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西果てのローディ  作者: 中村なめ
14/25

Stage9-1

ビールのおいしさがわかりませぬ。

 八月下旬のレースに照準を当てて練習し、空いた時間に勉強をしたり遊びに出かけたりしているうちに、お盆がやってきた。春風の両親は自動車と船で島を訪ねると、まずは親戚の家々に挨拶して回った。


 八月十三日。


 春風も墓の掃除とお参りに駆り出されることになった。早朝の練習で凪沙に面倒だの何だのとこぼすと、練習ついでに二人で走っていけばいいと言われた。なるほどその通りだと納得し、現在、二人は反町家の墓にいる。


「んんっ……」


 掃除がひと段落したところで春風は伸びをした。日差しのきつさは相変わらずだが風が心地良い。ここからだとすぐ傍の海が眼下に一望できる。

 手伝いについてきていた美紗季も手を止め、同じ景色を見て穏やかに目を細めた。


「良い場所だね、ここ。静かで落ち着いてて、きれいで……。うちの方みたいに賑やかなのも楽しかけど、ここで眠るのもきっと幸せだろうな……」

「はは、高校生が何言ってんすか」


 終活どころか就活もまだまだ先だというのに。春風がからかうように言ったら、そこに父が言葉を重ねてきた。


「先を見据えているのは良いことだ。なぁ美紗季さん。うちの墓に入るつもりはないかい? もれなくこの馬鹿息子もついてくるがね」

「えっ……」美紗季の顔が見る見るうちに赤くなっていく。「ち、違います! あの、その、そんな意味で言ったんじゃなくって……あの……」


 美紗季はちらりと春風の方を見た。頬の熱が春風にまで伝播しそうなためさっと目を逸らす。

 最近、春風も美紗季も少し変だ。些細な言葉や仕草に胸がざわつき、二人でいると沈黙することが多々ある。だから凪沙や祖父母が一緒に居てくれた方が安心だ。今日もまた凪沙が助け舟を出してくれる。


「あー……すいませんお父さん。うちの姉さん、見た目の割に色恋沙汰には縁ないんで、そういうネタ言われても真に受けちゃうんですよ」

「お義父さん……だと?」

「親父、誤変換してねえか?」


 凪沙も春風同様に察したらしく、例のごとく「なんであたしがこいつと」とぼやく。しかし悲しいかな、そんなアピールは春風の父に届かない。


「良かったなぁ、春風。こんな可愛い姉妹さんに出会えて。だがな、決して二股など考えるなよ? この子たちを泣かせたらお義父さんが許さん」

「すっかりその気だ……」

「……あ。しかしお前、向こうに儚ちゃんを置いてきてるじゃないか。あの子とは今どうなってるんだ?」

「儚とは何もねぇって、昔から散々言ってるだろ。さすがにうざいぞ親父」

「む……そうか。すまんな、久しぶりにたくさん話すものだからな」

「おう」


 しかしまだ〝賭け〟についての返事を聞いていない。


「ところでレースのことなんだけど、認めてくれんの? それとも駄目なの?」


 春風と凪沙の初レースは今月下旬に予定されている、なかなか規模の大きな催しだ。子供から大人、初心者からプロ選手まで、二日間でいくつものレースが行われる。そこで好成績を収めたら天崎高校への進学を認めてほしい、と春風は頼んでいた。


「一応、少し難易度が高いと思うクラスにエントリーしてる。ホームページでは中級者向けって書かれてるし、参加者の大半は成人の選手だ。勝つのは簡単じゃない。賭けは成立すると思う」

「勝てるのか?」

「さぁ」素直に首を振った。「何せ初レースだからな。とりあえず落車して周りに迷惑かけないように気をつけるけど。それでも、勝ちを狙いにいくつもりだよ」

「エントリーはもう済ませたと聞いたが、もし父さんが認めなかったらどうする。自転車レースは危険だそうじゃないか。何の利益もないのに大怪我するリスクを負うのか?」

「……損得勘定じゃない」


 割って入ったのは凪沙だった。いつものように攻撃的な光を宿した眼で春風の父を見つめる。


「報酬とかリスクとかって、たぶんあんまり関係ない……です。あたしはそうだし、きっとハルも同じだと思う」

「だな」何せ根っこの部分が似た者同士だ。「親父が認めてくれなくてもレースには出る。それで、勝ってからもっかい交渉するさ」

「……まったく、お前は誰に似たんだかなぁ」


 父は観念したというように両手を上げ、大きなため息を吐いた。母と目を合わせて困ったように笑い、こちらに向き直る。


「話はレースに勝ってからだ。交渉したいなら材料を用意してくるといい」




 この日は夕方から、珍しく春風の方が遠海家にお邪魔していた。昼間の掃除のお礼に墓参りの手伝いをしに来たのだ。春風も提灯に火を点け、線香をあげて、遠海家の親戚に挨拶した。反町家と違って賑やかな集団墓地は、線香と虫よけスプレーと花火の匂いでいっぱいだった。


「ありがとう春風くん。お父さんが昼間から飲んじゃったけん男手が足りなくてね、おかげで助かったよ。提灯を運んだり、高いところに吊るすのがね、お父さんいないと大変なの」


 墓地からの帰り道。小さな従妹と手をつないだ美紗季が春風の隣に並んだ。沈みかけの夕陽よりずっとまぶしい微笑と、かすかに汗ばんだうなじが目に入り、提灯のケースを担いだ春風はそれとなく距離を開ける。


「……いつも、世話になってるんで。このくらい構わないっすよ。花火楽しかったし」

「お墓で花火って、この地方の風習なんだね。私、全国共通の行事かと思っとった」


 墓場で花火をして遊ぶのは春風にとって新鮮だった。突然よそから小さな落下傘が降ってきた時には驚いたものだ。

 遠海家の墓は広い集団墓地の端にあった。反町家と違って、彼女らの自宅から徒歩で往復できる距離だ。というか自動車で行くには道幅が狭い。海辺の墓場よりずっと賑やかで、そこかしこで子供たちが花火をしていた。


「ナギも意外にはしゃいでたよな。クマ先生が見たらびっくりするぜ」

「あたしが花火しちゃいかんのかコラ」

「なんでそんな喧嘩腰なんだよ。ちびっ子たちが引いてるぞ」

「む……」


 凪沙の三人の従弟妹は皆、自分の母親と美紗季にべったりだった。初対面の春風と雰囲気が凶悪な凪沙には寄り付かない。ちなみに早くも酔っぱらった遠海(父)は家で寝ているが、普段忙しいらしいので仕方なかろう。


「でもまぁ、ナギもちょっとは取っつきやすくなったと思うぞ? さっきの花火とか、海とかでもさ、ナギなりに楽しそうにしてたじゃん。その度に俺は、あぁ、お前も女の子だったんだなーって思い出すわけだ」

「むしろ男と同類だと思ってたのか」

「いや、あんま性別とかはどうでもよくってさ。ただの相棒ってか、ライバル? みたいに見てた。初心者のくせに生意気だったかもしれんけどさ。とにかくお前に追いつきたかった」

「今でも生意気だ」

「にひひ。……なぁ、俺はお前に追いつけたかな?」

「さぁね。脚質が違うから一概には言えないでしょ」


 自転車選手は脚質――脚の筋肉の向き不向きによって、それぞれの得意分野やレース中の役目、出場する種目などが変わる。春風は普段長距離の練習をしているが、脚質は短距離が得意なスプリンター寄り。凪沙は登坂が得意なクライマーだ。


「レース楽しみだな。そろそろ白黒つけようぜ」

「あたしは今回、ハルのアシストでしょ。あんたが勝つのが目的なんだから」

「じゃあ一日目に勝とう。んで、二日目はサシの勝負な」

「やっぱ生意気だ、ビギナーのくせに」


 凪沙はきつい口調で言いつつも、頬が緩んでいる。


 ――――やっぱり丸くなったなぁ……。


 うっすらと傷跡が残っている鼻に自然と手が伸びた。凪沙に出会った春の日から、ひたすら追いかけ続けてきた。自転車部のある高校に進学したいのはもちろんだが、凪沙との決着も、中学のうちに着けておきたい。彼女は春風がどれだけ強くなったか知るための試金石だ。


 細い坂道を下ってゆき、その途中にある一軒家に帰り着いた。荷物を片づけ、夕飯の支度に取り掛かる。背の低い小さなテーブルを並べた上には、美紗季と奥さんたちが作ったメニューの他、出前の寿司もある。遠見父も起きてきて、総勢十一人で食卓を囲った。反町家よりも人口密度がかなり高い。


 すっかり顔の赤らんだ遠海父にビールを勧められた。「飲むかい」


「いや、俺、自転車で来てるんで……ってか未成年ですし……」

「あぁん? 歩いて帰りゃあいいだろうよ」

「や、でも…………じゃあ、一口だけ」

「おう。飲め飲め、じゃんじゃん飲め」

「お父さん、春風くんはまだ中学生なのに……」

「倒れるまで飲ませたりはしねえよ。――ゲロは吐くかもしれんがな」

「お父さん!」


 美紗季に叱られ、ダンディな俳優のような男が子供っぽくしょげる。


「だ、だってよう……悪い虫は今のうちに駆除しておかんば、お前と凪沙が危ないじゃねえか。俺が家を空けてる間に入り込まれたらお終いやぞ。思春期男子を侮るなよ?」

「春風くんは大丈夫です! そんなことする子じゃありません」

「だがなぁ、今度凪沙と二人で遠出するっていうしなぁ……」

「ハルなら心配いらないでしょ」


 珍しく凪沙まで擁護してくれた。「変なことするようなやつだったら、とっくの昔に縁切ってるよ」


「くぅ、凪沙まで……父ちゃん寂しかー……」

「もうっ……ごめんね春風くん、無理して飲まなくていいからね? というか絶対飲んじゃ駄目だよ?」

「ハハ、大丈夫っすよ」


 危うく飲まされるところだったが、ビールの味などまだ分からないし、飲んでしまうと自転車も車両なので飲酒運転になってしまう。というか年齢的にまずい。笑いながら否定した春風の前に寿司を載せた小皿が差し出された。凪沙の一番下の従妹が緊張の面持ちで春風を見つめている。


「……食べて?」

「うん。ありがとーな」


 やっと心を許してくれたかと嬉しく思い、サーモンをほおばった。ふふふと微笑みながら咀嚼した瞬間、油断していた春風の口内で強烈すぎる刺激が炸裂する。


「ごふぁっ!?」


 手で口を押えた春風を見て、悪戯っ子たちが爆笑した。麦茶で流し込もうとグラスに手を伸ばし、一気に煽る。凪沙の慌てる声が聞こえた。


「ハル! そっちは――」


 麦酒だった。

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