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西果てのローディ  作者: 中村なめ
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Stage6-2

 五分後。春風は自宅の洋室で遠海姉妹と向かい合っていた。祖母が洗濯物の部屋干しと踊りの練習に使う広めの部屋で、壁の一面は鏡になっている。自分の部屋は狭苦しいし、一番大きな和室には出不精の祖父がいるためここに通した。


「これ、お土産です。お口に合うといいんですけど」


 美紗季は紙袋から和菓子の包みを取り出した。それを受け取りつつ、春風も頭を下げる。


「そんな、わざわざすいません。大したおもてなしもできなくって……」

「いいえ、こちらこそ。先日はお世話になりました」


 先日、とはつまり、凪沙がパンクで帰って来られなくなった日のことで間違いない。

 穏やかで大人びた雰囲気の美少女がこうべを垂れる。


「改めてはじめまして。遠海美紗季です。いつも妹がお世話になっています」

「いや、世話になってるのはオr――僕の方でございまして……」

「なんで言い直すし」


 凪沙が不機嫌そうに絡んできた。そこに美紗季も乗っかってくる。


「そうですよ。年上と言っても、私は春風くんと二つしか変わらんけん。こないだ言った通りタメ口でよかよ?」

「流石にタメ語はどうかと……。ってか美紗季さんこそ、時々敬語混じってんのよしてください。かえって壁を感じちゃいます」

「そうです……なの?」

「なのです」

「ふふっ」


 妹と二歳しか違わないはずなのに、美紗季の笑顔はとても大人っぽい。


 凪沙はよく「クール」「孤高」「不愛想」などと評されるが、美紗季の印象はまったく異なる。なんというか……身にまとっている空気がやわらかい。見た目がふくよかというわけではなく、しかし凪沙よりずっとメリハリのあるプロポーションでモデルのようだ。


 黒目がちな瞳はやや垂れ目で、その他のパーツは凪沙と似ているものの、妹のような鋭さは感じられない。言葉を発するペースもまったりしていて、自分が話す言葉を考えてから口にするタイプではないかと思われる。


 いかにも優しくておっとりしたお姉さんで、あまりの癒しオーラに、初対面なのにトラ丸が膝の上でくつろいでいるほどだ。あと四、五歳年上だったなら春風のストライクゾーンのど真ん中を射抜いたことだろう。もっとも、現時点で充分過ぎるほど魅力的なのだが。


「この間は本当に助かったよ。ご近所さんや駐在さんに頼もうかとも思ったけど、あまり大事にしたくはなかったけん……。春風くんが意外に優しか人でよかった」

「意外にって……おいナギ。まさかお前、お姉さんにまであることないこと吹き込んでたんじゃないだろうな?」

「つ、付きまとってたのは事実じゃん。ハルこそストーカー被害者の心理なめてんじゃないの。いっぺん自分が執着されてみたら? ……いや、でもハルってドMだし逆に興奮しそうかも……」

「凪沙ちゃん」美紗季は優しいが少し強めの口調で叱る。「無暗にそんなこと言わないの」

「わ、わかってるし。ちょっと冷かしただけだよ……」


 凪沙はあっさり黙り込んだ。姉妹だから春風や岩尾が相手の時以上に強く出るのかと思っていたが、やけに大人しい。様子から察するに姉を怖がっているわけではなく、単に頭が上がらないといった感じか。


「とにかく、お姉さんは春風くんがよか人で安心しました」また敬語に戻っているが、はにかんでいるのを見ると彼女なりにふざけているのだろう。「でも、凪沙ちゃんを泣かすようなことをしたら許さないけん。わかった?」

「姉さん、あんまりこいつに優しくしない方がいいってば。さっきからやらしい目で姉さんのこと見てるし、今度は姉さんが狙われるぞ」

「狙うって何だよ!? 変態扱いはやめろってばさ!」


 いい加減、人を犯罪者みたいに呼ばないでほしい。

 相棒の冷たい視線にうろたえつつ、春風はひとつ咳払いして、少し迷ったのちに主張する。


「……ま、まぁ? 確かに美紗季さんは好みだよ。めっちゃ好みだ、それは認める。でも今は、お遊びの恋愛よりも自転車の方が大事なんだ。っていうかそもそも俺は、好みのタイプってだけで告白するほど安い男じゃねえ。誰かを好きになる時は、ちゃんとプロセスを踏んで好きになる……はずだ」


 恋なんてしたことがないから分からないが、それなりにうまく自己分析できたと思った。とりあえず言いたいことが言えたためほっと嘆息する。と、美紗季と目が合った。彼女の瞳は何やら逃げ惑うようにふらふら揺れている。


「こっ、好み、ですか……」

「は?」

「……いや、そのう……そげんストレートに言われたとは初めてだけん……」


 うまく聞き取れなかった。きょとんとした春風の鼓膜を絶対零度のささやきが突き刺す。


「姉さんに手ぇ出したら刺すから」

「怖えよ! 目つきが様になりすぎだよお前!」

「前後輪ともこっそり穴開けて、スローパンクさせてやるんだから」

「陰湿だ! ってか刺すってタイヤをかよ!」


 スポーツマンシップの欠片もない発言に仰天する。「冗談だ」と思い出したように付け足されても今更信用できない。


「二人とも……仲が良い、のかな?」

「「良くはないだろ」」

「息ぴったりだね」


 くすっと小さく笑われた。そんな美紗季の控えめな仕草が、かえって春風の目を惹きつける。いつも凪沙と軽口を叩き合ってばかりいるからこの手の雰囲気は新鮮だ。


「ねぇ春風くん。自転車が好きならさ、きみも凪沙ちゃんと同じ高校ば受けっと? 天崎あまさき高校って自転車が強いんでしょう?」

「…………え?」


 返事に詰まり、美紗季の小首を傾がせた。春風は彼女の質問に対する答えを持ち合わせていなかったし、凪沙が島外の高校を志望しているというのも初耳だった。思えば凪沙を追いかけてばかりの毎日で、この日々の先にある未来について考えたことがなかったのだ。




 考えた末に出した答えは「行きたい」だった。あくまで願望。「やれるかどうかじゃない、やるんだ!」という根性論的な発言は出来なかった。


 自転車競技部のある高校に行きたいのは山々だ。練習しているからにはレースを走ってみたいし、インターハイや選抜、国体などにも出て、活躍したい。バレーでは全国に出場できなかったが、今度こそ〝上〟の舞台で戦いたい。勝ちたい。


 しかし春風はまだ子供で、親に養われている身だ。


「――ってことで俺、天崎高校に行きたいんだけど。受けてもいいかな……親父」


 夕食後、父に電話した。なるべく甘えているように聞こえないよう口調に気をつけたが、意味を為したかは知らない。予想通りの反応が返ってきた。


「駄目だ」

「だよなー……」

「高校のうちから一人暮らしさせるつもりはない。それから、部活のためだけに高校を選ぶことにも反対だ。理由は……言うまでもないだろう」

「あぁ」


 父は春風の心がまた折れてしまわないか気がかりなのだろう。部活のために学校を選び、そこで挫折したら、春風はまた空っぽになりかねない。

 自転車は好きだ。だが人生のすべてを捧げる覚悟はない。


 春風が自転車に乗る傍らで勉強しているのは将来への保険だ。バレーボールや自転車のプロとして食っていくことは現実的に考えて不可能に近い。だから大学進学を希望しているが、天崎高校はお世辞にも進学向けの学校とはいえない。偏差値は今の春風より二十も低いのだ。一般受験で大学に進学するうえで不利になることは間違いない。


「なぁ春風。お前がまた何かに夢中になってくれたのは、父さんもうれしいよ。だがな、父さんは将来お前に後悔して欲しくないんだ。『あの時あんなことしてなければ』なんて言って、自転車まで嫌いになってもらいたくない」

「……うん」

「やるならせめて、大学生になってからしなさい。いいな?」

「…………いや。もう少しだけ、考えさせてほしい。考えるだけでも……」

「そうか。まぁお前自身で考えて納得してもらうしかないな」

「うん、おやすみ。いきなり無茶言って悪かった」


 沈んだ声で電話を終えた。スマホを机の上に放り出し、父のおさがりのベッドに倒れ込む。年季の入った匂いに包まれてまぶたを閉じ、長い長いため息を吐き出した。

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