39話 沈黙
「あらあら。
随分と賑やかですわね。
よろしければ、わたくしも交ぜてはいただけませんか?」
憤慨するティナを中心に笑いの輪が広がっていた所へおっとりとした様子で現れたのはアイレスであった。
いったい彼女は何をしていたというのか?
身に纏うメイド服はあちらこちら破れほつれ、顔色も悪く全体的に消耗した印象を受ける。
ただ――その眼だけは違った。
爛々と輝く双眸。
全てを射すくめるような美しいその眼差し。
生き生きとした煌めきを放つ瞳がまるで別人みたいに異なった雰囲気を醸し出している。
特に数か月ぶりに再会したドラナーとメイアに至っては「……別人?」と思う程の印象差を受けた。
穏やかな普段とは違うアイレスの放つ気迫に押し黙る一同。
しかし悠馬は物怖じせず真摯な眼で見詰め返し尋ねる。
「お疲れ様です、アイレスさん」
「はい、ユーマ様」
「その様子ですと――
やっぱり来たんですね?」
「ええ。
数は9」
「現在の状態は?」
「手練れでしたので……全てわたくしが」
「結構です。
必要以上の情報は知らないと思うので。
こっちは俺が対応しました。
ガーダーにも見回ってもらっていますが、これ以上の追撃はないでしょう。
憂いはないので、あとはどうか休んで下さい。
身体と……何より心を鎮める為にも」
「はい。ではお言葉に甘えてお休みを頂きます。
久しぶりの再会ですが少しお暇させてもらいますね。
申し訳ございません、ドラナー様にメイア様」
「いえいえ」
「ワタシにもどうぞお構いなく。
でも……大丈夫ですか?
大分具合が悪いご様子ですが……」
「具合、ですか?
フフ……わたくし個人として久方ぶりに好調なのですけど。
ただ――」
「ただ?」
「このままですと――
少し、血に酔ってしまいそうなので」
凄惨としか形容できない魔笑を浮かべ、皆に背を向け立ち去るアイレス。
その際、何かを思い出したのかメイアへ振り返る。
口元は笑っているのに昆虫の様に無機質な瞳。
自分の中の何かを見抜かれている様でメイアは総毛立った。
「そうそう、メイア様」
「は、はい。
何でしょう?」
「オイタは、どうか程々に願います。
わたくしとしても……
知り合いの方を手に掛けるのは、心が痛みますので」
「……肝に命じておきます」
「それは重畳。
それでは皆様、ごきげんよう」
スカートの端を摘まんだ流麗な一礼。
正式な作法に乗っ取った筈のその一礼が慇懃無礼を通り越し見る者に寒気を覚えさせる。
立ち去るアイレスの姿が廊下を曲がり完全に消え去った後、押し殺していた息を吐き出しバーンは呟く。
「いったいどうしたというのだ、あ奴は。
あの尋常でないオーラ……
本当にいつものアイレスなのか?」
バーンの知るアイレスは気立てがよく朗らかな料理の上手いメイド、くらいにしか認識がない。
病床に伏せるレミットへ献身的に仕えるアイレス。
自分の見てきたあの姿は偽りだったとでもいうのか?
「いや、あっしはあの方がしっくりきますねぃ」
逆にドラナーは納得がいったように頷いていた。
共に過ごしてきた日々の中、時折感じていた悪寒。
剥き身の刃を心臓に突き立てられるかの様なおぞましさ。
あれは決して間違いなんかじゃなかった。
自分の直感が間違いじゃなければ彼女は――
「……アイレスは暗殺者だ。
いや、今は廃業し元暗殺者というべきだな。
ドラナーも勘付いている通り、彼女はレミットを裏から守る護衛でもある。
魔導学院を目指す道中、数多くの暗殺者がレミットを狙っていた。
例のレカキス一族に雇われた奴等が。
彼女は俺達の預かり知らぬ所で、ずっと孤独にレミットを守っていたんだ」
そして悠馬は皆に説明した。
以前語られたアイレスの身の上、その本性を。
最初は驚きしかなかった一同だったが、淡々と語る悠馬の言葉にどこか共感がいったように納得する。
「東方の暗殺者<ナーヤ>の名は我も聞いた事がある。
各自が凄まじい技量を持つ凄腕達だと。
常人なら幾度も死ぬという幼少からの鍛錬と選別。
それゆえの鬼気か」
「ティナは全然気付かなかった……」
「そう簡単に気付かれるようでは暗殺なんて成り立ちやせんよ。
標的が命を失うその瞬間まで、殺気を隠し通す。
いや、巧みなレベルともなれば殺気すらないんでしょうやね。
息をする様な自然さで人を殺める事を可能とする」
「……ワタシ、危うく特大の地雷を踏む所でした」
「まあメイアさんが何を考え、そして命じられていたか。
おおよその事は分かりますが突っ込みません。
ただ気を付けて下さい。
彼女の護衛対象にはレミットの恋人である俺も含まれる。
迂闊な行動は文字通り死を招きますよ?」
「身を以て実感致しました」
「それでユーマよ、アイレスには何を頼んでいたのだ?」
「彼女の本業だよ」
「ん?」
「暗殺の阻止」
「なん、だと?」
「この城塞は堅牢だ。
迎撃用魔導システムに守られ無数のガーダーと召喚術師がいる。
通常に攻め落とすなら、先程のような隣接してからの自爆攻撃でもしない限り、かなり難しい。
ならばどうすればいいか?
答えは簡単だ。
システムを操る人間、指示を出す者を殺してしまえばいい。
それだけでこの城塞は沈黙する」
「それは……」
「誤射を恐れる為、現状は魔力波形の高い術師を除く全ての人間は、迎撃システム及びガーダーの攻撃対象外となっている。
俺は知らなかったが、それに付け込んだ女王に雇われた暗殺者達が避難民などに紛れて忍び込んで来てたんだ。
今回もこの大袈裟な襲撃は表向きの陽動で、本命は暗殺にあったらしい。
自爆攻撃の最中、主要各所に潜り込もうとした暗殺者をアイレスは人知れず迎え撃ってくれていた。
そういう可能性がある、なのでそう命じて欲しいという彼女の要望を受け入れた俺の指示に応じて」
「ユーマ……」
「馬鹿な話だよ。
せっかく普通の生活に慣れ親しんだというのに……
自分の手でそれを捨て去るなんて」
「それは違う、ユーマ」
「ティナ……」
「今まで得たものを捨てでもアイレスは皆を守りたかった。
あの娘の中の天秤は、何としてもユーマ達を守ると傾いた。
ならば私達がその決意をどうこう言うのは間違い」
「そうか……そうだよな。
でもさ、可能なら――
たとえこれがエゴにしか過ぎなくとも――
彼女に普通の女性としての幸せを贈りたかったんだ」
どこかへも行き場のないやる瀬なさを込めた悠馬の言葉。
アイレスの複雑な事情を知った者達も掛ける言葉を失い、ただ重苦しい沈黙の帳のみが周囲に下りるのだった。
連休で時間が取れたので少し長めの更新です。




