報告と警戒心について
リリカが手紙を見てくれたおかげで、返事に対する不安はあるものの、失礼のない内容に仕上がった。
その手紙を送って、九日後。二人からの返事が来た。
内容は、いつでも大丈夫、というのと、来るのを楽しみにしています、というものだった。
本心がどうか分からないが、拒絶されなかったことに安堵した。
さっそく日程を決めて、返事を出した。父には何も言っていない。父は知っているかもしれないが、何も言ってこない。顔を合わせていないので、言いたいことがあっても言えないだけかもしれない。
「へぇ。良かったな。会ってもらえて」
「ああ。良かったよ」
クロニカは、ジュリウスの研究室に訪れていた。前と同じ席に座り、同じ紅茶、そしてクッキーを頬張りながら頷く。
まだ告白の返事は決まってはないが、進展があったことは報告しなければ、と思い、ジュリウスに会いに来たのだ。
庭師のじいやが話してくれたことも話した。彼のおかげで聞けたから、というのもあるが、彼には話しておきたかったのだ。
「公爵に兄がいたとはね。一人っ子かと思っていた」
「同感」
クロニカは頷く。
「その兄とクロニカの瞳の色が同じ、ね。それだけで嫌うってことは、余程その兄のこと、嫌いだったのか」
「だろうなぁ」
一番距離が近いルーカスでも、そのことを知らなかった。話したくもないほど、兄の存在が気に食わなかったのだろうか。
「そういえば、兄のことを知っているのって庭師のじいやだけ?」
「それっぽい」
兄が死んだ後に総入れ替えしたらしいので、おそらくそうだろう。
「周りを兄のことを知らない人で固めるとは、余程だな。どれだけ遠ざけたかったんだろう」
「ああ、総入れ替えの理由ってそうなのか……」
納得した。庭師のじいやが解雇されなかったのは、おそらく兄とじいやとの結びつきが、父からしてみればなかったからのかもしれない。父は庭にはあまり足を運びたがらないから、あまりじいやと話した機会もなかったのだろう。単に、名物になっている花迷路を作っているじいやを手放すのは惜しいと、考えがあってのことかもしれないが。
(そういえば、父上が庭に行かないのって、クレス伯父上がよく行っていたからなのかな)
病弱で、身体の調子が良い時は、庭を散策していたという伯父。その伯父が通っていた庭に近寄りたくないと思っているから、庭に足を運ばないのだろうか。
あの花迷路を体験したことがないのだろうか。だとすると、とても勿体ない。
「ところで、クロニカ」
「なんだ?」
自分の椅子に座っていたジュリウスが、クロニカを一瞥する。
「いつ行くんだ? 祖父母のところに」
「夏休み入ってすぐ。いつまでいるかは未定」
いつまでいるかは、祖父母の態度による。あまり歓迎されていないのであれば、絵姿を確認してからすぐ帰り、歓迎されているのであれば今まで出来なかった孝行をするつもりだ。
「クロニカ」
「ん?」
「あっちに行っている間、僕と文通しないか?」
クロニカはきょとんと、ジュリウスを見据えた。
文通。ジュリウスと。嫌ではない、が。
「なんで?」
「クロニカは溜め込むから。心配になる」
ジュリウスは溜め息をつく。
「あっちだと、顔見知りがいないだろう? 余計に溜め込みそうだから、なにか不満とか不安があったら、僕に吐き出してほしい」
「そんな大袈裟な」
「お前に関したら、大袈裟のほうがちょうどいい」
クロニカが苦笑すると、ジュリウスがそう言いながらふんぞり返った。
似たようなことを、最近リリカに言われたような気がする。クロニカは意味が分からず、唇を尖らせた。
ジュリウスが真顔になって、クロニカを見据える。どきっとしてたじろぐと、ジュリウスが口を開いた。
「いいか? たとえ自分のことを気に掛けていたとしても、ちゃんと失礼のないようにすること。屋敷の周りには森があるみたいだけど、森を散策するときは、絶対に目印を付けること。森で変な食べ物、とくに茸は食べるなよ」
「子供扱いすんな!! お前は母親かよ!!」
損した気分と恥ずかしさ、そして子供扱いされた怒りがごちゃ混ぜになって、声を張り上げる。ジュリウスは、むっと眉を顰めた。
「僕はお前の母親じゃなくて、求婚者なんだけど?」
「ぐっ」
クロニカにとっては痛いところを突かれ、少し顔を赤らめながら呻く。それを見たジュリウスが、盛大な溜め息をついた。
「返事はいつでもいいとは言ったけどさ、さすがに忘れられるのは嫌だけど?」
「わ、忘れてねーし」
「本当に?」
半眼で見据えられて、クロニカは思わず視線を逸らした。
忘れてはいない。むしろ、その告白が何十回も頭の中を巡り、睡眠不足になっているほど、埋め尽くされている。
だから、忘れるわけがないのだ。ただ、ぶり返されると動揺するだけだ。
「今度からクロニカが忘れないように、会うたびに告白でもするか……」
「忘れねぇから、それは止めてくれ! ここに来れなくなるだろうが!」
毎回恥ずかしい思いをするのなら、来ない方がいい。
ジュリウスは、にやりと口端を吊り上げた。
「それは少し嫌かな。でも、僕がクロニカの所に行けばいいだけの話だし」
「頼むから止めてください、お願いします」
「だって、そうしないと忘れるじゃないか」
「だから忘れないって! 夏休みが明ける前には、絶対に答えを出すから止めてくれ!」
にやにや笑っていたジュリウスが、一瞬で目を軽く見開く。なぜ、驚いているのだろうか、と見つめていると、ジュリウスがゆっくりと口を開いた。
「え……クロニカ、そんなに早く答え出せるのか?」
「どういう意味だ、ゴラァ」
思わず低く唸る。
「お前……いつまで掛かると思っていんだよ」
クロニカの問いに、ジュリウスはけろりと言いのけた。
「最低一年くらいかな、と」
「遅すぎるだろ!? お前の中のオレは、どんだけ鈍いんだよ!?」
「鈍いっていうより、余計なことを色々考えて遠回りしそう」
「それこそ、どういう意味だゴラァ!」
「いや、自覚しろよ。そうじゃないと、さすがに困る」
ジュリウスは呆れた風に溜め息を吐きながら、肩を落とす。
「まあ、夏休み前っていうのは、進路のことだろ? 大方、僕のところに嫁ぐか騎士団に入るか、究極の二択をせめられている状況なんだと思っている。違うか?」
「うっ」
見透かされている。言い詰まっていると、ジュリウスが言い募る。
「まあ、そこは僕に嫁ぐほうに傾いてほしいところだけど、別に騎士団入ってから決めてもいいよ」
「いや、それだと死ぬかもしれないし、傷だらけになっちゃうし」
「死んでほしくはないけど、傷だらけは気にしないよ。クロニカが傷だらけなのは、いつものことだろ」
確かにいつものことだが、それでも気にするものではないだろうか。身体に大きな火傷が出来てしまって、婚約を破棄された令嬢のことがいた。
火傷程度で、と思わなくもないが、令嬢にとっては致命傷になるらしい。その火傷は、子供を庇うために負ったらしいというのに、どうして令嬢が悪いような空気になっているのか、クロニカには理解出来ない。
そういう事例があるため、男の人は女の人の身体の傷を気にするものだと思った。だが、ジュリウスは気にしないという。
「別に身体目的じゃないから、身体の傷は気にするな」
「か、身体目的って」
「結婚するなら、そういうことするだろ?」
そういうこと。
クロニカは熟れた林檎のように、顔を朱に染め上げて俯いた。そういうこと、の意味が分からないほどクロニカは疎くない。
「ゆっくりでいいんだよ。答えを出すのは」
「でも、待つのは嫌だろ?」
「別に」
即答だった。
「でも……」
「クロニカ」
言い募る前に、ジュリウスが遮る。
「何年でも待てるから、焦らなくていい。クロニカの早さで、ゆっくりと答えを出せばいい」
「何年もって……」
「まあ、さすがに二桁になったら急かすと思うけど、それ以上でも待てる」
「いや、さすがに十年も待たせないっての!」
どうだか、とジュリウスは鼻で笑う。まったく信用されていないようで、むぅとクロニカは頬を膨らませた。
「そこまで、鈍くねーし」
小さく呟くと、聞こえていたのか、へぇ、とジュリウスが目を細めてクロニカを注視する。
「僕の気持ち、全然気付いていなかったくせに? 皆気付いていたのに、クロニカだけ気付いていなかったのに?」
「そ、それは、身内だけの話だろ! 身内以外は気付いていないだろ? たとえば、タティスとか!」
「金魚の糞の話をしないでくれる? 前日も突撃されて、思い出したくないんだけど」
「お、おう。わりぃ」
タティスの名前を出した瞬間、ジュリウスが眉間に皺をこれでもかと寄せ、低い声音で告げられ、クロニカは引きながらも頷いた。
名前を出した途端、これほど不機嫌になるとは。タティスは今回、何をしでかしたのだろうか。気になるが、頷いた手前訊かないほうがいい、と判断し、クロニカは手に持っていた紅茶を飲んだ。
「ていうか、クロニカ」
「なんだよ」
幾らか不機嫌が抜けたようだが、やはり少し不機嫌そうにジュリウスはクロニカに言った。
「前もそうだったけど、自分のことを好いている男の許に一人で来るなよ。襲われても知らないぞ」
「へ? 襲われてないぞ?」
「あのな、クロニカ」
心底呆れ返ったように、ジュリウスが半眼になりながら嘆息する。
「その紅茶、僕が淹れた。その紅茶に薬が入っているかもしれないだろ? 自分のことが好きな男相手に無防備すぎるだろ」
「薬、入っているのか?」
「入っていないけど」
「なら、いいだろ?」
ジュリウスが本当は何を言いたいのか分からなくて、クロニカは首を傾げる。注意してくれているのは分かるのだが、結局なにを伝えたいのだろうか。
「そうじゃなくて……僕に対して、ちょっと警戒してくれたら、心配もしないんだけど」
心配してくれていたのか、と思ったのだが、どうして心配に繋がるのかやはり分からない。
「お前に対して、警戒する必要なくね?」
「それはそれで、傷付くんだけど」
「なんで?」
「なんでって……そこは分かってほしいんだけど」
「わかんねーよ。だってお前、オレが傷付くようなことしねーじゃん」
けろっとクロニカは答える。
ジュリウスはからかったり嫌みは言うが、クロニカが本当に傷付くようなことは言わない。行動にしても、なんだかんだでクロニカのことを気に掛けているということは、告白される以前から知っている。
だから、ジュリウスがクロニカに何かすることがあったとしても、それはクロニカのことを傷付けるようなことでは決してない。
すると、ジュリウスが片手で顔を覆った。
「そういうところだよ……」
「へ? なんて?」
「なんでもない」
小さく呟かれた言葉が聞こえなくて、訊いたが、ジュリウスは一蹴した。
結局、心配されたのは分かったが、ジュリウスが何を訴えたかったのか、分からず仕舞いのまま帰宅したのであった。




