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美しきモノ  作者: 空廼紡
空の向こう
26/63

父の過去

 その後は、他愛もない話をして、クロニカは帰路についた。

 口説くから、とか、覚悟をしろよ、とか言っていた割にはあっさりとしていて、拍子抜けだった。


(なんか、少しざんね……)


 クロニカはぴたっと止まった。


「なんで、残念って思ったんだ……?」


 まるで、期待していたような――


 クロニカは、振り払うように激しく頭を振った。


「いやいや! 期待するわけねーし!? ただの拍子抜けだ!!」


 大声で叫んで、クロニカは我に返る。辺りを見渡して、誰もいないことを確認した。だが、住宅地のため、大声を誰かに聞かれているかもしれない。誰かが来る前に、クロニカは走った。

 最近、ジュリウスのことを思い出して、大声で叫ぶことが多くなった。前までこんなことなかったのに、ジュリウスが告白したせいだ。本当に、調子が狂う。


(いや、別に嫌とかじぇねーけど! 好かれていることは嬉しいけど、あのジュリウスからだぜ? 動揺しないとか有り得ないだろ)


 自分と同様、恋愛には一切興味ない、初恋もまだかと思っていたのに、まさか自分に好意を寄せていたとは、予想外過ぎるにもほどがある。


(いやでも、リリカは気付いていたし、けっこう知れ渡っていた、のか?)


 思うと、ルーカスもジュリウスが来る度苦笑いをしていた。ジュリウスを嫌がるのではなく、しょうがないなぁ、という感じの苦笑いで気にしていなかったのだが、ルーカスも気付いていたのだろうか。そういえば、ジュリウスが来るとき、使用人達が生暖かい目をしていたような気がする。


(母上も、気付いていたみたいだっていっていたし……)


 ゆっくりと立ち止まる。

 生温い風が、頬を撫でて過ぎていく。

 クロニカは、ぎゅっと唇を噤む。


(母上……)


 看取れなかったうえ、葬式にも出席できなくて、結局さようならを言えなかった、自分を愛してくれた人。

 思い出すのは笑顔なのだが、最近その笑顔が曖昧になっている。

 母を思い出すのは辛い。だが、忘れたくもなかった。それなのに、少しずつ忘れていく。それがもっと、悲しかった。


(母上は、ジュリウスになんて言ったんだ……?)


 記憶を辿ってみても、二人が話したところをあまり見たことがない。ジュリウスが見舞いにいっても、すぐ女同士の会話をしたいとかで追い出されていた。

 いつの間に、会話したのだろうか。どうして、母はジュリウスに話したのだろう。

 父が自分を嫌う理由、という複雑で家の面倒事である話を、友達の息子とはいえ他人であるジュリウスに、どうして。


「あぁ、もう! やめだ、やめ!」


 考えても、答えが出るはずがない。ジュリウスも知らない、と言っていたのだ。クロニカだって、母の真意は分からない。知りたくても、母はもういないのだ。どうしてジュリウスに言ったのか、なんで父が自分のことを好きだという嘘を吐いたのか。分かるはずがない。


 クロニカは走り出した。考えるのを止めたくて、全力で走った。






 屋敷に着いて、門番に一言言うと、すぐ庭へ向かった。

 途中、女中が買い出しから帰ってきたのに出くわしたので、女中に自分が帰ったことを他の女中と執事長に伝えてくれ、とお願いし、小屋へ向かった。


 小屋は庭師のじいやが使っているのだが、じいやの好意に甘えて、クロニカはここに自分の作業服を置いて、ここで着替えているのだ。

 作業着に着替え、じいやを探すために花迷路付近を歩く。じいやはすぐに見つかった。誰も見ていないのに、華麗に花迷路の植木の剪定をしていた。


「じいや」


 声を掛けると、じいやは鋏をぐるりと回しながら、クロニカに視線を投げた。


「おや! お嬢様、お帰りなさいませ。今日は遅かったですね」

「ジュリウスと話していたんだ」

「さようで」


 じいやはにっこりと笑った。


「あのさ、じいやに訊きたいことがあるんだけど」

「もしや……林檎を栽培したいとか? それとも梨を?」


 どうやら、この前アップルパイも作ってみたい、と言ったことを覚えていたらしい。


「林檎は環境に適していないし、梨は……考える。そうじゃなくて、別のことだよ」

「植物以外のことですかな? はて? 私に答えられる内容であれば、教えて差し上げたいのですが」


 クロニカは周りを見た。今は誰もいないが、ここは屋敷に近い。誰かが来る可能性が高い。


「あの、さ。ここだと話しづらいからさ、奥行かね?」

「構いませんとも」


 嫌な顔をせず、じいやは柔やかに笑みを浮かべて、頷いた。


「ちょうど、剪定を終わったことですし。お嬢様、ついでに鋏を持ってくれませんか? 二つ同時は持ちづらくて」

「もちろんいいぜ」


 快諾して、じいやの鋏を受け取る。じいやの鋏は、クロニカの鋏と比べると、かなり年季が入っていることが一目で分かる。よく手入れがされていて、古いのに動きが滑らかだ。


 脚立を抱えたじいやの隣を歩く。

 昔はじいやが足並みを揃えてくれたけど、今は違う。揃えてはくれているが、昔ほどゆっくりではなく、少しだけ遅めになった。


「それで、訊きたいこととは?」


 屋敷から離れた、庭の奥に差し掛かると、じいやが切り出した。


「え、と、あのさ……」


 言い淀むクロニカに、じいやが首を傾げる。


「言いにくいことですかな?」

「いやさ、その……」


 訊くことはしっかりしているのだが、どこから順に説明したらいいか。

 しばらくそうしていたが、意を決してクロニカはまず言った。


「あのさ、じいやって、この屋敷の使用人の中で、一番ここにいるのか?」


 じいやはきょとん、として顎に手を添えた。


「まあ、そうですな。昔からいる使用人は、私以外全員、領地の屋敷に飛ばされてしまいましたから、この屋敷の中では、私が一番長いですな」

「飛ばされた?」

「奥様を娶る前のことです。旦那様が、跡を継がれた時に一斉に。大旦那様……前マカニア公爵夫婦も一緒に」

「お爺様とお婆様も?」


 クロニカは生まれてこの方、祖父母に会ったことがない。母方の祖父母は、クロニカが物心つく前に亡くなり、父方の祖父母は存命だが領地に引き籠もっている。領地に行ったことがないクロニカは、会ったことがない。


 ルーカスは父と共に領地に行っているから、会ったことがあるかもしれない。実の孫が会ったことないというのは可笑しな話だ。


「それで、訊きたいこととは? それが訊きたかったことではないのでしょう?」

「ジュリウスから聞いたんだけど、母上がじいやなら知っているかもって言っていたみたいで」

「知っている? 何をですか?」

「父上が、オレを嫌う理由」


 じいやの目が見開かれる。

 じっとクロニカを凝視したのち、視線を逸らし、考え込んだ。

 心臓をバクバクしながら返答を待っていると、おもむろに口を開いた。


「憶測でしかないのですが」

「それでもいいから、教えてくれないか?」

「その前に、お嬢様はどうしてお知りになりたいのですか?」

「知りたいっていうより……そうだな。友達に言われたんだ。父上がオレを嫌うのは理不尽だ、はっきりとした理由を知ってから、納得しろって」


 じいやは笑みを浮かべた。


「お友達は、とてもしっかりしておりますなぁ」

「だろ? まあ、その友達に感化されて、なんだけど。友達の言うことも一理あるし、それにジュリウスから話を聞いたんだけど、オレが生まれる前まで、父上はオレの誕生を心待ちにしていたって」

「ああ。そうですな。今か今か、とそわそわしておりましたなぁ」


 その頃を思い出したのだろう。懐かしそうに目を細め、寂しげに呟いた。


「だったら、なんでオレを嫌うんだろうなって。別にさ、男も女も拘っていなかったんだろう?」

「ええ。母子ともに無事でいてくれたらいい、と言っていたと聞いております」

「母上もその時は生き延びたし、憎まれる覚えはないわけだよ。瞳が原因かもって母上が言っていたみたいだけど、瞳のなにが気に食わないか分からないし。さらに覚えがないわけで。それって変だよな?」

「納得しておられないのですか?」

「前は納得していたけど、今はこう……モヤモヤする」


 するとじいやは、嬉しそうに頷いた。


「そうですか、そうですか。お嬢様、それが正しいんですよ」

「正しい?」


 意味が分からない。どうして、モヤモヤすることが正しいのだろうか。納得するより、モヤモヤすることが良いのか。分からなくて、首を傾げる。


「ええ、ええ。じいやは、お嬢様がそうしてくださると、とても安心します」

「なんだよ、それ。意味わかんねぇ」

「分からなくても良いのですよ。クロニカ様は、そのままで良いのです」


 怪訝な顔でクロニカはじいやを見据えるが、じいやは皺を深くしながら笑みを一層浮かべる。


「さて、理由ですが、あくまで私から見たことですので、もしかしたら真実と異なるかもしれません。あまり真に受けないでくださいね?」

「わかった」


 頷くと、じいやは再び顎に手を添えて、語り始めた。


「瞳の件ですが、それには心当たりがあります。お嬢様の瞳の色が、クレス様と同じ色なんですよ」

「クレス様? 誰だ、それ?」


 聞いたことない名前に、クロニカは首を傾げた。

 祖父と会ったことはないが、名前は知っている。確か、ヘンゼルという名前で、クレスではなかったはずだ。


「旦那様のお兄様のお名前です。お嬢様にとっての、伯父上ですね」

「伯父上? オレに伯父上がいたのか?」


 父に兄弟がいたとは、初耳だ。

 しかし、兄ということは、跡継ぎの第一候補ということだ。それなのに、どうして次男の父が跡継ぎになっているのだろうか。


「はい。ですが、旦那様が十二歳の頃にお亡くなりになりました」

「どうしてだ?」

「事故、ですな。その事故は領地にいた時に起きていたので、この庭を世話した私はその場に居合わせておりませんので、詳しいことは」

「ふーん。何歳くらい歳が離れていたんだ?」

「四つほど。ですから、享年十六歳ですな」

「若かったんだな」


 なるほど、大分昔に亡くなっていたのか。それなら知らないはずだ。教えてくれなかったら、知ることもなかった。

 もしかして、母も知らなかったのだろうか。知っていたとしても、絵姿は見たことがなかったのかもしれない。


「伯父上と瞳の色が一緒だからって、どうしてオレを嫌うんだ?」


 じいやは苦笑した。


「旦那様は、お兄様のことをあまり良く思ってはいなかったようで」

「伯父上、悪い人だったのか?」


 じいやがぶんぶんと、首を横に振る。


「いえいえ! 謙虚でお優しく、使用人の私たちにも労りの言葉を掛けてくださる、とっても良い方でしたよ。儚い笑顔をいつも浮かべておりました。当主様のことも、気に掛けておりました」


 確かに良い人だ。父よりも、良い人だ。


「それなのにどうして?」

「クレス様はお身体がとても弱くて。よく高熱を出して、寝込んでおられました。前マカニア公爵夫婦は、クレス様ばかりお構いになり、旦那様は、身体の弱い兄の代わりに跡継ぎの第一候補だったにも関わらず、放任されて。両親を取られてか、クレス様のことを敵視しておりましたよ」

「そうだったんだ……」


 初めて知った父の過去に、クロニカは俯いた。

 父は自分の兄のことが嫌いだったのだろうか。そして、今もそうなのだろうか。


「だから、お嬢様の瞳を見ると、クレス様のことを思い出して、あんな態度を取ってしまっているのかもしれませんね」


 じいやが悲しげに呟く。クロニカは、顔を上げた。


「そういえば、事故ってどんな事故だったんだ?」

「先程申し上げた通り、詳しいことは」

「知っていることだけでいいからさ」

「たしか……屋敷周辺を散歩中、崖に転落したらしいですね。それ以外はなんとも」

「崖?」


 クロニカは首を傾げる。


「崖っていうことは、屋敷の外なんだろ? 身体すっげぇ弱かったのに、どうして外に?」

「身体の調子の良い日は、庭を散策されておりましたからね。もしかしたらその日は、体調がすこぶる良くて、少し遠出したのかもしれませんな」

「ふぅん」


 母のように病死ではなかったのか。

 クロニカは空を見上げた。


「会ってみたかったなぁ……伯父上に。姿絵はあるかな」

「この屋敷には残っておりませんな。旦那様が全部燃やしましたから」

「燃やした!?」


 クロニカはぎょっと目を剥いた。

 いくら嫌いだったからとはいえ、燃やすことはないと思う。二度と目が入らないように、倉庫の奥に押し込めばいいのに。


(もしかして、二度と目に入りたくなかったから、そうしたのか……?)


 だとしたら、どうしてそこまで憎んだのだろう。両親を取られてからといって、一枚も絵姿を残さないだなんて。


「ですが、領地の屋敷なら残っているかもしれませんね」

「領地の屋敷?」

「ええ。大旦那様と大奥様なら、隠し持っているかもと」

「そうだな……」


 確かに、可愛がっていたのなら持っているかもしれない。

 領地の屋敷。会ったことがない祖父母に、名前しか知らない伯父。伯父にはもう会えないけれど、祖父母はまだ生きている。


 まだ存命中のうちに会ってみたい、と初めて思った。


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