アイリス誘拐事件・前編
トン、トン、トン。
ゆっくりとしたリズムで三度、ドアがノックされました。
もちろんアイリスが出ることは出来ません。
本来ならクライドが出るのですが…
ほんの数分前に、出掛けたばかりでした。
部屋に掛けてあった上着を着、そのフードで顔を隠したアイリス。
右手には、ナイフも持ちます。
「はい…」
意識的に声も変えて、少しだけドアを開きました。
その時です。
ドアの間に足を挟まれ、閉められなくされました。
そんな状況に冷や汗をかきながらも、用件を伺いました。
「本日はどのようなご用件で?」
心の動揺を隠し、努めて冷静に。
「ちょーっとオイタが過ぎましたね」
恐る恐る顔を上げると、立っていたのは卑下た笑みの男性でした。
「何のことです?」
後手に持ったナイフをギュッと握ります。
「無差別連続殺人」
この人は、自分を知っている───
「大人しく来てもらいましょう。ああ、僕達は警察じゃありませんよ。あと──────今握っているナイフを渡してください」
咄嗟にアイリスは、男性の首目掛けてナイフを突きます。
しかし、その手はあっさりと止められてしまいました。
そして。
「うああぁぁっ!」
手首を捻られ、激痛を感じます。
その拍子に、ナイフも離してしまいました。
「ぐっ!」
腹部に重い衝撃を感じ、アイリスの意識は暗闇へ。
「クラ…イド…───」
ふっと全身の力が抜け、崩れ落ちました。
「よし、運べ」
「はい、ボス」
真っ黒なスーツを着た男は、アイリスを抱え上げて車に乗せます。
そのまま、アイリスを乗せた車は廃工場へと走りました。
「アイリスーッ!」
クライドが幾ら呼んでも、答えはありません。
玄関には、鈍色に光るナイフが落ちていました。
それを手に取り、握りしめます。
「アイリス───待ってろよ、必ず行くからなッ」
クライドの瞳には、強い光が宿っていました。
ジリリリリッ
電話が鳴ります。
クライドは、それを乱暴に取りました。
「貴殿がクライドですか?」
「そーだよー」
いつも以上にのんびりとした口調。
その表情は、笑っていました。
寒気を感じる、恐ろしい笑みで。
「大切な人を、預からせて頂きました」
電話の向こうの人は、心底楽しそうな声で言います。
「アイリスを───アイリスを、何処へやったのかなぁー?」
バキッ
クライドが、ナイフを握力だけでへし折りました。
「ふふふ、怖いですねえ。そこの近くの廃工場ですよ。っと、これでは面白くありませんね」
『バキリ』
受話器の向こう。
聞き覚えのある音、骨の折れる音です。
「っ、ああぁあぁっ!」
決して聞き間違いのない、アイリスの悲鳴でした。
「アイリスっ!アイ───」
そこで、通話は途切れました。
「クソッ!」
内ポケットに武器を入れたコートを羽織り、乱暴にドアを閉めてクライドは走りました。
冷たい雨を全身に感じつつ、走って走って走って走って──────
「アイリスっ!」
肩で息をしながら廃工場につくと、両手両足を縛られたアイリスがいました。
「ふふ、待っていましたよ、クライド」
「アイリスを返せ」
いつもより低く、言い放ちました。
「返さない、と言ったら?」
アイリスの頬には、涙の跡が。
「奪う」
刹那。
クライドが短剣を放ちました。
男はそれを、二本の指で受け止めます。
それを、スッとアイリスの首筋に当てました。




