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西果てのローディ  作者: 中村なめ
12/25

Stage8-1

 夏休みが始まって一週間が経った。


「あっぢぃー……」

「うっさい黙れもっと暑くなるでしょ!? 何のための早朝練だと思ってんの!」

「んなこと言ったってもうじき十時じゃん……早朝じゃねえじゃん……俺、アイス食いてえ……」

「だったらもっと速く走れ! まだゴールまで十キロあんだよ!?」


 凪沙も暑さで気が立っているせいで無駄に言い返し、息が苦しくなる。この時期、日陰のない拓けた農道はきつい。


 二人は今、朝練の最中だ。昼間は気温が高くて練習の効率が落ちる上に、熱中症や脱水の危険が増す。そのため早朝からと夕方からの二回に分けて練習していた。つまり、練習時間が長くなったこと以外は授業がある時と変わらない。


「くっそ、また登り……」


 凪沙の前を行く春風がうめいた。現在は空港付近の山道だ。今日は島を一周してきたため登坂の繰り返しだった。島一周というと長そうに聞こえるが、実際はところどころ沿岸部から離れているし、距離も九十キロ弱しかないのだが。それでも、きついものはきつい。春風は登りを好いていないので尚更だろう。


 ふと悪戯心が芽生え、凪沙は頂上までもがき切れる距離でアタックした。


「てっぺんまで! 負けた方がアイス奢り!」

「ちょっ、いきなり!?」


 春風の声は風の中に消えた。凪沙は車体を左右に振りながらペダルを踏み込む。こうした方がうまく力が伝わるのだ。しかし、


 ――――まだ振り切れてないか。


「んが……ッ!」


 春風が下ハンドルを握って追い上げてきた。相変わらず大したバネと瞬発力だ。おまけに全力でスプリントを――しかもきつい登り坂で――していても身体がぶれない。体幹の筋肉とバランス感覚が優れているからだ。空中でボールを打つバレーの経験が活きているのだろう。


 あっという間に横に並ばれてしまった。こうなると不利なのは出力で劣る凪沙の方で、振り落されないよう必死にもがいて食らいつく。


「くっ……」


 一瞬失速しかけた春風が再加速した。今度こそ凪沙を引き離していく背中を睨みつけ胸の中で叫ぶ。なんで落ちない……!?


「っしゃあ!」

 春風が先に登り切った。ぜぇぜぇと肩で息をしながらも、後れて到着した凪沙に「にひひ」とドヤ顔を向けてくる。「じゃ、俺ガリガリ君ソーダね」


「……はぁ。うっざ」

「なんだよ自分が負けた時ばっかり! ナギだって昨日も一昨日もハーゲンダッツせびってきたくせに!」

「あんた結局買ってくんなかったじゃん」

「当たり前だ。カップアイスじゃ走りながら食えん」

「値段の問題じゃないのか……この練習魔、ドM!」

「悪いか。ってか練習熱心なのはナギもだろ」


 春風が先に下っていく。この辺りから少し車が増えるため注意しなければならない。後方の安全を確認しつつ、下りでのライン取りを後ろから指示した。

 山を下りた先の信号で停車した。春風が「そういえば」と誘ってくる。


「そういえばさ、明日海に行こうぜって遠矢たちから誘われてるんだけど、ナギも来る? ってか来いよ。他の女の子も来るし。みんなで海! 夏っぽいじゃん」

「なんであたしが……」

「ここんとこ練習ばかりだから休憩する日が必要なんだ。お前って無自覚にオーバーワークしそうなタイプだからな、無理やりにでも休ませないと」

「何さ、偉そうに。ハルだってバレーやってる時怪我したくせに」

「だからだ。大人しく先人の知恵に学べ」

「百歩譲って明日オフにしたとしても、あたしは行かないからな。ハルだけ勝手にキョロ充してくればいいだろ」


 ツン、と突っぱねると呆れたようにため息を吐かれた。

 回復走がてら海水浴場まで往復するだけなら……とも考えるが、目の前の信号はとっくに青に変わっていた。他愛ない思考を中断し、春風を追って走り出す。


 春風には勘違いされているかもしれないが、凪沙だって友達が要らないわけではない。「友達なんて要らない、寂しくなんかない」なんてただの強がりだ。本当はずっと昔から憧れている。

 でも、今は。

 今の凪沙にとっては、春風と走っている時間の方が大切なのだ。




 反町家に帰って順番にシャワーを浴びたのち、(主に凪沙の)宿題に着手した。凪沙としては春風に借りを作るようで情けないが、放っておいたら夏休み終盤に忙殺されて自転車に乗れなくなってしまう。ちなみに春風はもう学校の宿題を終えており、凪沙に教える傍らで受験勉強をしている。


「……答え写させろ」

「自分でやんなきゃ意味ないだろ。中学レベルで躓いたら後からきついっぽいぞ。やっとけ」

「このマジメちゃんめ……」

「口を動かすより手を動かしな」

「うぅ……」


 眠い。

 冷房の効いた洋室は心地よい。蒸し暑い屋外で散々走り回り、シャワーで汗を流した後、ひんやりした部屋でまどろむ……想像するだけで夢の世界に旅立ちそうだ。


「こら」

 デコピンされた。


「はぅ!?」

「『はぅ!?』じゃない、『はぅ!?』じゃ。ナギのくせに可愛いじゃねえかこの野郎」

「野郎じゃないし……」

「どうでもいいから問2をどうぞ」

「どうでもよくないっ」


 足の短い丸テーブルを叩いて抗議する。どうも春風は凪沙の性別を軽視しているところがあるようで、最近では「おしとやかに~」発言も無くなった。いっそ凪沙が男だった方が喜ぶのではなかろうか。


「……ハルのばーか」


 胡坐を解いて冷たい床に寝そべった。シャツの裾がめくれ、へそが覗いたが気にしない。

 春風がへの字にした口を開きかけたところで来客があった。ガララと玄関が開けられる音がして、姉の声が聞こえる。「ごめんくださーい」


「美紗季さんだ」


 春風が美紗季を迎えに部屋を出ていった。心なしか表情がうれしそうだ。二人が何やら談笑しながら廊下を歩いていくのがすりガラス越しに見えて、ちょっとむっとしてしまう。


 ――――何さ、デレデレしちゃって。


 夏休みに入ってから、美紗季も頻繁に反町家を訪ねている。姉妹の父は仕事で家にいないことが多いため、空いている時間を見つけては食事を作りに来ているのだ。美紗季は昔から父子家庭の家事を一任してきただけあって、その腕は春風の祖父母にも認められている。孫嫁にと期待されているのだろう。


 ――――まぁ、お似合いだよね。


 美紗季は妹の目から見てもかなりの美人だし、春風もよく女子の話題に上っているくらいには容姿に恵まれている。しかもまじめで大人びた優等生同士、話が合うようだ。


「…………なんか、むかつく」

「どうした?」頬を緩めた春風が戻ってきた。「昼飯までに今日のノルマ終わらせようぜ。さっ、起きた起きた」

「むぅ……」


 ――――機嫌良くなってるし。やっぱむかつく!


 苛立ちをエネルギーに宿題をやっつけて、また横になった。トラ丸が散歩から帰ってきたので窓を開け、入ってきたところを捕まえて足を拭く。凪沙も最近になってようやく拭かせてもらえるようになった。


 春風はまだ勉強中で、黙ってテキストに目を落としている。彼の学力なら天崎高校は余裕だろうが、それでも勉強しているのは保険なのだという。父との賭けに敗れて島に留まる場合の保険。自分の望む大学により確実に入学するための下地作りだ。このことを春風の口から聞いたとき、「ああ、敵わないな」と思ってしまった。同い年の彼が随分と大人に見えた。あたしには目の前しか見えてないのに――。


 トラ丸と戯れながら昼食を待った。正午過ぎ、美紗季がドアを控えめにノックして顔をのぞかせる。


「ごはんの用意できたよー」


 テーブルの上を片づけ、大きな和室に移った。この家は平屋建てだが、その分面積が広い。和室は五人で食卓を囲んでもがらんとしている。

 今日の昼食のメインはそうめんだった。春風が歓声を上げる。


「すごっ。この器氷で出来てる……」

「うん、うん。麺つゆも天ぷらもうまかぁ」とおばあさん。どうも市販品ではなく美紗季が作ったものらしい。春風と老夫婦に褒められ過ぎて、美紗季が恥ずかしそうに縮こまる。我が姉ながら可愛いと思った。


「麺つゆは簡単ですし、氷の器も昨日、おじいさんに教えてもらいながら作ったものやけん……」

「でもほら、おかずもおいしいっすよ。ミナの天ぷら超うまい」

「こんなにたくさん……殻ば剥くの大変だったでしょう? ごめんなさいねぇ、近頃はお昼ご飯任せてばっかりで」

「いえ。いつも凪沙ちゃんがお世話になっていますから。それに私も、家に居たら一人なので……こうしてご一緒させていただいて、毎日楽しいです」

「私たちもうれしいわぁ。ずっとこの人と二人だったもの。ねぇ、お父さん」

「あぁ。どうかね、美紗季さん。大学を出たらうちに嫁いでくれんね?」

「なっ、何言ってんだよじいさん! ってか美紗季さんも赤くなんないで! 俺まで恥ずかしいじゃん」


 やっぱり、もやもやする。

 楽しげに談笑している人たちがうらやましいのはいつものことだが、複数人で話すのが苦手な凪沙はなかなか輪に入れない。みんなで話さなくてもいい。ただ、自分が話したい相手と話せないのが嫌だ。


「……ね、ハル」

「?」


 テーブルの下でこっそり袖を引いた。なんとなく他の三人には聞かれたくなくて、テレビの音声にかき消されそうなくらい小さな声でささやく。


「明日じゃなくて、今日、海に行きたい」

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