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西果てのローディ  作者: 中村なめ
21/25

Stage12-3

 儚は日帰りで観戦に来たそうで、夕方には電車で静岡へ帰っていった。彼女一人で外泊することは両親が許してくれなかったらしい。が、「明日は楽しみにしてて」と言い残していた。何のことやらさっぱりだが、春風は「おう」とか「うん」とか適当に返事しておいた。


 春風と凪沙は小豆餅高校の三人と夕飯を食べ、温泉に行った後、ホテルに戻ってきた。時刻は九時前。明日のレースは今日よりも開始が遅いが、試走のために早起きしなければならない。初めてのレースで疲れていることもあり、ベッドに倒れ込むと途端に眠気に襲われた。


「明日雨っぽいな……ハルも雨具は持ってきたよな?」

「うむ……」


 部屋の反対側のベッドには凪沙がいる。節約のため二人部屋をシェアしているのだ。よほど寝ぼけでもしないかぎり禽獣的な行為には及ばない自信があるから問題ない。もっとも、クラスメイトや美紗季に知られたくはないので、同じ部屋に泊まったのは二人だけの秘密だが。


「歯、磨いてから寝なさいよ」

「お前は俺の親父か」

「お袋じゃないの?」

「うちは親父の方がおせっかいなんだ」


 これからその面倒な父に電話しなければいけない。

 春風は部屋を出て、一階のロビーへ降りた。あまり凪沙に聞かせたい内容ではない。


『父です』


 ワンコールで出やがった。


「あー……もしもし親父。話があるんだけど、いま時間大丈夫だよな」

『あぁ。自転車のことだろう? 今日のレースはどうだった。負けたか?』

「おう」

『そうかそうか。まぁ明日も頑張りなさい』

「心がこもってねー」

『当たり前じゃないか。お前が天崎に行くことになったら、母さんとのデート何回分の出費になると思ってる!』

「このバカップルめが……」


 電話越しに聞こえてくる甘ったるい声に辟易するも、つっこみはほどほどに話を進める。早く用件を済ませて寝たい。


「はぁ……なぁ親父。もしも俺が地元に帰って、そっちで自転車部のある高校に通うとしたらどうだよ? デートの邪魔にはならないと思うぞ」

『こっちにはないから天崎高校に行きたいんだろう?』


「うん。そうだったんだけど事情が変わった。今日、小豆餅高校ってとこの人たちと知り合ってさ。その学校うちと同じ県西部にあんだよ。片道三十キロ近くあるけどロードなら通える」


『聞いたことがない学校だな』

「儚は知ってたよ。うちの辺りからだと遠いから志望者がいないだけで、特進科なら、県内の私学にしてはそこそこ偏差値が高いっぽい。俺も親父も満足できる水準だ」

『でも、授業料もお高いんでしょう?』

「特待生制度があるんだよ。入試の成績が良いとAからCまでの特待生になれる。っで、ランクに応じて授業料とか入学金が免除されるんだってさ。顧問の先生に訊いたけど、俺の成績ならほぼ確実になれるだろうって」


 儚から小豆餅高校の名を聞いた後、春風は黒羽たちに直接質問したりネットで調べたりするなどして情報を集めた。家からの距離、通学路、偏差値、校風、学費――父を納得させるには充分な条件だ。

 詳細は省き、単刀直入に言う。


「仮に小豆餅高校に行くとしたら、認めてくれるのか?」

『いいぞ』


 ――――軽っ。


『父さんも母さんも、お前が帰ってくるなら大歓迎だ。じいちゃんたちにはまた寂しい思いをさせちゃうだろうけどなぁ……でも、一人息子が離れて暮らしてるのは父さんたちだって寂しいんだぞ』

「……うん。ごめん」

『しかし春風。天崎高校を諦めるとしたら、凪沙ちゃんは納得してくれるのか? いつも一緒に走ってるんだろう』


「ナギは……分かんね。これから腹を割って話すさ。それに天崎のことだって諦めたわけじゃないんだぜ? 明日のレースも全力で勝ちにいく。勝ちたい」


 必ず勝つ、とは言えなかった。

 自分の見立てがいかに甘かったか、今日のレースで思い知らされた。春風は人並み以上に努力してきたと自負しているが、実際は、たった数か月のことに過ぎない。なのに根拠もなく「勝つ」だなんて、もっと長い間、自分と同じかそれ以上に練習して、レースに出てきた選手たちを侮辱している気がする。


 美紗季は肯定してくれたが、それでも春風は、こうした冷静な考え方があまり好きじゃない。

 もっとがむしゃらに熱く突き進んでいく、漫画の主人公のような馬鹿になれたらいいのに。


「……小豆餅の先輩たち、良い人なんだよ。しかもかなり速い人が――海外のプロ選手の子供がいる。小さなチームだけど……俺、あの人たちとも走ってみたい」

『そうか。まぁ、お前の人生だ。父さんの財布を食いつぶさない程度になら、自由に選んで進むといい。ただし中途半端だけはするなよ』

「あぁ、サンキュ親父。レースが終わったらまた連絡する」


 電話を終え、腰かけていたソファを離れた。


「……ナギ?」

「!」


 エレベーターに向かおうとして、彼女と鉢合わせた。ひどく驚いて、狼狽している様子。

 聴かれてしまったか。

 春風は自らの不注意を悔やみつつ、何食わぬ顔で笑った。


「お前もコーヒー牛乳飲む?」

「う、うん……歯磨きしちゃったけど、やっぱ、飲みたいなと思って、買いにきた……」

「そうか」

 春風は自販機で瓶入りのコーヒー牛乳を買い、相方に渡した。「おごりだ。明日はアシスト頼むぜ」

「……うん」


 明日のプランについて確認しながら瓶を空け、部屋に引き返した。

 凪沙に倣って歯を磨き、明朝チェックアウトする準備を整えてから、スマホのアラームをセット。いつも通り――とは少し雰囲気が違う凪沙が灯りを消す。


「オヤスミ」

「おやすみー……」


 手脚を広げて目を閉じる。疲労の波がどっと押し寄せてきて、春風の意識を暗闇に飲み込もうとする。

 …………。

 …………だが、なかなか寝付けない。


 ――――聴かれた、かな。


 どこまで知られてしまったのだろう。もしかして、明日のレースを諦めたとでも思われたか。だとしたら訂正しなければ。春風はまだ天崎高校への進学を諦めたわけではなく、小豆餅高校はあくまで、レースに勝てなかった時のためのプランBなのだ――と。


「ハル」


 小さな声でもよく聞こえた。凪沙が起き上がる気配がする。


「起きてる?」

「……うん」

「大事な話がある」


 と言いつつも彼女は電気を点けない。春風も起き上がってカーテンを開けた。天気が崩れてきているせいで月明かりはない。淡い人工の光が差し込んだ。凪沙はベッドから降り、うつむき気味に立っている。


 凪沙が言いたいことをうすうす察しながらも訊ねた。「どうした?」


「っ……ハルは」あの雨の夜のような、か弱く震えた声。「黒羽さんたちのところに、行きたいのか……?」


 初めて会った頃よりも伸びた黒髪が揺れ、瞳がきらめいた。春風は美紗季とのやりとりを思い出し、あぁ、嫌だなと思ってしまう。今度は凪沙まで傷つけるのか。


「……さぁ。どうかな」


 あいまいに答えて時間を稼ぐ。凪沙を泣かせない方法は簡単だ。小豆餅高校という選択肢を破棄し、今まで通り、天崎高校へ行くか島に残るかの二択から選べばいい。しかし春風は今日一日で、第三の選択肢にかなり惹かれてしまっている。

 温泉での黒羽との会話が耳に蘇った。


『漫画のせいか、自転車競技っていうとロードレースを思い浮かべる人が多いけどさ、高校の自転車競技って実際、トラック種目がほとんどなんだよねぇ。ケイリンとかスプリントみたいな、競輪場でやる種目』


『トラック種目にはロードじゃなくて、ピストバイクってのを使うんだけど。大会に出るならそれに加えてディスクホイールなんかの装備も必須だ。ロードに絞るって選択肢もあるけど、全国で戦うなら決戦用のホイールはどっちみち必要だな』


『俺とユキは廃部前の備品があったから良かったけど、ハルの住んでる島で自転車部を創るとしたら一番のネックは予算だねぇ。機材を揃えなきゃいけないし、大会や記録会の度に交通費が掛かる。ピストに乗るならバンクを走る練習もしなきゃだな』


『高体連の大会以外には参加しないってなると、当然、他の選手より場数を踏めない。じゃあ人一倍走って補えばいいかっつうと、それもまた違うよな。どんなに頑張って練習したところで、他の連中も走り込んでることに変わりはねぇし。他のスポーツやってたなら、経験ってもんがどれだけ大切か分かるだろ』 


 正直、聞いていて耳の痛くなる話だった。島で自転車部を創るという選択肢がいかに険しい道かを暴き出す、容赦ない分析だった。一切の感情を無視して選ぶなら、島に残る未来を取ることはあり得ない。だが、凪沙への恩義や仲間意識を無視することもできない。


 ――――中途半端は駄目だって……そんなの分かってるけど。


 先ほどの父の言葉に内心反論する。正論だからといって従えるとは限らない。選べるわけがない。だから凪沙への答えも頼りないものになる。


「明日、レースの結果次第だろ」

「だけど今のあたしたちじゃ勝てない。……今日、走ってみて分かった。ハルはきっと天崎には行けない」

「……かもな」

「黒羽さんが言ってたこと、あたしも憶えてる。島で自転車部を創るのは現実的じゃないって、そんなの、分かり切ってる……でも、だからってハルは実家に戻るのか。逃げるのかよ」

「…………高校で勝つためには、それが一番現実的だろ」


 現実は漫画とは違う。

 自転車はやる気と友情だけで勝てる競技じゃない。


「……そんなの卑怯だ」


 凪沙の声が攻撃の色を帯びた。同時に嗚咽が混じる。「そんなのってないよ……」


「なっ、何泣いてんだよ、ナギ。らしくないじゃん。お前が泣くなんて学校のみんなが知ったらびっくりだぜ」


 冗談めかしてティッシュの箱を差し出すが乱暴に拒まれた。胸倉をつかまれ押し倒される。密着した身体はやわらかで温かいのに、投げつけられた言葉は冷たく鋭い。


「ハルのせいだッ!」


 決して大きくはないがヒステリックな慟哭。熱い涙が頬に降ってきた。


「あの日あんたに会わなければ! あんたがバカみたいに追ってこなければ、同じクラスにならなければ、しつこくつきまとってこなければ! あんたが雨の中、あたしを助けなければッ……あたしはこんなに弱くならずに済んだのに!」


「……練習の足を引っ張ったことは、謝るよ」

「こんな時にまで誤魔化さないで! あ、あたしがバカだからって、バカにしてっ……ちゃんと目を見て話してよ。自分のせいだって認めて、責任とって……」

「責任?」


 凪沙が無言でうなずいた。しゃくりあげながら何度もぐしぐしと涙を拭い、泣きはらした瞳で睨んでくる。



「もう一回、あたしと勝負しろ」

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