50話 虚構
「いったい何が……」
起こった? 自分の身に。
恐る恐る痛みの正体に触れようとする悠馬。
そして彼は知った。
自らの身体を貫くものを。
それは粘液に塗れた触手。
ウネウネと厭らしい蠕動をしながら傷口を広げようとする。
だが――この触手はどこから?
発生源を辿った悠馬は絶句した。
何もない空間。
虚空。
まるで騙し絵の様に、そこからただ触手だけが飛び出ていた。
「ユーマ!」
「ユーマ様!」
悲鳴を上げ駆け寄ろうとするアイレスとティナを手で制する。
身体を貫く尋常ではない痛み。
思考が支離滅裂になり視界が赤く染まる。
触手がもたらしたダメージはそれだけにとどまらない。
酸性の火傷、猛毒、石化などバッドステータスの数々。
女王も同様なのか、動けない。
玉座ごと縫い留められた肢体を硬直させている。
「いかがですかな、ユーマ殿。
虚空を自在に渡る<闇撫>の味は?」
「そうね。
もう二度と動けないと思う」
背後から聞こえるのはどこか聞き覚えのある声。
動かぬ身体を総動員して玉座の間の出入り口振り返る。
そして――驚愕する。
聞き覚えがあるのも当然だ。
そこにいたのは入り口で控えていたヤンユンと――
仕立ての良い上質のローブを纏った初老の男。
優雅に蓄えられた白髭に柔和な顔立ち。
品の良さそうな、見るからに紳士といった出で立ち。
忘れる筈がない。
魔導都市にて悠馬と刃を交え、接戦の末に勝利を捥ぎ取った相手。
即ち――リカルド・ウイン・フォーススター侯爵。
「貴方が……何故?」
「それはこの場に吾輩がいる事ですかな?
それとも貴君を貫く<闇撫>の事ですかな?」
「何故、ヤンユンを使い……
狂言を行っているか、ですよ」
「ほう。そこまで看過なさるとは。
流石ですな、ユーマ殿。
我が主が認めるだけの事はある」
心底感服した、とばかりに慇懃無礼な一礼を行うリカルド。
傍らのヤンユンも驚きに目を見開いている。
「どういう事ですか、ユーマ様」
「何がどうなっているのか分からない」
「答えは簡単だ。
俺も二人も……いや、皆騙されていた」
「――え?」
「どういう意味?」
「氷嵐の女王などという存在は――
最初からいなかった。
何もかも偽りで作られた虚構の存在なんだ!」
「な、なんですって!?
そんな馬鹿な!」
「だってそこにいるのは――」
「そう、それがこの背景の巧妙な所だ。
全てがゼロからの捏造ではない。
この廃城に呪雪を封ずる為、孤独に佇む女性がいた。
強大な力を持ちながらも私利私欲じゃなくこの世界の為の人柱になる為に。
だからこそ目を付けられた。
その分身とでもいうべき魔導人形ごと」
「まさか――」
「氷嵐の女王は偽りに満ちた幻想だ。
何者かが政治利用する為に作り上げていたんだ」
唇を噛み締める悠馬。
常々疑問に思っていた事も補足として口にする。
「思い起こせば腑に落ちない点が多々あった。
女王配下の召喚術師達。
本来、魔導書は特級の貴重品だ。
その管理は俺も敵対したレカキス一族が行っている。
だがここ半年、四天騎以外の召喚術師達と俺達は戦ってきた。
それだけの貴重品を何故あいつら無尽蔵に所持していたか。
今回の事でやっと判明した。
リカルド、貴方が――
いや、正確には――
貴方の主が手引きしていたんだな?」
「御名答です、ユーマ殿。
全ては我が主――」
「もうよい、リカルド。
そこから先は我から話そう」
痛みを堪え静観していた、させられていた女王の背後。
突如現れ、耐魔に優れた女王の魔力障壁を貫き拘束していた者。
玉座よりゆっくり姿を晒したのは主見目麗しい青年だった。
燦然と輝く銀髪。
穏やかで優しく一同を美見渡すエメラルドの双眸。
彫りの深い彫刻の様に整った容貌。
だが何より目を惹くのはその雰囲気だ。
積み上げてきた血脈の歴史がもたらす重厚な完成感。
民を従えてきた実績が醸し出すそれはカリスマというべきものなのか。
「我が名はロクサーヌ・ネスファリア・アスタルテ・ランスロード。
久遠悠馬。
君の指摘通り――我こそが全ての糸を引く者だ」
善も悪も――
全も芥も誘蛾灯の様に惹き付けて離さない闇の吸引力。
ランスロード皇国の皇太子はそう言って薄く微笑んだ。




