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美しきモノ  作者: 空廼紡
ジュリウス・セピールの回想
17/63

勉強

 今日もジュリウスは、母と一緒にマカニア邸を訪れていた。

 だが、門を潜ってもいつも出迎えてくれるクロニカが見当たらなかった。代わりに出迎えたのは、執事だった。最年長の執事だというが、その割には若く見える。


「マカニアは?」


 執事に訊くと、少々困り気味に笑みをひきつった。


「お嬢様は、勉強中でして」

「ふーん……ありがとうございます」


 あの嫌そうな顔がないだけで、何故だか落ち着かない。

 落ち着かないまま執事の案内で、夫人の部屋に入る。


「こんにちは、ミリアちゃん!」

「いらっしゃい、ビアンカさん」


 夫人が儚い笑みを浮かべ、自分たちを出迎えてくれた。顔色は良いと言っていたが、前と比べて些か顔色が悪いように見えた。


「こんにちは、マカニア夫人」


 もう何回も来たので、略式の挨拶をする。


「こんにちは、ジュリウス君」

「さて、挨拶も終わったことだし、これから女同士の話をするからジュリウスは退場ね」

「マカニア、勉強中だから僕が暇になるんだけど」

「あの子、一人で勉強しているの。よかったら、勉強を見てくれないかしら?」


 夫人が提案する。

 この夫人の頼み事は断れる気がしない。夫人は強制はしないが、優しい笑みと声色に反論の言葉が空回りする。

 拒否する理由もなく、ジュリウスは部屋を出て、クロニカの部屋に向かう。案内は女中にしてもらった。

 クロニカの部屋の扉を叩く。すぐに、どうぞ、と返事が返ってきた。

 ジュリウスは躊躇いもなく、ドアノブを回した。


「失礼するぞ」


 声をかけると、クロニカがしなる鞭のように振り返った。その顔はとても驚いている。

 もしかして、今日来ることを知らせていなかったのだろうか。


「セピール!? どうして」

「いつも通りマカニア夫人の見舞いで、恒例の女の話をするとか言って追い出された」

「今日来るって訊いてないぞ」

「知るか」


 やはり知らされていなかったのか。それほど今の時期、勉強が必要なのだろうか。

 部屋に入ると、クロニカがジュリウスを睨み付ける。


「おい。いくら相手が俺だからって、女の部屋に遠慮なしで入ってくるなよ」

「どうぞ、と言ったのはお前だろ。女扱いしてほしかったら、女の格好をすればいいだろ」

「するよかよ、かったるい」


 けっと反吐が出すクロニカに、内心溜め息をつく。

 言うと思っていた。女の服装に関して、なんとも思っていないのが薄々分かっていたが、本人から聞くと嘆かわしい。


「で、何の用だ?」

「暇だから来た」

「俺は勉強しているんだ」


 ふと、彼女の机の前に貼られている紙が目にはいった。

 それは試験の日程が書かれたものであった。


「ああ。そういえば、試験前だったな」

「忘れていたのか?」

「僕には関係ないことだ」


 時間空いたら知識を増やすために勉強をしているジュリウスにとっては、周りの生徒のように慌てる要素は全くない。

 元より、試験内容はジュリウスにとって簡単すぎる内容だから尚更のことであった。

 他の国のように飛び級制度があれば、院に行けるのだがいかんせん、この国は飛び級制度はない。


「……お前って嫌味な奴だな」


 嫌味を言ったつもりはない。

 普段から勉強をしないお前が悪いんだろ、と少しばかりの怒りが沸いた。

 それを振り払うように、机の上にある教科書を指した。


「なんの勉強しているんだ?」

「……数学」


 苦虫を噛みしめたような顔をするクロニカをジュリウスは一瞥し、問題を解いていた問題用紙覗き込んだ。

 一見間違っていないようだが、よく見ると公式が違っていた。


「って、おい!」

「ここ、使う公式が違う」

「え、マジ? どこ?」


 指摘すると、クロニカも問題集を覗き込んだ。

 先ほどまでの苦々しい顔が一変、きょとんとした表情になる。

 それを見て、少しした怒りが鎮まった。


「この問題。これはシカナの公式を使うんだ。ここの問題も。この公式でも解けない事はないけど、ソナイの公式のほうが解けやすい」

「ソナイの公式?」

「まだ習っていないか?」

「さぁ……?」


 聞き覚えのあるようなないような。

 そんな顔をしていた。

 基礎すら分かっていなかったのか。記憶に間違いなかったら、習っていると思うが。


「客人の暇つぶしに付き合ってもらうぞ」

「なんだよ。庭はこの前見て回っただろ」

「庭じゃない。お前の勉強を見てやる」

「なんだよ。上から見やがって」

「もう忘れたか? 客人の暇つぶしに付き合えと言ったことを」

「つまり、暇つぶしに俺の勉強を見てやると?」

「そうだ」


 頷くと、彼女は嫌そうにしたが、すぐに悔しげに顔が変わる。

 きっと、彼女の中で苦渋の決断を下している途中なのだろう。

 友に教えを請うには申し訳なく、教師にも頼めない。そう考えているに違いない。

 やがて、クロニカはジュリウスの後ろに控えている女中を一瞥する、


「……もう一つ、紅茶を用意してくれ。ついでにおかわりも」

「かしこまりました」


 女中が去る。クロニカが部屋の隅に置かれていた椅子を持ってきた。


「……ヨロシク頼ム」

「……ああ」


 不服そうに言われて、内心むっとしたがすぐにそれを取り払った。

 教えてみると、クロニカは思っていたよりも頭が悪くなかったのが分かった。

 公式とその意味を覚えるのに苦労をしたが、それさえ覚えたら応用も難なく解けた。


「もうこんな時間か」


 その言葉に窓の外を一瞥する。空は赤く染まっていた。


「さすがに母上たちも切り上げるだろうな」

「今日はありがとな」

「別に」


 素っ気なく返し、ジュリウスは窓の外を仰ぐ。

 最近、こうして空を見上げる時間が増えた。どこか既視感を覚え、それはなんだろうかと悩むうちに時間が過ぎるのが多々ある。

 特に、青空と夕空が多い気がする。

 あ、そうか。

 ジュリウスは気付いた。


「お前って空みたいだな」

「は?」

「髪の色は夕暮れで、瞳の色は青空。空の色だ」


 ただ、素直に思った事を言っただけだった。

 言うだけ言って、部屋を去る。

 夫人の部屋に向かう途中、ジュリウスは腑に落ちたことに満足していた。

 なるほど、そうか。あんなに空を見上げるのは、クロニカのように飽きないからか。

 しきりに納得した。

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