父の過去
その後は、他愛もない話をして、クロニカは帰路についた。
口説くから、とか、覚悟をしろよ、とか言っていた割にはあっさりとしていて、拍子抜けだった。
(なんか、少しざんね……)
クロニカはぴたっと止まった。
「なんで、残念って思ったんだ……?」
まるで、期待していたような――
クロニカは、振り払うように激しく頭を振った。
「いやいや! 期待するわけねーし!? ただの拍子抜けだ!!」
大声で叫んで、クロニカは我に返る。辺りを見渡して、誰もいないことを確認した。だが、住宅地のため、大声を誰かに聞かれているかもしれない。誰かが来る前に、クロニカは走った。
最近、ジュリウスのことを思い出して、大声で叫ぶことが多くなった。前までこんなことなかったのに、ジュリウスが告白したせいだ。本当に、調子が狂う。
(いや、別に嫌とかじぇねーけど! 好かれていることは嬉しいけど、あのジュリウスからだぜ? 動揺しないとか有り得ないだろ)
自分と同様、恋愛には一切興味ない、初恋もまだかと思っていたのに、まさか自分に好意を寄せていたとは、予想外過ぎるにもほどがある。
(いやでも、リリカは気付いていたし、けっこう知れ渡っていた、のか?)
思うと、ルーカスもジュリウスが来る度苦笑いをしていた。ジュリウスを嫌がるのではなく、しょうがないなぁ、という感じの苦笑いで気にしていなかったのだが、ルーカスも気付いていたのだろうか。そういえば、ジュリウスが来るとき、使用人達が生暖かい目をしていたような気がする。
(母上も、気付いていたみたいだっていっていたし……)
ゆっくりと立ち止まる。
生温い風が、頬を撫でて過ぎていく。
クロニカは、ぎゅっと唇を噤む。
(母上……)
看取れなかったうえ、葬式にも出席できなくて、結局さようならを言えなかった、自分を愛してくれた人。
思い出すのは笑顔なのだが、最近その笑顔が曖昧になっている。
母を思い出すのは辛い。だが、忘れたくもなかった。それなのに、少しずつ忘れていく。それがもっと、悲しかった。
(母上は、ジュリウスになんて言ったんだ……?)
記憶を辿ってみても、二人が話したところをあまり見たことがない。ジュリウスが見舞いにいっても、すぐ女同士の会話をしたいとかで追い出されていた。
いつの間に、会話したのだろうか。どうして、母はジュリウスに話したのだろう。
父が自分を嫌う理由、という複雑で家の面倒事である話を、友達の息子とはいえ他人であるジュリウスに、どうして。
「あぁ、もう! やめだ、やめ!」
考えても、答えが出るはずがない。ジュリウスも知らない、と言っていたのだ。クロニカだって、母の真意は分からない。知りたくても、母はもういないのだ。どうしてジュリウスに言ったのか、なんで父が自分のことを好きだという嘘を吐いたのか。分かるはずがない。
クロニカは走り出した。考えるのを止めたくて、全力で走った。
屋敷に着いて、門番に一言言うと、すぐ庭へ向かった。
途中、女中が買い出しから帰ってきたのに出くわしたので、女中に自分が帰ったことを他の女中と執事長に伝えてくれ、とお願いし、小屋へ向かった。
小屋は庭師のじいやが使っているのだが、じいやの好意に甘えて、クロニカはここに自分の作業服を置いて、ここで着替えているのだ。
作業着に着替え、じいやを探すために花迷路付近を歩く。じいやはすぐに見つかった。誰も見ていないのに、華麗に花迷路の植木の剪定をしていた。
「じいや」
声を掛けると、じいやは鋏をぐるりと回しながら、クロニカに視線を投げた。
「おや! お嬢様、お帰りなさいませ。今日は遅かったですね」
「ジュリウスと話していたんだ」
「さようで」
じいやはにっこりと笑った。
「あのさ、じいやに訊きたいことがあるんだけど」
「もしや……林檎を栽培したいとか? それとも梨を?」
どうやら、この前アップルパイも作ってみたい、と言ったことを覚えていたらしい。
「林檎は環境に適していないし、梨は……考える。そうじゃなくて、別のことだよ」
「植物以外のことですかな? はて? 私に答えられる内容であれば、教えて差し上げたいのですが」
クロニカは周りを見た。今は誰もいないが、ここは屋敷に近い。誰かが来る可能性が高い。
「あの、さ。ここだと話しづらいからさ、奥行かね?」
「構いませんとも」
嫌な顔をせず、じいやは柔やかに笑みを浮かべて、頷いた。
「ちょうど、剪定を終わったことですし。お嬢様、ついでに鋏を持ってくれませんか? 二つ同時は持ちづらくて」
「もちろんいいぜ」
快諾して、じいやの鋏を受け取る。じいやの鋏は、クロニカの鋏と比べると、かなり年季が入っていることが一目で分かる。よく手入れがされていて、古いのに動きが滑らかだ。
脚立を抱えたじいやの隣を歩く。
昔はじいやが足並みを揃えてくれたけど、今は違う。揃えてはくれているが、昔ほどゆっくりではなく、少しだけ遅めになった。
「それで、訊きたいこととは?」
屋敷から離れた、庭の奥に差し掛かると、じいやが切り出した。
「え、と、あのさ……」
言い淀むクロニカに、じいやが首を傾げる。
「言いにくいことですかな?」
「いやさ、その……」
訊くことはしっかりしているのだが、どこから順に説明したらいいか。
しばらくそうしていたが、意を決してクロニカはまず言った。
「あのさ、じいやって、この屋敷の使用人の中で、一番ここにいるのか?」
じいやはきょとん、として顎に手を添えた。
「まあ、そうですな。昔からいる使用人は、私以外全員、領地の屋敷に飛ばされてしまいましたから、この屋敷の中では、私が一番長いですな」
「飛ばされた?」
「奥様を娶る前のことです。旦那様が、跡を継がれた時に一斉に。大旦那様……前マカニア公爵夫婦も一緒に」
「お爺様とお婆様も?」
クロニカは生まれてこの方、祖父母に会ったことがない。母方の祖父母は、クロニカが物心つく前に亡くなり、父方の祖父母は存命だが領地に引き籠もっている。領地に行ったことがないクロニカは、会ったことがない。
ルーカスは父と共に領地に行っているから、会ったことがあるかもしれない。実の孫が会ったことないというのは可笑しな話だ。
「それで、訊きたいこととは? それが訊きたかったことではないのでしょう?」
「ジュリウスから聞いたんだけど、母上がじいやなら知っているかもって言っていたみたいで」
「知っている? 何をですか?」
「父上が、オレを嫌う理由」
じいやの目が見開かれる。
じっとクロニカを凝視したのち、視線を逸らし、考え込んだ。
心臓をバクバクしながら返答を待っていると、おもむろに口を開いた。
「憶測でしかないのですが」
「それでもいいから、教えてくれないか?」
「その前に、お嬢様はどうしてお知りになりたいのですか?」
「知りたいっていうより……そうだな。友達に言われたんだ。父上がオレを嫌うのは理不尽だ、はっきりとした理由を知ってから、納得しろって」
じいやは笑みを浮かべた。
「お友達は、とてもしっかりしておりますなぁ」
「だろ? まあ、その友達に感化されて、なんだけど。友達の言うことも一理あるし、それにジュリウスから話を聞いたんだけど、オレが生まれる前まで、父上はオレの誕生を心待ちにしていたって」
「ああ。そうですな。今か今か、とそわそわしておりましたなぁ」
その頃を思い出したのだろう。懐かしそうに目を細め、寂しげに呟いた。
「だったら、なんでオレを嫌うんだろうなって。別にさ、男も女も拘っていなかったんだろう?」
「ええ。母子ともに無事でいてくれたらいい、と言っていたと聞いております」
「母上もその時は生き延びたし、憎まれる覚えはないわけだよ。瞳が原因かもって母上が言っていたみたいだけど、瞳のなにが気に食わないか分からないし。さらに覚えがないわけで。それって変だよな?」
「納得しておられないのですか?」
「前は納得していたけど、今はこう……モヤモヤする」
するとじいやは、嬉しそうに頷いた。
「そうですか、そうですか。お嬢様、それが正しいんですよ」
「正しい?」
意味が分からない。どうして、モヤモヤすることが正しいのだろうか。納得するより、モヤモヤすることが良いのか。分からなくて、首を傾げる。
「ええ、ええ。じいやは、お嬢様がそうしてくださると、とても安心します」
「なんだよ、それ。意味わかんねぇ」
「分からなくても良いのですよ。クロニカ様は、そのままで良いのです」
怪訝な顔でクロニカはじいやを見据えるが、じいやは皺を深くしながら笑みを一層浮かべる。
「さて、理由ですが、あくまで私から見たことですので、もしかしたら真実と異なるかもしれません。あまり真に受けないでくださいね?」
「わかった」
頷くと、じいやは再び顎に手を添えて、語り始めた。
「瞳の件ですが、それには心当たりがあります。お嬢様の瞳の色が、クレス様と同じ色なんですよ」
「クレス様? 誰だ、それ?」
聞いたことない名前に、クロニカは首を傾げた。
祖父と会ったことはないが、名前は知っている。確か、ヘンゼルという名前で、クレスではなかったはずだ。
「旦那様のお兄様のお名前です。お嬢様にとっての、伯父上ですね」
「伯父上? オレに伯父上がいたのか?」
父に兄弟がいたとは、初耳だ。
しかし、兄ということは、跡継ぎの第一候補ということだ。それなのに、どうして次男の父が跡継ぎになっているのだろうか。
「はい。ですが、旦那様が十二歳の頃にお亡くなりになりました」
「どうしてだ?」
「事故、ですな。その事故は領地にいた時に起きていたので、この庭を世話した私はその場に居合わせておりませんので、詳しいことは」
「ふーん。何歳くらい歳が離れていたんだ?」
「四つほど。ですから、享年十六歳ですな」
「若かったんだな」
なるほど、大分昔に亡くなっていたのか。それなら知らないはずだ。教えてくれなかったら、知ることもなかった。
もしかして、母も知らなかったのだろうか。知っていたとしても、絵姿は見たことがなかったのかもしれない。
「伯父上と瞳の色が一緒だからって、どうしてオレを嫌うんだ?」
じいやは苦笑した。
「旦那様は、お兄様のことをあまり良く思ってはいなかったようで」
「伯父上、悪い人だったのか?」
じいやがぶんぶんと、首を横に振る。
「いえいえ! 謙虚でお優しく、使用人の私たちにも労りの言葉を掛けてくださる、とっても良い方でしたよ。儚い笑顔をいつも浮かべておりました。当主様のことも、気に掛けておりました」
確かに良い人だ。父よりも、良い人だ。
「それなのにどうして?」
「クレス様はお身体がとても弱くて。よく高熱を出して、寝込んでおられました。前マカニア公爵夫婦は、クレス様ばかりお構いになり、旦那様は、身体の弱い兄の代わりに跡継ぎの第一候補だったにも関わらず、放任されて。両親を取られてか、クレス様のことを敵視しておりましたよ」
「そうだったんだ……」
初めて知った父の過去に、クロニカは俯いた。
父は自分の兄のことが嫌いだったのだろうか。そして、今もそうなのだろうか。
「だから、お嬢様の瞳を見ると、クレス様のことを思い出して、あんな態度を取ってしまっているのかもしれませんね」
じいやが悲しげに呟く。クロニカは、顔を上げた。
「そういえば、事故ってどんな事故だったんだ?」
「先程申し上げた通り、詳しいことは」
「知っていることだけでいいからさ」
「たしか……屋敷周辺を散歩中、崖に転落したらしいですね。それ以外はなんとも」
「崖?」
クロニカは首を傾げる。
「崖っていうことは、屋敷の外なんだろ? 身体すっげぇ弱かったのに、どうして外に?」
「身体の調子の良い日は、庭を散策されておりましたからね。もしかしたらその日は、体調がすこぶる良くて、少し遠出したのかもしれませんな」
「ふぅん」
母のように病死ではなかったのか。
クロニカは空を見上げた。
「会ってみたかったなぁ……伯父上に。姿絵はあるかな」
「この屋敷には残っておりませんな。旦那様が全部燃やしましたから」
「燃やした!?」
クロニカはぎょっと目を剥いた。
いくら嫌いだったからとはいえ、燃やすことはないと思う。二度と目が入らないように、倉庫の奥に押し込めばいいのに。
(もしかして、二度と目に入りたくなかったから、そうしたのか……?)
だとしたら、どうしてそこまで憎んだのだろう。両親を取られてからといって、一枚も絵姿を残さないだなんて。
「ですが、領地の屋敷なら残っているかもしれませんね」
「領地の屋敷?」
「ええ。大旦那様と大奥様なら、隠し持っているかもと」
「そうだな……」
確かに、可愛がっていたのなら持っているかもしれない。
領地の屋敷。会ったことがない祖父母に、名前しか知らない伯父。伯父にはもう会えないけれど、祖父母はまだ生きている。
まだ存命中のうちに会ってみたい、と初めて思った。




