁を持って、それに描かれている絵を眺めている。
「お婆様……?」
おそるおそる声を掛けると、アリーシェがびっくりしたようにこちらに振り向いた。
「すいません、ノックしても返事がなかったので……」
「あ、あら、ごめんなさい。ボーッとしていたわ」
淡く微笑む祖母から、哀愁を感じる。立ち上がらない祖母の許に近付き、訊ねる。
「あの、その額縁は?」
「これ? これはね、昔描いてもらった家族の肖像画よ」
「肖像画? あの、見てもいいですか?」
「もちろんよ」
アリーシェが座っている横をぽんぽんと叩く。許しを貰ってので、横に座って肖像画を覗き込んだ。
それには、若かりし祖父母と幼い父らしき男の子がむっつりとした顔で、こちらを睨んでいた。そしてもう一人、知らない人がいる。群青色の髪に、空色の瞳。優しそうな面持ちをした少年が、儚い笑みを浮かべている。
あの二人だけの肖像画ではないことに、少し安心した。
「この優しそうな人が、クリス伯父上なんですか?」
「ええ、そうよ。夫にも私にも似ていないでしょう?」
「いや、そんなことは」
アリーシェがくすっと笑う。
「気を遣わなくてもいいのよ。この子はね、私のお母様……クロニカの曾祖母似なのよ」
「へぇ……曾お婆様って、こんな顔をしていたんですね」
自分が生まれるずっと前に亡くなった祖父母を思い描きながら、クリスの瞳の色を覗き込む。確かに、自分と同じ色だ。
「クリスに興味がある?」
「はい。庭師のじいやも言っていましたが、伯父上とオレの目の色、同じだなって」
「そうね……ほんとうに、よく似た色ね」
アリーシェは懐かしそうに目を細める。その瞳がどこか寂しげで、クロニカは慌てて話題を変える。
「そ、そういえば、父上はお爺様とよく似ていますね! 生き写しかっていうくらいに」
「ふふふ。私も思ったわ。性格は私寄りだったみたいだけど」
「ええ! そんなことはないですよ!」
祖母は確かに厳つい印象を与えてしまう顔だが、よく笑っている。対して父は、無愛想すぎる態度が常で、笑みを浮かべるのは母の前以外になかった。
「あの子、あなたの前でも無愛想なの?」
「は、はい」
歯切れが悪く応える。あまりにも祖父母が自分のことを大切にしてくれているので、愛されていないことを言っていないのだ。言ったら、悲しませるに違いないから、尚更言いづらい。
「あの、クリス伯父上って、どんな方だったんですか?」
「とても優しくて、周りに気を遣ってばっかりの子だったわ。身体が弱くて、自由に動き回ることができなかったけど、調子が良い時はジルドと遊んであげて、弟想いの子でもあったわ」
「へぇ……」
弟想い。親に構ってもらえず、代わりに兄が構ってくれていたのだろうか。だが、それなら何故、存在をなかったことにしたいほど嫌っているのだろうか。複雑な思いがあったにせよ、構ってもらい、優しくしてもらったら多少なりとも軟化する気がするのだが。
(まあ、父上の気持ちなんて分からないし、逆にそれが気に食わなかったのかもしれないしなぁ)
クリスから、むっつり顔の父に視線を移す。不服だ、という心の声が聞こえてきそうだ。むっつりしているが、この頃のほうが感情が豊かに見える。
「でも、ジルドったら反抗期に入ったみたいで、クリスのことを毛嫌いするようになってね……ジルドのことを構ってやれなかった私たちが悪いのだけれど。クリスが寂しそうにしていたわ。それまでは仲が良かったから、なおさら」
「お婆様……」
「ジルドに言われたわ。お母様はぼくよりも兄上のことが大事なんだって。小さかった頃、構ってあげられなかった分、構いたいのだけど」
はぁ、とアリーシェが重く溜め息を吐く。
「あの子は、私たちのこと許さないだろうから、無理な話ね」
クロニカは俯いてしまった。否定したいのに、出来ない。きっと、それは当たっているから。
親が手紙を出して返事を出さないのも、顔を出さないのも、父が祖父母のことを嫌っているからに違いない。けど、祖父母は違う。二人とも父の話をするときは、申し訳なさそうな顔をする。後悔しているのが、ありありと伝わってくる。
それなのに、それが父に伝わらない。自分は父に嫌われているから、聞く耳すら持ってくれないだろう。
母が生きていたら、違っていたのだろうか。
「あの、伯父上は、崖から落ちて亡くなったと聞いたのですが」
「ええ。近くに森があるでしょう? その森の中にある崖から落ちて……崖自体、そんな高くはなかったけど、打ち所と発見した時間が遅くて」
アリーシェが肖像画をそっと撫でる。父、伯父の順番に、優しく。
「あの日のクリスは、身体の調子が良くて、ジルドも機嫌が良かったわ。たまたまそういう日が重なったのよ。ジルドがクリスを森に誘ったの。久しぶりに自分を誘ってくれたから、張り切って行った背中が最後だったわ」
「え? 父上も一緒だったんですか?」
「帰りがあまりにも遅いから、捜索隊を結成して、森を探したの。ジルドは途中でクリスとはぐれちゃったみたいで、ジルドはその捜索隊に保護されたのよ」
「そうだったんですね」
そのとき、ノックの音が聞こえた。
「入りなさい」
祖母が返事をする。入って来たのは、セリーヌだった。セリーヌは父が公爵を継ぐ前から祖母の侍女をやっている、古株だ。
「奥様、お嬢様。旦那様がお帰りになりました」
「分かったわ。クロニカ、一緒に出迎えましょう」
「はい」
アリーシェは肖像画に布を被せ、大きなクローゼットの中に入れた。慣れた手つきのように見えたから、おそらく定期的に肖像画を眺めているのだろう。
アリーシェの後を付いていき、玄関の大広間に向かう。祖父の部屋は足が悪いため一階にあるが、祖母の部屋は、二階にある。部屋を出て、玄関の大広間を見下ろすと、祖父の姿が見えた。
祖父に声を掛けようとしたが、声が出なかった。祖父の後ろにいる人物を見て、驚愕したのだ。
蜜色の髪に、端正な顔。それは、紛れもなく王都にいるはずの彼で。
「おかえりなさい、診察のほうはどうだった?」
アリーシェがヘンゼルに話しかける。ヘンゼルがこちらを見上げ、彼も見上げた。
「ただいま。なに、いつもと変わらんよ」
「そう。そちらの方は?」
アリーシェはヘンゼルの後ろにいる彼に気が付き、首を傾げる。
彼は愛想笑いし、アリーシェに会釈した。
「はじめまして、前公爵夫人。ジュリウス・セピールと申します。次期マカニア公爵ルーカスの依頼で、診療所に最新医療技術を伝達するため、参りました」
クロニカの思考が止まっているなか、アリーシェが目を丸くしながら、階段を下りていく。
「セピール? もしかして、セピール公爵の?」
「はい。長男でございます。今はしがない医学者ですが」
「若いのに医学者だなんて、すごいわね」
「恐縮です」
硬直しながら、クロニカはジュリウスを凝視する。
(どうして、ジュリウスがいるんだよおおおおおおお!!)
理由は言ったが、理解が追いついていない。頭の中で、理解と現実と激情がぐるぐると追いかけっこをしている。
「クロニカ? どうしたの?」
祖母に話しかけられ、クロニカは我に返った。ジュリウスと目が合う。ジュリウスがにっこりと笑う。
――あ、なにか企んでやがる。
笑顔を見て、確信した。
「あなたも、どうしてそんな顔をしているのかしら?」
「いや、その」
祖父を一瞥すると、剣呑な顔をしていた。再びジュリウスを見ると、さらに笑みを刷り上げた。つまり、心当たりがあるということなのか。
クロニカは嘆息しながら、階段を下りた。
「ジュリウス……お前、お爺様を挑発するようなこと言ったのか?」
「とくには?」
「とくにはって」
つまり、多少はしたっていうことなのか。呆れていると、アリーシェが二人を交互に見ながら、話しかけてきた。
「二人はお知り合い?」
「はい。母親同士が仲が良くて、よく一緒にいました。次期マカニア公爵であるルーカスの依頼で来たので、ここにいらっしゃるという御二人にも挨拶をと思いまして、たまたま診療所で出会った前公爵殿と一緒に参りました。それと、クロニカが元気でやっているのか、様子を見に」
答えたのはジュリウスだった。アリーシェが目元を緩ませる。
「そうだったの。クロニカと仲良くしてくださっているようで」
アリーシェが会釈する。ジュリウスも、いえいえ、と言いながら頭を下げた。
「元気にって、手紙で書いただろ? 見なかったのか?」
書けって言ったから書いたのに、と思いながら唇を尖らす。ジュリウスはクロニカに視線を向けた。
「見たよ。返事を書かなかったことは悪かった。返事を書こうとしたら、ルーカスが来て、今回の件のことを頼まれたんだ。準備で書く暇がなくて。それに会うんなら、手紙の返事は直接言おうって思ったんだ」
「まあ、一つ、お土産買わなくてよくなったのは、いいけど」
理由を聞いて、苛立ちが消えて、クロニカは頬を掻く。
そんな理由があれば、仕方ない。
「そういえば、医療技術の伝達って?」
「そのままだ。最新の医療技術が王都だけになると、遠い地方の人は辛い。それに、昔ながらで効率の悪いうえに、あまり意味がない医療方法が最新だと思っている地域もある。そんなわけで、医者、もしくは医学者が遠い地域に出張して、最新の医療技術を伝達するっていう役割があるんだ。医療技術は日々進歩しているから、大事なことなんだ」
「なるほど」
「ここは定期更新を怠っていないから、早く終わりそうだけどな」
ジュリウスが説明をし終えると、ヘンゼルがけっと吐き捨てながら言い放つ。
「ならさっさと伝達して、帰れ」
「あなた!」
アリーシェが叱咤する。クロニカは半眼で、ジュリウスを見据えた。比較的温厚な祖父が、初対面であるジュリウスに対して、やけに攻撃的だ。とくには、とは言っていたが、その中でなにが祖父の逆鱗に触れたのだろうか。
「ジュリウス……お前、ほんとう爺様になんて言ったんだよ」
「だから、とくにはないって」
しれっと言いのけながら、さらに紡ぐ。
「ああ、でも、それは建前でクロニカを全力で口説きに来たことは言った」
「………………は?」
さらりと告げられた言葉に、クロニカは呆けた。アリーシェは、まあ、というばかりに目を見開き、口に手を当てている。その瞳は、なんだか輝いている。
「だから、娘はやらんっていう父親に似た心境なんだと思う」
ヘンゼルの顔に青筋が立つ。分かっているんなら言うな、と顔が語っている。
ジュリウス、お爺様、オレは孫であって娘ではない。とは、思ったが、祖父の気持ちが少し嬉しくて、照れながら笑った。
「クロニカはやらんぞぉ!」
「あなた、クロニカは十八歳よ。婚約者がいてもおかしくない年頃なんだから」
「それでも寂しいものは寂しい!」
喚く祖父に、呆れた表情で見やる祖母。ジュリウスは、クロニカを一瞥して囁いた。
「手紙通り、大切にされているな」
声色が少しだけ嬉しそうだった。何故、そんな声で言うのか想像が出来て、ああ、と肩の力を抜いて返事をした。
とりあえず、残りの時間が色々と面倒なことになる予感は、頭の隅に追いやった。




