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西果てのローディ  作者: 中村なめ
3/25

Stage2

方言まちがってると思いますが、どうかご容赦を。。

 初めてスポーツサイクルに乗ったのは、小学五年生の時だった。


 遠海とおみ凪沙なぎさは口下手なうえに、小さい頃は身体が弱くて寝込みがちで、友達がいなかった(今もいない)。容姿に惹かれた男子に「缶蹴りしよう」「鬼ごっこしよう」と誘われることもあったが、人一倍足が遅い凪沙には迷惑でしかなかった。


 娘が引き籠もってばかりいることを、父は快く思わなかったらしい。それに出来の良い姉と凪沙を比べてもいたのだろう。どうにかして凪沙を外出させようと、あの手この手を尽くした果てにたどり着いたのが自転車だった。

 最初はまったく、やる気なんてなかったけれど。

 本当に良い買い物をしてくれたと、凪沙はつくづく思っている。



 夜十時就寝、朝五時起床。


 凪沙は今日もいつも通りに目覚め、早朝練習に励んでいた。ただでさえ交通量の少ない道路には、この時間ほとんど車が通らない。近所にコンビニが一つしかない不便な島だが、自転車の公道練習には最適な環境だ。

 それなりに起伏に富んだ道を、自宅から往復で四十キロ走る。自分で決めた区間ごとにタイムを計り、その日の調子と日々の成長を確かめる。


 ――――ちょっとやばいかな。


 昨日までの数日間にたくさん走った分、今朝はもっと軽めのメニューにすべきだった。三年生一学期の始業式から遅刻しそうだ。家での朝食を抜けば間に合うだろうか……。


「……そっちのがやばい、か」


 自転車で長距離を走るとかなりのエネルギーを消費する。一応走り始めにおにぎりを食べて、走りながらもいくつか口にしたが、昼まで空腹に耐えられる自信はない。

 それなら、もっと速く。

 遅刻と飢えがもたらす緊張のおかげで集中力が増す。終盤に乱れがちなフォームを意識して修正し、淡々と一定のペースで峠を越えた。下りに入ってもペダルを回す脚を止めない。姿勢は湾曲したハンドルの下部を握って前傾を深く。耳を澄まして対向車がないことを確認し、コーナーに思い切りダイブする。


 チリチリッ……と頬に電気が走るような錯覚に、凪沙は口の端を釣り上げた。危険と隣り合わせの緊張感も、追い込まれた肺と筋肉が訴える苦痛も、たまらない。


 生きていると実感できる。


 凪沙はイメージ通りにコーナーを回り、直線に出た。この先は緩い下りから平地に続いている。自宅まではほとんど平坦道だ。峠よりも平均の速度が上がる。


「……あはっ」


 自転車に乗っているとつい、柄にもなく笑みがこぼれてしまう。普段なら絶対あり得ないが、サドルの上だけは特別だ。


 ――――もっと……ずっと速く。

 ――――昨日のあたしより、コンマ一秒でも速く走れ。



 結局遅刻した。

 自宅でシャワーを浴びて制服に着替え、朝食を胃に流し込んでママチャリに跨ったのが登校時間の五分前。中学校まではママチャリで普通に向かうと十分程度。時間内に着けないと分かった途端にやる気が失せてしまった。軽いギアでたらたらと走りながら、デザート代わりにエナジーバーをかじる。


 ――――サボろっかな。


 ふと浮かんできた言葉は名案に思えた。始業式などサボって家で休憩し、夕方からのんびり回復走でもしたら良いではないか。そうだ、そうしよう。

 即断即決。

 凪沙は周囲の安全を確認すると、中学の正門の前でスピードを上げ、後ろのブレーキを引いた。ロックした後輪を滑らせ、反転する。


「おい、遠海」


 ところがドリフトターンを決めたところで教師に見つかった。毛むくじゃらの剛腕に荷台を掴まれ、何とか逃れようとペダルを踏むもタイヤが空転して終わる。


「……フ、甘いな。オイの体重さえ引きずれんとは、まだまだ練習が足らんのやないか?」


 むかっ。


「先生は体重計乗ったことないの? あっ、クマを計量するなら市販のじゃ無理か」

「誰がクマか!」


 凪沙を捕まえた巨漢は生徒指導の体育教師、岩尾先生。もう六十歳手前のベテランだ。よりによって新年度早々に出くわすとは。


「あたしに何か用でも?」

「お前んことじゃけん遅刻するだろうと思うてな、時間が過ぎても門ば開けて待っとったわけよ」

「お気遣いありがとうございません」

「……ふん。始業式から遅刻とは、大した度胸やな。ン?」巨熊のごとき怪力に引っ張られ、後ろ向きに連行される。「今のドリフトは見なかったことにしてやるけん、さっさとそんお菓子ば食っちまえ。もうみんな教室に集まっとる、急げ」

「一人で行けます」


 荷台の手を放してもらい、駐輪場に立ち寄って昇降口へ。家に持ち帰っていた上履きを取り出しながら、ここでも「ドン!」とオノマトペが出て来そうな感じで待ち構えていた岩尾に顔をしかめる。


「クマ先生、もしかしてあたしに惚れてんの? ストーカー? 歳の差ありすぎ気持ち悪っ……」

「行き先が同じなだけだ」

「はァ? クマ先生が担任って……うわぁ。自主的に留年しよっかな」

「そがん顔すっなよ。さすがのオイでも傷つくわ……」


 凪沙のペースでのんびり階段を上っていく。そういえば自分が何組になったのかまだ知らないが、岩尾が連れていってくれるから助かった。礼など決して口には出さないが。


「今日も朝練ばしてきたんか」

「むしろそれ以外に遅刻の理由がある?」

「いっぱいあるやろうが」岩尾先生は地響きのような声で笑う。「疲れてて寝坊したとか、朝飯ば食べ過ぎて時間が掛かったとか。朝起きたら雨で、二度寝したら給食の時間やったとか」


 そんな些細なことまで覚えているのか。「……やっぱ先生ってあたしのこと」


「そがんわけあるか! ――だがな、悪ガキの方が教師と仲が良かのは、昔から変わらん。よく『先生は平等に生徒の面倒を看るべきだ』なんて言われるがな、やんちゃな奴らほど関わる機会が多かし、手間のかかるだけ情も湧く」

「そんなもんなの?」

「そんなもんだ」


 三階に着いた。空き教室を素通りし、一組の前で立ち止まる。だが岩尾はなかなか扉に手をかけない。一瞬静まり返った教室内がまた騒がしくなり始めた。

 こちらを見た先生は、我が子を心配する親のような目をしていた。やっぱり良い先生だな、と思う。その分、本当に、うざいけれど。


「なぁ遠海。来年はお前、島を出るんやろう。だったらもう少し、他の連中とうまくやるように頑張ってみんか。誰とも付き合えないやつが、大勢と付き合えるわけなかろう」

「……一人じゃイケないの?」


 彼の脇をすり抜けて先に教室に入った。また束の間の静寂が訪れる。凪沙は背筋を伸ばし、周りの視線は無視して自分の席を探した。一見空席は見当たらない。中央の二列の後方にある人だかりに目が留まる。

 岩尾が教壇に立ち声を張った。


「おいお前らぁ! 席に着け、席に。ほら、そこん固まってる連中、お前たちだよ。そんなに転校生が珍しいか」

「珍しいやん」

「……うむ。とにかく席に着けぇい」


 人垣が崩れ、凪沙の席が空いた。窓際ではないが最後尾だ。凪沙は教室用の鉄仮面を崩さぬまま、内心にんまりする。今日は意外とツイているみたい。



「あ――――っ!?」



 座ろうとして、隣の席の男子に指さされた。いきなり何よと思いつつ睨みつけ、凪沙は片頬を引き攣らせる。どこかで見たことのある中性的な顔立ち……そして鼻には絆創膏。思い出したらぞっとして、唇がわなわなと震えた。心の叫びがこぼれ出る。


「あんたは……!」


 春休みに顔面を蹴飛ばしてやった変質者が、目の前にいた。



 始業式後のロングホームルームにて、本州からの転校生が紹介された。もっとも、凪沙のように孤立している極少数以外はあらかじめ知っていたらしい。わざわざ朝早く登校して、転校生が教室に来た途端取り囲んだとか何とか。


 転校生が教壇に立った。身長は百七十センチを越えている。前の中学の制服らしく、ワイシャツにネクタイ、ブレザーという装いだ。制服のせいで分かりづらいが、おそらく細身で引き締まった身体をしているだろう。手脚が長く、なかなか端正な顔立ちは中性的で、フェミニンなコーデも似合うに違いない。


 彼は慣れている手つきで黒板に名前を書いた。当て字かよ、っていうか名前まで女っぽいのかよ、と凪沙は内心毒を吐く。


「えーと、反町春風です。『春風』と書いて『ハルカ』と読みます。前の中学ではバレーボールをやってたけど、辞めちゃいました。今興味があるのは――」


 転校生・春風がこちらを見た。長い前髪が揺れ、獲物を追うネコ科のような、印象的な大きな瞳と視線がぶつかった。……関わっちゃダメだ。凪沙はすっと目を逸らす。


「自転車、です」

「おおっ」


 岩尾が歓喜し、いつも賑やかな連中が困惑気味にざわめいた。リアクションから察するに初めて聞いたらしい。彼らまで「どういうこと?」と凪沙に目を向けてくる。逃げ場を失ってうつむいた。


 ――――なんで、こいつがこの学校に。

 ――――よりによって同じクラスに……あたしの隣に!


 自己紹介を終えて戻ってきた春風がさっそく声を掛けてくる。


「ってことでよろしく凪沙ちゃん。いやー、狭い島だからいつか会えるだろうとは思ってたけど、初日から見つけられるとはね。俺ってほんとツイてるわ」

「……………………」

「今日遅刻してきたけど、もしかして朝練とかしてたの? こないだの道? 一緒に練習してる仲間はいんの? いない? やっぱいないのかー」

「……………………」

「今日って午前で学校終わりじゃん。昼からも練習いく?」

「……………………」

「こらーっ、遠海。お前んとこうるさいぞ」

「あたしは一言も喋ってないでしょ!?」


 バンッと机を叩いて立ち上がり、岩尾に抗議した。またしても教室中の視線を集めてしまい、ぐぅと唸って席に伏せる。「遠海が喋ってる……」とささやきが聞こえた。真横でケラケラ笑っている春風が憎たらしい。


「……あんたのせいだかんね」

「何が?」

「っ……そ、その絆創膏はファッションのつもり? いま都会じゃそうゆうの流行ってるんだー、田舎もんだから知らなかったわ」

「生傷を金具クリートで抉りやがったのはどこのどいつだよ!? あと、ついでに言っとくけど俺の実家も都会じゃねぇから。どのコンビニに行くにも山越えて三キロ離れてるから!」

「コンビニが何軒もある時点で都会度高いじゃん。ってかあんた、なんであたしの名前知ってんの、やっぱ変態なの?」

「遠海うるさいぞー」

「だからなんであたしなのさ!?」


 またしてもこの場のノリに乗せられてしまった。

 昨年度は教室で滅多に喋らなかった凪沙だが、今回は初日からすっかり調子が狂っている。岩尾がいるせいでもあるだろうが、やはり、鼻に絆創膏を貼り付けた隣人の影響が大きい。


 ――――こんなやつ無視だ、無視。

 今日は始業式だから昼には下校できる。それまで耐え切れば、凪沙はサドルの上だ。



「じゃじゃーん!」

「なんであんたがいんのよ……」


 駐輪場で待ち構えていた春風に出迎えられ、凪沙はがっくりと肩を落とした。


 ホームルームが終わり解散した後、凪沙は岩尾に呼ばれて臨時の二者面談を行った。凪沙には受験などまだ先のことに思えるが、岩尾は会うたび「今日から頑張れ」と言ってくる。

 そんなうっとうしい時間は十五分ほどで終わった。春風が現れたのはそのあと、駐輪場でママチャリのロックを解除した時だった。


「っていうかなんで、あんたまでロードに乗ってんのよ」

「乗りたかったから」すっかり走る格好の春風は少し照れくさそうに言う。「凪沙ちゃんが走ってるのを見て、俺も走りたいなって」

「……あ、っそ」


 凪沙はつれない態度を取るものの、初めて出会った他の自転車乗りのことが気にならないはずがない。すぐにはママチャリに乗らず押して歩き、隣についてくる春風の全身をチェックする。


 ――――初心者丸出しじゃん。


 レーパン(レーシングパンツ)もジャージも簡素なもので、ヘルメットやシューズも廉価品。どれも真新しいが、自転車だけはやけに年季が入っていた。


「どした? じろじろ見てっけど」

「それ、湊店長のロードでしょ。なんであんたが乗ってんの。パクったの?」

「人聞きの悪いこというなよ。店長が俺の熱意に惚れて貸してくれたんだ」

「ふぅん……自転車はかっこよくて速そうなのに、乗ってる人間は素人感丸出しね」

「そりゃ本当に初心者だからな」春風は気分を害した様子もなく笑う。「でも、すぐに速くなるぜ。そのために練習すんだろ」


 ナマイキ。

 口をついて出そうになった言葉を呑み込んだ。いちいちコイツの言うことに反応していたらきりがない。スルーしなければ。

「凪沙ちゃんはなんでママチャリで通ってんの? ロードの方が速いのに」

「…………」


 判断に少しだけ時間を要した。このくらいは助言しておくべきか?


「……ロードを学校の駐輪場に置くのはやめた方がいい。くだらない嫌がらせやおふざけの標的にされるから」


 これは中一の頃の経験談だ。が、春風はとくに気に留めていないようで、


「へえ。まぁでも大丈夫。俺んちここから目と鼻の先だから、どうせ通学は徒歩だし。道路挟んで反対側なんだよ、じいちゃんの家」


 いいだろ、と自慢されて不覚にも心惹かれてしまった。こいつをうまく利用できたら、朝練後に遅刻するリスクを大幅に減らすことができるだろう。

 って、何考えてんだあたし。

 見るだけ見て聞くだけ聞いたらもう用はない。正門を出てママチャリに乗った。


「言っとくけど、練習についてこようったって無駄だからね。今日はもうオフだ」

「じゃあ明日は?」

「ついてくんな」

「むぅ……」


 春風は悔しそうに頬を膨らました。中性的な容姿のせいで、子供っぽい反応をすると女の子らしさが増し、身長に反して幼く見える。


「……すぐに追い抜いてやるからな」

 と捨て台詞を残し、春風は正門から見える小道に帰っていった。校舎から見たことがあるが、確か小さな民家が数件並んでいて、突き当りに広めの住居があった。そこそこ裕福な家庭なのかな――とまたしてもそそられる。


「いや……やっぱ要らないか」


 素人なんかと走ってはいられない。あたしの足を引っ張るお荷物は、要らない。

 凪沙はまっすぐ帰宅した。姉と二人で昼食を摂ったのち、昼寝する。夕方に軽く走って脚をほぐした。明日からの練習に備えてたくさん食べ、たくさん眠る。

 夜十時、就寝。

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