ジュリウスとルーカス
「お土産なにがいいって……返信しなくちゃいけないじゃないか」
自室でクロニカからの手紙を読み、ジュリウスは苦笑しながら呟いた。手紙を畳み、封筒の中に戻すと、ちょうど封筒が入る程度の大きさの箱の中に入れた。
(まあ、祖父母に気に入ってもらえたのなら、安心だな)
もしも、厳しい人達ならどうしようか、と心配していたのだが、杞憂に終わった。クロニカの男装にも寛容的だというから、のんびりと過ごせそうだ。
安堵しながら、ジュリウスは椅子から立ち上がる。プライベートで手紙を送ったことなど一度もなかったので、部屋に便箋が置いていないのだ。
本当は、返事を書く気はなかった。文通になると、一回のやりとりで約十日も掛かってしまう。短い夏休みの間しかあちらにいないし、十日間のズレは大きい。返事を出しても、ややこしいと思っていたのだが、お土産の件を訊かれると、返事を書かないわけにはいかない。
(返事をしないと、クロニカ気にするかもしれないから、まあ良かったのか……?)
だが、お土産はなにがいい、と訊かれても困る。クロニカが無事に帰ってきてくれたら、それだけでいいのだから。
とりあえず、女中に便箋を持ってくるよう頼もうと部屋を出ようとすると、扉のほうからノックの音が聞こえた。
「兄上、いますか?」
弟、ジェットの声だ。
昔は自分のことを怖がっていたジェットだが、今は大分改善され、ジェットから話しかけるほどまでになった。ズバズバと余計なことを言うところは、改善してほしいところだ。
扉を開けて、ジェットを見る。自分よりも顔一つ分低いので、ジェットは上目遣いで自分を見上げている。瞳と髪の色は自分と同じだが、顔立ちが母似だ。中性的ともいう。
「どうしたんだ?」
「あの、ルーカスっていう人が来て、兄上と話したいって」
「ルーカスが?」
ジュリウスは思わず、胡乱げに表情を歪める。どうして、ルーカスが来ているのか。お伺いの手紙を出さなくてもいいほど、仲は良くないはずだ。ルーカスは常識人のはずだが、いったい何の用だろうか。
「知り合いですか?」
「クロニカの義兄だよ」
「クロニカさんの?」
ジェットが首を傾げる。そして、はっとした顔を浮かべ、ジュリウスを見据えた。
「兄上……! まさか、外堀から埋めようとしているんじゃ」
「ジェット? それはどういう意味だ?」
ジェットの柔らかい両頬を抓み、容赦なく伸ばすと、ジェットが悲鳴を上げた。
「いひゃいうぇす~!」
「ジェットの中の僕は、どんな男なんだ? ん?」
やたらと伸びがいい頬を、さらに伸ばす。
「ひひゃひゃひゃひゃ!」
「言っとくけど、埋めるつもりはないからな」
薄らと涙を浮かべていた目が、丸く見開く。その目が「そうなの? 絶対にするつもりだと思っていた」と雄弁に語っていたので、昔クロニカにやられた、たてたてよこよこまるかいてっちょん、を実行した。
解放されたジェットは、自分の頬を労るように摩り、涙目でジュリウスを睨めつける。
「埋めるのは、言質を取ってからだ」
「あ、結局やるんだ……あれ? 兄上、まさかクロニカさんに告白したの?」
きょとんとするジェットに、ジュリウスは内心舌打ちをする。
告白したことは、誰も言っていない。自分のことを一番応援している母さえも言っていない。言うつもりはなかったのだが、弟に勘づかれるとは。言動と行動の割には、勘が鋭い弟がこういう時恨めしい。
「さて、いつまでも待たせるわけにもいかないから、行くよ。ルーカスはどこにいるんだ?」
「応接間にいるはずだけど……え、やっぱりこくは……うん、そうだね! 待たせるのは良くないよね! いってらっしゃい!」
満面の笑顔を刷り、手をわきわきさせると、ジェットは素早くジュリウスから離れた。
ジェットから視線を逸らし、応接間に向かう。
応接間に入ると、椅子に座って、紅茶を片手に飾られている絵を眺めているルーカスがいた。
「ルーカス」
声を掛けると、ルーカスは我に返って慌てて立ち上がった。
「こんにちは、ジュリウス。突然お邪魔して、申し訳ない」
「全くだ。どうしたんだ? お伺いの手紙も出さないほど、常識がないというわけじゃないっていうのは、僕の記憶違いだった?」
「ほんと、すまない。なにせ、手紙を出す暇もなくて」
「跡継ぎ修行、そこまで厳しいのか?」
「んー。まあ」
ルーカスは曖昧に答えた。
ジュリウスは、ルーカスの向かいの席に座る。ルーカスも腰を下ろした。傍に控えていた女中が、紅茶を淹れてくれているのを視界の隅で確認し、ルーカスを見据える。
こうして一対一で話すのは、なにげに初めてだ。いつもはクロニカを介して話していたので、少し新鮮だ。
「それで、どうしたんだ?」
「その前に確認したいんだけど」
「なに?」
「君、もしかしてクロニカに告白したか?」
ジュリウスは、眉間に皺を寄せるが、否定はしなかった。またこの質問か、と内心辟易する。
「そうか、やっぱりか」
沈黙を肯定を受け取ったのか、ルーカスはうんうんと頷く。
「最近様子がおかしいと思っていたんだよなぁ。時々奇声上げるし」
「……それを確認する意味は?」
訊ねた途端、ルーカスは厳しい表情を浮かべた。常に笑顔を浮かべている彼にしては、珍しい表情だ。
「実は、あの人が本格的にクロニカの結婚相手を探し始めて」
「……ほう?」
ジュリウスは目を細くする。その目は、鋭利な刃物のような、鈍い光を放ち、ルーカスを捉える。
驚くことはない。前のお茶会の時も、そんな話をしていた。
「同世代は無理だと判断したあの人が、次は年上のほうを探していたんだが、誰かさんが根回しをしていたせいか、全然縁談がやってこなくて」
「へぇ。その誰かさんって誰だろうね。良い仕事をしている」
いけしゃあしゃあと言い紡ぐジュリウスを、ルーカスがジト目で見据える。犯人は誰なのか、目の前の人物は見破っているみたいだが、視線に気付いていない振りをした。
「まあ、国内にはいないとなると、隣国を跨がないといけなくなったんだ」
「隣国、ね」
隣国だと根回しが難しい。隣国の伝手を探さないと、と思案しているとルーカスが遮る。
「根回しがどうのこうのって考えている?」
「どうだろうね」
「根回しするくらいなら、外堀埋めなさいって」
ルーカスが呆れたように、溜め息をつく。
ジュリウスは出されたお茶を受け取り、一口飲んだ。
「ていうかさ、その縁談の話、僕のところに来ていないんだけど。普通、そういうのは近場か利益があるところから話をつけてくるんじゃないのか?」
「セピール家とマカニア家は、近い間柄になるからね。だから、じゃないかな?」
「つまり、クロニカの情報が入ってこないようにするため、とか、できるだけ会わないようにするとか、そんな理由?」
「そういう理由だと思う。俺がクロニカの結婚を止めさせようとしたら、いらない用事を押し付けてきたし。邪魔されたくないんだろうね」
「なるほど。時間がない理由って、それか」
淡々としている声色だったが、目が笑っていない。ルーカスは苦笑を漏らした。
「少しでも時間を稼ぐために、あの人に内緒でクロニカを領地に送ったわけだけど、いつまでもつか」
「クロニカに協力したのって、それも含んでいた?」
「最初はどうやって、ここから離れてもらおうか考えていたけど、あっちからお願いされてよかったよ」
言いながら、ルーカスはふぅ、と息を吐き捨てる。
たしかに公爵とクロニカが、屋敷内で擦れ違うことは滅多にないらしいが、それでも同じ屋根の下で暮らしているのだ。公爵がいつ気付くか、分かったものではない。
気付いて、クロニカが嫌っている自分の両親の許にいると知ったら、どう反応するのか。
「クロニカがあっちにいると知ったら、お前はどうなるんだ?」
「後継だということには変わりない。書類出して、承認されたから。でもバレたらものすごーく怒られて、罰を受けるだろうね」
しれっと言いのけたルーカスに、ジュリウスは眉間に皺を寄せる。それほど、クロニカの婿探しに必死ということだろうか。
「そういうことで、ジュリウスに頼みたいことがある」
「なに?」
ルーカスが姿勢を正し、真摯な眼差しでジュリウスを射貫く。
「外堀を埋める協力するから、本格的に口説いてくれ」
真剣な声音で言い紡がれた言葉に、ジュリウスは思わず顔を顰める。
「ねぇ、ジェットといいルーカスといい、なんで僕が外堀を埋める前提で話すの? 今はその気ないんだけど」
「ジェット君の分も言わせてもらうけど、根回ししといて外堀埋める気がないとか、なにほざいているんだ?」
「はははは」
感情が籠もってない、棒読みの笑声を上げるジュリウスに、ルーカスは肩をすくめる。
だが、そうしたほうが良さそうだと、内心思った。
じっくりと攻め落として、クロニカの速度で、ゆっくりと答えを出してほしかったのだが、そう言ってられる猶予は残っていないようだ。
さすがに隣国となると、伝手がすぐ見つからない。親戚でもある王子にも頼もうにも、王子ができることといえば、精々公爵と王に進言するくらいだ。
この国では、貴族が隣国の誰かと婚姻を結ぶには、王から許可を貰わなければならない。王子から王に許可を出さないよう頼めるかもしれないが、効果があるとは思えない。
確実にクロニカを嫁にするには、目の前の男の協力も必要だろう。しかし、疑問が上がる。
「……あのさ、どうして僕なんだ?」
「え?」
「たしかに僕は、クロニカが好きだ。けど、幸せにするという保証はない。僕は医学者だが、死神とか、黒い噂もある。普通、そんな男の許に妹を嫁がせたいとは思わないだろう? 恋愛的な意味でクロニカを好きじゃない男もいるけど、それでもマシな男はいるはずだろ? それなのに、どうして僕に協力するんだ?」
ルーカスは、きょとんとした顔でジュリウスを眺める。そのきょとんした顔が、少しだけクロニカに似ている。血の繋がりが垣間見えるな、とジュリウスは心の隅で思った。
「どうしてって言われても、そういうところとか、かな」
「具体的に言ってくれる?」
「うーん。ジュリウスは、クロニカの男装、止めさせたいと思うか?」
「はぁ? 別に思ったこともないけど」
ジュリウスは胡乱げになりながら、答える。
どうして、そういう話になる。視線で訴えるが、ルーカスは答えることなく言い募る。
「あの子、男装しているから凜としているけど、よくよく見ると可愛い顔しているから、女の子の格好させるとすごく似合うと思うんだ。ジュリウスはどう思う? クロニカの女の子の姿、見たくないか?」
「別にどっちの格好していても、クロニカはクロニカで、僕にとって変わらないから、思わないけど。まあ、似合っている件については同意だけど、着せたいとは思ったこともない」
「どうして?」
どうして、と言われても具体的な言葉はない。何を着ても、飾っても、ジュリウスにとって、クロニカはクロニカだ。それに尽きる。
だが、それはさっき言った。つまり、求めている内容とは異なるということだ。
どうして。訊かれてみると、なかなか言葉には出来ない。なにか、例えたほうがいいかもしれない。
曖昧だった表現をかき集め、ジュリウスは言葉にした。
「磨いたら宝石は綺麗になるけど、原石のほうが美しいものもあるだろ? それと一緒だ」
それが、一番しっくりくる例えだった。
告げられた言葉に、ルーカスは満足げに満面の笑みを浮かべた。
「うん、だから俺は、ジュリウスならクロニカを任せられるって確信しているんだ」
「はぁ?」
ジュリウスは半眼になる。
「ジュリウスは、クロニカの個を尊重してくれる。だからこそクロニカを任せられるんだ。他の男がそうとも限らないし」
「まあ、そうだな」
クロニカの男装は浸透しているが、それを快く思っていない輩もいる。女のくせに、とか、女のなり損ない、と陰口を言われているのを知っている。公爵が選んだ男が、クロニカの男装を受け入れない可能性もある。
クロニカにとって男装は、鎧であり、己の一部だ。捨てろと言われても、そう簡単に捨てられるものではない。
なるほど。だから自分なのか。すとん、と腑に落ちた。
「協力してくれるのはありがたいけど、具体的には何をやってくれるんだ?」
「そうだな……時間稼ぎとあとは斡旋かな?」
「斡旋……?」
怪訝そうなジュリウスに、ルーカスはにっこりと爽やかな笑顔を刷った。




