ソレイユ
幼稚園のころのぼくは周りから「師匠」と呼ばれていた。
というのも「紙飛行機をどれだけ遠くまで飛ばせるのか?」というのが園内で最も熱い話題であって、それが園児達の中でのステータスになっていた時期があったのだ。
クラス内で一番遠くまで飛ばせる人が代表になり、園内代表決定戦のようなものが三日に一回ほど自由時間に行なわれていた。
羽根の角度を変えたらよく飛んだ。とか、セロテープを付けたら重さがいい塩梅になっただとか、開発競争が繰り広げられる中、ぼくは紙飛行機の魅力に熱中し、常にその競争の一歩先を歩み続けた。
周りが羽根にぺたぺたセロテープを貼ってる中、ぼくはへそヒコーキの降り方を駄菓子屋のおばちゃんから教わり、圧倒的な滞空時間でしばらく園内に敵無しになった。
一緒のクラスである、もも組の皆にも折り方を遠慮なく教えたが、負けることは無かった。投げ方にコツがあるのだ。
さくらんぼ組やりんご組、いちご組の園児達も、徐々にその折り方に気づき始め、競争のレベルが上がってきたが、ぼくはその常勝の期間も慢心せずに開発を進め、グライダーのような形をした紙飛行機の開発に成功した。
風があると正確な計測が出来ないため、お遊戯場の舞台の上から投げてどこまで飛ばせるか? という競い方であったが、ぼくのこの飛行機はコンディションによっては、ついにお遊戯場の果ての、ベランダへと続くガラス戸にぶつかってしまうまでに到達した。
その飛行機は、ぼくの名前をとって太陽式飛行機とよばれるようになった。
太陽式飛行機の開発により、師匠と呼ばれるようになったぼくは、勿論、この飛行機の折り方も出し惜しみ無く他の園児達に教えたのだが、折り方が複雑で定規を使ってキチッキチッと折り目を正しく折らないと平凡な飛行機になってしまうため、この飛行機は折れない園児達が続出してしまった。
そういう背景もあってか、ほどなくしてこの太陽式飛行機の使用禁止が園児の中の暗黙のルールとして決定した。
出る杭は打たれる。というやつである。
この時ぼくは悔しくて、悔しくて、母に抱きついてただただ泣いてしまった覚えがある。
これが自分の頭の中の最も古い涙の記憶であるような気がする。
状況を説明しようにも、ぼくの年齢ではちょっとむずかしかった。
徐々にみんなの興味も紙飛行機から昆虫採集、ポケモンのゲットした数へと移っていき、ぼくの『師匠』というあだ名だけが、記念碑のようにただそこに残されただけであった。
***
なんて事を思い出しながら、いわゆる自由競争とか独占禁止法の縮図みたいな感じだったのかなぁとかぼんやり分かるようになってきた。あってんのか分からないけど。
現在のぼくは高校生で、今は屋上の貯水タンクに腰掛けて、一人でご飯を食べているところ。
太陽。という名前とは裏腹に、自分でもずいぶん陰気に育ってしまったなと感じる。
紙飛行機の研究に没頭していたころから、そもそもがインドア志向だったのかも知れない。
ところで、紙飛行機を飛ばすことは、今のぼくにとっても習慣になっている。
ただ、幼稚園のころとは目的が変わっていて、教師から受けた理不尽な注意に対する反論だとか、結果の悪かったテストの答案だとか、進路希望調査用紙だとか、その他不平不満をもろもろつづったルーズリーフやら。
そういった不平不満を、例の太陽型飛行機に折ってしまい、学校の隣の畑で枯れた野菜を燃やしてる火柱に投げ込む、というものだ。
なんて陰湿なんだろう……。
太陽式飛行機は、幼稚園児の開発したものとは思えない完成度を誇っていたので、向かい風がよほど吹いて無い限りは、フェンス一つ越えた先にある火柱へと、しっかり飛んでいった。
今日も、赤点スレスレの答案が帰ってきて青色吐息だったので屋上に来たわけで。
けして友達が居ないとかそういうわけではないのである。……多分。
屋上は名目上閉鎖されているため、他の生徒の姿は無い。
ぼくはちょっと頑張って扉を押し込めば、錆付いた鍵が意味を無くすことは知っていた。
まあ、バレるとちょっとやばいんだが。
そんときは反省文も燃やしてしまえばいいや。
なんてパンクなことを思いながら『三十五点』と書かれた英語の答案用紙をキッチリと折っていると、扉がガコンガコンと古びた音を立てる。
ぼくは動じずに作業を続けた。見回りの教師なら鍵を使うはずだから、きっとあいつだろう。
「よーっす師匠」
よっ。と右手を挙げて、その女の子がこちらへ歩みを進めてくる。
ぼくと鞄二つ分くらいあけた隣に腰掛けてくる。
ぼくは思わず苦笑した。
「そろそろその呼び名はやめろって。理沙」
「ごめんごめん。だってもうずーっとこれで呼んで来てるからさ」
理沙とは幼稚園の『もも組さん』の頃からの付き合いということになる。
腐れ縁なのかなんなのか、地元から離れたこの高校ですら一緒になってしまった。
今でもぼくの事を師匠と呼ぶ、学校では唯一の人物だ。
一見してみれば、ぱっちりとした瞳に、綿菓子のようにふんわりした茶色い髪の毛で、まあ可愛らしい造形をしている。
性格も活発で社交的で、男女とも分け隔てなく仲が良く、男子からの人気も高いそうだ。
……が。
「あー今日も疲れちった」
季節は初夏に近づき、肌を焼く日差しも徐々に強さを増してきているころだった。
理沙は右手をぱたぱたと仰ぎながら、左手で制服のポケットをまさぐる。
取り出したのは、手のひらサイズの青い箱。
その正体はマイルドセブンだ。
こいつは昼休み毎に、こうして屋上にタバコを吸いに来る。
今日のように紙飛行機を飛ばした日に、ここでタバコを吸ってる理沙と出会ったのだ。
「師匠、火ぃつけて。火」
理沙は、そう言ってジッポライターをポイっと投げてきた。
「わざわざお互いに手間をかけるようなことをさすな」
「もう火つける体力すらなーいー。でもタバコ吸ーいーたーいー」
そういって、タバコをくわえたまま、ぐてっと仰向けに寝そべてしまった。
「……お前のこんな姿を見たら、お前のファンは悲しむぞ」
「ははは。いないよーそんなん」
理沙は馬鹿にしたように薄く笑いながら言う。
……まあいいや。
三分ほどぐでっと寝そべった後、ニコチン切れがめんどくささに勝ったようで、観念したようにむくりと起き上がり、持っていても仕方ないし傍らに置いておいたライターをぼくの横から取る。
慣れた手つきで、火を点け、実に幸せそうな表情で吸い、煙を吐き出す。
「はー、やっぱりこれがないと生きてけないね」
教室で、友達に見せるどんな笑顔よりも晴れやかな表情で、そう言い放つ。
「そんなにいいもんなのか」
「まーなんつーかね、煙と一緒に溜まった理不尽とかイライラも吐き出してんだよ。他の人は知らないけど、少なくともわたしは。なんというかその時の解放感っていうの? それがたまんないんだわ」
親父みたいなことを言い出す女子高生である。
現に中身はおっさんと言っても、そう違いはないのかもしれないが。
まあでも、競馬場やらパチンコ屋やらに喫煙者が集結するのはそういうことなのかもしれないな。
「そういう意味では、師匠の紙飛行機もわたしのタバコと似たようなもんじゃない? あっ。ちなみに今日は何飛ばしに来たの?」
せっかくキチキチと折っていた紙飛行機を、ばらされてしまう。
「あっこら。勝手にみるな」
「あはははははは! あのかんっっったんな英語で三十五点って!!」
腹を抱えて笑いだした。失礼な奴だ
「英語なんて他言語を覚える余裕があるほど、ぼくは自国の言葉を分かってないんだよ」
「なにその意味のわからない負け惜しみ。あっはははははは!! ゲホッゲホッ あーくるしい」
タバコの煙でむせるほど笑われたので、理沙の手からさっさと答案をふんだくり、さっきの折り目を修復してきっちりと折り直す。
「相変わらず、芸術みたいな手先で紙飛行機折るよね。師匠は」
とか言う、まだ半笑いな理沙を無視して完成。
主翼がきっちり水平になるように。そしてちゃんと火柱に落ちるように、入念にコントロールして、スロー。
紙飛行機は見事に火柱に吸われていって、答案は燃料の一つになり果てた。
「おーさすが師匠。お見事です」
パチパチと拍手なんか送られる。
「まあ三回に一回は外すけどね」
ぼくは少し得意げに、かつ、少し謙遜してそう言う。
「その時はどうすんの? あの紙飛行機」
「……急いで拾って手で燃やしに行く」
「なにそれ。かっこわるー」
あははと笑いながらそう言われる。しかし良く笑う女だ。
「お前もタバコなんて効率の悪いもんやめて、こっちにすればいいんだよ。似てるんだろ? これは金掛からないぞ」
「いや、もうマイセン先輩と私は深い絆で結ばれてるんで」
「それただのニコチン依存症だろうが」
「そう。もうお互いに依存し合う仲なのです」
理沙は青いパッケージを胸の前まで持ってきて、ギュッと抱きしめるみたいにする。アホか。
「まあ師匠がわざわざ教えてくれるというなら、教わりましょう」
よろしく。というようにあぐらをかいて浅く一礼してくる。
「幼稚園の頃に一回教えてるけどな。まあ覚えてないだろ」
ゆっくりと、理沙が1段階折り終わったら次へ。という風に折っていく。
「あーそうそう。ここが全然うまく折れなかったんだよねーあのころ」
正確に四十五度に折りこむとこに入る。ぼくはフリーハンドで、理沙は三角定規をぼくの筆箱からかっぱらって折った。
「いや、誰でも折れるでしょうこんなの」
「幼稚園の頃の師匠が異常だっただけだよ。 ……できた!」
なかなかの出来栄えの太陽式飛行機が完成した。
「よし次は投げ方だ。これは幼稚園のころは教えなかった」
「そういえば、なんで投げ方は教えてくれなかったの」
「……いや、他の奴に負けたくなかったしなぁ」
「なるほど。意外と負けず嫌いだよね師匠」
「……うるせーやい」
ちょっと恥ずかしくなって、ぽりぽり頭を掻く。
「説明に戻るぞ。と言ってもこの時期のこの時間は分かりやすい。ちょうど太陽に向かってふんわり投げるような感じで」
「えい」
そう言って理沙は紙飛行機をぼくにむかって投げてきた。
さすがぼくの紙飛行機。結構な速さで目に刺さった。
「いった! ……って違うわ! お日様だよ! お・ひ・さ・ま!!」
「あれそうなの。ごめんごめん」
からから笑いながら、謝るそぶりもみせずそう言う。
散々ぼくの投げる姿を見てきてるんだから、絶対わざとだ。
「前から思ってたけど、なんでそんな投げ方するの?」
「ちょっと上に投げないと、屋上とはいえフェンスまでの高度が足らなくなるんだ。でも力一杯投げないで、あくまで主翼の水平を保つように、ふんわりとだぞ」
「はーい。えいっ」
理沙の紙飛行機は今度はまともにすいーっと、畑に向けて飛んで行った。
しかし、途中で力尽きて、畑と道路との間の排水溝落ちてしまった。
「あーおしいっ」
理沙は悔しそうに、がくっとしゃがみこむ。
「まあ最初はそんなもんでしょ。最初にしてはむしろ飛んだほうだぞ」
「あともうちょいだったのになー」
と言って口を風船のようにぷくーっと膨らませて、ふてくされる。
始業開始五分前の鐘が鳴る。もうそんな時間か。
「まあやってるうちに出来るようになるさ。とりあえず教室戻ろうぜ」
「あーい」
一緒に教室に帰るのはなんとなく気恥ずかしいので、ぼくは理沙から五歩ほど離れた後をついていって、三秒ほど後に教室に入る。
その間に理沙は既に、クラスの友人たちの輪に入っていた。切り替えの早いやつだ。
ぼくは真っ直ぐ自分の机に向かい、何をするでもなく、次の授業の教科書を手持ち無沙汰にぱらぱらと斜め読みするのであった。
***
「そういえばさー」
「ん? どうしたの師匠」
二週間後。天気は曇り。
湿度が高く、うだるような暑さの中、ぼくは『遅刻は心の錆』と、ゴシック体でどデカく書かれた紙を折り目正しく折りながら、湿気で動くことを放棄して、貯水タンクの上に仰向けに身を投げている理沙に話しかける。
「お前はさ、何の紙飛ばしてんの?」
ぼくと理沙の紙飛行機飛ばしは、ぼくが嫌な事があった時限定。という不定期さながらも継続していた。
もっとも、理沙はほとんど毎日、タバコを吸いに屋上に来ているようではあったが。
「えー。ないしょ」
「……ぼくの紙飛行機は丁寧にご開帳してくれたくせに、卑怯だぞ」
当然の不平を理沙にぶつける。
そうすると、少し迷った後に
「……乙女の恋心よっ」
と、少し照れたような、作られたふざけ笑いで理沙は言った。
あーなるほどなぁ。
思えば中学時代から、こいつは恋の噂が尽きることの無いゴシップガールであった。
黙ってれば顔もいいと思うし、男女とも分け隔てなく話せる橋渡し的な役割を果たしていたからな。
こいつが良く話してる相手と言えば……。
テニス部を校内初のインターハイ出場へと導いた、一緒の中学の高木くんであろうか?
はたまた都大会出場を確実視されている、陸上部の酒井くん?
意外と文化系で、爽やかで清潔そうな風貌から女子の中では『フルート王子』との呼び声の高い、吹奏楽部の斉藤くんともこいつは良く話しているな……。
ていうか、思い当たる節が多過ぎて誰だか分からん。
……なんとなく気になるではないか。
やじ馬根性をモヤモヤさせながら、反省文をキチキチと折っていると、寝そべっている理沙が、昔を懐かしむような微笑を称えてつぶやく。
「そういえばさ、師匠は中学の時、体育館裏でタバコ吸ってるわたし見ても特に驚かなかったよね」
「あーそんなこともあったなぁ」
こいつの喫煙暦はぼくの知るところでは中学三年ごろから始まっており、それを知ったきっかけは、放課後に体育館の掃除を行なっていた際、ジャンケンに負けて一人体育用具室の整理を居残りでやらされた時のことであった。
器具の整理と清掃を終え、換気のために開けていた窓を閉めようと、台に上り窓に近づいた時に、中学校には少々似つかわしくない、世の中の理不尽さの全てを知ったかのような、煙の臭いがする。
ぼくは父親がタバコを吸うので、副流煙に体制が無いわけではなかったのだが、予想していなかった不意討ちに、思わずむせてしまう。
姿が見えないうちは、ヘビースモーカーで有名な美術教師の仕業かと思っていた。
が、その後姿はどうみても紺色のセーラー服に身を包んだ女子中学生で、ばれる。と思ってか凄い勢いで反射して振り向いたその顔は、腐れ縁の付き合いであるところの、中納理沙その人であったのだ。
「……先生に言う?」
理沙は手にタバコを持ちながらも、おどおどしながら涙目で言う。
中学三年は、受験で大変な時期だ。
ここで喫煙の前科がついてしまっては、大きく内申に響いてしまう。
しかし子供なんだか、大人なんだか分からないそのアンバランスな仕草に、思わずくすくすと笑ってしまった。
「言わないよ。めんどくさいし。でもなんか、タバコ吸ってるお前、なんとなくしっくり来るわ」
笑いを押しこらえながら、そう言ってやった。
理沙はそのリアクションに驚いたのか、安心したのか、しっかり三秒間停止すると、タバコの先端から灰がぽとり。と落ちたのを口火に、本当に泣き出してしまった。
「おいおい。泣くこと無いだろ」
「だって、だって」
えぐえぐ言ってる理沙を慰めようにも、そんなスキルは持ち合わせていなかったし、そもそも体育倉庫の外から首だけ出して会話してる状況だ。
「ほら。泣き止めって。ばれたらやばいんだろ? 見回りの教師がきちゃうぞ。 吸殻はポイ捨てすんなよ?」
慰めの手段をしらないぼくは、あらぬ方向に心配をそらす。
「……うん」
セーラー服の裾で、ぐじぐじやって乱暴に涙を拭うと、鞄からピンク色のパステルカラーをまとったなにやらファンシーな小物を取りだすと、その中にタバコを押し付け、そのまま吸殻を収納した。
……携帯煙草入れとは準備がいい。
家が近いのもあり、その日はなし崩しに一緒に帰る事になり、それ以来、たまに理沙と一緒に帰るようになったり、喫煙に付きあったりする仲が続いて、現在に至る、と。
「ちょうどあの頃、ふとしたきっかけで、わたしがタバコ吸ってんの、仲のいい娘にばれちゃってさ。まあこれだけ仲いいんだから大丈夫だろう。って思ったんだけど、それ以来なんかその娘の態度が、不良を見るような目になっちゃったというか、一歩距離を置かれちゃったんだよね」
それが結構ショックでさー。と苦笑いを浮かべながら、マイルドセブンをくゆらせる。
「だからあんなに泣いてたのか。あの時の泣き顔と来たら……。ぷっ」
「あー。ししょー笑ったなー!」
右の二の腕をぽかぽかと叩かれる。痛い痛い。
「でも、あの一言にわたし結構、救われたんだ。……ありがとね」
「……おう」
急に真剣な口調でそういうので、なんだか照れてしまう。
ぼくはちょっと居たたまれなくなったので、場の空気を茶化すように
「お礼なら、その紙飛行機の中身を教えてくれ」
と、理沙の紙飛行機を顎で指し、冗談めかして言ってみる。
すると理沙は少し考えて、なにやら決心したように
「……じゃあ、わたしの飛行機があの焚き火に届いたら教えてあげる」
と言ってきた。
というところで、お互い紙飛行機を折り終え今日の投擲スタート。
まずはぼくがお手本のように、少し高めにふんわりと、いつものように投げる。
……が、距離は足りていたのだが、少し左にそれて
しまい、畑の土に落ちてしまう。
「お、師匠ともあろうお方が失敗とは珍しい」
「……今日は太陽が出てなかったからな」
「なにその言い訳、かっこつけ?」
からからと笑う理沙を横目に、ぼくは失敗した悔しさと回収のめんどくささが同居た気持ちでいた。
……昼休みが終わる前に行かなきゃだなぁ。
「さて、お前の番だ。明かしたくないからわざと失敗するとかナシだからな」
「……うん。しないよ。そんなこと」
珍しく真剣な声色でそう言う。
「えいっ」
理沙の投げた紙飛行機は、キレイな放物線を描きフェンスを越えると、焚き火に一直線に向かっていく。
方向は完璧。あとは飛距離だ。
が、今度は前回と反対に、焚き火をオーバーして、奥の畑までいってしまった。
「おしいっ!」
落下地点を見送ると、理沙は残念そうに、ひざをバシッと叩く。
「あー惜しかったなぁ。……しかし良く飛んだな。もうあと一歩で成功すると思うぞ」
「あー悔しいなあ」
あひるのように、やんわりと唇を尖がらせて、悔しそうにしている。
「そういえば、今日のプリントはちょっと万が一教師に見つかるとやばいから、昼休み中に回収に行くけど、理沙のもついでに処分しとく?」
なんともなしにそう尋ねると
「だめっ」
と理沙は慌てたように、思わず立ち上がる。
「あっ。いやっ。だって万が一師匠に見られたら、契約不履行じゃん。これ。わたしも一緒に行くよ」
と、取り繕うように言うので、ぼく達は連れたって校門をくぐり、それぞれの紙飛行機を回収して、ぼくは火にくべ、理沙は鞄に入れて持ち帰った。
時間も無いので、今日はそのまま教室へ向かって、別れの言葉もなくそれぞれの世界へ戻っていった。
……しかしあの慌てようはなんだったのだろう。
いつも飄々としている理沙にしては珍しい仕草だった。
よほど見られたくなかったのか。
乙女の恋心ってやつを。
***
「そういえばさー」
「ん? どうした理沙」
一週間後。天気は快晴。
天気予報によると、今日はこちらの地域では今年初の真夏日になるらしい。夏はすぐそこ。というか、もしかしたらもう踏み入れてしまってるのかもしれない。
湿気でうだうだしてしまう暑さよりかは、幾分かぼくはこっちの方が好きであった。
なにより紙飛行機飛ばしには絶好のコンディションである。
今年一番らしい日差しに身を焼かれながら『英語、中間テスト補習者のお知らせ』と書かれたプリントを、例によって入念に折り込んでいると、理沙が話しかけてきた。
「幼稚園のころ、紙飛行機男女関係なくすっごい流行ったじゃん」
「うん」
「あのとき、輪に入れないでいたわたしを引っ張ってくれたのも師匠だったよね」
「……そうだっけか?」
照れ隠しとかではなく、何せ幼稚園のことだ。
正直そんなに覚えてなかった。
覚えていることと言えば、この紙飛行機の折り方と、師匠という呼ばれ方ぐらい。
「そうだよー。あの時の師匠はかっこよかったなぁ。……それが今では、こんなに根暗に育ってしまって」
わざとらしく、よよよ。と泣き真似をしてくる。
「……悪かったな。根暗で陰湿で引きこもりでぼっちに育っちまって」
「いや、そこまでは言ってないよ」
ころころと笑われる。
付け加えるなら、自虐的にも育ってしまったのだ。仕方ない。
しかし最近は思い出話に想いを馳せるのが、女子のトレンドなのだろうか? などと思ってるうちに、今日の紙飛行機が完成する。
「今日は晴れたから、言い訳は出来ないよ」
と横で囃し立てる理沙を無視しつつ、ぼくは太陽に向かって紙飛行機を投げる。
うん。今日は投げた瞬間から会心の手ごたえだ。
ぼくの手ごたえに違わず、紙飛行機も焚き火に向かって一直線に飛び、そして火柱のど真中にへとキレイに落ちていった。
「おー。さすがさすが。師匠の英語嫌いが伺える、素晴らしい投擲ですなー」
ぱちぱちと拍手をしながら、わざと丁寧語で茶化してくる。
次は理沙の番だ。
「今日も中身は乙女の恋心ってやつか?」
紙飛行機を投げる前に、反撃のように茶化し返してみる。
「うん。そうだよ」
笑いながらも、真剣な語気で理沙はそう答える。
本当に決心が必要な恋心なのだろう。
尚更、気になってきた。
「前回と、その前で距離感覚は掴めたろうし、今日はいけるよ」
「……うん。頑張る」
ぼくが投げた位置と同じ場所に立ち、太陽にめがけてふんわりと紙飛行機を投げた。
「おっ。今日はいくんじゃないか?」
紙飛行機はフェンスを越えて、焚き火への軌道線上へぶれることなく乗っかる。
「がんばれ! がんばれ!」
高度を下げつつ、最初に落ちた側溝を通過すると、理沙の紙飛行機は見事なアーチを描き、挑戦三回目で想いを燃やすに至った。
「せ、成功しちゃった……」
「おお! やったじゃん! なんだか自分の事のように嬉しいぞ!」
「……うん。なんか紙が燃えてく瞬間、スカッとした。やっぱりタバコに似てるかも。楽しいね。コレ」
子供のように無邪気に笑って、理沙は喜びのあまりピョンピョンと飛び跳ねる。
「さて、無事燃やせたということで、手紙の中身を教えてもらおうか」
「えっ! ……あっ!」
成功の喜びで、その事を忘れていたのか、狐につままれたような表情になったあと、あわあわし出す。
なんだか理沙の顔が真っ赤だ。真夏日だしな。
「で、なんて書いてあったんだ?」
念を押すように問いかける。
「えっ。あの。その……。あっ! もうこんな時間!」
理沙は、バッと腕時計を見る仕草を取る。
「ん……。もうそんな時間だっけか」
釣られてぼくも、携帯を取り出し時間を確認しようと、ポケットに手を入れ、携帯を取り出し、時刻にまだまだ余裕があることを確認して、一言嘘を言った文句をくれてやろう。と考えていたところ、理沙は既に出口に向かって走りだしていた。
「あっ! コラ! 待てっ! 契約不履行じゃないんか! これ!」
「ま、また今度!」
キィィと錆付いた音を立てながら扉が開き、ほどなくして、バタン! と大きな音を立て勢い良く閉まった。
その後、一人で教室に戻り、次の授業の数学の宿題の確認と予習を始めながら、理沙をちらりと横目で見やると、いつも誰かしらと話してる理沙が一人で机に座りそわそわとこちらを見てる。
目が合うと、慌てたようにノートに向かうフリを始める。
じきに、いつも理沙と話している仲の良い女友達のグループが、理沙の席へと集まってくる。
すると、なにやら「おっ。いよいよかー」とか「頑張れ」とか「応援してるよ」とかそういう会話が聞こえてくる。
まあ、あれが恋文なら今日でいよいよ決心がついた。ということなのだろうか。
にしても、誰に……。
そのくらい教えてくれたって、いい気がするものだが。
***
翌日、三限の世界史を終え、んー! と体を伸ばしてあくびなどをしていると、頭に何かが当たった。というか刺さった。
紙飛行機だ。
送り主は見なくてもわかる気がするが、飛ばされてきた方向をを見ると、案の定、理沙が投げ終わったあとのフォロースルーの態勢で止まっていた。
緊張した面持ちで、床に落ちた紙飛行機を「見ろ」とアイコンタクトしてくる。
紙飛行機をばらして、中身を見てみると。
「ヒルヤスミ、オクジョウデマツ」
と書かれている。
……なんだ。果たし状か、脅迫状かこれは。
言われたとおり、屋上に行くと、まだぼく一人のようだった。
天気は昨日と同じ日本晴れ。
今日の最高気温は昨日から更に上がって三十二度まで到達するらしい。
六月下旬でこれとは。夏休みが思いやられる。
手持ち無沙汰になったので、なんともなしに紙飛行機を折り始める。
今日は別に嫌な事があったわけでもないので、適当に『保護者会のお知らせ』と書かれたプリントを使うことにする。
十分ほど待って、折り紙が完成する頃に、扉の開く錆付いた音がする。
理沙だった。
「……お待たせ師匠」
「おう。なんだ急に呼び出して。昨日の契約不履行のことか?」
「……うん。まあそう。それよりさっ、まずは何時もみたいに紙飛行機飛ばそう? ねっ」
「……まあそうすっか」
その緊張するような震える声に、疑問を持ちつつ、そんなに大事なことなのか……。と、こちらもなんだか緊張し始めてしまいながらも、理沙に言われたとおり、さっき作った紙飛行機を飛ばすことにする。
いつものようにぼくから。
今日も快晴だ。多分ミスらないだろう。
そして、当然だ。といわんばかりにあっさりと焚き火に紙飛行機は吸われていく。
さらば。罪無き『保護者会のお知らせ』よ……。
「さあ、次はお前の番だからな。これ終わったら昨日のこと話すんだぞ」
「う、うん」
音が聞こえるくらい、ごくん。と生唾を飲み下し、よしっと決心を決めて、理沙は紙飛行機を太陽に向かって投げた。
その飛行機は、ぼくの胸に向かってすうっと飛んで来て、心臓付近に先端がゆるく刺さった。
「……っておい! 俺に向かって飛ばしてどうする!! このギャグは最初にもうやりましたよね!」
「ち、違う! 今回はこれであってるの!」
心外だ。というように理沙が言い返してくる。
「……これの中身を、見ろってことか?」
真っ赤な顔を隠すために俯くように、コクンと首を縦に振る。
……なんだよ。そんな表情されたら、こっちまで緊張してくるじゃないか。
気温のせいだけではない大量の手汗で、紙飛行機をばらすのに時間が掛かってしまった。
もたもたと一分ほど時間をかけて、ようやく開帳。
そこには、こう書かれていた。
「ずっと好きでした。付き合ってください」