第17章 回想
「アルト……?」
私は呆然と倒れているアルトを見下ろしていた。
アルトは反応しない。カンナに覆い被さるようにして、目を閉じている。
安らかな表情を浮かべている。いや、安らかというより、自虐的な、自嘲的な笑みだ。
「アル、ト………?」
息をしている様子はなかった。
嫌な予感がした。背筋に冷たいものが走り抜けた。
アルトの両手は異様に熱く、着ていた服の胸のあたりが黒く焦げてすすけていた。
思考拒否する脳を強引に動かし、目の前の状況を分析する。
ユズハが目を覚ました形跡はない。カンナに至ってはさっきからまったく動いていない。
と、いうことは……、
「自殺……?」
脳が結論を出した。
それしか考えられなかった。
さっき少し様子がおかしかったのもあったからだ。
カンナの死が余程ショックだったんだろうか。
アルトは変なところで心が弱かったりするから、意外とそうかもしれない。
でも、焦っているわけではない。
アルトが教えてくれたおかげで、蘇生する方法はある。カンナが生き返ったら、アルトが死んでる理由もない。
ポケットの中のアンドロイドタブレットをギュッと握りしめる。
無表情なカンナの横顔を眺めていると、不意に、カンナと初めて出会った時のことが、記憶をよぎった。
あれは、魔術師に生命を与えられて間もない時だった。
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…………ここは、どこだろう。
『意識』というものが宿り、私がまず考えたのはそんなことだった。
ゆっくり目を開けると、真っ暗だった視界にわずかな光が飛び込んできた。
どうやら私は、シンプルなベッドの上に、横たえられているようだった。
慎重に体を持ち上げる。どこにも痛みは感じず、難なく体は動いた。
ぎこちない動作で首を回し、あたりの様子を探る。
ぼんやりと、部屋の様子がわかる。
殺風景な部屋。どこかの実験室だろうか。
四畳くらいの、板張りの部屋だった。いろんなものが、乱雑に置かれている。
黄ばんだ壁紙はところどころ剥げかけ、灰色の壁が姿を見せていた。
お世辞にも、綺麗とは言えない部屋に、私はいた。
何をしていいのかわからず、ベッドの上で挙動不審にしていると、
『起きたか、アクア』
突如、そんな声が聞こえた。
しわがれた、低い男の声だった。
驚いてあたりを見渡すと、背の低い老人が私の前に立っている。
細い体を白衣に包み、分厚い眼鏡をかけていた。やせ細り、不健康な印象だった。
細い瞳の奥からは、何かを成し遂げたような達成感と、何かをしないといけないという強い意志が垣間見えた。
『あと二人、起こさないといけないのでな…お前は少し、ここで待っててくれ』
観察対象を見る目で私の様子を一瞥した老人は、満足げに頷いてそういった。
おぼつかない足取りで老人は隣の部屋へと消えた。
不思議なことに、さっき『目覚めた』はずの私は、すべてをはっきりと理解していた。
さっきの老人は、私を造った張本人。私は人造人間で、名前をアクアという。
思い出している今ならわかるが、埋め込まれた『脳』に、その記憶が植えつけられていたからだ。
当時の私はそのことを知らず、あたふたとその辺を(と言っても四畳の空間だが)うろつきまわっていた。
乱雑に床にばらまかれたガラクタのせいで、足の踏み場に困った私は、適当にそれらを除けようとして、しゃがみこんだ。
その時、ふわりと視界の端で何かが動いた。
さっきまで気付かなかったが、壁に一枚の鏡が立てかけられていた。
鏡は全身が映るタイプで、それほど古いものじゃなかった。
何気なく鏡を覗き込んでみた。
映っていたのは、水色の髪に水色の服の少女だった。
人間味を感じさせない冷たい瞳で、此方をじっと見ている。
「これが、私……」
初めて見る自分の全容を脳に焼き付けるように見つめる。
鏡の中の少女も、私を見つめる。
しばらくそうやって鏡を眺めていると、カタリと背後で物音がした。
「あ、えと……君が、アクア……さん?」
すぐ後ろから、声をかけられる。
驚いて振り返ると、黒ずくめの少年が立っていた。
黒い髪に、黒い服、唯一映えているのは青いカーディガン。
「あ……えっと、私……アクアです。初めまして……?」
ギクシャクしながらも、何か言わなくちゃと思った私は、自分の名を口にした。
初めて発した言葉は、どこかぎこちなかった。
彼は無表情のまま、私をじっと見た。
「僕……カンナ、です。よろしく……?」
少し高い、よく通る声だった。
私は黙って、その言葉を聞いていた。
微妙な空気が流れる。
「カンナ、って呼んでくれていいよ……あとタメ口で」
沈黙を破ったのはカンナと名乗った少年だった。
「……ありがとう」
なんだか、嬉しかった。
自分がただの人造人間じゃない、人間らしい感情を持っていることに、安堵した。
無意識に唇に笑みが浮かんだ。
礼を言われた彼は一瞬、無表情だった顔に僅かに笑みを浮かべた。
ぎこちのないその表情が、私の脳裏からずっと離れなくて。
「よろしく、『アクア』」
「は、はい」
なぜか硬直してしまって……なぜか、胸が熱くなった。
今から思えば、多分このときすでに彼のことが気になっていたんだろう。
狭くてしかも薄暗い部屋に、大した意味はないとはいえ二人っきりだったんだから。
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「……はあ」
あの時のことを思い出して少し興奮していた心を落ち着かせるように、大きく深呼吸する。
ポケットをまさぐり、目当てのものを握りしめる。
私は自分のアンドロイドタブレットを手のひらに載せた。
私のアンドロイドタブレットは、水色。ひんやりと冷たい感触が伝わってくる。
あの時、彼がおそらく後にも先にもないであろう笑顔を見せた時のことを思い出しながら。
私はもう一度、アンドロイドタブレットを握った。
その冷たさは、私の心に冷静さを与えてくれた。