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「エコだから」とエアコンを切った夏の日、親友の姉は死にかけた。――それ以来、親友の「心配」という名の狂気が止まらない。  作者: 品川太朗


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第2話 助かった命、残った影


静寂を鋭利な刃物で切り裂くように、スマートフォンの通知音が鳴り響いた。


時刻は深夜二時を回っている。


私は重たい瞼をこじ開け、暗闇の中で発光する画面を睨んだ。

 網膜を刺す白い光の中に、『佐伯ミオ』の名前と、短いメッセージが浮かんでいる。


『一命を取り留めたよ。今はICUにいるけど、意識は戻ったって』


文字の意味が脳に浸透した瞬間、張り詰めていた琴線がぷつりと切れた。

 強張っていた肩から力が抜け、私は泥のように枕へと顔を埋める。


「よかったぁ……」


漏れ出た独り言は、情けないほど震えていた。


本当に、よかった。

 死の淵を覗き込んだ友人の姉は、辛うじてこちらの世界に踏みとどまったのだ。


震える親指で『本当によかった。ゆっくり休んで』と打ち込むのが精一杯だった。

 詳しい事情など、今はどうでもいい。ただ、彼女の心臓がまだ動いているという事実だけで、この夜は十分だった。



事の全容を知ったのは、それから二日が過ぎた放課後だった。

 受話器越しに聞かされた原因は、あまりにも皮肉で、やりきれないものだった。


エアコンのタイマー設定。


佐伯家は環境保護に熱心で、「夜間の冷房は体に毒であり、地球にも負荷をかける」という信念を持っていたらしい。

 その影響か、アヤネさん自身も昼寝の際には「冷えすぎないように」とタイマーをかける癖がついていたという。


あの日、誰もいない家で微睡んでいたアヤネさんの部屋、そのエアコンは二時間で停止するようにプログラムされていた。


外気温が体温を超える猛暑の昼下がり、密閉された現代住宅で空調が途絶える。

 それがどれほど緩やかで、確実な処刑装置になり得るか。想像するだけで肌が粟立つ。


「お父さんもお母さんも、真っ青になってた……」


ミオの声はまだ、薄いガラスのように脆かった。


「自分たちのせいで、お姉ちゃんを殺しかけたって。エコとか言ってる場合じゃなかったって、泣き腫らしてて」


「……そっか。でも、アヤネさんが無事で本当によかったよ」


「うん。ユイが救急車呼べって叫んでくれなかったら、本当に手遅れだったって医者に言われた。ユイは命の恩人だよ」


命の恩人。


その言葉はあまりに巨大で、十六歳の私の背中には重すぎた。

 私は何と答えていいか分からず、ただ曖昧に息を吐くことしかできなかった。



アヤネさんが退院したのは、一週間後の日曜日だった。

 後遺症もなく、奇跡的な回復を見せたという。


その日の夕暮れ時、「どうしても直接お礼がしたい」と、佐伯家全員が私の家を訪ねてきた。

 インターホンが鳴り、母と共に玄関を開ける。


そこには、桐箱に入った高級なマスクメロンを恭しく捧げ持った佐伯夫妻と、少し頬がこけたものの一応の血色を取り戻したアヤネさん、そしてミオが並んでいた。


「三崎さん! ユイちゃん! 本当に、本当にありがとうございました!」


開口一番、佐伯さんの父親が、額が膝につくほどの勢いで頭を下げた。

 連鎖するように母親、アヤネさん、ミオまでもが一斉に頭を下げる。


狭い玄関先で繰り広げられる、土下座寸前の感謝劇。その切迫した空気に、私は言葉を失った。


「い、いえ! 私は電話で話しただけですし……!」


「そんなことありません! あの時、ユイちゃんが冷静に判断してくれなかったら……私たちは娘を永遠に失っていたんです!」


顔を上げた母親の目には、涙が溢れていた。

 それは安堵の涙であると同時に、自らの過ちに対する深い懺悔の涙でもあった。


アヤネさんが気まずそうに、けれどしっかりとした口調で私に言った。


「ユイちゃん、ありがとう。私、寝てたから全然記憶ないんだけど……ユイちゃんのおかげで、またこうして笑えてるよ」


「アヤネさん……無理しないでくださいね」


「うん。もう二度と、エアコンは切らないって決めたから」


アヤネさんは快活に笑ってみせた。


一見すれば、それは感動的な光景だ。

 過ちを乗り越え、家族の絆が再生した美しい結末。


――のはずだった。


ふと視線を感じ、私はミオを見た。


ミオは、アヤネさんの右腕を、両手でぎゅっと抱きしめるように掴んでいた。

 その指先は白く変色し、アヤネさんの皮膚に食い込んでいる。


まるで、少しでも手を離せば、姉が煙のように消えてしまうと信じ込んでいるかのように。


「ユイ、ありがとう。私のお姉ちゃんを守ってくれて」


ミオが私を見て微笑む。


口角は上がっている。けれど、その目は笑っていなかった。

 どこか張り付いたような、陶器の人形のような笑顔。


そして何より、佐伯家全体を包む空気が、妙に高揚しすぎていた。


それは恐怖の反動なのかもしれない。

 けれど、「命が助かった純粋な喜び」というよりは、「助かったことを絶えず確認し続けなければ、不安で押し潰されてしまう」というような、強迫的な熱気を孕んでいた。


「じゃあ、また明日学校でね、ユイ」


帰り際、ミオは何度も何度も振り返り、私に手を振った。

 アヤネさんの腕という命綱を、決して離さないまま。


ドアが閉まり、廊下に静寂が戻る。


私は手渡されたメロンの箱を見つめた。

 甘く芳醇な香りが漂ってくるはずなのに、胸の奥には小さな棘のような違和感が刺さったまま抜けない。


解決したはずだ。すべては終わったはずだ。


なのに、なぜだろう。


これからもっと悪いことが起こるような、そんな冷たい予感がしてならなかった。

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