秘密
彼の秘密を知ったのは、唐突だった。
母が、学生時代の友人の見舞いに行くから付いて来て、とお願いされたのが切っ掛けだった。
なんでもその友人がクロニカの母らしく、十年ぶりに顔を合わせることになった、と嬉しそうに語った。
十年前、元々身体が弱かったクロニカの母が倒れてから、社交場にも顔を出さなくなった。母も妊娠して今まで会う機会がなかったというのだ。
母は一人で行くのを嫌がる人だ。普段はわりとドライのくせに、出掛けるとなると主に家族を連れて行きたがる。家族がいなければ友人を連れて行きたがる。使用人は次元が違う、と言われた。正直、何が違うのか分からない。
父は仕事、祖父は他界。祖母とは折り合いが悪く、弟は他人の家がものすごく苦手だ。緊張で気分が悪くなってしまうのだ。一緒に行ってくれる友人もいない。ジュリウスに白羽の矢が立ったのは、消去法であった。
母は自分が折れるまで、説得するだろう。それが目に見えていたので、早々に降参して付いて行くことにした。
クロニカはジュリウスを嫌っているが、ジュリウスはクロニカを嫌っていなかった。無意味に抵抗をする理由もない。それが早々に降参した理由の一つであった。
母と馬車に乗り、クロニカの家に行く。
クロニカの家は、さすが英雄の屋敷、と評するしかないほど立派な屋敷だった。
使用人に案内され、屋敷の扉を潜るとクロニカが待ちかまえていた。
ジュリウスと目が合った瞬間、げっ、と顔をしかめたクロニカにジュリウスもムッとなる。
「げっとはなんだ、げっとは」
仕方ないとはいえ、客に対して失礼な対応である。
クロニカがいつも通り、威嚇する猫が如く、フーッと息巻くと、横に立っていた母が声を張り上げた。
「もしかして、クロニカちゃん? あらまぁ! こんなに大きくなって!」
心なしか、母がいつもにも増して目をキラキラさせている気がする。ジュリウスは少し距離を置いた。
「え、失礼ですがお会いしたことが」
きょとん、とした顔でクロニカは母を見つめた。
「あ、そうよね。赤ん坊以来だったわね」
なるほど。母はクロニカが誕生した際、夫人に挨拶をしたらしい。
「そういえば公爵様は?」
「すいません。父は領地の視察に行っておりまして、今屋敷にいないんです。なにか困ったことがあれば、遠慮なく申してください。では、母の元へご案内致します」
クロニカは笑みを浮かべる。客に対する笑みとは分かっていても、向けられたこともない笑顔に目が行った。自分に向けられているわけではないけれど。
「ありがとう。ふふふ。あんなに小さかった子が、こんなに綺麗になって」
感慨深そうに母が紡ぐ。
「その男装も素敵よ。どこからどう見ても、美少年しか見えないわ」
「えっ」
「えっ」
「えっ?」
思わず声が出た。クロニカも立ち止まる。爆弾発言をした母も、二人の反応に目を丸くした。
母からクロニカへ、視線を移して凝視する。
男装? 美少年しか見えない? 母の発言に理解が追いつかなかった。
ジュリウスにあるまじき事態である。いつもの冷静さが一瞬でどこかへ飛んで行ってしまった。
思考をゆっくりと通常に戻す。とりあえず、念のために確認を取ることにした。
「…………マカニア、お前……女だったのか……?」
「あ、うん。一応」
「……」
あっさりと肯定されてしまった。
「あら、もしかして隠していたの?」
「いや、隠していたというわけではないのですが、否定するのが面倒で」
言葉に出来ない。驚きすぎて、言葉が出ないことを、ジュリウスは生まれて初めて経験した。
たしかに中性的な顔であるが、よく見るとどちらかといえば女に近い印象を持つ。男しか見えなかったのは、男との体格に大差がなかったからだろう。それにしたって、どうして気付かなかったのだ。なんでその可能性すら思い浮かばなかったのだ。
頭の中が思考に埋め尽くされているうちに、見舞いは終わり、落ち着いた頃には既に馬車の中だった。
クロニカは女。その事実を完全に受け止めたのは、その日の夜だった。
ベッドの上で寝転がりながら、今日のことを巡らせる。
かなりの衝撃を受けたが、女という事実にそれほどショックは受けていない。気付かなかった自分にショックは受けたが。
それを塗り替えたのは、女と知っても嫌悪感がなかったという疑問だ。
女が嫌いなのは、あの苛めの件があったからであって、それを抜きで考えると基本興味がない存在である。
面倒な事になるから、話しかけない。それが女と話さない最大の理由だ。
クロニカは女だが、周りが男だと認識されている以上、危惧している事は起きない。
(それに、マカニアは苛めと無縁そうだからかな)
人を苛める趣味はない。苛められても、正面から立ち向かうだろう。
(マカニアは、女であることを隠しているつもりはないと言っていたが、言わないほうがいいのか?)
言いふらす理由もなければ、話す相手もいない。自分の口から漏れる事はないが、念のために訊いてみようか。文句を言われたら、それこそ面倒だ。他に訊かれないよう、周りに用心すべきだ。二人っきりになれるのは、裏庭のあの場所。あそこで訊いてみよう。
瞼を閉じる。徐々に意識が遠のいていく。
女だから関わらないという選択はない事に、最後まで気付かなかった。
● ○ ● ○ ● ○ ●
それからというものの、母はクロニカの母親の見舞いによく行くようになった。それに付き合うのがジュリウスの役割になり、マカニア邸に足を運ぶことが多くなる。
子供のほうは仲が良いとは言えないが、母親同士は十年ぶりとは思えないほど和気藹々としていた。
十年分の積もった話で盛り上がり、これからは女の時間よ、と追い出される事が毎回のようにあった。その間、ジュリウスはクロニカと過ごすようになった。
主に食堂や客間で本を読んで二人の話が終わるのを待っていたが、時々クロニカが屋敷や庭を案内してくれた事もある。
庭は迷路のようになっていた。クロニカ曰く、庭師の遊び心が満載で、迷路の道も二ヶ月に一度に変わから飽きないという。
「お前はこの庭にも花を植えているのか?」
「客人が通るところは、庭師がやっている。俺がやっているのはもっと奥」
クロニカが指す方向を見ても、生け垣で作った壁があるだけだ。ふーんと返しながら、クロニカの背中を眺める。
家にいる時も、男装を解こうとしない。五年間、女の格好をした事がない、とクロニカの母がこぼしていた。つまり、五年前までは女の格好をしていたということになる。
受容していてから気にしたことはなかったが、今ふと疑問に思った。こればかりは、素直に答えてくれるとは期待していないが、一応訊いてみることにした。
「お前はどうして男装なんかしている?」
「……秘密」
「そうか」
やはり答えてくれなかった。
なんとなく彼女のほうを見づらくなり、そっぽ向く。
「そういや、お前はなんで毎回来るんだ?」
その問いに内心傾げたが、すぐ得心がつく。
たしかにクロニカからすれば、疑問せずにはいられないだろう。彼女は母の事をあまり知らない。それに加えて、ジュリウスが仲良いとは言い難い相手の家に行くなど考えられない。ジュリウスは別に嫌いではないから行くわけだが、その事をクロニカに伝えた事はない。別に伝える必要もないから、なんとなくその事は黙っておく。
「あの人は一人で行くのは嫌な人なんだ。どこかに行く時は、身内の誰かが一緒に行かないと嫌だと駄々こねる」
「一人で行くのは寂しいんだ」
「そうなんだろうな。弟は引っ込み思案であまり外に出たがらない。父も仕事で忙しい。祖父は亡くなって祖母とも折り合いが悪い。だから僕しか選択肢がない。僕も祖母と仲良いとは言い難いし、見合いだのなんだの煩いからついていっている」
クロニカの目が丸くなる。
「お前、弟がいたのか。そっちにびっくりだわ」
「あまり接してはいないが、一応」
よく言われる事なので、軽く受け流す。
「でも見合いかぁ。そういう歳なんだな」
「お前のところには来ていないのか?」
「男装している娘を見合いに出すと思うか?」
「それもそうか」
教師は知っていると思うが、多くの生徒はクロニカの事を男だと認識している。彼女が女だと知っているのは、生徒の中ではおそらくジュリウスだけだろう。女子生徒から見合いを請われることはあっても、男子生徒からはない。女子生徒の親から見合いの話を持ってきても、通常の親ならばその場で断るに違いない。
そう考えると、彼女の縁組みは前途多難だ。
「まあ、俺は結婚する気がないからいいけど。どうしても結婚するんなら、絶対にこの条件に合う人って決まっているんだけど、理想が高いんだよな」
「ふーん。ちなみにどんなのが理想?」
話の流れで訊くと、即答だった。
「誠実で真面目で、俺のことはもちろん、子供のことも愛してくれる、物腰が柔らかくて笑顔が絶えなくて、その笑顔も素敵な人。顔も身分も問わない」
訊く限り、そんなに高くは聞こえなかった。頭も善し悪し、身分の高低を制限しないだけ、低いように思える。
「高いのか?」
「高いんだよな、これが」
あまりにも染み染みと言うので、ジュリウスは腑に落ちないが頷くことにした。
「そういうものか」
「そういうものだよ。で、お前はどんなのが理想なんだよ?」
なにが、で、なのかよく分からない。
ジュリウスは即座に答えた。
「考えたことがない」
「俺だけ答えて、お前が答えないのは理不尽だ! 今考えろ」
「と、言われても」
本当に考えた事がないのだ。結婚や恋愛など、一度も興味を持ったことのないジュリウスには、博士達を唸らす難問を解くよりも難しい問いだった。
家の後継ぎは弟がいるから尚更の事であった。
「ほら、理想といわれて思い浮かんだのはなんだ?」
「思い浮かんだもの……」
理想。思い浮かぶもの。
鮮やかな赤と、澄んだ青が過る。次には、転がるような変化。予想外な事をやらかす。見ているだけでも愉快。
「な、なんだよ」
クロニカがたじろぐ。
「なんだ」
「俺を見ているだろーが」
「見ていたか?」
クロニカを見ていたという自覚がなかった。それに少しばかり驚くが、いつも見ているから通常通りだと思い直した。
改めて、少し考える。思い浮かんだものを並べてみると、最終的には見ていて全く飽きない人、という結論に至った。
「そうだな……飽きない奴がいいかな」
「それがお前の理想?」
「多分」
「ふーん」
訊いたわりには、興味無さげであった。
それには気を留めず、母が来るまで迷路探索は続いた。




