終
あの子と遊んできなさい、と母に屋敷の外へと放り出された。
暖かい日差しが強さを増し始めた時期でもあり、少し外に出るだけでも屋内に慣れ親しんだ肌が悲鳴を上げる。
辟易しながらも、なるべく影がある道を選びながら、その子がいると言われた場所に向かった。
燦々と煌めく太陽。透き通った青い空は雲一つなく、目が痛くなる程眩しい。
あの子へと向かう道には、青々と茂っている草木が道を作っていた。よく手入れされているそれは、空の光に反射して煌々と光っている。
あの子の歌声が聞こえる。自然を讃える歌のようで、あの子らしいと思った。とても楽しそうに歌う声を聞けば、自然と足早になる。
滑るように通り抜けた先に、あの子の姿が見えた。
麦わら帽子を被っている。そこから伸びている長い朱色の髪がゆらゆらと揺れていた。
その子の感情を表しているように揺れるそれを見て、まるで尻尾みたいだな、と思いながら声をかけた。
「へぇ。けっこう咲いているな」
その子が振り向く。
夏の青空に負けないくらいの、眩しくて強い瞳がこちらを捉えた。
「丹精込めて育てているんだから、当然だ」
胸を張るその子……クロニカを一瞥して、ぐるりと畑を見渡した。
「学園で育てている花とは、なんか違う気がするな。樹も育てているのか」
「分からないか?」
「花や植物には明るくない」
「だろうな」
予想通り、と言わんばかりに溜息をついた。
「学園のやつは花しか咲かないけど、ここにあるやつは野菜とか果物とか、食べられるものが多い」
「食い意地が張っているな」
「張ってねぇ!」
「で、どうしてここには食べ物しか植えていないんだ?」
「多いっていうだけで、花だけの植物もあるぞ……まあいい。新鮮なもののほうが美味しいからだ」
「やっぱり食い意地」
「ちげぇよ! 母上に美味しく食べてもらうためだよ!」
「ああ、なるほど。もしかして、植物を育てるようになったのは、夫人のためか?」
「うん。母上は昔から身体が弱かったから、少しでも元気になってもらいたくて、トマトを育てたのが初めてだったかな」
クロニカも畑を見渡す。目を眇めて、遠くを見る瞳は優しげで、それでいて強い。
そういえば最初は、この強い瞳が何故か気に入ってわざわざ見に行ったな、とどうでもいいことを思い出す。
「お前らしい理由だな」
「そうか? あ、そこに桃の木があるから気をつけろよ」
「桃って鉢に入っているやつか?」
「そうそう。秋の中頃に土に植え替える予定だから」
「桃って一本だけでも育つのか?」
「品種にもよるな。それは一本でも受粉できる品種。種から育てたんだ」
「どうして桃なんだ?」
「桃って魔を祓う力があるんだってさ」
そういえば神話の本でそんなことが書かれいた、と思い出す。
呪いにかかった女神が桃を食べたら、呪いが消えたという話だった。
「迷信だけど、これで母上が元気になったらいいなって。どうせなら、パイとか作って食べさせてあげたいなぁ」
「お前、お菓子作りするのか?」
「おう。母上、けっこう甘いもの好きだから」
「意外なところで女子だな、お前」
「どういう意味だ、ゴラァ!」
「そういう意味」
庭いじり以外の趣味は剣術で、普段から男装しているこの子がお菓子作りをしているなんて、想像すらしなかったのだ。
想像してみれば、分量を量るのに手間をかけているこの子の姿がはっきりと浮かんだ。
「それで、今は何をやっているんだ?」
「ぐゆみの収穫」
「ぐゆみ? 聞いたことないな」
「多分方言じゃね? ぐゆみの事、庭師のじいやが教えてくれたんだけど、じいやが田舎育ちだから」
庭師のじいや。いつも嘘くさい爽やかな笑みを浮かべている、あの老人のことだろうか。はっは、と笑いながら誰も見ていないというのに、華麗なパフォーマンスで植木を手入れする姿を何度か目撃したことがある。
「それにぐゆみって、あまり市場に出回らないんだ。完熟したのは柔らかくて箱に入れると潰れてしまうし、だからといって完熟していないと渋くて美味しくないから、庭先で育てて食べるのが普通なんだ。だから知らなくても仕方ない」
「へぇ」
「生で食べるのが一番なんだけど、ジャムとかソースにしてもいいんだ。身体にも良い。実がなるようになってから毎年食べているけど、甘酸っぱくてうまいぞ」
自分は周りの人間から物知りだと言われているが、時々、この子のほうが物知りなのではないか、と思う。
この子が雨が降るといえば雨が降り、同じ種類の果物の中から美味しいものを選別する。植物の病気についてもよく知っている。
雨や風、土の匂いも雲の形も、彼女がいなかったら気にしてもいなかっただろう。
「せっかくだから食ってみるか? 皮が薄いから皮ごと食べられるぞ」
ぐゆみが入った籠を前に出され、少しばかり困惑した。
「夫人に持っていくんじゃないのか?」
「味見くらいいいって。ほら、こうして食べるんだ」
そう言ってクロニカは、ぐゆみの枝を一つ摘んで、果実を丸ごと口の中に含む。そして種だけを残して、取り出した。
ほら、という目で見てくるものだから、渋々とぐゆみを手に取る。
クロニカの食べ方に抵抗がある。そういった食べ方は生まれてこの方したことなく、出来ればしたくなかったが、クロニカが言った通り柔らかそうで少し力を入れたら潰れそうだった。仕方なく、彼女の言う通りにして食べた。
口に含んで、少しばかり驚く。
彼女の言うとおり、たしかに甘酸っぱかった。甘みのほうが強く、その甘みもしつこくない。酸味も程良く、バランスが良かった。
「あ、おいしい」
「だろ!」
褒められて嬉しかったのか、クロニカは胸を張って破顔する。
ジュリウスは目を見開いた。
彼女の小さな笑みは何度か見たことがある。だが、こんなに無防備に笑った顔を正面で見たことはなくて。
――きれいだと、思った
生まれて初めて、胸が高鳴る。
母に見せられた宝石よりも、派手に着飾った美しいと評された令嬢たちよりも。
眩むほどの日差しの下で、作業着と麦わら帽子を纏い、強い瞳を細めて無垢に笑うその子が何よりも美しいと思った。
――ああ、そうか
瞬時に得心した。
彼女と出会うまでは、ただ色が変わるだけの空が目を惹くようになった理由を。
――彼女の色だったからだ
澄み切った青い瞳も、青と藍色の間に揺れる朱色の空も、彼女を形成する色だったからだ。
「なんだ? なんか付いているか?」
「あ、いや」
直視できなくて、そっぽ向く。彼女は大して気にしていないのか、全くつっこんでこなかった。
様子は見えないが、きっと興味を伏せてぐゆみを食べているのだろう。
甘酸っぱい味が口内にじわりと広がっていく。それはまるで、自分の心情を表しているかのようで落ち着かなかった。
後に少年は知る。
たとえ、男でも女でも、男装をしていてもしていなくても関係なく。
自分は間違いなく惹かれていた。
汚れを知らず、真っ直ぐで誇り高く、そして雑草のように強いクロニカだからこそ好きになったのだ、と。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました!
気力があれば、ジュリウス視点も書きたいなぁ(予定は未定)




