父の部屋
祖父母が暮らしている屋敷は、領主が領地にいる間、領主が寝泊まりし仕事をする場所だ。そして、休息で訪れる場合が多い。
父はここに帰らず、別邸で過ごしているという。別邸がどこにあるのか知らないし、別邸は別荘のようなものということしか知らないが、別邸のほうが規模が小さいらしい。
別邸でも、仕事は出来ることは出来るのだろう。ここは領主にとって都合が良い場所に建立されている。別邸は領主が仕事をすることを想定して作っていないので、仕事という面ではあちらは不都合だという。
(つまり、仕事にとって不都合だろうが、こっちには絶対に来たくないってことか)
あの仕事大好き父が、都合を後回しにするなんて。確執が深すぎる。
(うーん。それなら、そもそも別邸にお爺様たちを住まわせばよかったのに)
と、考えながらクロニカは屋敷の中を散策していた。自由に探検してもいい、と二人から許可を貰ったので、お言葉に甘えているところだ。
昨日、お茶会を終えた時点でジュリウスに手紙を書き、早々に出したので、とりあえずここに来たらやることは終わった。あとは、伯父のことを聞けたらな、と思う。
「にしても、あっちの屋敷とは違うなぁ」
王都の屋敷は大きく、所々に骨董品が飾られていた。だが、ここは骨董品を飾っていない。あるのは絵画で、人ではなく自然を描いているのが多い。
(けっこう、人の絵を飾っているのが多いけど)
友人の家では、先祖の肖像画だったり、神話や歴史の場面を描いたものがほとんどだった。
(そういえば、ジェットって昔、人の絵が怖くてびーびー泣いていたって、ジュリウスが言っていたなぁ)
まあたしかに、夜中に目が合ったら驚くし泣くわな、という感想を抱いた。あまりにも怖がるから、人の絵は飾らなくなったと聞いた。
(もしかして、そんな理由かなぁ)
たとえば、伯父か父が怖がったから、人の絵を飾らなくなって、結局そのままとか。
(もし父上だったら、昔は可愛げあったんだなぁ)
思わず小さく笑ってしまう。今は仏頂面で、可愛げ一つもないが、幼い頃はそうだったかもしれない、と思うと少し微笑ましい。
「ここは、なんの部屋かな」
二階の奥にある部屋に辿り着いて、扉の表札を見る。そこには、ジルド、と書かれていた。
クロニカは目を見開く。
(と、いうことは、ここは父上の部屋?)
ものすごく気になる。だが、父の部屋を無断に入るわけには。それでも気になる。好奇心は恐怖に勝つものなのだ。
周りに誰もいないことを確認し、クロニカは一種の背徳感に背中を押されながら、扉をゆっくりと開いた。
中は薄いカーテンから漏れる光のおかげで、薄暗いが足下は見えていた。埃がそんなに舞っていないようで、光に反射する埃が少ない。
音を立てないように、ゆっくりと扉を閉める。中に入って、少し歩いてみるが全然埃っぽくなかった。クロニカは辺りを見渡しながら、首を傾げる。
(ここには帰ってこないわりには、部屋が綺麗だな)
箪笥の上を見るが、そんなに埃が被っていない。ベッドも見てみるが、古いシーツではない。
(定期的に、掃除されているのか?)
帰ってこない主が、いつでも帰ってきていいように、ずっと。
考えてくると悲しくなり、クロニカは目を瞑る。ほぼ空き部屋だと思っていたが、祖父母にとっては空き部屋ではない。ずっとここは、父の部屋なのだ。
出るべきか、と思ったが、出る気にはなれなかった。部屋に縫い付けられたように、身体も気持ちも重い。
クロニカは目を開いて、改めて辺りを見渡した。子供の頃から調度品などは変わっていないのだろうか。赤い壁に広いベッド。本棚、ソファベッドに箪笥、普段用の机に勉強机、そして椅子が三脚。どれも古そうだが、手入れが行き届いている。
本棚を見てみても、本も埃を被っていない。隅々まで掃除しているのが分かる。適当に経済の本を一冊取り出して、中を見てみる。インクの香りが鼻腔を掠めた。本の最後の頁には、必ず世に出した日が書かれている。それを見ると、この本は父が十歳の頃に世に出た物だった。古びた調度品は代えたかもしれないが、本は当時のままのようだ。
本を戻して、本棚に並べられた本の題名をざっと見る。娯楽小説はなく、経済、歴史、地理、造船が中心のようだ。どうして造船なのか気になって、一冊の造船関連の本を手に取って、捲ってみる。
すると、所々に洋紙が挟まっていた。見てみると、構造がどうのこうの、という解釈と、こういった方法を採れば船の強度が上がるではないか、という考察がびっしりと書かれていた。
船の構造についての知識はないが、すごい情熱を感じる。
(父上って、船にすっげぇ興味があったのか……?)
今はどうか分からないが、少なくても小さい頃は船が大好きで、船の構造などを色々と調べていたらしい。もしかしたら、将来は自分の考えた最強の船を建てるのが夢だったのかもしれない。
剣を振るい、国を救った英雄と名高い青獅子の、小さい頃の夢は設計士だった可能性。
父の意外な一面を見て、ほくそ笑む。
本を戻して、本棚から離れて、大きな箪笥に目を向ける。気になるものを発見して、首を傾げる。
箪笥の裏側に隙間がある。普通は、壁との隙間を無くすように設置するのに。
なんとなく気になって、隙間を覗き込むと、何かがあった。布で包まれた額縁に見えた。箪笥を少し動かして、それを取って見る。形を考えると、やはり額縁のようだ。大きさは両手で持てるほどの小ささだった。
隠すほどの額縁だろうか、と不思議に思いながら、ゆっくりと布を取り外してみる。布を完全にとって、床に落ちる。しゅるり、という布が擦れる音が、やけに部屋に響いた。
現れた絵の全貌を見て、クロニカは絶句した。
そこに書かれているのは、二人の少年だった。大きい少年と小さな少年。残されている髪の色からして、小さいほうは父の幼い頃だろうか。大きいほうの少年は、もしかしてクレス伯父なのか。
だが、クレス伯父の顔は窺えなかった。そして、父らしき小さい少年の顔も。
小さいほうの少年は、髪の一部と服の一部を除いたところが破られており、顔が分からない。対して、大きいほうの少年は服の部分は残っていたものの、顔の部分が丸々破られており、全貌がない。しかも、目があった場所には、細く尖ったもので何度も強く引っ掻いた跡が残されている。
無残な肖像画を目の当たりにし、クロニカは立ち尽くす。
この姿にしたのは、幼い父であろうか。何故、こんなことを。
「いったい、二人の間になにがあったんだ……?」
肖像画に問いかけても、分かるはずがない。分かるのは、父に巣くう闇はとても深いものだということだけであった。




