42話 無垢
城塞内は活気に満ちていた。
道行く者全てが笑顔で生き生きとしている。
それは何も若者を含む大人だけではない。
幼い子供。
年老いた高齢者。
老若男女問わず皆が皆、笑顔で活気に満ち溢れていた。
無理もあるまい。
犠牲者0という、奇蹟的ともいえる大勝。
続いて行われた女王軍に対する宣戦布告。
ここにいる者達は皆、女王の圧政から逃れてきた者達である。
愛する故郷を追われ、親しき者を殺された者達。
現状に対する不満はないとはいえ、いつか帰りたいと願う者だ。
女王を倒す事が可能ならばその願いが叶うかもしれない。
次々城塞へと到着する各国の騎士団達の姿を見る度、期待の火が灯る。
自警団ではない屈強な専属の戦士達。
魔術を修めた証である鮮やかなローブを纏った魔術師達。
数は多くないとはいえ、一糸乱れぬ規則正しい行軍で入場していく様は、確かに勇壮としか言い様がない。
中庭にある練兵場へ並ぶ騎士団の勇姿を一目見ようと、城塞内の多くの者が集まってきている。
そんな慌ただしい雰囲気の中、最大の功労者がこっそりと人目を忍ぶように城塞を離れていくのを誰も認識する事は出来なかった。
「本当によろしかったのですか、ユーマ様」
寒波を遮断する防寒具に身を包んだアイレスが問い掛ける。
凍り付いた大地を踏みしめる度、硝子が割れる様な甲高い音がする。
黙々と先を歩んでいた悠馬は足を止める事無く顔のみ振り返り応じる。
「……ああ。
会えば、別れるのが辛くなる。
レミットにこれ以上負担は掛けたくない」
真顔で応える悠馬の顔は憂いに満ち、想い人であるレミットに対する気遣いがありありと感じられた。
その事に少しばかり羨ましさを感じつつもアイレスは訂正する。
「もう。
違いますわ、ユーマ様」
「違う?」
「ん。アイレスが言っているのは各国との交渉役をバーンに譲った事だと思う。
昨今の攻防戦を経て世間に対する城塞の注目度は高い。
この遠征軍にも首脳各国のお偉いさんが幾人も参加している。
英雄になるチャンスを棒に振った」
補足する様に解説するのはアイレス同様、防寒着に身を包んだティナだ。
雪の様に白い肌がほんのり赤く染まっているのが酷くなまめかしい。
咎めるような上目遣い。
被虐趣味がある者なら目覚めてしまいそうに鋭い視線を物ともせず、悠馬はやっと思い至ったのか相槌を打ち、肩を竦める。
「何だ、そんな事か。
別にいいよ、そんなの」
「ユーマ?」
「ユーマ様?」
「バーンの方が民を思いやっているのは皆も承知だろう?
俺は我儘で独善的な一面がある。
誰かのために大切なものを切り捨てる判断も、きっと出来ない。
王の器じゃないよ。
あいつの方が王に相応しいし……
あいつ自身も色々考えていて常々変えたいって言ってたしな」
「変える?」
「今の封建制度を。
あいつはさ、城塞の持ち回り議長システムにえらく感銘を受けたらしい。
これだと権力が集中しないし民の意思も反映される、と。
まあ共和国というよりはギルドの統治形式に近いんだろうけど。
今後、ここがどうなるか?
国境間近の緩衝地帯だった利点はあったけど……
それ故今回の女王軍の侵攻に対応するのが出遅れたのも確かだ。
もしかすれば共同統治をしようとする動きがでるかもしれない。
各国の思惑も色々あるんだろうけど……
バーンはそうなったら諦めずに提唱すると言ってた。
だったら俺は、俺にできる範囲で応援したい」
「そうですか……」
「確かにユーマらしい」
「第一さ、俺は別に偉くなりたいとか有名になりたくて戦ってきた訳じゃない。
感謝されたいとか崇高な使命があった訳でもない。
目の前に苦しむ人達いて――
助けたいと思った。
召喚術師として力を持っていた、というのもある。
でも――力がなくとも俺は俺に出来る事をしたと思う。
言うなればさ、自己満足なんだよ。
だからこそ過程と結果が重要で、その余波なんぞはどうでもいい」
暴論ともいえる内容を淡々と話す悠馬。
そこには誇りや欺瞞、気迫や気負いなど何もない。
ただ事実だけを述べている。
言葉に詰まるアイレスとティナ。
公爵令嬢付のメイド。
格式ある神社の巫女。
立場は違えど、我欲に塗れ権力を求める者が間近におり、その醜悪さを見てきた二人だから分かる。
悠馬は無欲ではない。
無垢なのだ。
既存概念に捉われない。
根本的な善悪を越えた独自の価値観の持ち主だと。
だからこそ危うい。
周囲の影響次第では黒にも白にも容易に染まってしまう。
その力の矛先が人々を守る為に使われるならいい。
しかし――
何か決定的な事があってしまえば――
誰も彼を止められないのではないか?
自制の効かない魔道兵器の様に。
琺輪世界各国が懸念する無自覚の戦争抑止力の存在にやっと二人が思い至った時、当の本人は隠蔽された雪洞の中にある魔方陣を見つけ喜んでいた。
「やった!
多分これに間違いない!」
アイレスとティナを振り返り無邪気に笑う。
間違ってないよな?
笑顔で問い掛ける無防備な姿に、二人は顔を見合わせ大きな溜息を零す。
「……考え過ぎでしょうか?」
「うんにゃ。アレは天然。
だからこそタチが悪い」
「ですわねー」
「何だよ、二人してこそこそと」
「いいえ、何でもありませんわ。
ね、ティナ様?」
「そうそう」
「ならいいけど……これが恐らくバーンが言ってた魔方陣だ。
これに乗れば瞬時に女王の拠点まで転移できるだろうけど……本当にいいのか、二人とも?
今ならあと戻り出来るぞ」
「くどいですわ。
何があってもユーマ様のお傍にいると先ほど述べました」
「ティナも同様。
城塞の守りはドラナーと騎士団に任せれば安心。
ならば一番心配なユーマを二人で守る」
「……分かった。
ならばもう迷わない。
頼りない俺を支えてくれ、二人とも」
「はい」
「ん。任せて」
「じゃあ……いくぞ!」
掛け声と共に悠馬は魔方陣に飛び乗る。
アイレスとティナ、二人の姿も後に続き瞬時に掻き消える。
後にはただ、耳鳴りがするほどの静謐が周囲に満ちるのだった。




