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美しきモノ  作者: 空廼紡
ジュリウス・セピールの回想
20/63

自覚

 クロニカを背負い、屋敷に戻ってから慌ただしかった。

 クロニカは思っていた以上に危ない状態で、今夜が峠だと告げられた。

 その日はマカニア邸に泊まり、クロニカの容態が落ち着くのを待った。

 その日の夜は、いくら目を閉じてもなかなか寝付けず、気が付けば朝になっていた。


 一晩中、生きた心地がせず、ただ祈るしかない、情けなく無力な自分を呪った。

 峠を越えられた、と聞いた時、どれほど安心したか。宙にぶらさがっていた不安と恐怖が地に着いて、消え去った。


 だが、クロニカの意識が戻らず、峠は越えたものの高熱が続いていたので、主治医の許可を得てクロニカは一時的、セピール邸に移動することになった。

 クロニカの精神的に、マカニア邸にいるのは拙いのもあるし、奥方の葬儀の準備で誰もクロニカの看病する余裕がなかった。


 二日後、夫人の葬儀が行われた。母は葬儀に参加したが、ジュリウスは参加しなかった。それよりも、クロニカの傍にいることを選んだ。

 学園は休んでいる。一週間休んだとて、勉学に遅れることはない。母もそれがいい、と学園に話を付けてくれた。



「マカニア……」



 魘されているクロニカの汗を手拭いで拭き取りながら、彼女の名を呼ぶ。

 意識は戻らないが、時折目が開くことがある。本人には自覚ない、浅い覚醒だ。

 そんな彼女は当然、食事はできない。点滴で何とか栄養を送っているのが現状だ。

 クロニカの額に滴る汗を拭き取り、汗ばんだ前髪を掬う。



「天才、か」



 それは、周りの大人達がジュリウスに言い続けた称号。

 ジュリウスも驕りなどではなく、実質自分は天才なのだと思っていた。だが、今は。



「僕のどこか天才なんだか」



 自嘲気味に呟く。



「こうして見守ることしか出来ない、起きても掛ける言葉の一つすら思いつかない、僕のどこが……」



 天才なんだ。


 最後の言葉は、咥内に消える。それはとても苦い味がした。


 前髪を掬っていた手を、クロニカの頬に滑り落とす。汗ばんだ頬はしっとりとしていて、熱のせいでとても熱かった。

ジュリウスの手が冷たくて気持ち良かったのか、クロニカが擦り寄ってきた。

 慌てて手を引っ込む。起きたのか、と顔を覗き込んだが、覚醒した様子はなかった。

 胸を撫で下ろす。目覚めてほしいが、今のタイミングで目を覚ましたら、どんな顔をしていいか分からない。



「ん……」



 呻き声がした。今度こそ目が覚めたのか、と顔を覗き込む。が、その様子はなく、唇が震えていた。



「はは、う……え」



 魘されている唇から、漏れた呼び声。それと同時に、眦から一粒の涙が零れ落ちる。

 胸がぎゅうっと締め付けられた。夢の中でも、母を求めるその姿は小さな子供そのものだ。十四歳であるが、それよりも幼く見えた。



「自覚するしかない、か」



 溜息をつくように呟く。


 自覚してしまった。気付いてしまった。


 どうして、紅と青を追ってしまうのか。

 どうして、彼女の傍が心地良いのか。

 どうして、彼女を見て飽きないのか。

 どうして、彼女には笑ってほしいと願うのか。


 答えは、一つだけだった。



「マカニア、僕は……」



 鮮やかな紅の髪を撫でる。思ったより柔らかいそれは、不思議と手に馴染んだ。

 自覚したら、たくさんの初めての気持ちが溢れてくる。

 熱いような、暖かいような、ムズムズするような、でも嫌ではない気持ち。



「入るわよー」



 ノックもなしに母が入室した。慌てて手を引っ込める。



「母上、ノックくらいして下さい」


「あ、ごめんなさい」



 おどけて笑ってみせる母を見て、舌打ちをしたくなった。が、寸の所で止める。舌打ちをすると母は煩いのだ。

 代わりに半眼で睨みつける。母には効果なく、寝台の傍まで来た。



「クロニカちゃん、まだ目覚めない?」


「はい。葬儀はどうでしたか?」


「人が沢山いたわ。公爵家だからっていうのもあるけど、ミリアちゃんって夫人の間でも評判が高くてね。夫人たちもたくさんいらしていたわ」


「マカニアがいないことに、どんな反応をしましたか?」


「高熱を出しているって言っておいたから、大丈夫よ。ほとんどの人が、クロニカちゃんに同情していたわ。それだけ有名だったっていうことね。クロニカちゃんに対する態度」



 母が目を細めた。あれから二日経っているが、母の怒りは未だに治まっていないようだ。



「母上」


「なに?」


「あの時、言いましたよね? 子を産み落としたことは、母にとって誇り、と」


「ええ」


「僕も母上の誇りですか?」



 母はきょとん、とした顔でジュリウスを注視した。そして、吹き出した。



「もしかして、実は気にしていたの? 御義母様に人の気持ちを理解しない冷たい子って言われたことと、学者たちに化け物呼ばわりされたこと」


「いえ、そういうわけではありません」



 それは本音だった。ただ、周りから化け物呼ばわりされている子供を産んだ母から、そんな言葉が出るのが不思議だっただけ。



「もちろんですとも」



 母は強く頷いた。



「ジュリウスもジェットも、私の誇り。私の命より、価値のあるものよ」



 今度はジュリウスがきょとんとなる番だった。そこまで大切に想われているとは、想像もしていなかった。



「それはそうと、あの馬鹿、このままクロニカちゃんへの態度を軟化しないつもりかしら?」



 母が話題をすり替えた。



「どうなんでしょうね……理由があるらしいですが、その理由は夫人も知らなかったみたいですし」


「あら。ミリアちゃん、あなたにそこまで話していたのね」



 母がニヤニヤと笑う。



「ふーん、なるほどね」


「なんですか」


「なにもないわよー」



 ぶすっとした顔で母を睨み付けるが、母は取り繕うとはせずニヤニヤ顔を止めなかった。



「そうかそうか。ふふふ……まあ、もしあのままだったら、クロニカちゃんをあの家から引き離すことを考えないとね」


「方法があるんですか?」


「簡単なことよ。お嫁さんに行けばいいの」


「は?」


「ていうか、あなたが娶りなさい」


「はぁ!?」



 思わず声を張り上げた。

 あまりにも唐突な提案に、珍しく彼の頭がこんがらった。



「異議あるの?」



 そんな息子を気にすることなく母は、むしろ何か問題でも? とばかりに問うてきた。



「ありまくりですよ。マカニアには結婚願望がありませんし」


「願望は植え付ければいいだけのこと」


「母上、あくどいです。それに、マカニアがそう簡単に自分の意思を曲げませんよ」


「未来のことなんて分からないわよ」


「第一、マカニアは僕のこと好きじゃありませんし」


「それこそ、未来のことなんて分からないわ。それに」



 母がジュリウスを一瞥する。



「あなた、クロニカちゃんのことが好きなんでしょう? だったら、ぐいぐいっと行ったらいいじゃない」



 母の言葉に思考が停止した。

 何故、知っている。二日前まで自覚していなかった、自分の気持ちを、何故、知っている。



「あなたって、分かりにくいようで分かりやすいわね」



 母がおかしそうに笑う。



「諦める気なんて、さらさらないんでしょう? なら、進むしかないわね? ま、頑張りなさい」



 言うだけ言って、母は退室した。

 反論できないまま、ジュリウスはその背中を見送り、母が退室した後に、徐々に思考が動き始めた。

 一気に疲れて、盛大に溜息をつく。



「諦める気はさらさらない、か」



 まったくその通りである。母は見てないようで、ジュリウスのことをしっかり見ていたようだ。

 クロニカに結婚願望がなかろうが、脈がなかろうが、ジュリウスの中にはクロニカを諦めるという選択肢がないのだ。

 クロニカを誰にも取られたくない。クロニカを、この手で抱き締めてあげたい。

 その為なら、いくらだって努力しよう。



「誠実で真面目で、自分と子供のことも愛してくれる、物腰が柔らかくて笑顔が絶えない、その笑顔も素敵な人、か……」



 二年程前に聞いた、クロニカの理想の男性を口にする。この時ばかりは、無駄に記憶力が良い自分を褒めたくなった。

 鏡台に映る己を見る。自分でも思う無愛想な顔つき。笑顔が素敵な人、には程遠すぎる。



「…………まずは笑顔、だな」



 いきなり満面の笑顔は無理だ。むしろ怖がらせてしまう。自然に笑まないといけない。

 第一関門が既に難関だ。だが、やるしかない。


 こうして、ジュリウスにとって初めての努力が始まったのだった。

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