目であなたを見る前に、心であなたを見ていました。
街の通りは、小雨に濡れていた。日はとっぷりと暮れ、人々は急ぎ足で家路についていた。しかし、そんな群衆の中で、あてもなく歩く一人の若者がいた。その顔には怒りが刻まれ、瞳には虚無が宿り、心には誰にも理解されようとされなかった痛みを抱えていた。
彼の名はアーラヴ。
街中の誰もが、彼を厄介者として知っていた。近所で喧嘩が起きれば、警察は真っ先に彼の名を挙げた。大学生は彼を恐れ、店主たちは彼の姿を見ると口をつぐみ、親たちは子供にこう言い聞かせた。「あの少年には、できるだけ近づかないほうがいいよ」と。
だが、彼が3年前に交通事故で両親を亡くしたことを知る者はいなかった。その日、彼の心の中にいた無邪気な少年もまた、死んでしまったのだ。彼は自分自身を含め、あらゆるものを憎むようになっていた。
一方、同じ街にある小さな音楽教室では、一人の少女がピアノを弾いていた。彼女の指が奏でる美しい音色に、その場に居合わせた誰もが、しばし悩みを忘れるほどだった。
彼女の名はミーラ。
ミーラは生まれつき目が見えなかったわけではない。10歳の時、ある難病によって視力を失ったのだ。医師たちは最善を尽くしたが、治療法は見つからなかった。
それでも、彼女の顔にはいつも微笑みが浮かんでいた。
彼女はよくこう言った。「神様は私の目を取り上げたけれど、心までは奪わなかったわ」
その日の夕方、音楽教室が終わると、ミーラは白杖を頼りにゆっくりと通りを渡り始めた。雨脚は強まっていた。車が猛スピードで通り過ぎていくが、彼女を助けようと立ち止まる者は誰もいなかった。
突然、猛スピードのバイクが彼女の方へ向かってスリップしてきた。
人々が悲鳴を上げた。
「おい……どけ!」
だが、ミーラには何が起きているのか理解できなかった。
その瞬間、誰かが彼女の手を掴み、自分の方へと強く引き寄せた。
バイクは彼女が立っていた場所を猛スピードで通り過ぎ、中央分離帯に激突した。あたりは一瞬、静まり返った。
ミーラは荒い息をついていた。
「あ……大丈夫?」と彼女は静かに尋ねた。
「ああ……でも、あんた正気か?」と少年は怒ったように言った。
ミーラはかすかに微笑んだ。
「もし目が見えていたら……正気じゃないようには見えなかったかもしれないわね」
その時初めて、アーラヴの視線は彼女の白杖に向けられた。彼は数秒間、黙ってそこに立っていた。
やがて身をかがめて杖を拾い上げると、そっと彼女の手に握らせた。
「さあ……道を渡るのを手伝いましょう」
ミラは微笑んだ。
「ありがとう」
二人は言葉を交わすことなく、道を渡り始めた。
向こう側に着くと、ミラが尋ねた。
「お名前は?」
「アーラヴ」
「素敵な名前ね」
アーラヴは、誰かの言葉に微笑みを返したのが何年ぶりだったか思い出せなかった。
いや、もしかすると、生まれて初めてのことだったかもしれない。
ミラは言った。
「あなたの声を聞いていると……とても孤独な人なんだなって感じるわ」
アーラヴは立ち止まった。
「俺のことなんて、何も知らないくせに」
「顔は嘘をつくこともあるけれど……声は嘘をつかないわ」
そう言って彼女は微笑み、歩き出した。
だが、彼女の言葉はアーラヴの心の奥深くに触れていた。
その夜、アーラヴは眠れなかった。
彼女のあの笑顔が、何度も何度も脳裏をよぎったのだ。
自分の姿さえ見ていないはずの彼女が、どうして心にある痛みに気づけたのだろうか。
翌日、これといった理由もなく、彼はあの音楽教室の前に立っていた。
しばらくして、ミラが出てきた。
彼女は微笑んだ。
「来るって……わかっていたわ」
アーラヴは驚いた。
「どうしてわかったんだ?」
「足音でわかったのよ」
その日、二人は一緒に小さな公園まで歩いた。
ミラは木々の香りを味わっていた。
「今日はグルモハールの花が咲いているわね」
アーラヴは驚いて尋ねた。
「どうしてわかるの?」
「花には、それぞれの香りがあるものよ」その日、アーラヴは初めて気づいた。世界は目だけでなく、心でも見ることができるのだと。
やがて、二人は頻繁に会うようになった。
アーラヴは以前の彼とは別人のようになっていた。
喧嘩もしなくなった。
タバコもやめた。
酒もやめた。
かつての友人たちは、彼を「弱くなった」と呼ぶようになった。
だが、彼はもう、誰のことも気にしていなかった。ある日、友人たちがミーラをからかい始めました。
「お前、目が見えない女の子に惚れるつもりかよ?」
アーラヴは迷わず、その中の一人の胸ぐらをつかみました。
「彼女には目がないかもしれない……
だが、お前らには良心がないんだな」
その日、街中の人々は初めて、あのやんちゃな少年がたった一人で10人を相手に立ち向かい、誰かの名誉を守る姿を目撃することになりました。
数日後、ミーラはこう尋ねました。
「アーラヴ……もし、いつか私の目が見えるようになって……あなたの姿を見たとき、あなたのことを好きじゃなくなってしまったら、どうする?」
アーラヴはかすかに微笑みました。
「それでも、僕は幸せだよ」
「どうして?」
「だって、君が僕を見るその『眼差し』のせいで君を愛しているわけじゃないから……
君のおかげで、僕は本来あるべき自分になれたんだ。だから愛しているんだよ」
ミーラの頬を涙が伝い落ちました。
彼女には彼の姿が見えませんでしたが……
その瞬間、世界で一番美しい人が目の前に立っているのだと感じていました。
やがて運命が、彼女の人生に最も過酷な試練を突きつけようとしていることなど、知る由もなく
数日後、ミラの状態が急激に悪化しました。診察を終えた医師は、アーラヴとミラの祖母を診察室に呼びました。
医師は深く息を吸い込み、こう言いました。「良い知らせと……悪い知らせがあります」
二人は不安に駆られました。
「良い知らせというのは、この症状に対する新しい治療法が海外で利用可能になったということです。手術が成功すれば、ミラは再び目が見えるようになるでしょう」
ミラの祖母の目に、希望の光が宿りました。
「それで、悪い知らせは?」
医師はファイルを閉じながら言いました。「その治療は非常に高額なのです。薬代、手術代、処置費を含めた総額は、約500万ルピー(50ラク・ルピー)になります」
部屋に沈黙が広がりました。
それほどの大金は、彼らにとっては夢物語のような金額でした。
ミラは微笑もうとしました。
「大丈夫だよ、おばあちゃん……私は目が見えなくても生きていけるから」
しかし、アーラヴは黙ったままでした。
その瞬間、彼は心に決めました。何があっても、ミラの視力を取り戻してやると。
翌日、彼は愛用していたスポーツバイクを売りました。さらに、父親の最後の形見である古い時計も売りました。昼間は整備工場で働き、夜はフードデリバリーの仕事に励みました。一睡もできない夜が何日も続きました。
手には水ぶくれができ、顔には疲労の色が浮かんでいましたが、彼は決して不平を言いませんでした。
ミラに「どうしてそんなに疲れているの?」と尋ねられるたびに、
彼はただ微笑んでこう答えるのでした。
「ああ、ちょっと……仕事が少し増えただけだよ」
ミラは気づいていませんでした。誰かが彼女の笑顔を守るために、人生のすべてを懸けていたことに。
数ヶ月にわたる懸命な働きの末、ついに資金が集まりました。
手術の日がやってきました。
ミラは車椅子で手術室へと運ばれていきました。
ドアが閉まりました。
アーラヴは外で待っていました。
1時間……
2時間……
4時間……
彼にとって、1分1分が1年にも感じられました。
ついに、医師が出てきました。
その顔には、かすかな笑みが浮かんでいました。「手術は成功しました。あとは、これからの数日間にかかっています」
アーラヴは初めて、祈るように頭を垂れました。
3日後、誰もが待ち望んでいた瞬間が訪れました。医師はゆっくりと、ミーラの目から包帯を外しました。
最初は、何もかもがぼやけて見えました。
やがて、光が差し込んできました。
次第に、視界の霞が晴れていきました。
誰もが息を呑んで見守っていました。
医師が言いました。
「一番会いたい人の顔を見てごらん」
ミーラはゆっくりと顔を向けました。
数歩先に、アーラヴが立っていました。
彼の目元には、疲れからくる隈ができていました。
以前よりも少し痩せて見えました。
その手には、懸命に働いた跡が残っていました。
けれど、彼の笑顔は……
あの頃のままでした。
ミーラはただ、彼を見つめ続けました。
涙が頬を伝い落ちました。
彼女はゆっくりと彼の方へ歩み寄りました。
震える手で、彼の顔に触れました。
そして、微笑みながら言いました。
「そう……この顔だったのね……一度も見ることなく、私が恋に落ちたその顔は」
アーラヴの目にも涙が浮かびました。
「がっかりはしなかった?」
ミーラは首を横に振りました。
「ううん……」
「ずっと、心であなたを見ていたから……」
「でも、本当のことを言うと……」
「想像していたよりも、ずっと素敵だわ」
その時、医師が微笑みながら言いました。
「ミーラ、君の治療費を全額負担してくれたのが誰だか知っているかい?」
ミーラは驚いてアーラヴを見ました。
アーラヴは視線を落としました。
医師はすべての真実を明かしました。
バイクのこと……
二つの仕事を掛け持ちしていたこと……
夜通し働いていたこと……
何もかもを。
ミーラはあふれる涙を抑えることができませんでした。
彼女はアーラヴの手を握りしめました。
「あなたは私に視力をくれただけじゃない……」
「私に、世界そのものをくれたのよ」
数ヶ月後、二人が初めて一緒に座ったあの公園で、アーラヴはポケットから小さな指輪を取り出し、片膝をつきました。「ミーラ……君の世界が闇に包まれていた時も、僕は決して君のそばを離れなかった。君の世界が光に満ちた今……これからの人生を、僕と一緒に歩んでくれないか?」
ミーラの笑顔には、世界中の喜びが詰まっていました。
彼女は少しの迷いもなく、「はい」と答えました。一年後、二人は結婚しました。
結婚後、アーラヴは経済的に恵まれない環境にある視覚障害の子供たちへ無償で医療を提供する団体を立ち上げました。
ミーラはそこで子供たちに音楽を教えていました。
ある日の夕暮れ、二人は初めて出会ったあの道を通りかかりました。
また雨が降っていました。
ミーラは空を見上げ、アーラヴの手を握りながら微笑んで言いました。
「ねえ……昔は世界が見えなかったから、暗闇こそが私の運命なんだって思ってたの」
「でも、今はわかるの……」
「神様が私の視力を奪ったのは、あなたが私の人生に現れたとき、最初に『あなたの心』を見られるようにするためだったんだって」
アーラヴは微笑みました。
「じゃあ、今は?」
ミーラは彼の手をさらに強く握りしめました。
「今はもう、他の世界なんて見えなくてもいいの……」
「だって、私の『世界そのもの』が……今、私のすぐ隣を歩いているんだもの」
雨粒が二人に降り注いでいました。
手を取り合い、微笑みを浮かべながら、二人は歩き続けました。
そしてその日、街の人々は初めて、あの青年を単なる「厄介者」としてではなく……
……誰かにとっての「かけがえのない世界そのもの」として目にしたのです。
おわり。




