理由について
ジュリウスは個人の研究室を与えられている。普通は先輩医学者の助手として働き、そこから実績を積み重ね、施設長に実力を認めてもらったら個人の研究室が貰えるらしい。
ジュリウスも最初、先輩医学者の許で研究していたらしいが、クロニカにはよく分からない、けど凄い発見をしたらしく、入所して二ヶ月で個人の研究室を与えられた、という異例を出してしまったのだという。
応接間は他の人も使うから、とその個人の研究室に通らせてもらった。まだ入所してまだ二年目の彼が、他の先輩医学者の許で研究をせず、個人で研究をしているのだから、そこは素直にすごいな、とは思う。
彼の職場での人間関係など心配になってくるが、嫉妬されようが恨まれようが孤立しようが、彼は然程気にしないのだろう。そこがなんとなく歯がゆく感じる。
ジュリウスの研究室は、一応は片付けられていた。研究に使うらしい道具の周辺は物はあるもののちゃんと整理されている。ただ、読み書きする机らしいそこは、本が積み重なり、ぐしゃぐしゃに丸められた紙屑がゴミ箱のように捨てられていて、けっこう散らかっていた。
ジュリウスらしい、と思いながら、クロニカは適当な椅子に座った。
研究室の奥に、別の部屋に続く扉がある。そこが給湯室になっているようで、ジュリウスは、適当な場所に座って、と言って、そこに入っていった。
クロニカは研究室が物珍しくて、ぐるっと辺りを見回した。
広さは、個人だけで使うにしては広いほうだと思う。道具のこともよく分からないが、どれも新しくて種類も多くて、充実しているように見えた。
再び、机の上を見る。よく見ると、机から零れた紙屑たちが落ちている。
見てみたい気もするが、見ても理解できるとは思えないし、なんとなく憚れる。彼の許可無く、彼の努力を覗き見るのは、抵抗があるのだ。
そのとき、ジュリウスがカップ二つを持って、給湯室から出てきた。
「はい、紅茶。女中に比べたら、味は劣るけど」
「ありがとう」
差し出されたカップを受け取り、一口飲む。癖がない、クロニカが好む紅茶だった。
「うん、おいしい」
「そう」
軽く返事をしながら、ジュリウスは汚い机の前にある椅子に座った。
もう一口飲む。
「お茶菓子はないから、それで我慢して」
「気を遣わなくてもいいっての」
ジュリウスも自分のカップに口を付ける。一息ついたところで、再び口を開いた。
「それで、何悩んでいたんだ?」
「悩みって、いうのかな……」
クロニカは、カップを持っている腕を、静かに下ろす。
「リリカに言われたんだけど」
「リリカ……? ああ、よくクロニカと一緒にいる女友達?」
「そう。リリカが、父上がオレを嫌うのは理不尽だって、怒って」
「たしかに理不尽だな。その子の言うとおりだよ」
「まあ、その後に、ちゃんとした理由を知ってから納得しろって言われたんだ。まあ、知りたいような知りたくないような、でも知らなくちゃいけないのかな、とか、今さら知ってどうするんだよ、とか、探りを入れても余計に嫌われるんじゃないか、とか、でもこれ以上嫌われないよな、とごちゃごちゃと考えていたら」
「ここの前に来ていた、と」
「ん」
クロニカは、紅茶を飲んだ。
吐き出したからか、まだ痼りが残っているけれど、心が大分すっきりした。やはり溜めすぎるのはいけない。
どうしてか、女友達や男友達よりも、ジュリウスのほうが本心を晒しやすい。女友達にも男友達にも、話せないことも、ジュリウスになら話せる。
(改めて……)
クロニカはジュリウスを一瞥する。
(オレにとって、ジュリウスはなんだ?)
女友達、男友達、どちらにも当て嵌まらない。では、親友なのだろうか。それは、近いようで遠いような気がする。
ジュリウスのことは好きだ。だが、その好きの種類が、友達には当て嵌まらない。では、異性として好きなのか。そこは首を傾げてしまうところだ。
そもそも、今まで恋愛と縁が遠く、興味がなかった。だから、恋愛という感情がよく分からない。どんな気持ちが恋愛なのか、クロニカは知らない。
父上が自分を嫌う理由よりも、こちらのほうを優先に知るべきなのだろうか。ジュリウスにいつまでも待ってもらうのも、悪い。
「理由だけどさ」
「うへぇ!?」
「なんだよ、その声」
ジュリウスが胡乱げに、クロニカを見据える。
「ちょ、ちょっと考え事していただけだ」
「ふぅん……」
挙動不審なクロニカを、ジュリウスはジト目で見るが、やがて視線を逸らした。
「まあ、理由についてだけど」
「心当たりがあるのか?」
「僕自身にはない。けど、夫人が言っていたことを思い出した」
「母上が? 母上、何か知っていたのか?」
クロニカは首を傾げる。
そんな素振りはなかったと思う。いや、見せなかったのだろうか。
いつも慰めで、あの人はクロニカのこと好きよ、と言っていた人なのだ。その手前、自分の前では表に出さないようにしていたのかもしれない。
母を思い出し、ずきっと胸が痛んだ。
「お前が生まれてくる前まで、公爵はお前の誕生を心待ちにしていたらしい」
「あの父上がぁ?」
一番古い記憶でも、愛情のあの字もなかったあの父上が、自分の誕生を心待ちにしていた。
信じられなくて、クロニカは胡乱げに目を細める。
「けど、お前の瞳を見た瞬間、冷たくなった、と夫人が言っていた。多分って言っていたから、夫人も少し自信がなかったみたいだけど」
「瞳……?」
性別でも、存在自体でもなく、瞳が原因だったのか。
でも、それなら何故、瞳を嫌うのだろうか。目元も母似だと思うのだが。
「それから、こうも言っていたよ。庭師のじいやなら分かるかもしれないって」
「じいやが?」
「あの人が一番長く、仕えているからって。まあ、たしかにあの人よりも年上の人がいなそうだし、次に歳がいっている人は、大分歳が離れているみたいだから」
言われてみればそうだ。
庭師のじいやの次に長いのは、執事長なのだが、あの人は庭師のじいやと歳がかなり離れている。軽く一回りほど違っていたような気がする。
「なんで、母上はお前にそのことを……?」
「さぁ。訊く前に亡くなったから」
ジュリウスが肩をすくめる。
「あの人が何を考えて、僕になにを期待していたのか、まったく分からない。けど、自分が近いうちに死ぬってこと分かっていたから、何か思うことでもあったんじゃないかな」
遠くを見ながら、ジュリウスは語る。その台詞に、クロニカは目を見開いた。
「分かっていたって……」
「心臓が駄目って言っていた。いつ死んでもおかしくないって」
「オレには、そんなこと、一言も……」
クロニカは下唇を噛んだ。
(どうして、言ってくれなかったんだ)
母も使用人も。
言ってくれたら、覚悟も出来ていたのに。母にたくさんのことをしてあげられてのに。幼かった自分が出来ることは限られているけど、それでも出来る限りのことをして、最期まで母孝行したのに。
「多分だけど、最期までお前の笑顔を見たいって思っていたんじゃないか?」
ジュリウスが呟くように言った。
「お前に心配かけたくない、とか、泣かせたくない、とかそんな想いもあったと思う。けど、一番はお前の笑顔が陰るのを見たくなかったんじゃないか?」
「オレの……?」
「クロニカは取り繕うの下手だし、無理して笑おうとするから」
「うっ」
嘘が下手なのは自覚しているから、ぐうの音も出ない。
「だから、言わなかったんだと思う。あの人、きっとクロニカの笑顔で救われていたと思うから」
「なんで?」
「さぁ?」
ジュリウスが小さく笑う。さぁ、と言いながらおそらく分かっているような雰囲気に、クロニカは不思議そうにした。
「とりあえず、知りたかったら、じいやに訊いたら?」
「そうだな。ありがとうな。教えてくれて」
「別に」
ジュリウスが紅茶を飲む。クロニカも紅茶を一気に飲み干した。




