祖父母とお茶会
アリーシェに案内されたのは、応接室ではなく庭だった。王都の屋敷は華やかだったが、ここの庭はまるで村のようだ、とクロニカは思った。
花迷宮のように、花壇が道になっているわけではない。庭なのに小川が流れ、小道が道を示している。時々別の道が現れたり、木製の小さな門や積まれた石で出来た塀もあった。
庭や秘密基地というより、本の挿絵でよく見る田舎の風景みたいだな、と、アリーシェの後を付いていきながら、辺りを見渡す。ずっと王都にいたので、本当の田舎風景を見たことがなかったのだが、こんな感じなのかもしれない。
「どう? この庭」
「のどかで、時間の流れがゆっくりとしている感じがして、オレは好きですよ」
「よかった。私もこの庭が好きなの。クリスも好きだったわ」
視線をアリーシェに向ける。
「クリスって……伯父上ですか?」
アリーシェが目を瞠って、振り返る。
「ジルドは貴女にクリスのこと、話したことがあるの?」
ジルド。父の名だ。
クロニカは首を横に振る。
「いえ、庭師のじいやから」
「じいや……ああ、あの人ね。元気にしているかしら?」
「元気ですよ。剪定しながらパフォーマンスしているから、ギックリ腰にならないか、こっちがヒヤヒヤしています」
「変わらないわね、あの人」
アリーシェが小さく笑った。親から見ても、父は伯父に対して敵愾心を持っていたのだろうか。
「伯父上、この庭が好きだったんですね」
「ええ。調子が良い時は、探検ごっこをしていたわ。ジルドがまだ小さかった頃は、一緒に探検ごっこして。庭師の人が宝物を隠して、暗号を二人に渡して、一緒に暗号を解いて宝物探しごっこもしていたわね」
「あの父上が、探検ごっこと宝物探しごっこ……」
厳つくて、無愛想で、母以外に無関心な父が、探検ごっこと宝物探しごっこ。幼い頃と性格が違うのは当たり前だが、それでも想像がつかないし、空恐ろしい。そもそも、子供の頃の父の姿を想像できない。
「ジルドは元気? かれこれ二十年以上会っていないから、知らなくて」
「そんなに会っていなかったのですか?」
アリーシェが苦笑を浮かべる。
「手紙を送っても返事が返ってこなくて。ミリアさんのことも、一年後に知ったわ」
だから葬式の後も来なかったのか、とクロニカは納得した。母の葬式は母が死んだ二日後に行われたので、当日参加できなかったのは、仕方がない。だが、その後も祖父母が墓参りに来ることがなかった。母と祖父母は不仲だったのだろうか、と心配だったのだが、父から手紙が来なかったのだから、知らないのも頷ける。
知ってからも、墓参りに来なかったのは、父が返事を書くのを怠っていたのだからだろう。もしかしたら、返事を書かなかったのはわざとなのかもしれない。
「あの、怒らないのですか? 父上が手紙返していないことを」
「怒らないわ。仕方ないですもの」
クロニカは首を傾げる。
どうして、そんな顔で言うのだろう。寂しげに、悲しげに、遠くを見るアリーシェに母の面影が重なる。母も、たまにこんな顔をしていた。そういうときはクロニカがいることに気付かなかった。自分の前で見せないようにしていた、諦めてしまった顔。
手紙の返事がないのなら、憤慨してもいいところだと、思うが。
「えーと。オレもあまり、父上には会えてなくて……でも、調子が悪いとかないみたいですよ」
「良かったわ。あの子、自分に何があっても、こっちに連絡してこないから、心配していたのよ。ミリアさんのことも、友人から聞いて知ったくらいだから」
「ああ……」
今までも話を聞く限り、確かに連絡一つも寄越していないのだろう。おそらく、ルーカスのことも知っているだろうが、それも友人経由だろう。
小道を抜けると、少し開けた所に出た。視界に広がったのは、大きな池だった。鯉が泳いでいるのか、ちゃぽんと水が弾いたのが見えた。池の畔に東屋がある。その東屋の中で、椅子に座っている老人の姿が見えた。その傍らには、一人の女中がいた。
「あの人がお爺様ですか?」
「そうよ。行きましょう」
あの人が、祖父のヘンゼル。
こちらに気付いたヘンゼルが、手を振ってきた。アリーシェが手を振り返して、足早に向かう。クロニカもそれに着いていった。
東屋の前まで来て、改めて祖父を見る。
祖父は白髪交じりの青髪を長く伸ばし、後ろで括っている。顔立ちは厳つく、まるで父のようだ。父はこの人に似たらしい。祖父の傍らには、杖が一本掛けられていた。足が悪いのだろうか。
「お前がクロニカか?」
祖父に話しかけられて、びしっと背筋を伸ばす。
「は、はい! お初お目に掛かります!」
祖父が目元を緩ませて笑う。
「そう堅くなるな。さあ、座りなさい」
優しい声色に、緊張が少し解れた。促され、クロニカは前の席に座った。アリーシェも別の席に座る。
「すまんな、クロニカ。出迎えてやれなくて」
「気にしないでください。あの、足が悪いのですか?」
「ああ。三年前の地震で、左足が少し麻痺したんだ。杖がないと歩けないし、そう長く歩けなくてな」
そう言いながら、ヘンゼルは己の左足を撫でた。
「一緒にクロニカを出迎えましょうって誘ったんだけど、ゆっくりじゃないと歩けないし、隣を歩くと自分と合わせないといけないから可哀想だって言って、遠慮したのよ」
「そうだったんだ……」
知らなかった。祖父が足が悪かっただなんて。たしかに三年前、領地で地震があったことは覚えている。怪我人がいたことは知っていたが、まさか祖父がその中に入っていただなんて。
何も知らなかった自分が恥ずかしかった。
「クロニカは、今年卒業なのだな? 卒業後の進路はどうするんだ?」
「まだ決まっていなくて……」
「夏休みが終わったら、すぐ卒業でしょう? 大丈夫なの?」
「まあ……なんとかなる、と思います」
「楽観だな」
ヘンゼルが呟くと、アリーシェがジト目でヘンゼルを見つめる。
「あなたにそっくりね」
「俺は夏休み前にちゃんと進路決まっていたぞ?」
「公爵を継ぐのは決まっていたんだから、当然でしょう。私が言いたいのは、試験のことよ」
「ぐっ」
ヘンゼルが言い詰まった。
「試験直前まで、なんとかなるって趣味に没頭して、試験前になって泣きついてきたくせに」
「ぐぅっ!」
さらに言い詰まるヘンゼル。クロニカは二人を交互に見やる。想像していたよりも、仲が良さそうで心の中で安堵した。
「ク、クロニカ。夏休み前の試験はどうだった?」
苦し紛れに話を振られた。クロニカはしどろもどろになりながらも、答える。
「えーと、その、点数はぼちぼち、で、赤点は、ありませんでした」
「順位は?」
視線を泳がせながら、クロニカは考える。成績は順位的にいえば普通だ。だが、公爵の名がどうのこうのと言われたら、さすがに傷付く。
「真ん中よりもやや上……かな?」
「あら! あの学園、人数がけっこう多いのに、すごいわね」
「い、いえ! 試験が始まる一ヶ月以上前から勉強していても、それくらいしか」
「偉いわね。そんなに早くから、勉強だなんて。この人と大違い」
「頼むから、抉らないでくれ」
偉い。身内にそう言われたのは、母以来だ。さらり、と言われたことが嬉しかった。
「あの、お爺様。もしかして、お爺様は長期休暇の課題を最後のほうにやっちゃう方ですか?」
「ああ、そうだったな」
「よく私に泣きついてきましたね」
「ははは……世話になりました」
ヘンゼルが苦笑しながら、頭を下げる。
「実はオレもそうで……ちょこちょこはやっているけど、なかなか進まなくて、結局最後の一週間で追い込みをしちゃって」
「分かるぞ! まだ先、まだ先と思って、気付いたら五日前とか」
「あります! 長期休暇の課題とか関わらず、ついやっちゃいますよね」
「分かるぞ、やはり俺の孫だ」
うんうんと頷くヘンゼルに視線を投げながら、アリーシェが呟く。
「こんな人多かったけど、私には分からないわ」
「お婆様はしっかりしているんですね」
「しっかりしているが、たまに抜けていて、と、おま、右足を踏むな!」
「ふんっ」
アリーシェがそっぽ向いてしまった。ヘンゼルがクロニカを見て、苦笑する。
クロニカは机の上にあるお菓子に目を向けた。クッキーにマフィン、チョコレート。そして紅茶。クッキーはアーモンドが入っているものもあれば、マーブルになっているものもある。マフィンはプレーンもあり、ドライフルーツ入りのものまである。
「それにしても、美味しそうなお菓子ですね」
「全部、セリーヌ……私の侍女が作ったのよ。彼女が作るお菓子は美味しくて、とくにマフィンが一番なのよ。食べてみて」
クロニカはプレーンのマフィンを取って、一口食べた。
「! 美味しいです!」
「でしょう?」
「ぜひ、作り方を教わりたいくらいです」
「クロニカはお菓子を作るのか?」
「はい。最初は母のために作っていたのですが、今はもう趣味ですね。この前もピーチパイを作って」
ぴたっと止まる。ピーチパイ、それを作って食べてもらったのがジュリウスだということを思い出して、奇声を上げそうになって必死に呑み込む。
危ない。二人の前で奇声を上げるのは、さすがに拙い。
「まあ、美味しそう!」
「あの、セリーヌに比べるとまだまだだとは思うのですが、オレが作ったお菓子、食べてもらえませんか?」
二人とも甘い物が好きということは、聞いている。それなら、ぜひ自分が作った物も食べてもらいたい。今まで出来なかった孝行を、お菓子という形でやりたい。
「え? いいのか?」
「ぜひとも食べたいわ!」
「あ、でも、女中やシェフはオレが厨房に立っても、いいのでしょうか……」
王都の屋敷では問題なかった。理由が母のためだったのもあって、シェフたちはこぞって料理を教えてくれた。だが、ここではどうだろう。
厨房に入ろうとしたら迷惑そうな顔をされた、とか、危ないから立入禁止、と言われた友達がいたくらいだから、普通なら貴族は厨房に入らないのだろう。ここのシェフたちは、どう思っているのか。それが心配になってきた。
「俺から言っておくから、安心しなさい」
「では、希望があれば言ってください」
「悩むわね」
うーん、と唸りながらアリーシェが考え込む。本当に悩んでいるようだ。
「俺はチョコランタンがいい」
「分かりました。では、さっそく明日作っても……」
「もちろんいいぞ! 明日が楽しみだ!」
ヘンゼルが、屈託なく笑う。
父によく似た顔……正確には、父はこの人に似た……が、そんな風に笑うのを見て、少し胸が苦しくなった。
父が心の底から笑うと、こんな風に笑うのであろうか、と自分に向けられたことがない笑顔を想像して、振り払った。
父がこんな風に笑うはずがない。母はもういないから、二度と。笑ったのなら、悪魔に取り憑かれているに違いない。
クロニカは、祖父に対して笑い返した。曇った感情を隠すために。




