ジュリウスとマカニア夫人
クロニカと一緒にぐゆみを食べたその日から、どうも可笑しい。以前から、彼女のことを考えたりはしていたが、あの日からもっと彼女のことを考えるようになった。
彼女が女性らしい仕草や、笑顔を見せると直視ができなくなる。それでも、いつも目で追ってしまう。
それは、ジュリウスにとって大きな変化で、ジュリウスは混乱していた。その行動の意味が分からず、モヤモヤとした気持ちを抱えたまま、日々を過ごしていた。
今日も母の付き添いで、マカニア邸を訪れた。だが、今日はいつもと違うことをしている。
「前から挑戦したいと思っていたのよ! ねえ、クロニカちゃん。競争しない?」
「いいですよ! 負けませんから」
「そうこなくっちゃ!」
庭師のじいやが花迷路を新しくした事や、夫人の体調が良い、ということでマカニア邸の名物「花迷路」を見学することになった。
母が珍しくはしゃぎ、先ほどクロニカとそういう話をしてから、花迷路の中に入っていった。
「ふふふ。二人とも行っちゃったわね」
「そうですね……」
必然と、ジュリウスは夫人と二人っきりになった。
ジュリウスは少しばかり居心地の悪さを感じた。会話はしたことはある。だが、それは母を通しての会話だったので、一対一で話すのはこれが初めてだった。
「前からジュリウス君と話したかったのよ」
夫人は嬉しげに言葉を紡ぐ。
「僕と話しても楽しくはないと思うのですが」
「それは私が決めることよ」
夫人はクロニカが作った茶を飲む。
ジュリウスは夫人を一瞥した。たしかに顔色は良いのだろう。だが、前と比べて明らかに顔色が悪くなっている。
身体が弱い、というより何かの病気に掛かっているような気がした。
いつもならクロニカがいるから訊ねようとは思わないが、今はいない。ジュリウスは思い切って訊くことにした。
「夫人……どこか患っているのですか?」
「さすがビアンカさんの息子ね」
夫人がにっこりと笑う。
「心臓がね、駄目みたいなの」
「心臓が……」
「そう。いつ止まっても、おかしくはないのですって」
落ち着いた様子で語る夫人。悲嘆はしてなく、全てを受容しているようだった。まるで、こうなる事は最初から分かっていたかのように。
元々、身体が弱いのだと聞いた。だとすれば、夫人は前から覚悟していたのだろう。
「ねぇ、ジュリウス君は疑問に思ったことはない?」
「何をですか?」
「私の夫が何故、クロニカに対してあんなに冷たいのか」
「それは……」
実は気になっていたのだ。だが、それはこの家の問題であって、事情を知らない、血縁者でもない自分が首を突っ込むのは拙いと思ったのだ。
「私も、あの人が何考えているのか分からないの」
「知らないのですか?」
てっきり知っているのかと思っていた。
「ええ。でもね、あの人はクロニカが生まれることを心待ちにしていたのよ」
「え」
「もう、待ちきれなくて、よく私のお腹を撫でていたの。でも、生まれたばかりのクロニカの顔を見た瞬間、冷たくなって……」
その時の事を思い出したせいなのか、夫人は憂いげに息を吐き捨てた。
「でも、マカニアの顔は夫人似ですよね?」
マカニア公爵が夫人のことを大切に想っているのは、ジュリウスからでも分かる。その公爵が夫人似のマカニアの顔を見て、態度を一変させるだろうか。
「顔というより、瞳、かしら?」
「瞳?」
「多分そう。本当は、私があの二人の架け橋になりたかったけど……」
夫人は儚げに笑む。
「もう、時間が残っていないから、無理ね」
そんなことはない、とは言えなかった。そんな気休めにもならない言葉は、かえって傷つくだけだ。それに、確証のないことを言いたくない。
口を噤む。そんなジュリウスに夫人は、小さく笑声をあげた。
「そうね。もしかしたら、庭師のじいやなら知っているかもね。あの人が一番、長く仕えているから」
「あの人が……?」
誰も見ていないというのに、華麗に植木の剪定をしていた初老の爺の姿が蘇る。
そういえば、あの人が一番歳をとっているような気がする。他は若いとはいかないものの、庭師のじいや以外は老人と呼ぶ年齢に達していないように見える。
「ジュリウス君」
夫人がジュリウスの手を包み込むように握った。
「私が死んでからも、あの子のこと、よろしくお願いね」
「そんな、縁起でもないことを」
「いつ死んでもおかしくないんだから、縁起もなにもないわ」
反応に困る返答に、ジュリウスは口を噤む。
「ジュリウス君なら、安心してクロニカのことを任せられるわ」
「どうして」
「ジュリウス君だからよ。そのうち分かるわ」
ジュリウスの手を包み込んでいる手に、力が入った。
「あの子のこと、幸せにしてあげてね」
その意味を訊こうとしたら、クロニカと母の声が聞こえた。
「負けた! さすが、クロニカちゃん!」
「また今度相手にしますよ!」
「次は負けないから!」
夫人が手を離す。
「帰ってきたみたいね」
夫人が手を振って、二人を出迎えた。
(ま、いっか)
ジュリウスは静かに溜息をつく。
どうせすぐ見舞いに行くだろうから、またその時に訊けばいい。この時はそう思った。
だが、その時が来ることは、二度となかった。




