クリームソーダ同盟
夏休みの喫茶店は、驚くほど暇だ。
店内は年季の入った内装で、如何にも田舎の喫茶店と言った感じだ。昼過ぎだというのに、 扇風機の回る音しか聞こえないほどに、人がいない。
窓の外では、夏らしい日差しがアスファルトを照らしており、微かにセミの合唱が聞こえた。
私はカウンターに突っ伏しながら、ぼんやりとアイスコーヒーの氷を眺める。
「……暇」
「だったら掃除でもしろ」
奥から祖父の声が飛んできた。
「さっきした」
「じゃあテーブル拭け」
「さっき拭いた」
「なら働いた気になっとけ」
うちのじーさんは無茶苦茶だ。高校二年の青春真っ盛りな孫に店番をさせておいて、こんなに暇だなんて。文句を言い返そうとした時、入り口のベルがカラン、と鳴った。
見れば、小学校高学年くらいの男の子が立っている。襟付きのシャツにハーフパンツ。首から汗拭きタオルをぶら下げて、真っ赤な顔でこちらを見ていた。
ここら辺の子どもなんてみんなタンクトップに短パンなのに、珍しい格好だ。
私が物珍しさに眺めていると、その子は席に座るなり、メニューも開かずに言う。
「クリームソーダ」
「はーい」
いけない、仕事仕事。この暇な時間にようやく現れた客だ。子どもと言えど、しっかり接客しなくては。
私は気を取り直すと、冷蔵庫から冷えたグラスを取り出した。氷の入ったグラスに、緑色のシロップを注いで、炭酸を入れる。しゅわしゅわと泡が立ち上るのを見ていると、少しだけ涼しい気分になる。
最後にアイスを乗せて、さくらんぼを落とす。
「はい、どうぞ」
男の子の前に置くと、窓の光を受けたグラスが緑の光を返す。キラキラと輝く緑に、少年も目を輝かせた。
「ここのは当たりだ」
「……当たり?」
どうせ客はこの子しかいない。私は勝手に目の前に座ると、聞き返した。
「アイスが丸い」
「丸いと何かあるの?」
私が聞けば、じろりと睨まれる。まるで、うるさいとでも言うように。仕方なく黙れば、男の子は真剣な様子でスプーンをアイスに差し込んで一口。そして満足そうに頷く。
「おいしい」
「それは良かった」
男の子は私が見ていることも気にせず、無言でクリームソーダを平らげると、席を立った。
「また来るから」
そう言って私にピッタリお金を渡すと、店を出て行った。
次の日も、その次の日も、その男の子はやって来た。
「クリームソーダ」
お馴染みの注文に、私は思わず聞き返す。
「……また?」
「また」
当然みたいに頷かれる。というかこの子、メニュー開いたことないし、それ以外に何あるか知らないんじゃないの?
「飽きないの?」
「そっちこそ毎回聞くじゃん」
「だって毎回頼むから」
男の子はふん、と鼻を鳴らした。
「クリームソーダは夏しか飲まないんだよ」
「年中あるけど」
「夏の方がおいしい」
それはちょっと分かる。
こう毎日頼まれては、私もさすがに手馴れてくる。冷蔵庫から冷えたグラスを取り出し、緑色のシロップを注いで、炭酸を入れる。最後にアイスを乗せて、さくらんぼを落とせば完成だ。
だいぶ作るスピードも上がったんじゃない?
「はい、クリームソーダ」
男の子は目を輝かせて、ソーダを一口。それから眉をひそめる。
「今日は炭酸強い」
「気のせいじゃない?」
「違う」
「分かるの?」
「分かる」
偉そうに言い切るので、なんだか悔しい。
「まぁ、人が作るものだからそういう時もある」
「そんな適当でいいの?」
「店主が適当だからいいの」
奥から祖父の文句が聞こえてきたが、無視だ、無視。てかあのじーさん、私に接客させていつも奥にいるじゃん!
私はため息をつくと、男の子の前に座った。
「きみ、名前なんて言うの?」
「爽太。でもおれはクリームソーダ好きだから、メロンとかそういう名前が良かった」
「キラキラかよ」
「おねえさんは?」
聞かれて、戸惑う。なんとなく、言いたくなかった。
「……内緒」
「えー、なんだよそれー」
「個人情報は簡単には教えられませーん」
「おれのは聞いたくせに……」
唇を尖らせて不満を言っていた爽太だったが、良いことを思い付いたとでも言うように、顔を上げた。
「じゃあみどり!」
「……え?」
「おねえさんのことはみどりって呼ぶ!」
意味が分からない。というか、呼び捨てかよ。
「メロンがだめなら、クリームソーダの色の緑が良いよ」
「クリームソーダ好きすぎ。爽太も点付ければソーダになるし」
私がそう指摘すれば、爽太はたちまち目を輝かせた。
「本当だ! おねえさんと合わせればメロンソーダじゃん!」
「いやメロンじゃないし」
「じゃあおじいちゃんはクリームだな!」
「ぶっ」
爽太が奥にいる祖父を指さすもんだから、思わず笑ってしまった。あのじーさんが? クリーム? 何それ面白すぎ。
祖父は私をじろりと睨み付けてきたが、さすがに爽太の前では何も言わない。ひとしきり笑ったあと、爽太は帰って行った。
「あの坊主、なかなか鋭いじゃないか。なぁ、翠」
「メロン色だって言われると思ったから教えたくなかったのに」
私が不満を表せば、祖父は楽しそうに笑った。
爽太は毎日同じ時間に来た。そして、注文は絶対クリームソーダ。
毎日来るもんだから、爽太の事情にも詳しくなる。今は親の仕事の都合で、夏休みの間だけ祖父母の家に預けられているのだと教えてくれた。
都会っ子らしい。どうりでませてる。
最近はクリームソーダを飲みながら、ここで宿題をやったりもしているので、どんなものか覗いて見た。
「げっ、今の小学生ってこんな難しいのやってるの?」
「むずかしくないし。みどりって馬鹿なの?」
「年上に馬鹿とか言うんじゃない。ちょっと忘れただけ」
「ふーん」
爽太はさほど興味もなさそうにクリームソーダを一口飲む。アイスの端が少しだけ崩れて、緑の炭酸に白が混ざった。
「あっ」
爽太が声を上げる。
「なに」
「まだ沈めたくなかったのに」
「知らないよ」
すると爽太は、じっとこちらを見た。
「……みどりってクリームソーダ下手そう」
「なんで?」
そもそもクリームソーダに上手いとか下手とかあるのか。
「雑に混ぜそうだから」
「混ぜるでしょ普通」
「えぇ……」
本気でショックを受けた顔をされた。
「クリームソーダ同盟的に、それはない」
「なにその同盟」
「知らないの?」
「今初めて聞いた」
私が首を傾げれば、爽太は盛大にため息をついた。
「仕方ないなぁ」
「なんで上からなの」
「じゃあ今日からみどりも同盟ね」
「え、やだ、恥ずかしい」
「多数決で決まった」
「二人しかいないじゃん」
「一対一だから半々。つまり過半数で可決」
「意味分かんないんだけど」
でも、くだらなすぎて少し笑った。
それから私は、半ば強制的にクリームソーダ同盟の一員になった。
同盟には無駄に細かいルールがある。
その一、アイスはすぐ沈めない。
その二、さくらんぼは最後。
その三、炭酸部分だけ先に飲みすぎない。
そして――
「クリームソーダは夏の飲み物であること」
「まだ言ってる」
「大事だから」
爽太は真面目な顔で言う。私は呆れながら、自分のクリームソーダに口をつけた。
しゅわ、と炭酸が弾ける。甘ったるいみどり色の味。子どもの頃は好きだったな、と思う。
八月の終わりが近づく頃には、爽太が来るのが当たり前になっていた。ベルが鳴れば、「ああ、来たな」と思う。窓際の席に座って、クリームソーダを飲みながら、どうでもいい話をする。
学校のこと。
好きなゲームのこと。
近所の川でザリガニを捕まえた話。
そんな話を聞きながら、私は夏休みが終わりに近づいていることをぼんやり感じていた。
「おれ、来年はもう来ないかも」
ある日の帰り際、爽太がそんなことを言った。私はグラスを拭く手を止める。
「なんで?」
「なんか、中学生にもなって子どもっぽいじゃん。同盟とか」
「今さら?」
爽太は少しだけ気まずそうに視線を逸らした。
「……まあ、分からなくもないけど」
私も最初はそう思った。高校生にもなって同盟“ごっこ”なんて。
「でも……案外、そういうのって後から恋しくなるよ」
「そういうもん?」
「そういうもん。それに――」
私は少し考えてから、口を開く。
「真剣にやってるのに恥ずかしいもないでしょ」
爽太はその言葉にキョトンとして、それから小さく肩をすくめた。
「じゃあ来年も、気が向いたら来る」
「同盟活動?」
「うん」
私は笑う。
「その時は、私も一緒に混ぜてね」
「当たり前じゃん」
爽太はそう言って、最後のさくらんぼを口に放り込んだ。
夏休み最後の日。
爽太はいつも通りクリームソーダを頼んで、いつも通り飲んで、いつも通り帰ろうとした。
「じゃあね」
「あのさ」
私はメモ帳に自分の名前を書く。
「私の名前、みどり。“翠”って書くの」
爽太は私の書いた文字を見て、ニカッと笑った。
「良い名前じゃん」
ベルが鳴って、扉が閉まる。静かになった店内で、私はしばらく入口を見つめていた。
「ぼーっとしてんな」
祖父が新聞をめくりながら言う。
「別に」
「夏が終わるな」
「……だね」
窓の外では、夕方の光が少しだけ柔らかくなっていた。セミの声は、いつの間にかひぐらしの鳴き声になっている。
私は冷蔵庫を開けた。
「じいちゃん、クリームソーダ作っていい?」
「好きにしろ」
氷を入れたグラスに緑色のシロップを注ぐ。炭酸を入れると、細かな泡が弾けた。最後にアイスを乗せて、さくらんぼを落とす。
私はいつもの窓際の席に座った。窓からはオレンジ色の光が入ってきて、緑と混ざり会う。
私は少し考えてから、スプーンを置いた。
——アイスは、まだ沈めない。
グラスの中で、氷がカラン、と音を立てた。
私はクリームソーダはアイスを全部溶かして飲む派なので、クリームソーダ同盟には入れません。




