手紙と現状
学園の中庭にある噴水の縁に腰を下ろして、クロニカは悩んでいた。
「う~ん……」
唸りながら、手に持っている紙を睨む。
それは、クロニカが一生懸命考えて書いた、祖父母に宛てる手紙だった。
行くことと日程の確認をするための御伺いの手紙は、クロニカが出すことになったのだが、どう書けばいいのか分からない。
身内だから砕けた感じがいいのか、一度も会ったことがないから堅苦しい感じがいいのか、その真ん中か。真ん中は難しいし、堅苦しいのもあちらに悪印象を与えてしまわないだろうか。砕けすぎるのも悪印象を与えてしまうだろうし、はたしてこの内容でいいものか。
そもそも、クロニカは身内に手紙を出したことなどない。加減が全く分からない。それに祖父母のことを知らないので、ますますこの文章で良いのか、判別できない。
優しくてクロニカのことを会いたいと思っているのなら、この内容で問題ないように思える。だが、淡泊で選民意識が高く、クロニカを気にしていないのなら、不愉快な文章になっている可能性がある。
「次は何の悩み事かしら?」
「うおっ!?」
急に横から話しかけられ、心臓が飛び出した。その拍子で、手に持っていた手紙がぐしゃり、と音を立てて皺くちゃになってしまった。
「あ」
思わず声を上げたが、すぐに気を取り直して、声の主に視線を向ける。声の主のリリカが、申し訳なさそうに眉尻を下げていた。
「ごめんなさい。大事な紙だった?」
「いいや。手紙なんだけど、誤字があったから書き直そうと思っていたからさ、大丈夫だよ」
リリカがきょとんとした顔で、首を傾げる。
「手紙? 誰に出すの?」
「お爺様とお婆様に」
「お爺様とお婆様? 生きていらしたの?」
「お、おう」
まさか生存を疑われるほどだったとは思ってもいなくて、クロニカは戸惑いながら頷いた。ずっと領地に引き籠もっているから、生存を疑われても不思議ではないかもしれないが。
「今度の夏休みに、そっちに行ってもいいっていう御伺いの手紙なんだけど……」
「だったら、どうして悩んでいたの? 身内なのよね?」
「会ったことないから、この文章で良いのか迷って」
「なるほど。見せてもらってもいいかしら?」
「頼むよ」
侯爵令嬢であるリリカは、クロニカとは違い、手紙を出す回数も多い。そんなリリカに妥協点を貰えたのなら、自信を持って出せる。
「ここの文、少し堅いわね」
「へ? どこだ?」
「初めの挨拶のところ。緊張しているのだが、丸分かりよ。全体的に堅いけど、内容的には問題ないわ。気になるのなら、細かいところを修正したほうがいいと思うわ。ただ」
「ただ?」
リリカがクロニカを一瞥する。
「確認なんだけど、お爺様たちはあなたの男装のことを知っているの?」
「知らないはずだけど」
「なら、そのことについても、一応書いておいたほうがいいかもしれないわね。普通は卒倒ものだから、心の準備をさせておきなさい」
「卒倒もの……」
クロニカは自分の格好を見下ろす。
男装をしているが、クロニカは女だ。周りの人達は自分の性別を知って、驚いて距離を置かれたものの、最終的には元鞘に収まっている。
そう、特に口酸っぱく言われなかったのだ。リリカも、そういうことは早く言いなさい、と怒られたが、男装を止めるようにと言わなかった。父には遠回しに女の格好をしろ、と言われているが、直接言われたのは学園に入る前であり、今では言われていない。だから気付かない振りをして、無視している。
周りが受け入れてくれたから忘れていたが、リリカの言う通り、何も知らない祖父母からしてみれば、かなりの衝撃を受けるに違いない。
「考えてもなかった……ありがとう。付け加えとくよ」
「ぜひ、そうして」
小さく笑みながら、リリカはクロニカの横を軽く叩く。ある程度の塵を除けると、そのまま隣に座った。
「前から気になっていたんだけど、クロニカはドレスを着たいとか思わないの?」
「思わねぇよ。ひらひらするし、動きづらいし。あと股がスースーするから嫌だ」
「股って言わないの。つまり、全然憧れていないのね」
「うん。一応、五歳までは女の格好していたんだけど、動きづらかった記憶しかないし。男の格好って、ほんと良い」
リリカが目を丸くする。
「女の子の格好、していたのね」
「さすがに生まれた時から、男装していないって」
クロニカは苦笑を漏らす。
「御両親は何も言ってこなかったの?」
「母上は、しょうがない子ねって笑っただけで、普通に応援していたけど。好きなことをやりなさいって。父上には入学前に、女の格好に戻れって言われたけど」
「やっぱり言われていたのね」
「まあ、それに反発して今に至るわけだけどな」
あれから七年。男装を初めてから、十三年経とうとしている。
そう思うと、長いこと男装してきたな、とは思う。感傷には浸れるが、感慨深くはなかった。
「そういえば、先輩はあなたのこと、最初から女の子だって知っていたの?」
「いんや。オレが女ってこと、全然気付かなかったぞ。知ったの、小母様と一緒に母上のお見舞いに来た時だったんだけど」
その時のことを思い出して、クロニカは思わず噴き出した。
「あれは傑作だったな! ジュリウスがぽかんとした顔をしてさぁ」
「あの先輩が、ぽかん?」
「そうそう! あんなに狼狽えたジュリウスは、あの時だけだな!」
「それは見てみたかったわ」
リリカが暖かい目を細めて、クロニカを見つめる。
「あと、答え出したの?」
「答え?」
「告白の答え」
ぶぶぶっと、今度は違う意味で噴き出した。
リリカは小さく首を傾げてみせた。
「まだ?」
「そ、それはゆっくりと考えさせてくれよ! 今すぐには無理だって!」
「でも、悠長に構えている時間はないわよ」
「へ?」
やや呆れた顔で、リリカはクロニカを見据える。
「クロニカ、あなたは卒業後の進路決まっていないでしょう?」
「そうだけど……」
普通は最終学年になると、卒業後の進路は決まっているものだ。リリカも卒業後は伯爵家に嫁ぐ予定だ。決まっていないのは、クロニカくらいのものだ。
「もしも、クロニカが先輩の告白を受けるのなら、進路が決まったことになるわ。けど、断ったら自力で進路を見つけなきゃいけないじゃない」
「あ」
そうだ。ジュリウスの告白ですっかり忘れていたが、自分の進路を今すぐにでも見つけなくてはいけない。
リリカのように婚約者がいない、家の跡継ぎでもないから卒業後の行く当てがない。あの父が穀潰しを放っておくわけがないのだ。だから、遠回しに女の格好に戻れと訴えて見合いでもさせるつもりだったのか。いや、気が付いていたが改めて言われると、気付かされる。
「前に庭師になりたいって言っていたけど、公爵家の娘のあなたがなれる職業ではないわ。騎士も友達としてあまりお薦めできないわ」
「気持ちは分かるけど」
平和とはいえ、騎士団が出るほどの事件がないというわけではないのだ。具体的な数は知らないが、死者が出る時もある。
剣術は趣味でしかないが、庭師になることができない。結婚をしないという選択をとるのなら、騎士になるしかない。
家庭教師という道はない。ジュリウスとリリカが勉強を教えてくれたおかげで成績は良いほうだが、頭の出来は微妙なところだ。それに、教える自信がない。
「もしも先輩と結婚するんなら、騎士にならなくていい。けど、同時に騎士になる道も閉ざされるわ。今、騎士になる道を選んで、その後に先輩の告白を受け取るのなら、その時点で就職を辞退するしかない。分かるわね?」
「ああ」
クロニカは頷く。
貴族の女子が就職して、その後に結婚したのなら、必ず退職しなくてはならない。法律にはないが、暗黙の了解の常識として、その考えが跋扈している。
つまり、ジュリウスと結婚したとしても同時に騎士の仕事は出来ないということだ。別に騎士になりたいというわけでもないが、なりたくないとも思っていない。
「つまり、クロニカは今、究極の二択に迫られているってことよ。夏休みが終わる前に、絶対にどちらかを選ばないといけないわ」
「お、おう」
「おう、じゃないわよ。もう、楽観なんだから」
リリカが溜め息をつく。
クロニカは遠い目で、空を仰いだ。
自分が思っていたより、自分は窮地に追い込まれているらしいことに、実感が沸かなかった。




