Stage13-3
――――負けた。
春風に追い抜かれた後、凪沙は大きく失速していた。誰とも協力することなく一人きり。もはやゴールを目指す気力はなく、このレースを終わらせるためだけにペダルを漕いでいる。
ようやくテグナーカーブを過ぎた。雨は相変わらず降り続いていて、気を抜いていたせいで後輪を滑らせ、危うく落車しかけた。弱りきった凪沙は後続の選手に舌打ちされただけで傷ついてしまう。胸に沈めたはずの悲しみが顔を出し、また息を詰まらせる。
――――ハルが行っちゃう……。
――――あたしはただ、ハルと走りたいだけなのに……。
春風がレースに勝てなかった時は、凪沙も島に残るつもりだった。誰かと走る楽しさを、心強さを教えてくれたのは春風だったから。彼と走れたらそれで充分だと思っていた。たとえ自分が異性として見られていなくても関係なかった。
だが、そうして凪沙が足を止めている間に、春風は先へ進もうとしていた。彼は現実的な選択肢を検討して、自分が本当に進むべき道を見つけ、新しい仲間を選び取って、凪沙とは違う道を走っていく。
「ハル……」
泣き声で呼んだ。彼が思いとどまってくれることを祈る。
その思いが届いたのか、S字カーブの途中で見慣れた安っぽいジャージを見つけた。春風だ。待っていてくれたのかと淡い期待を抱いてしまう。
しかし凪沙の願いは一方通行のままだった。凪沙がすぐ後ろにつけても、彼は見向きもしない。喉をひゅーひゅーと鳴らし、時折脚を引き攣らせながら走っている。ひどい傷つき様だった。きっと無茶をしたのだろう。
今なら勝てる。
最後のゴールを前に選択肢が与えられた。ここで春風を置き去りにすれば確実に勝てる。その時は春風のことだから律儀に約束を守り、島に残ってくれるだろう。そしたら一緒に自転車競技部を創って、仲間を増やして、全国大会を目指すのだ。大変な道程だろうけれど、大丈夫、二人なら乗り越えられる。
「……ハル」
凪沙は決意を固め、春風の隣に並んだ。
「ねぇハル。聞いて」
「…………?」
死にかけの顔がこちらを向いた。いったいどれだけ追い込めばこんなになるのか。凪沙は呆れて嘆息し、雨の降り続く空を見上げた。冷たくて鬱陶しい雨……けれど雨だって、どこかで誰かを救っているはずだ。
だから、これでいい。
自分にとってつらい選択でも、春風のためになるのなら、あたしは後悔しない。
「あの時あたしを追っかけてくれて、ありがと」
ゴールが迫る。
凪沙は春風の背中に手を添えた。ペダルを踏み込み、力の限り彼を送り出す。
「行ってこい、バカハル」
振り向いた彼に笑顔を向けた。誰にも見せたことのない、初めての満開の笑顔を。
雨はまだ止まないけれど、これでいい。
――――あんたと走った景色は忘れないから。
――――あんたがくれた感情は消えないから。
あたしはまた、何度だって走り出せる。




